二章-①やっと会えたね
ライブ当日。イベントホール前の広場は、老若男男でごった返していた。
ざっと、男女比は8対2くらいになるだろうか。たまに女子を見かけると蜃気楼なんじゃと思うくらいの男祭である。
「いやぁ、コールの習得が間に合ってよかったぜ。これができないと青ワン……若葉ちゃんに会う資格がないって言われた時はもーどーしようかと」
カラオケで見た例の儀式を思い出し、初めは頭を抱えたものだ。しかしCDを聞き込み、杏奈に身振り手振り手取り足取りのスパルタ特訓を施された今、もう眠ってたってはっぴー(はぁと)せいんと(はぁと)ばれんたいんのコールが打てちゃう体になったのだ。アイドルファン的肉体改造ビフォーアフターである。
「当然だ。新曲はまだ定着してないからいいとして、はっぴー(はぁと)せいんと(はぁと)ばれんたいんせんくらい打てなきゃ、みなちゃんにデコピンの刑だぜ?」
「それはなんだか楽しげだけど」
みなちゃんねぇ。
関若葉のウィキペディアは一日五回弱日課のように眺め倒したが、他のアイドル、「みなちゃん」や「ふわりん」のページは、ぶっちゃけ飛ばし飛ばしで読んでいた。のだが、杏奈の手元にみなちゃんうちわを確認したので、それは口が裂けても言わないでおこうと誓う。
初心者の俺の持ち物は、とりあえず3色のサイリウム。会場近くの百均はあてにするなと知恵袋杏奈に教えてもらっていたので、地元の駅にて調達。これは若葉ちゃんのためであって、ぼくは決してアイドルオタクというわけでは、と誰にするわけでもない言い訳をぐるぐる考えながら、三百三十円を支払った。
チケット代自体は三千円、とまぁなんとかなるお値段だ。しかしこのあとCDやグッズを購入することを考えると、少なく見積もってさらに三千円以上の出費が予想される。アイドルファンてお金掛かるのね……。
若葉ちゃんのためにバイトでも始めようか、となんとなくあの漫喫が頭をよぎった。
列が動き、熱量が一斉に建物の中に流れ込んでいく。人数に対して手狭なロビーには、花の香りが溢れていた。
「おお。フラスタどんどん増えてるなぁ」
感心したように杏奈が呟いた。冠婚葬祭の葬の時に見るようなものとは全然違う、目を引く鮮やかさのフラワースタンドには、俺がウィキペディアで見た名前が明朝体で記されていた。
関若葉様へ。ファン一同より。
春市みな様へ。エイティーンズ編集部より。
味方ふわ様へ。はなまるラジオスタッフ一同より。
他にも、劇団や一個人の名前が記されており、俺は思わず息を吐いた。改めて、彼女が芸能人だったことを思い知る。
物販のコーナーには顔写真が番号付きで並べられ、耳をすませば色んなところで彼女の名前が呼ばれている。それは、若様だったり、若葉ちゃんだったり。
彼女は一人のための女子ではなく、当然のようにみんなで共有するものらしい。
うーむ、本当に俺は彼女に会ったんだっけ? 青ワンピちゃんはいたんだっけ? 今まで俺の中にあった彼女との距離に今更ギャップを感じ、尻ごみしている自分にちょっと笑えた。
「すぐるクンたら緊張してんのー?」
会場に入ると、すぐ近くにほの暗く佇むステージが見えた。
いよいよ言葉少なになった俺の背中を、ベテランが笑いながら軽く叩く。
「……杏奈の初めての時ってどんな感じだったの?」
「ん? 俺が初めて参加したライブ?」
杏奈がうーん、と逡巡している間、そっと前後左右をチラ見した。薄暗い照明の中で、みんな何かを準備している。
「口で説明するよりねー……」
杏奈の言葉が照明と共にふつりと切れた。もしくは、何か言ったのかもしれなかったけれど、それは歓声にかき消されて聞こえなかった。
暗くなった次の瞬間、色々な場所で小さな明かりが灯り、それは十秒も数えないうちに会場を埋め尽くした。
慌てて鞄を探りそれに追いつく。一本は杏奈が手伝ってくれた。手元がぽわりと明るく光った、その時。
「やっと会えたね」
耳元で聞こえたような、遥か遠くで聞こえたような、そんな声にはっと顔を上げる。
会場のボルテージは三段飛ばしで急上昇した。暗闇の中に少女たちのシルエットが浮かび上がる。ピンスポットが、三人を同時にステージ上に照らし上げた。
俺が空気を吸い込むのと、彼女が息を吸い込むのは、同時だったように思う。
「行くよっ」
会場が揺れる。
彼女の声に光の波が大きくうねり始めたからだ。
これからライブが始まるよと、マイクを握り直した彼女が高らかに宣言する。それはただの合図ではない。
何かが変わる合図だった。何かきっと、運命のようなものが。
「……わ、」
わーかーさーまー!と叫んだのは誰だったろう。杏奈か、おっさんか、おにーさんか、俺か。いや違う、会場全体が彼女の名を呼んだのだ。心の中で、そして声に出して。
「若葉ちゃーーんっっ」
とつられるようにしてありったけ叫ぶと、まるでそれが届いたようなタイミングで若葉ちゃんはにこっと笑った。
「ぎやああああああああねぇ杏奈おれ無理これ無理」
「耐えろ! そして生き残れ!」
片足でくるりと回って、若様は人差し指をこちらに突き付ける。口パクでばーんみたいなことを言ったとおもう。死んだ。
「今日もとびっきりのバレンタインにしようね!」
そこからはもう、怒涛のときめきラッシュである。若様が俺のハートを射抜いては死に、射抜いては死に、その度笑顔と歌声で蘇生する。なんかそういう戦場かと思った。
曲と一緒に照明の色は目まぐるしく変わり、まるで魔法か病気にかかったみたいだ。
彼女の表情も歌詞に合わせてくるくる変わる。凛々しい顔、楽しそうな顔、切ない顔……一時たりとも目が離せない。
ペンライトを何度も持ち替え、全力を以ってそのライブの一体感を堪能した。
ライブってこんなに楽しかったんだ!!ここまで育て上げてくれた杏奈先生!! あなたにもとびきりのスペシャルサンクスを……!
…………って、お前泣いてね?




