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知らなかった事実

「あの、師匠、どうしたんすか、いきなり、あの、えっと、俺生きてますよ」


なんだか、色々知っちゃかめっちゃかな思考回路が、俺の一人称までブレさせる。

師匠の匂いが、鼻孔一杯に香っているくらい近い。

それと、これは軽く三日は風呂に入っていない臭いだ……哀しいかな、野郎は風呂に二日に一回はいればいい認識の奴らが多すぎて、兵士はいつでもそんな感じだ。

おかげで女性たちから遠ざかっている事実に、気付かない奴らのなんと多い事か。

ってこれはいま、関係ないか。


「師匠、生きてますってば、おーい」


なんか言葉の数々が雑になりつつある。そんな調子で俺は師匠が回す腕の強さと、息から感じる震えた調子に溜息を吐いた。


「ししょーう。生きてますって言ってるでしょう」


しょうがないから、がたがたと軋む腕を動かして、回す。回した先は師匠の背中だ。

本当は頭にでも回せればよかったんだが、体格的に無理だ。

そして師匠の体勢から考えて、無理だ。

俺は師匠に抱き込まれている。

これで頭に腕を回せたら俺は、びっくり人間間違いなしだ。

なんてお気楽に考えていれば、師匠が息を吐きだす調子で、言葉を紡いだ。

本当に、言葉は紡がれるんだな、って思うくらい、丁寧な声だった。


「……ばかが。死に急ぐくせが治らなさ過ぎて愚かすぎる」


言いながら、また腕力が強くなる。肋骨がきしみ始めてきたぞ、俺は。


「師匠、俺の骨が軋んで痛いです」


「痛がってろ、この大馬鹿くそやろう……っ!」


何なのかね、とまた思う。師匠がなんだかすごく俺の事を心配、しているみたいだ。

俺、死にかけた自覚欠片もないんだが。

俺なにしたっけ、……あー、冬の咒言を使って喉が凍りかけた。

でも、喋れてるし。

問題ないだろ、今は。結果がよければ過程での被害は計算しないもんじゃ、ねえの。

そこで思い出す。


「師匠、リナリア殿下と、オズウェル殿下は無事に、金の水晶を手に入れましたか。王子様二人と、聖女は無事ですか」


師匠が生きている時点で、誰もが無事だろうとは思っているんだ。

この人は守るためならば、体を張る人だから、守らなきゃいけない相手を死なせてまで、生きながらえたりしない面倒な性格してっから。

この、頭が俺と同じ次元の部分がある、そんな人が生きている時点で、皆無事だ。

それでも声に出して確認したくて、俺は言う。


「儀式はちゃんと終わりましたか。皆さんは無事で、問題ありませんか。あの後どうやって帰ったんですか。魔物は寄ってきませんでしたか」


聞きたい事は幾つもある。

幾つも出来上がってしまうのだ。


「ねえ、師匠」


俺は言いながら、師匠の服に、乾ききった血がまだこびりついている事実に気付いた。


「何日、あなた着替えもしてないんですか。清潔にしなかったら、女性にもてないとあれほど教えておいたでしょう。女性は汗臭い野郎よりも清潔な御仁に、印象をよくするって教えましたよね」


以前に、女性にもてないと酒の席でぶつくさ言っていたから、教えたのに。

着替える事もしてないのかよ……おい……

汗の匂いが染みついた服。血の匂いすら消えるくらい、放っておかれた衣装。

それを師匠がいつまでも、着ているのだ。

この、性格もまともになったから、貴族のご令嬢がたに噂されまくっている男が。

それが意味するのって何よ。


「師匠、着替えましょう。それの前に、風呂に入って、汚れを落として。戦場じゃないんですから、身なりを整えるくらいはしておかなきゃいけませんよ、騎士の義務でしょう。騎士は騎士という職業を悪く見せられないって、言っていたのあなたじゃないですか」


「うるさい……っ」


また骨が軋むほど、抱きしめられる。くそう、痛いと言ったから少し弱まった力が、また強められやがった。


「うるさい、うるさい」


師匠が俺の言葉に首を、何度も振る。本気で泣きそうな声で、うるさい、と繰り返す。

だから俺は、彼を安心させるべく、こう言った。


「俺生きてますでしょ。だからなにも、問題ないでしょう。皆さん無事で、盾の俺もあなたも無事。何か問題があるんですか」


「本気で言っているのか、お前は」


何、この空気。変な空気が流れ始めているのが、俺でもわかる。

師匠の空気が違う。いつもの、結構雑な、そんな空気じゃない。豪快な空気じゃない。

何かもっと、暗いというか重苦しいというか。

空気も雰囲気も、師匠の普段と大違い過ぎる。


「お前は、問題が何もないって思ってんのか」


「……ちがうんですか」


俺は抱きしめられていて、師匠の顔は見えやしない。

だから顔などわからない。

でも何か、師匠が顔をゆがめただろうな、というのは気配で察した。


「いっそ腕の一本でもくれてやれば、お前の考えも違ったか」


ぼそり、とずいぶんおっかない事を言いだし始めた人に、俺は心底つっこんだ。


「いや、そこ次元とか色々違いますからね!? あんたが無事じゃなかったら、俺頑張った意味ないじゃないですか! あんな魔物大量にいる中で、使い物にならない斧振り回した意味ないですよね!?」


「お前はそういう事を言う馬鹿だ」


言った師匠が、ぼすん、と俺を寝台に押し倒す。

そのまま師匠まで、寝台に乗りあがり、俺を掛布ごと抱え込む。

何だこのパターン、師匠が酔っ払いまくってもこんな事なかったぞ。


「師匠? 眠いんですか、たぶんそこの隣の寝台、使っていいんじゃ」


「緊急の怪我人が使えなかったらどうする。どうせお前が転がっている間は、ここをお前が占領するんだ」


そういうや否や、師匠から寝息が聞こえてくる。

お休み三秒ってなんだよ?! 寝つき良すぎるだろ、あんた武人だろ、警戒心どこ行った?!

というつっこみをしそうになりながら、俺は出来なかった。

ようやく回り始めた頭が、色々察したからだ。

着替えていない衣装。入られていない風呂。たぶん、祠に行ったその日からずっと、師匠は俺を見ていたのだ。

その間、ろくに寝ていないのかもしれない。

着替える時間も、弟子の容体が急変するのが怖くて、取れなかったのかもしれない。


「馬鹿なのは師匠の方ですよ。俺はそう簡単にはくたばりません。たぶん」


俺は呟き、寝台の頭にあった手鏡を見やった。

話せるだろうか。


「ディ・ケーニさん?」


物凄い小さな声で、俺は夜の離宮にいる御仁に呼び掛けた。

するとすぐに、鏡の中に彼女の顔が現れる。


「ああ、二週間ぶりだね、スズ」


顔を見せてくれたカルミナ・スペクル第八位は、さらりとトンデモナイ日数を喋った。


「え、あの?」


二週間って? 俺そんなに意識不明だったの?


「そこの男に一生感謝しなきゃならないだろうよ、スズ。毎日毎日、食べ物も受け付けない体のあんたに、魔素を流し込んでいたのはそこの男だからね」


毎日、魔素を流し込まれていなかったら、今頃あんたは死んでいるだろうよ、と軽い調子で説明された。


「魔素ってそんな作用が……」


「魔素は万能さ」


鏡の中のディ・ケーニさんが息を吐きだす。


「あんたの王様は結構気にしていたけれど、会いにも来なかったよ。まあ立場上当然かね。それから、両殿下って方々もしょっちゅうここに見舞いに来ていたよ、あんたずいぶん気にいられたらしいね」


「弟みたいだという感じだそうで」


「見えなくもないからね。おちびの男の子に見えなくもない」


「……王子様二人と聖女は」


「かーなーり怒られて絞られていたよ。国王からすれば、あの程度の魔物の数で、騎士とその弟子がぼろっぼろになるのはお前たちが足手まといになった結果だってね。臣下を守れない王族も、魔物をどうにかする力がろくに使えない聖女も、意味がないってね」


「手厳しい」


「まあ、確かに言う通りさ。聞いた数だと、そう思うよ。あれくらいなら、王子二人がちょっと頑張れば誰も酷い怪我なんてしないからね。聖女も聖女さ。祈りがもっと純化されていれば、あの程度の魔物は一瞬で吹っ飛ぶはずだもの」


ディ・ケーニさんの評価と分析が、やっぱり手厳しいと思う。

そんな事を思いながら、俺もまたとろとろ眠くなってきた。


「すみません、呼びかけておいて、眠くて」


「ああ、お休み、スズ。あんたはゆっくり体力を回復するべきさ。ちょっと今回、下ろせない力を体に入れ過ぎた。まったく、命を削って、魂崩しながら、冬の咒言なんて唱えるもんじゃないよ」


……やっぱり、人間の体じゃ、冬の咒言は過ぎた力なのだろうかと、俺は蕩け始めた頭で思った。

眠い、と思うとまた瞼がくっついた。




眠りが浅いらしく、いろんな音が聞こえてくる。

でも体を動かすのもおっくうだし、目を開けるのも、起きるのもとても面倒くさい。

まさに揺蕩うって感じの眠りだ。

そこで、音を聞いていた。


「……身分を知らんから、仕方あるまいな」


ドゥガル様の声だ。


「知らせていらっしゃらないのですか」


これは女宰相さんの声だ。


「ああ。……まあ、これで側妃と知らず、手を出していても何ら思わないが」


「……どちらも陛下のお気に入りでしょうに」


「ゼブンは少しからかってやりたい、そうだな、歳の離れた従弟の様な感覚だな。大体、スズ相手に起たん。まるで弱い者いじめだ」


「おっしゃる気持ちもわからないでもありませんが」


だよな。俺みたいなちんちくりん相手に、催したらショタコンかロリコンだ。もしくはペドか?

こっちは自分の成長不良気味の体を、十分理解している。


「まあこの騎士が欲しがったならば、そこそこ武勲を立てたあたりで下げる事も可能だ。こやつは国を裏切れないからな」


あー。あるあるだな。武勲を立てた貴族に、正妃じゃない妃を下げ渡す習慣。

割とあっちこっちで見受けられる風習だった。地球でも。

日本の大昔でも、なんかあったよなあ。

あ、江戸時代でもあったとか言う話があった。将軍が家臣に、大奥の女性を嫁がせたりしてたんだ。お手付きの。


「この少年の魔物を消し飛ばす浄化の力が他国に渡る事を、危険視していらっしゃったではありませんか」


「まあな。だがスズにこの騎士が付けば、ある種最強の護衛であり紐だ」


「陛下」


「他国に行かれるのが危険なのだ。この騎士はその危険性がないと言ってもいいほど少ない。何があるのやら、ここまで国に忠誠を誓っている騎士も滅多にいないからな。……ほかにも色々とあるが、この二人を認めても、余には何も問題がない」


女宰相さんの声が呆れた調子に変わる。


「リン様は、あなた様を慕っていらっしゃいますよ」


「あの顔は、頼ってもいい大人にあこがれる子供の顔でしかない。あれを色恋だと判断するのは目が腐っている奴らだ」


言い切るドゥガル様。俺って、そういう感情で、あなたを見ていたのだろうか……

分からない。

でも言われると、何処かでそうかもしれないなと思う俺は、恋愛という物に対しての感覚がすっぽ抜けているかもしれない。

というか、ドゥガル様は女宰相さんにも、俺が金を持っていた事を知らせていないらしい。

その方が大ごとにならなくて、助かるけれど。

そう思っている間に、また腕が俺を引き寄せて抱え込む。

心臓の音が、近い。甲冑着ていて感じる心音って、大きいんかな。

そう思っていれば、また意識が一段遠くなっていく。

ぐい、となんとなく甲冑の冷たい金属に、顔を寄せれば、むわりと師匠でしかない匂いが鼻に入る。


「まったく、見せつけてくれる奴らだ」


「ですね」


その声がぼやりと聞こえて、俺の意識は真っ暗に染まった。


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