第1話 日常
俺の朝は同年代の奴に比べると少し早い。
まだ日が上る前の5時に起床。そして、せっせと弟達の保育園の荷物をまとめる。
オムツにタオル、上下セットの着替えを3着ほどと、ビニール袋を詰め込んでファスナーを閉めれば完遂だ。
6時になると拙い発音で「にぃに」と呼ぶ奴等が起きてくる。
その前に朝食の準備と、弁当におかずを詰める作業を済ませた俺は、次に自分の支度に取り掛かった。
ご飯をかき込み、顔を洗って歯を磨く。
大体この辺りで、1人目が目を擦りながら寝室から出てくるので、ふらふらした足取りを支えながら椅子に座らせた。
「にんじ、やーや!」
「好き嫌いはダメだからな。ほら、あーん」
スプーンで掬って口に入れようとすると、その中にニンジンが入っているのに気づかれてしまい、食べるのを拒否されてしまう。
毎度のことながら丁寧に理由を説明してから、もう一度挑戦する。ま、結果は目に見えてるが。
「いやー!」
手で払われてスプーンが弾かれ、その上に乗っていたニンジンと卵は無惨に床へ落ちた。ボトッと情けない音を出しながら。
くそっ、避けられなかったか。
内心で毒を吐きながらも、それを悟られないように顔は無表情を貫く。
笑顔までは作る気力はない俺の精一杯の配慮だ。
「食べ物を落としたらダメ。めっ! だ」
キツイ言い方にならないように優しくゆっくりと告げると、弟は不満気に顔を背けた。
本当はため息を吐きたい気分だ。
だが、そんなことをしたら教育上良くないという分別が付くくらいには、俺も大人になっていた。
「……じゃあ、これなら食べれるか?」
今度は白米をスプーンに乗せて口元に近づける。するとパクッと食べてくれた。
無言で次も次も……と差し出しながら、作業と化したこの動作に、心がすり減らされていくのを感じた。
疲れた。どうしようもない脱力感と、行ったり来たりする不安に立ち向かいながら、手を動かす。
ぱくぱくと頬いっぱいに食べ物を頬張る1歳児。側から見たら可愛いと騒がれること間違いなしの光景だ。
だが、見慣れてしまえば食事拒否といういつ爆発するかわからない危険な作業。苦痛でしかない。
可愛いという感情は時に消え失せて、俺は義務感だけで弟を世話している。勿論、時々は愛おしいと思いもするが。
メインはこいつらを立派に育てないと、という責任感で動いているだけにすぎない。
2人目が起きてきたことで更にこの現場は戦場と化していく。
「にぃに、おしっこしたい」
「はいはい、今トイレ連れてくからな」
「やー!」
「……っておい、コップひっくり返すな!」
「にぃに」
「なに?」
ぶっきらぼうに振り向くと、惨状が目に入った。
どうやら、トイレが間に合わなかったらしい。
「やっちゃったか。……片付ける。だからそこから動くなよ? わかった?」
「うん」
こうして今日も俺の長い長い1日は始まったのだった。
♢♢♢
「おはよ! 相変わらず眠そうだな、お前」
「……うっせ、朝までゲームしてたんだよ」
「そりゃあ自業自得だな。ちゃんと英語の課題はしてきたのか? そんな口の利き方すんなら写させてやんねーぞ?」
「嘘です。すみません、是非見せてください!」
学校で机に突っ伏していると、友人の篠崎晴哉が話しかけてきた。
明るい性格。バスケ部という陽キャの部活に属し、運動神経も申し分ない。しかも根暗な俺にも話しかけてくれる気さくで良い奴だ。
そんな友達に吐いた言葉に俺は心が締め付けられるのを感じた。
ゲームをしていたなんて真っ赤な嘘だ。
偽物の言葉が簡単に口から出てしまう。そんな自分に嫌気がさしながらも、殆ど反射で友人の言葉に悪ノリを返していた。
本音を悟らせないこの作業も板についたものだ。
「ほらよ」と差し出されたプリントを有り難く頂戴しながら、俺もガサゴソと鞄を漁る。だが、その中身を見た途端固まった。
「やべ、忘れてきた」
「はぁ!? お前今日当てられる日じゃん。大丈夫か?」
「全力で写す。ちょっと時間くれ」
急いで英語の授業で使っているノートを取り出し、問題文と解答を写していく。
英語担当の先生は問題文も読ませるタイプ。
その上当てる人は列で決められるが、選定方法はランダムで、どの問題を読まされるかの予想は不可能。つまり全部を写さなければならないわけだ。
焦りと朝の疲れで上手く働かない手を無理やり動かしながら、なんとか本鈴が鳴る前に書き終える。プリントを晴哉に返してから、ため息を吐いた。
……昨日は寝かしつけるのに手間取ったからな。
言い訳に聞こえるかもしれないが、弟達の目が冴えていたのだ。興奮状態に入り、こうなったら中々寝てくれない。
最終的に眠りについたのは10時。そこから眠る為の準備や片付けやらをしていたらあっという間に12時を回っていた。
それで学校の支度が疎かになっていた、というのが経緯だ。
全く、自分の事が出来なくなったら意味がないというのに。
はぁ……と家では吐けない分のため息をこぼしてから、窓の外を見上げた。
空には雲ひとつない快晴が広がっている。
今日は洗濯物がよく乾きそうだ。




