一章-④若様
「で、連絡先聞いた?」
「聞けるわけねぇだろ!?」
ほとんど涙声で俺は怒鳴り散らした。道場の門を振り返り、二度とくるかばかやろうと遠吠えをキメる。
「マジで、体中がミシミシいってるんですけど……」
あれから何十回お花ちゃんにブン投げられたかもはや覚えていない。受け身も身についていないド素人は、体中痣だらけだ。叫ぶと何処かに痛みが走る。
「いやー、まさにスポ根って感じだったな。千切っては投げ、千切っては投げ」
千切られてたのお前のお友達なんですけど!?
「ったく、なんでお前は無傷なんだよっ」
一日体験で満身創痍になるのもレアケースだと思うけど。ていうか空手って投げ技とかあったっけ? 相対している最中にうっすら感じ取ってしまったのだけれど。なんというかこう、殺意……的なものを。
空手少女の眼光を思い出して、俺は身ぶるいした。トラウマになっちゃってんじゃん!?そして人がそんな風に千切られている最中に、こいつときたらおばさまたちと一緒にやんややんやと歓声を送っていたのだ。
打ち身もすり傷もない杏奈の腕をぱちんと叩く。
「高みの見物しやがってっ」
「いいもん見られたよー。それにあんなにぽいぽい投げられられたのも、有沢の運動神経がいいからじゃないの」
「投げられるために来たんじゃないっつーの」
強くなるために門戸を叩いたというのに、結局女の子にぽいぽいブン投げられて帰ってくるとは、情けない。
「彼氏より強くなって帰るはずだったのにねっ」
「つーかソレだよ、ソレ。なーんでまたお前とカップルだなんて思われたんだろうなぁ」
女子に間違えられたのは百歩譲ってあり得なくもないとして、俺達のやり取りは友達・悪友・悪ふざけ、それ以外の何にも見えないはずだ。
「なんでだろうなぁ? さっぱり見当つかないけど。あっ、そういえば始まる前、お前がトイレ行ってた時に、雑談タイムがあったのよ」
「へー?」
やけにおばさまたちと打ち解けてると思ったら、そういうことだったのか。
「なんで空手始めようと思ったの? って聞かれたからさ、大切な人を守りたいんですって言っといた。トイレの方向見つめながら」
「お前マジで一回泣かせていい?」
おかしな設定をつけてんじゃねぇよ。
「いーだろぉ、付き合いで来てやったんだから。ちょっとふざけるくらい」
「それじゃ最初からずっと、俺はお前の彼女だと思われてたんだな……?」
柔軟の時も、筋トレの時も。いーたーいーよー、有沢もっと力抜いて、というやり取りがおばさまたちにはピンク色の空気に捉えられてたというんだな?地中深くに埋まりたいんですけど?
「俺だってなぁ……万が一おばさまたちがお前を男だと信じ込んでたら、ザ・禁断の園的に捉えられてたかもしれないんだぞ!? そのリスクを背負って悪ふざけしてたんだ!」
「まっすぐな目をして言い訳してんじゃねーよ! しかも結局男子高校生青春カップル(はぁと)に認定されてたじゃねーか!」
「有沢がバラしちゃうからだろ!?」
「バラすも何も俺は男だ!」
「いいじゃん、もう。お前のかわいさは男性向けなんだって」
投げやりに縁起でもないことを杏奈が口走った。
「よくない、ふざけんな! 俺には青ワンピちゃんがいるんだよっ」
「だけどお前の男運からしてぇー」
男運てなんだよ!? 男ホイホイ引き寄せちゃう運? あるかもしれないじゃねーか!
「その青ワンピちゃんだって女装した野郎だったりするんじゃないの?」
「なっ、なっ、なんてこと言うんだ! 青ワンピちゃんはこんなにカワイイんだぞ!? 見てみろホラぁ!」
「えっ?」
えっ?
二人同時に固まった。沸騰しそうな勢いで俺が指差した先にあったポスターを、黙って数秒間見つめる。
「……へ? これって」
ショーウィンドウに貼ってあるそれは、何かのライブの告知ポスターのようだった。
俺はそこで、初めて彼女の名前を知ることになる。
―関若葉。
「青ワンピちゃん……に、似てるのか?このアイドルが?」
「似てるもなにも……」
そう、アイドルと書いてある。アイドルのCD発売ライブが、今度の日曜に近くのイベントホールで行われるらしい。そういった内容がポスターには書かれていた。
「この子だよ。俺が漫喫であった、青いワンピースの女の子……」
横で杏奈がでかい声を上げたが、俺の目はすっかり関若葉に釘付けだ。着ている服は青でもワンピースでもないギンガムチェックの制服風の衣装だけれど、本人としか思えない。長い黒髪も、涼しい目元も、アイスのCMに出てそうな爽やかな笑顔も。
その証拠に、俺の心臓はあの時の衝撃を思い出してどんどん速度をあげていた。
「お前、関若葉に会ったの?」
「え?」
興奮と焦りが混じったような声色で、杏奈が俺の両肩を掴んだ。
「本当にこの子なのか!?有沢の言ってる青ワンピちゃんっていうのは」
「そう、だよ……。間違いない。アイドル級にかわいいって思ってたけど……そうか、本当に……」
息を呑んで、
「すげー!」
杏奈は叫んだ。
「知ってんの、お前」
「俺の詳しい界隈よっ? 若様の事務所は。バレンタインプロダクション」
若様? 界隈? バレンタイン?
「そういえばお前、アイドル系詳しかったよな」
以前、カラオケでコールとやらの練習に付き合わされたことがある。俺が歌ってコイツが吠えていた。俺的には地獄絵図だったのだけど、杏奈は終始清々しい顔をしていたのでそれが余計怖かった。
「そっかー。若様漫画喫茶とか行くんだー。……で、何から知りたい!?」
あの時と同じ目である。
杏奈は教えてくれた。関若葉の身長、体重、血液型。3サイズは非公開。よかった、だってこの混乱したアタマでそこまで聞いたらおそらく爆発してしまうので。
「年齢は十九歳」
「三つ上か……全然イケるな」
「若様は大人の魅力とたまにみせる表情のギャップが萌えるんだよなー」
「お、お前……っ、まさか青ワンピちゃんのこと好きなんじゃ……」
謎のジェラシーが俺を襲う! 俺よりずっと青ワンピちゃんに詳しいこととか、俺より先にこいつが出会ってたこととかこととかこととか!
「もちろん。ファンとしてな」
杏奈は当然のように答えた。
「だからもちろん、このイベントにも行くぞぅ」
「はぁぁ!?」
これまた当然とでも言うように、杏奈は親指を立ててみせる。取り乱す俺を尻目に、ポスターの関若葉を見つめて楽しそうに続けた。
「はぁー、楽しみだなぁ。生の若様」
「ぐ、ぐぬぬ……」
それはどうやら正式なニックネームらしい。アイドルがよく自己紹介で言うあれか。彼女は「青ワンピちゃん」なんかじゃなかったのだ。
「握手会もあるんだよなー」
「……っ」
とても簡単な二択だ。
「若様めちゃくちゃ神対応だし、名前も覚えてくれたりするんだよなぁー」
「ぅ……うぅぅ……」
こいつに頭を下げるか、下げないか。関若葉ちゃんのライブ、すごく行きたいです。すごく行きたいが、今までこの男にからかわれてきた恨
「頼む杏奈!俺にチケット譲ってくれ!」
漢らしい即決であった。
しかし、返事はなかなか降ってこない。九十度に下げた頭を恐る恐る上げると、杏奈は依然として、ライブの告知ポスターを眺めていた。
関若葉の他にも、アイドルが何人か写っている。名前は分からないけれど、当然のように美少女ばかりだ。
「やだ」
「えー!?」
ポスターを見つめたまま、杏奈は言い切った。
「……う、うぅ……!そりゃ…、無理言ってることは分かってるけどっ、お前がこの子たちのことすげー好きなのも分かるけど、けど俺も……」
俺も、の先はよく分からなかった。会いたい……でいいんだと思う。でも、会いたいの先は、……まだ分からなかった。
さっきからすごいスピードで脈打っていた心臓が、だんだん落ち着いていくのを感じる。
「俺のチケットはあげられないね。俺だって若様と握手したいもん」
「……だよな」
うつむいていた顔を上げる。わがまま言ってごめん、と杏奈の顔を見ると、その表情は俺の予想に反するものだった。
「俺のはあげないよ?」
でも、と口の端が更に吊り上がる。
「もう一枚あるんだよねぇ」
「……あ」
堪え切れず、俺は商店街に響き渡るような大声で、杏奈肇に愛の言葉を叫んでいた。
山田さんたちに聞かれたら、大変なことになりそうだ。




