閑話休題 フィルターの先
「体力がない!」
いきなり言われたのはそんな事で、俺はすぐさま顔を上げて下げる。
こいつは、ドゥガル様の気まぐれにより、俺を弟子とする事を許可された男だ。
俺が簡単にはむかう相手じゃない。
身分差、とかじゃない。
俺はこいつの中では、こいつの目の中ではまっくろくろすけのちび餓鬼なのだ。
年齢と骨格はともかく。
俺をはたから見れば、まあ大体十代の餓鬼。それも十代の前半なのだ。
年齢詐欺だが仕方がない。
自分でも、この見た目は色々と思うところがあるのだから。
下げた視線の中、いきなりたっぷりの水を頭から浴びせられる。
「立ち上がれ! いつまでもそこでへばっていたら、周りの邪魔だ!」
まあ事実だ。だから俺は濡れ鼠で立ち上がる。
あー、頭からびしょぬれでも、女だってわからない俺の肉体万歳。
どうせ濡れたままなのだが、一応袖で顔をぬぐう。
じゃないと、頭から滴った水が目に入って、見えないのだ。
「あと五周だぞ! ぶっ倒れるのはその後の素振りが終わってからにしろ!」
あ、ぶっ倒れてもいいのね。そのノルマが終わったら。
俺はふらふらと後五周を終わらせるために、走り出す。
反抗心、そんな物美味しいのか。うっかり反抗したら最後、またもめるんだってわかっているから、俺は反抗しない。
大体、ドゥガル様にまで熱弁をふるって、鍛え上げたいと言っていたそうだから、まあ殺したりはしないだろう。
がくがくと震える足。
俺結構体力とか筋力とかに、自信あったんだけどな。
そういうプライドみたいなものとか、自信みたいなものとか、ここの訓練中に全部はがれていきそうだ。
しかし、ここのランニングコース長いよな。
俺は色々な事を頭に浮かべながら、どうにか足を動かし始めた。
そしてよろよろと五周を終わらせて、また膝をつきそうになり、しかし意地で座り込むだけにした。
「ちび、倒れるのはまだ先だ!」
男が怒鳴っている。
普通の子供だったら泣きじゃくりかねない鬼だ。
しかし俺は見た目詐欺で、年齢は結構あるので泣かない。
座り込んで息を整えている間に、また頭から水である。
こいつ何回頭から水を被せりゃいいんだよ。
流石に口元が引きつるも、反論する体力が足りない。
よろめく足で、また立ち上がる。
もはや負けん気の世界で、俺はそいつの訓練に付いて行っている。
後は素ぶりだ。
ったのだが。
「お前は何なんだ! なんでそんなに武器の持ち方がおかしい!」
さっそくどやされた。
握り方って、知るかよそんなもん!
俺ずっとこれだったからな? これで今までやってきたからな、握り方にも作法があるのかよ、どんだけ教科書通りの世界なんだよ?
何て内心で思っていると、男が俺に近付いてきて、俺の手から木剣を外す。
「これはこう握るものだ。……あ」
言いながら、俺の手に正しく剣を握らせようとした男は、しまった、と言わんばかりの顔になった。
「なんです」
何を俺はしたんだ、まだ何もやってないしあんたが握らせようとしているだけだろう、と思ってみれば。
「指の長さが足りない……」
男が小さく呟いた。
指の長さって、長さって!
俺は次の瞬間、こいつの急所を蹴飛ばしてもいいだろうかと、真剣に考えた。
そりゃあ、この世界じゃ子供みたいな指をしているから、長さだって子供のそれだろうよ!
「……」
黙った男に、俺は問いかけた。話をそらすために。
「どうやるんです、素振りって」
「待てお前、素振りも知らないのか」
「知りませんよ。こちらの流儀の殆どは」
武神時代のあれそれこれは、たぶん人間の訓練とは大きく違うしな。
そして俺は、素振りを延々と、剣を握れなくなるまで続けさせられて、訓練の第一段階を終わらせた。
手が握れなくなるまでだから、相当だぞ。
握力無くなるまで訓練とか、鬼だ。
と思っても、この世界じゃこれが基本かもしれないから、黙っていた。
その日の夕食は、簡単な煮込み料理になった。
ディ・ケーニさんに、とろ火を維持してもらい続けていて、本当に良かった。
一から夕食の支度をするなんて、ぐだぐだになった俺にはできなかったのだから。
それから、俺は朝のうちに夕飯の支度もある程度するようになった。
じゃなかったら、何も作れないからだ。
その日の夕飯の席。
「訓練初日はどうだ」
とドゥガル様が問いかけてきたので、俺は答えた。
「死にそうです」
「素人のようだからな、スズは」
結構盛大に笑いながら、ドゥガル様が続けた。
「まあ、いい経験になるだろう。ゼブンは腕のいい騎士だからな」
「がんばってみます。あと、その訓練に慣れるまで、煮込み料理が続きそうです」
怠慢だと言われたらいやだな、と思いながら言えばドゥガル様は続けた。
「お前の煮込みは晩餐の煮込みよりもはるかにうまいから、問題ないぞ。このとろりとするまで筋を煮込む料理は、実にうまい」
「それはよかったです」
言いながら俺も、煮込みに煮込んだ筋煮込みを口に入れた。
やっぱり醤油と砂糖で甘じょっぱく煮込むのが一番、旨いんだけど。
このあたりで、俺は醤油の代用品を見つけていないから、無理だ。
そんな風に毎日毎日稽古をしていて、うん、予兆はあったんだ。
食べ物を受け付けなくなりだす体とか、なんかぼんやりする頭の中身とか。
いきなり、動かなくなる手足とか。
違和感はしばらく続いて、そして。
「お前いつまで体力が足りないままでいるんだ!」
という、男の怒号と浴びせられた水で何かがぷっつんと切れた。
体力は一昼夜で増える物じゃねえだろう。
地道に訓練とか鍛錬とかを続けて行って、増える物だろう。
こんな短期間で増える体力とかないからな。
俺は歯止めのかからない頭で、口を開いた。
「たいりょくは、すぐにできるものじゃないってわからないんですか」
そいつの弟子になって初めての、反論だった。
そして、言ったとたんに体がぐしゃりと体勢を崩して、俺はべちゃりと訓練場の地面と仲良くなってしまった。
あー、やばい、全然動かない。
それになんだか、寒いような熱っぽいような。
「ちびすけ?」
男の声、それから俺を立ち上がらせようとする腕が、俺に触って離れる。
「お前、酷い熱だろう!」
いきなりの訓練が激しすぎて、体がついていけなくて熱を出したのか。
自分の事ながら、他人事のように思っていれば男が焦った声になる。
「おい、しっかりしろ、おい!」
そのまま俺は、小脇に抱えられて、そいつに城から与えられている部屋へ運び込まれた。
「熱の時……熱の時……だめだ、わからない」
ばたばたと慌てる足音。
それから続く舌打ちの音に、なんだ俺、多少は気遣われているんだなと思った。
思ったあたりでまた眠くなる。
しかし、こいつの布団の匂いってなんで、落ち着くんだ。
あんまりいい感情は、今のところ持っていないのに。
頭から酒を浴びせてきて、返り討ちにしたら理不尽に怒りを覚えている奴。
いつまでもねちねち覚えていて、俺にうっぷん晴らしの決闘を申し込み、また返り討ちにされた奴。
そして……ああ、そっか。
「おれのつよさをみとめたひと」
それが俺のこいつ嫌い、という感情を少し、弱くしたんだ。
俺は見た目からして子供みたいで、舐められてばかりの人生だ。
更にこちらの世界では、どう頑張っても背丈の小ささのせいで、完全な子ども扱い。
俺が強いなんて、誰も認めやしない。
踊る才能とかは、認められていてもそれは、冬を呼ぶという物のために認められているわけで。
俺が強い、と認めてもらったわけじゃなかった。
それでも、技量を認めらているのは事実だっただろうけれども。
冬を呼ぶ浄化の踊りの事を知っているのは、キャシーとフォーマルハウトさんと、ドゥガル様くらいで。
それ以外からは、俺は小さなちび助だった。
だから、か。
こいつみたいに、俺単体の、戦いの腕……といったらあれだが、抗う力を認めてくれた奴はほかにいないのだ。
「あ、気付いたか? 水がいいのか、それとも温めたものがいいのか」
「塩水……」
俺はぼやーっとした声で求めた。今日も走り込み過ぎて水分不足で、水なんて一切口にしていなかったから、脱水とかになったら困るのだ。
熱で汗をかきやすい状態に、脱水何て何のコンボだよ。
「塩水?」
「しょっぱくない塩水が欲しいです……」
俺はそいつをぼやりと眺めながら、そう言った。
「ああ、持ってくる。ほかに欲しい物はわかるか」
「……」
考えている間に、また瞼が落ちる。
次に目が覚めた時に、持ってこられたのは塩水らしき水が入った水差しと。
木のカップ。
「厨房に入って聞いてみれば、蜂蜜と柑橘の入った水がいいだろうと」
若干不貞腐れた顔をしている。
あんた何言われたんだ……と思っていれば。
「早く飲んで治せ。あいにく熱冷ましの薬を扱う薬師は、この時間は酒場に行っていて話にならない」
俺は少し、起き上がる。あ、起き上がれるくらいには回復したらしい、と思って木のカップを受け取る。
中身は蜂蜜レモンみたいな匂いがした。
一気に飲み干して、噎せる。
「おい、がっつきすぎだろう」
呆れた声の男。その男が、俺の肩に触って呟く。
「……お前は、こんなに小さい体だったのか」
その言葉で、この男は俺の事を、フィルターにかけて見ていたのだろうなと、何処かで思った。
こいつは強いらしい。
その強い奴に、訓練もなしに圧勝した俺。
そんな俺が、見た目以上に大きく、歳が上のように見えていても、変な話じゃない。
憧れた背中は、記憶よりも大きくなる、とどこかで聞いた。
それに似た事なのだろう。
こいつの中で、きっと俺は自分に勝てるほどの強い大きい奴、という認識だったのだ。
と俺が思っていれば、男が俺の手を開いてなぞる。
「手も小さい」
何か考え事をしているよな、そんな顔だった。
後々、あの訓練は一般兵の五倍から十倍の訓練内容だった、と聞かされた俺は、男の頭に思い切り、木靴をぶん投げて怒鳴った。
「訓練内容考えろ!」
それから少しばかり、俺とそいつの距離は縮まって、俺はそいつを師匠と呼ぶようになった。




