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第45話:何やってるの、シオン

 アリアが夢の世界へと羽ばたいていった今よりも数時間前、お屋敷の正面ではあの人物の遥かなる旅立ちが始まろうとしていた。




 シオンはお屋敷を見上げて、涙ぐんでいた。


 「くっ!こんなにも、アリアお嬢様の下を離れることが辛いものだとは!!」


 身を削がれる思いを抱いたシオンは、馬車の前で屋敷を見上げ瞳に涙を溜めていた。


 「お嬢様、シオンは今より非常に過酷な旅路へと出立致します。無事に帰ってきた暁には、ぜひ、いの一番に運動に適した至高の逸品をお届け致します。それまでは、シオンが不在でもお気を落とさずにお待ちください」


 瞳に零れる程の涙を溜めてそう声高に宣言したシオンは、今の気持ちを振り払うように涙を拭い、腕に掛けて持っていた外套をメイド服の上から羽織った。

 そして、外套に腕を通し終えると、最後にアリアの部屋の方角を悲壮感を抱きつつ眺めた。


 (行って参ります)


 そう心の中で意気込み強くアリアに伝えてから、シオンは視線を正面の者達に向けた。


 「メイド長、どうかご無事でお戻り下さい」


 「私、今日はメイド長がお帰りになるまでここで立ってお待ちしています」


 「メイド長がいないお屋敷は寂しいです。私もメイド長の無事のご帰宅を心より祈っております」


 「メイド長・・・・・」


 口々にシオンの身を案じる言葉が目の前の部下達から紡がれる。

 シオンは目の前の部下達を静かに眺めると、少し叱るような声音で口を開いた。


 「貴女達、私のお見送りはとても喜ばしい事ですが、ここで仕事をせずに待つことは流石に見過ごせません。私は貴方達を信頼しているからこそ、こうして外へと行けるのです。しっかりと私の留守を頼みましたよ」


 『はい、メイド長』


 皆同時に一様の返事を発した。

 シオンは自分を慕う可愛い部下達に思わず笑みを零してしまった。

 そして、心配そうに自分を見つめる部下達の下に歩み寄り、一人一人に不安が薄まるように声を掛けていった。

 そうして、シオンは一通り声を掛け終えると、皆を見据えてはっきりとした口調で最後に声を掛けた。


 「私の留守を頼みましたよ。特にアリアお嬢様に寂しい思いをさせないように、皆、心がけるように!」


 『承知しました!』


 「良い返事です。では、私はこれより暫しの暇を頂戴したので、街まで品物を受け取りに行ってきます。貴方達、帰ってきたら皆で今宵開かれるアリアお嬢様のファッションショーに参加しましょう。参加する者は、自身の自慢の逸品を持ち寄り、共にお嬢様を優美に着飾りましょう。だから、それまでに仕事を終わらせておくように!!以上です、解散しなさい!」


 『了解しました!!』


 シオンの話を聞いたその場の者達は、急ぐように今日の持ち場へと去っていった。皆一様に、不在のシオン分まで頑張ろうとやる気を出して、そして帰ってきたら褒めてもらえるようにと心の中で3分の1程を占める思いで駆けていった。しかし、残りの3分の2は、別の思惑が占めていた。


 (早く仕事を終わらせて、私の秘蔵の逸品を準備しなければ!!)


 (お嬢様にぜひ私の秘蔵の逸品を着てもらい、ファッションショーで私が優勝するために、一時も無駄には出来ません!!)


 (お嬢様の可愛さを最大限に引き出し、魅せられるのは私だけです!!)


 (他の者には負けませんよ!!!)


 目をギラつかせ、皆は既に仕事後の衣装の仕込みを思考していた。そして、皆、互いに視線で牽制し合い、相手よりも早く仕事を終わらせて、より時間をかけて今夜の大会へと最高の作品と一緒に臨むことだけを考えて仕事場へと散っていった。

 そんな内心で火花を散らし合っていることなど露程も知らずに、満足そうに部下達を見送り終えたシオンは大きく頷き、馬車へと向き直り乗り込んでいった。そして、御者のヴァダンに「街まで」と簡潔に声を掛けて街まで向かって行った。

 こうして、アリアの知らぬ間にファッションショーの参加人数を大幅に増加させた咎人は、真面目な表情で仕事後の街での散策計画を練りつつ、段々とニヤ付いていく表情で街までの道程を進んでいくのであった。






 馬車に揺られることおよそ一時間、シオンを乗せた馬車は何事も無く街の入り口近くに到着していた。


 (お屋敷を出発して一時間ですか。何とか、正午を少し回った辺りの時刻に到着出来そうですね)


 シオンは窓から外の様子を窺い、予定通りに到着できそうな街の景観を眺めた。

 街の周りは、高い石壁が覆い、その外側を水の張られた堀が囲む形となっており、堅牢な造りで守られていた。

 馬車はその街への入り口である跳ね橋に向かい、整備させた道を進んでいた。

 シオンは窓から視線を逸らしほっと一息吐き、何とか今日のアリアの入浴時間までに帰れる目算に安堵した。

 そして、覗いていた窓のカーテンを閉めると、顔を正面に向けた。そこには、今回シオンと共に仕立屋で、人手不足の手伝いをすることになった新たな見習いメイドの3人の姿があった。

 シオンの正面右手側から順にナル、メル、グリムの三人である。

 ナルは、セツと同じく肩の高さで切り揃えられた髪型の女性で、栗のような赤茶色の髪色をしている。

 メルは、本来は腰まで届く長い髪を頭の後ろで髪留め用のクリップで纏めたクリーム色の髪色の女性である。

 最後のグリムは、ブルーベリーのようなダークブルーの髪をボブカットで整えた女性で、アリアとは違い本物のメガネをかけた女性である。

 その3人は今現在、皆一様に肩を縮こませ緊張した様子でシオンの顔を窺い続けていた。

 シオンはそんな見習いメイド達の様子を一瞥すると、表情を引き締めて重々しく口を開いた。


 「昨日はお嬢様の手前、一応貴女達を私は許しました。ですが、私は貴方達のアリアお嬢様への仕打ちを完全に許すことができません。傅くべき主を放り出し、自らの職務を全うせず、あまつさえ、お嬢様の心に傷を負わせた貴女達。お嬢様のお情けがなければ、私は一切の容赦なく貴女達をお屋敷から放り出していました。今、ここで再びお仕えできることを寛容でお優しいお嬢様に感謝しなさい」


 シオンに厳しく責められた見習い達は、深く頭を下げ、口を開いた。


 『はい、メイド長。こうして今、お仕えできることを深くお嬢様に感謝しいたします』


 3人そろって反省した様子でそうアリアに敬服を示した。

 シオンはそんな3人を静かに見つめていた。


 「本当に反省しましたか。私達がこうしてお嬢様の下でお仕えできるのは、家柄、経歴、学歴などを一切不問とするチェイサー家の雇用体制のおかげです。しかし、たった一つ、お嬢様を欲する者共から命を賭してでも守り抜く気概ある者のみが就ける、職務であることを忘れていませんでしたか?」


 『申し訳ございません!!すっかりそのお役目が抜け落ちておりました!!』


 「正しく反省し、今後は気を改めて今まで以上にお嬢様の為に務めなさい!そして、公爵家の一人娘という、野望を抱きし者が喉から手が出るほど欲する、魅力を備えたアリアお嬢様をお役目に従い守り抜きなさい!」


 『はい。もう忘れることなく徹頭徹尾、お嬢様の為に務め、その御身を下種な輩から護る事を今ここで誓います!』


 俯けていた顔を3人は上げ、確かな気概を持ってシオンを見つめ返した。

 顔付きを勇ましく変えた3人を確認できたシオンは1つ満足そうに頷いた後、3人に真剣な表情で最終確認を述べていった。


 「貴女達の気持ちは分かりました。それでは、その気持ちが確かなものかをこれからの仕立屋でのお仕事で確認させて頂きます。貴女達の働き方如何によっては、帰りの馬車がなくなります。私に貴女達の覚悟を仕事を通して示しなさい!!」


 『はい、メイド長!必ず、シオンメイド長の期待に応えられるように誠心誠意、本日のお勤めを果たしてご覧に入れます』


 覚悟の決まった彼女達の反応に、シオンが思わず笑みを零して答えた。


 「良い返事です。では、馬車の方も街の検問を超えたようですし仕立屋に着き次第、お嬢様の為に、運動に適した至高の逸品を作り上げる仕事に取り掛かりますよ。明日の早朝ランニング、そして、お嬢様のお胸様の成長の為に精一杯の気持ちを込めて作りなさい!!!」


 シオンが見習い3人を強く見据え、檄を飛ばす。


 『はい、メイド長!お嬢様のお胸様の為に、御立派にご成長なさるように丹精込めて至高の逸品を作り上げたいと思います!!!』


 シオンの檄に答え、見習い3人が熱く宣誓した。

 アリアが居たら大激怒間違いなしの恥辱的な内容を声を高々と上げて、そして、馬車の外までそれを響かせて意気込み十分のまま、4人は街の中心部の大通りを馬車に揺られながら進んでいった。

 しばらく進み、馬車が大通りから外れた一軒の店舗の前で停車すると、シオン達4人はドアを開けて馬車から降りた。そして、ずっと座っていたので凝り固まった身体をシオンが伸ばしていると、御者のヴァダンがシオンに一言かけようと歩み寄ってきた。


 「シオン様、私は馬車を駐車場に預けてきます。その後は、そこの厩舎で馬の世話をしておりますので、お帰りの際にはこちらまでご足労願います」


 「分かりました。では、この街ですべきことが済んだ後に、皆で向かいます。馬のお世話を頼みましたよ、ヴァダン」


 「畏まりました」


 畏まった姿勢で礼をすると、シオンよりも大きな体躯のヴァダンは、御者台に座り馬車を走らせていった。

 走り去る馬車を見送ったシオン達は、本日の業務である人手不足の応援をすべく、目の前のチェイサー家御用達の仕立屋に向かい進んでいった。

 そして、街の大通りから外れひっそり佇む仕立屋の正面に着いた時、シオンは今日の責任重大な任務について脳裏で確認の為に思考を巡らせた。


 (さて、このドアを潜ればいよいよ任務開始ですね。お召し物を作ってしまえば任務完了とはならず、確実にお嬢様の手元までお届けすることが任務完了の条件です)


 と、一旦そこまで考えたシオンは今日の御者に連れてきたヴァダンを思い浮かべて、続きを思考していった。

 

 (お嬢様の大切なお召し物の護送ですからね。こちらも相応の警護の為にヴァダンに来てもらいました。万が一の事態が発生した際には、彼にお嬢様の大切なお召し物と可愛い見習いメイド達を護るように密かに命じてあります。ですが、果たして万が一の事態が起きることなど有り得るのでしょうかね。私がいるのに、・・・。ふふふ)


 内心で最後に、用心し過ぎたかと自身の日和具合についついシオンが自嘲を零した。

 しかし、すぐにそれは油断かと、足元を掬われないように気持ちを引き締め直し、シオンは、立ち止まっていた仕立屋のドアノブを握り、ドアを開けて店内へと足を踏み入れていった。






 静寂が満ちる店内に入ったシオン達は、まず目を引くというか、引かざるを得ない壁際に飾り立てられたマネキンの列に強制的に視線を取られた。

 シオンは内心で誰がこんな服を着るんだと詰問したくなる、斬新以上の奇抜な服装のマネキン達を憐憫の情が浮かぶ瞳で眺めた。

 暫く可哀そうなマネキン達を強制的に見せつけられた後、ようやくマネキン達から視線を外すことに成功したシオンは、視線を店の奥に向けようとした。しかし、その途中に仕立て上がった衣服を入れる棚に再度視線を取られた。

 そこにもシオンの理解の及ばない衣服達が詰められていた。鮮やかさを通り越したけばけばしい色合いの前衛的な衣服が棚から溢れ、それらがシオンをこちらの世界へと誘うかのように手招きする幻影を見せてくる。

 シオンの意識がそれらの手招きに誘われ一歩踏み出そうとしたその時、「メイド長!」と危機迫る鋭い声がシオンをこちらの世界に踏み止まらせた。

 はっと悪夢から覚めたように我に返ったシオンは、何度か瞼を瞬かせると、ゆっくりと視線を店内に巡らせて自分の居場所を確認した。そして、確かに今、元のまま店内に佇んでいることを確認できると、ほっと胸一杯に吸い込んだ息をゆっくりと吐いていった。

 安堵のため息を吐き終わった時、シオンは身体中に尋常ではない程の冷たい汗をかいていることに気付いた。


 (幻影に意識を捕らわれるとは、まだまだ私も精進が足りませんね。幻影に再び捕らわれる前に、この幻影を打ち破る最強の想像を創造しなければ!)


 シオンは目を瞑り意識を集中した。


 (この邪悪な幻影に打ち勝つべく必勝の想像よ、今我の心に顕現せよ!!)


 カッと脳内で目を見開いたシオンの目の前に、優しく微笑んだアリアが顕現した。


 「シオン!だーーい好き!」


 そのアリアが腕を広げて、シオンの胸に飛び込んだ。

 そして、胸から顔を上げてニコリと微笑むと、甘えたような姿で口を開いた。


 「シオン、ずっと一緒だよ!!」


 言い終わると、シオンをギュッと抱きしめた。


 (ぐはっ!)


 最強の想像が急所を貫いた。

 更に最強の想像がシオンに追撃を加える。


 「ねえ、シオン?わたくしからだけでなく、シオンからも抱き締めて欲しいな。えへへ!」


 無邪気なようで計算された笑みを浮かべ、シオンを幻惑する。

 シオンがそれに応えて抱き締めようとした時、更に蠱惑的な笑みでアリアがシオンをより心地よい幻想の深淵へと誘う。


 「シオン、早く早く!えへへ!」


 三日月の如く吊り上げられた唇に、弓なりに細められた瞳の怪しい笑みでアリアが両手を広げてシオンを待つ。


 (はい!はい!今、行きます!!)


 誘蛾灯に惹かれる蛾の如く、シオンがゆらゆらとその怪しく揺らめく明かりに一歩二歩と歩み寄っていった。

 そして、誘われるままに近づいたシオンが、いつの間にか自分の胸から離れていたアリアの目の前に着いた瞬間、笑みを深めたアリアがシオンを抱き締めた。

 アリアはシオンの耳元まで顔を近づけると、背筋がぞくぞくする声音でそっと囁いた。


 「良かったです」


 艶めかしく一つ息を吐いて、アリアが再び妖艶な笑みを浮かべて囁いた。


 「やっと捕まえた」


 その声がシオンに聞こえたと同時に、今まで以上の力で身体を強く抱き竦められた。


 「もう離さないよ、シ・オ・ン!」


 何処までも深く、シオンを耳から侵食するが如くアリアの囁き声が響いていった。


 「一緒に、何処までも堕ちていこうね、シオン!」


 最後に楽しげな声がシオンの意識を侵していった。

 そして、アリアに抱き竦められたシオンは、足元からジワリと深淵へと引きずり込まれていった。

 朦朧とするシオンは不気味に快さを覚える空気に纏わりつかれ、底の見えない暗く淀んだ深淵にゆっくり、ゆっくりと沈み込んでいった。そして、胸まで沈み込んだ時、目の前にもう1人のアリアが現れた。そのアリアが呆れた表情でシオンを見下ろし、開口一番に冷ややかに言葉を放った。


 「バカなのシオン」


 唐突なアリアからの呆れ声に動揺し、シオンが一瞬で正気に戻ると、慌てた様子で弁解を口にした。


 (ち、違います。私は!)


 と、そこまで述べた時、自身が沼の様な黒く溜まった粘液に纏わりつかれ、沈みかけていることに気付いた。


 (な、何ですか!!これは!!)


 驚愕の表情で声を上げ、自身の状況に先程以上に慌てた。

 アリアはポンコツメイドを暫し可笑しそうに笑って眺めた後、唐突に悲しそうな表情を浮かべてシオンに語り掛けた。


 「シオンはわたくしとのファッションショーよりも、沼に沈み込む方がいいのね。わたくし、ずっと待っているのに。シオンの作ってくれたお洋服を着ることを楽しみにしていたのに。悲しいです、シオン」


 アリアが潤んだ瞳でシオンを見据えた。そして、シオンから顔を背けると、どこかへと去ろうとした。

 シオンは焦燥感を強く覚えて、アリアに大声で叫んだ。


 (待ってください、お嬢様!シオンは沼よりもお嬢様のファッションショーが良いです!!!)


 そう限りなく声を上げて宣言すると、シオンはいつの間にかドロドロに溶けていた幻影を振り払い、アリアに向けて手を伸ばした。




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