二つの遭遇
「そうだ、ルナ姫が言っていたのですが、冬を乞う踊りを、教えるそうですね」
「出来ない事ではないだろう。お前も何処かで教えられたのだろう?」
「いいえ」
「いいえ? なんだ、まだ秘密があるのか」
「あれは……冬乞いは、ただ決まった手順で踊れば作用する、呪文でもありませんので」
ドゥガル様の風呂を借りて、べたべたとする物を流して、着替えは……うん、彼の肌着だ。
何度目かわからないから、気にしない事にしてる。
俺の大きさに見合う着替えがないから、しょうがない。
夜の離宮でそうだったら、文句言ってもいいけれどここは、国王陛下の居室だ。
俺の、側妃の着替えがないのは当たり前である。
「手順を踏んで作用しない? 何だそれは」
寝台の脇の、小さな卓にあるグラスに水を入れて飲んでいた男に、俺は言う。
「あれは、冬を呼ぶものです」
武神であり、冬神ギギウス・ブロッケンが故郷を願い、故郷の力を呼び寄せて、助力を乞い願う踊りだ。
手順だけで発動する、ちゃちな物じゃない。
「冬の世界を、この春の大陸でも呼び出す、極寒の土地に属する物です」
踊っただけで、どうにかなるものじゃねえ。
「教えて、誰でもできる物じゃないのです」
「ではお前はどうして、使えるという?」
面白がる調子だけれど、実際は面白がっていられないだろう。
何故俺だけがそれを、行使できるのか。
冬の絶対浄化を、この土地に呼び出せるのか。
普通の人は確実に、疑問に思うだろう。
そして頭がどれだけいい人でも、理解できないだろうと俺は知っていた。
それに対する答は簡単だ。
「私が、冬に属するからです」
「冬に属する? まるで人ではないような言い方だな」
「人間ですけれど、私のふるさとが冬の世界なんです」
冬の大陸から生み出された神たる、ギギウス・ブロッケン。その魂を宿した俺。
それゆえに俺は、あの世界に助力を乞える。
冬に生まれて冬に生きる、そういうあり方を続けたギギウス・ブロッケンだった。
だからこそ、俺はあの大陸の物を呼べるのだ。
ここにいると、力を貸してほしいと、願えるのだ。
ここにいる、ここにいる、なあ、俺は俺のまま?
冬乞いを踊るときはいつも、そういう物を感じる。
白と黒と灰色の、その中に時折赤い血の色が混じる世界。それらが目の前いっぱいに広がるから、俺はそれらに助けを求める。
助けを求めるなんて、ギギウス・ブロッケン時代には思った事が無かったけれど、冬を乞うのは助けを求める物だった。
俺だけじゃどうにもならない、そんな物のために願う踊りが、あれだった。
そして、踊りの中に手を貸してくれる優しくも厳しい、冬の故郷を感じるのだ。
「スズの故郷は、冬の大陸か」
俺は肯定しなかった。うそは言わないつもりだったからだ。
俺の故郷は地球で、前世のゆえんは冬の大陸。
そんな事口が裂けたっていえやしないから黙った。
あなたに嘘は、言いたかねえんだよ。罪悪感じゃないけど、気分悪いんだ。
俺は背中にのしかかりながら、そういう。
「言えませんけれどね」
「また秘密か」
機嫌がちょっと悪くなった調子の、ドゥガル様。しかし彼は本気では、俺を害そうとはしないだろうな。
なんとなしには、それ感じているんだ。
それだけ距離が近いと俺が勝手に、思っているだけだろうけれども。
「踊れ、スズ」
不意にドゥガル様が言い出した。
「今日はまだゲームで負けていませんよ」
やってないのだから。盤上遊び。だが。
「一度、見てみたい。……お前の冬を」
どこか熱っぽい声に、俺は彼を見てしまう。
その万華鏡のような目玉の中に、海と空を混ぜたような眼の中に、熱がある。
俺に伝染しそうな熱が。
「……これ、目的もなしに踊るものじゃないのですが」
なあ俺の故郷、俺が求められるままにそれ踊って見せても、怒ったりしないか。
心の中であの世界に問いかけて、みる。
もちろん答えは返ってこない物だ。
だが。
ふっと窓から入ってきた風が、とても冷たくて、そこに世界を感じたような気がした。
お前の好きなように、と言われた気がして俺は、寝台から立ち上がる。
裸足に肌着、それからドゥガル様が放ってよこしたきらめく銀のベルト。
必要なのは、俺一人。手足と胴体、願う頭。
心を、あの世界に持って行く。
俺はここだ。
俺はここだ。
たったそれだけ、閉じた眼の中で舞い散る六花。肌を切り裂く冬の風、かすむ息にかじかむ手足、白と黒と灰色の、世界。
踏み出す足は迷いもなく、俺のあの世界を踊り始める。
激しく、厳しく、勇ましく、厳格に、重々しく、それでいて身軽に。
踏むステップと、滑るような足と、高く飛ぶジャンプ。
冬と言うものをありったけ、体で引き寄せる。
それだけ。動きは一定の物じゃない。
ただ心のままに、冬のあるがままに踊る。
最後の着地、息が上がったのは気のせいじゃない。
ここまで長く、冬を踊ったのは久しぶりのせいだ。
少し体がふらつく。
魔物を一斉に浄化した、あの時のようだ。事実俺は足が言う事を聞かなくて、へたり込んだ。
どうして、今の俺はこれで、ふらふらになるんだろう。
俺の力不足、それとももっと別の何か。
俺に足りないもの。
……俺から失われたもの?
ふっと頭によみがえってきたのは、誰かの言葉だ。
「ギギウス・ブロッケンの核と言うべき物を、ユーリウスは手に入れ損ねた。リンなのかもしれないね」
俺が、それだったら……すごく、弱体化しているのだろう。冬の武神の力をほとんど失えば、こうしてふらつくのかもしれない。
俺は自分の考えに夢中になりすぎていて、周りの事なんて何も見えなかった。
「陛下、ご無事ですか!!」
近衛兵と呼ばれる人々が、我先にこんな状況で入ってくるまで、ぼうっとしていたのだから。
彼らは周囲を見回し、そして俺たちをみた。
なんでそんなぎょっとしてんの。
と思ったのは俺が、少し冷えた温もりに、抱き抱えられて、背中をさすられていると気付く前で。
そっちに気付いた俺は、眼を瞬かせてはっとした。
「へいか」
吐きだした言葉ののった息が、真っ白だった。
なにしてんの。
「気にするな。いささか魔力を暴走させてしまったようだ」
俺を隠すように抱き抱えて、ドゥガル様が近衛兵たちに言う。
彼らは部屋を見回して、青ざめていた。
俺もそこでやっと、周囲の惨状にひきつった。
凍っていた。この春を過ぎて初夏も終わりそうな空間は、極寒の場所になっていた。
つららの垂れ下がる、凍てついた部屋は吐く息が、まっしろけ。
豪華な調度品たちは、凍り付いて変に明かりを反射していた。
異装の空間だった。
こんな物をみた事がない奴は、恐ろしくてしょうがないだろう。
もしかしたら、魔王の館のように見えるかもしれない。
あったっけな……氷の館とか、ゲームのダンジョンで。
「これはいったい」
「少しばかり”楽しみすぎた”からな。魔力を暴走させすぎた」
言葉が怪しいものだったが、俺は何も答えなかった。
凍てつく寒さが、きっと氷の粒が、この人の頬を切りつけたのだろう。
彼の頬には血がにじんでいた。
「ここは冷える。どこか、まともに眠れる場所がいい。そうさな……夜の離宮でも行ってみるか」
言ったドゥガル様の言葉に、兵士たちが動き出し、俺は担がれたまま、夜の離宮に戻った。
近衛兵たちの何とも言えない空気が、すごくいたたまれなかった。
国王が暴走するくらい、行為に夢中になった相手が新しい側妃、と思われたのだろうから。
下の事情はちょっといたたまれない物が、ある俺だった。
だって疚しい事何もしていない、わけだし。
ああでも、踊る前にすごい疚しい事してたか、俺たち。
肩のあたりをなぞれば、血がまだにじんでいるのかそれとも、踊った姓でまた出血したのか、ぬるりと血の感触が感じられた。
治るの何日くらいかかるかな。
あんまり治らないと、自分でもどうしようもなくなっちまうから。
それにディ・ケーニさんに、色々言われそうだし。
あのカルミナ・スペクルはそう言うのにもきっと、敏感だ。
もしかしたら、ドゥガル様の部屋の鏡の中で、俺たちのやった事を見ていたかもしれない。
……あーっ!
気付いた事がなんだか、とてもあり得そうなせいで俺は、自分の頭をドゥガル様の肩口に押し当てた。
いまさらのように、顔が発熱したように熱い。
あれを見られていたってのか。
ドゥガル様のいいようにいじられて。息を熱くしていたあれを見られたのか。
どんな顔してディ・ケーニさんに朝の挨拶すりゃいいんだよ。
泣きそうだ、泣かないけどな。
そして夜の離宮に戻ると、中は案の定真っ暗だ。
俺がいないのだから暗くて、当たり前でもある。
だが魔法は便利な物で、俺たちが来たのを感知した灯りたちが、ぱっとついた。
いつ見ても、人間感知センサーみたいだよなと思う。
「寝室はどこだ? 何分瘴気が濃すぎて、余も、実際に中に入った事はないのだ。今は瘴気がかなり薄いようだ」
ドゥガル様がそんな事を言いながら、俺に案内を求めてくる。
俺はその肉の厚い肩を叩いて、降ろしてもらえるように願った。
ここまで随伴していた兵士たちは、そそくさと逃げていた。
彼らの中にはいまだに、ここの重苦しいほどの瘴気のイメージが残っているのだろう。
分からないでもない。危険だと訴えかけてくる本能に、抗うのはとても難しいのだ。
降ろしてもらった俺だったが、やはり足が言う事を聞かなくてへたり込んだ。
「……足にそこまで来るような事なのか、あの踊りは」
「……あまり、本気でやった事が無くてですね」
「そう言えば、前回魔物を一掃した時も寝込んだな」
「一掃という言い方はおかしいですけどね……」
口は何とか回るのに、足がろくに動かない。というか肉体がぐにゃぐにゃしているような感じが、する。
その結果俺はまた、ドゥガル様に担がれる事になった。
「こちらだったな」
ドゥガル様がそんな事を言いながら、扉を正確に開けていき、寝室へ進む。
「場所分かるんじゃないですか」
「間取りを見た事はある」
それだけらしい。それだけで建物の造りが分かるっていうのはある種の、才能だと俺なんかは思うんだけど、どうなんだろう。
俺分かんないもんな。
ちなみに……迷子になった事は、ない。筈。うん、ないはず。
しかしこのバルザックを本格的に、歩き出したら俺みたいな標識頼りの人間はすぐさま迷子で身ぐるみはがされておしまい、だろう。
分からない俺じゃ、ないのだ。
そうぐるぐると思っている間に、寝室に到着する。
「ああ、スズ、おかえ」
声がかかったと思って固まる。ディ・ケーニさん! なんでここでやばい発言するの!
俺だけじゃないってわかってなかったの?! 外騒がしかったよな(当社比)で。
「誰かいるのか?」
気のせいだと思ってくれ、と念じていてもドゥガル様は気のせいだと思ってはくれなかった。
すうっと空気が重くなる。多分あの青い目が、あたりを見回したに違いない。
「……鏡?」
気付かれた。終わった、ディ・ケーニさん、とにかく逃げてくれ、頼む、ここの鏡は壊されるかもしれない。
「……」
俺を担いだまま、逃がさないと腕の力が強まったけどな、俺足も体もへにゃへにゃで動かないからな。
逃げ出せるわけがないのに、逃げ出すと思われているあたりに日頃の行動のとばっちりを感じる。
特にこの前の大脱走のとばっちりだ。
「……宵めく空、黄昏の剣……」
ドゥガル様が小さく言葉を連ね始めた。
俺を担いでいない方の手から、ばちりと火花がはぜた。
いいや、電撃なのか。
そう言うバチバチとした物がこの人の手から、はじけ始める。
「待ちな、小倅」
その呪文が詠唱し終わる前に、ディ・ケーニさんがぬうっと鏡から顔を出した。
「……魔物か? 瘴気も感じられない場所にいるとは……いいや、ここは瘴気が存外濃いかもしれないが……お前のためか?」
「そんな下等な物と一緒にしないでおくれ。……わたしゃあんたよりもはるか大昔からここにいるんだよ」
ディ・ケーニさん、最初から喧嘩売らないで!
「ではなんだ? これに何か危害でも加えているのか?」
「おちびに何かするわけがないだろうが。そのおちびは私の恩人だよ。私らは義理堅いのさ。……それに言っておくけれど、あんたじゃこの離宮を破壊しつくしても、私には太刀打ちできないよ」
「……ほう?」
声が物騒だ、やりかねない空気が漂っている。やめてくれ、この離宮超骨董品ばっかりなんだよ。歴史的価値の高い物、ずらーなんだよ!
壊すの前提で二人とも、話さないでくれよ!
「……まって」
俺はじたばたともがいて、滑るようにドゥガル様から下りてなんとか、ディ・ケーニさんの前に寄りかかった。
背中に庇うなんてできないくらい、体がだめだが。
「彼女は、悪い物じゃ、ないんです」
「スズ?」
「ここで、バルザックを守り続けていた方なんです」
事実しか言ってない。ディ・ケーニさんがここのテンカ姫の瘴気を抑え続けていなかったら、今頃バルザックは廃墟だったのだから。
「ほんと、です。だから、お願いです、気にしないでください」
ここを壊されたら、いろんな意味で俺が危ういし、ドゥガル様の立場的にも問題があるだろう。
誰の利益にもならない。
ドゥガル様が俺とディ・ケーニさんを見つめている。何かを測るような目つきで。
「……言ったな? ならば一度だけ、お前を信じてみるぞ、スズ」
「! アルストロイの双眼……っ!?」
その目がネオンカラーに煌いたその瞬間に、ディ・ケーニさんが言葉を失った調子で呟いた。
何なの、アルストロイの双眼って。後で聞いてみるしかないな。
「眠るぞ、スズ」
言ったドゥガル様が俺を引きずり、ぺいっと寝台に放り込んだ。
そしてそのまま、自分も敷布の中に体を滑り込ませた。
丸ぽちゃの体が俺を抱え込む。寒くはないはずなんだが、体が冷やっこかった。
脂肪のせいなのか、魔素肥りのためなのか。わからないが。
この人に長生きしてほしいから、痩せさせてみよう、とどこかで思った。
「割れ鍋に綴じ蓋……」
ディ・ケーニさんの小さな独り言が、眠くなる耳に聞えてきた。
そんな言い方しないでくれって、真剣に思った。




