空白の期間
「相変わらず、ギギーの料理は本当においしいわね」
蕩けた顔で言うキャシーは美人度数が上がっている。
分かっている、美貌の女神はどんな顔をしたって麗しいわけだ。
しかし。
「何枚食べるんですか」
そろそろ腕が痛くなってくる回数、フライパンで米粉クレープを焼いている俺は、あと何枚焼けるだろうか、と記事を寝かせなければいけない都合を考え、ボウルに入った生地を確認した。
そろそろ二十枚は超えたと思うんだ。
三十枚も超えた気がするんだ。
もう何枚? キャシー、これお米なんだぜ?
そんなに食べてお腹にたまらないとか、キャシーの胃袋の限界を俺は知りたい。
神様だからなのか?
でもカレーは普通に男の人と同じだけでお腹いっぱいだったよな?
なんでこれはそんなに食べるの?
俺はとっても不思議だぜ……なんて思いつつ、最後の生地を流した。
「これで生地がなくなりました」
「あら残念。でもしょうがないわ」
「キャシーは本気になったらどれくらい食べるんですか」
「さあ?」
にこっと可愛らしい笑顔で微笑まれる。
くっそこのやろう、自分の見た目の抜群さをよく理解していらっしゃる。
おかげで腹も立たないぜ……
だってちょっとたくさん食べているだけだし、おいしいおいしいと喜んでくれているわけだからな。
俺は最後のクレープをひときわ綺麗に焼き上げて、たらりと特別に、柑橘系のシロップをかけて、アルコールでフランベ、なんてしゃれた事をやって見せた。
あれだあれ、クレープ・シュゼットだったか? あんな料理だ。
「すてき! どうやるの? ギギーの手は魔法の手なのね!」
あんたの方が魔法だろう。あんた神だろう、という突っ込みを内心でしながら、俺は苦笑いをした。
「故郷ではちょっとこじゃれたお店で、こういうのを出したんですよ」
「ギギーの世界は本当に違う世界ね。それにしてもこれも、本当においしいわ……」
最後の一枚を食べ終えたキャシーが、立ち上がる。
「せめて洗い物はやるわ、私なら術でちょちょいのちょいだもの」
「ありがとうございます」
俺はキャシーの言葉に甘えて机に突っ伏した。
このくらいでへばる俺ではなかったはずなのに、妙に疲れた。
「ああ」
久しぶりに、誰かのために料理なんて作ったから。
精神が少し、引きつったんだろうな。
自分のための料理ならば、見た目なんて気にしなくていい。味がよければそれで問題ない。
でも誰かのためだと少し違って、繊細な神経が必要だ。
見た目だったり、調理の過程だったり、料理を差し出すタイミングだったり。
どれもが下手な事は出来ないのが、料理人の性質だ。
釜玉うどんなんてな、真剣に時間が命なんだよ。ばしゃばしゃと写真を撮っている間に最高の出来を逃すんだ。
だから、料理している方はすぐ食べてほしい物。
写真だのブログだの、あんだっけ? インスタだっけ? そういうものに乗せるのもいいものかもしれないが、やっぱり最高の味で食べてほしいよな、と思うのが料理人だ。
だから、キャシーに差し出したこの料理は、気を使って神経を使った、一番おいしい出来の物なのだ。
自分だけだったら何も気にしないぜ。
旨ければそれでよし。
見た目なんてどうでもいいし、中身だって気にしないし、それに出来立てほやほやをすぐに食べられるから、差し出すタイミングなんて気にしない。
でも、今日はずいぶん久しぶりに、いろんな事に気を使った。
たぶん、地球でもこれだけ長い間、誰にも料理をふるまわなかった期間はここ何年もないだろうって位、俺は、料理をしなかった。台所が改修されていないからだ。
ずっと、運ばれてくる不味い飯を食べてきていた。
だから、誰かのためを考えて作る料理なんて……随分と久しぶりだったせいで、俺の神経はどっかすり減ったらしい。
なんという弱々しい精神なのだ、と自分でも突っ込みを入れたいのだが、仕方がない。
久しぶりな物は久しぶりなのだ。
そして、誰かにおいしいおいしいと言われる事は、俺の好きな事ランキングの中でも上位に位置する物だから、ついつい調子に乗りすぎるわけだ。
な。
そう言う精神的なあれこれの結果、俺はへばっているのだ。
やっぱり……情けないような気がしないでもない。
ぱちんと目を閉じたらそのまま、寝入ってしまいそうな。
なんでこんな眠いんだろう。
俺はあくびを一つして、隣のに寝そべるぶーちゃんを見た。
食べてすぐに寝ると牛になる、というが、ぶーちゃんはどう頑張ったって牛にはならないし豚にしかならない。
だからその言葉は似あわないが、実に自由気ままな感じがする。
でもお店の事、色々手伝ってくれているんだものな。
そこまで自由ってわけじゃないのかもしれない。
そしていじらしいよ。俺の事待っててくれたんだから。待っててくれて、帰ってこないから俺の所まで来ようとしてくれたんだから。
なんでこんなに可愛いのかね。
俺はよしよし、と妙に可愛くてしかたなくて、ぶーちゃんの頭を撫でた。
……そこで考えてしまった。ぶーちゃんの抜け毛で、ヘアブラシが作れるのだろうかなんて。
豚毛のヘアブラシ、あるだろう。
あれ結構お高めのブラシで、その分良い物だった。
母さんが長い黒髪を、それで丁寧に梳かしているのは子供の頃の優しい記憶だ。
俺は剛毛なぶーちゃんの体毛を撫でて、この量じゃヘアブラシなんて作れないな、と思った。
そしてそのまま、ぶーちゃんの脇に寝転がる。床だが気にしない。
俺は床でも眠れるし、身近な匂いにほっとする。
「あら、ギギー、床で眠っちゃうんだったら、そこの長椅子に寝たら?」
洗い物が終わったキャシーが、くすくすと笑う声。
「あー……いい、べつに」
眠くなってきてとろけてきた声で返せば、キャシーが言う。
「だってあなた、三時間も眠っていないもの」
眠くなって当然だわという声を聞きながら、ああ、俺三時間の睡眠だったのか、道理で眠くなるわけだわ……と納得した。
王城脱出の時間は、俺の体感的にはそこまででもなかったけれども、長かったんだろう。
堀の中を何時間泳いだのか、なんていうのも覚えていないしな。
そういや、体がものすごく冷えたから、長かったのかもしれない。
それに、城壁をよじ登るのだって、山猿と言われた俺でもそこそこ時間はかかっただろう。
無駄に高かったもんなあの城壁。
瞼を閉じてそんな事を、つらつらと思っている間に、また眠くなって世界が真っ暗に変わった。
「……ですから、」
俺の意識が覚醒したのは、なんだかもめているような声が聞こえてきたから。
なんだ、何時間寝たんだろうなんて思っていると、キャシーの冷静だが怒っている声が響く。
「普通に考えていただけませんこと? 身寄りのない子供が、いきなり王城に連れて行かれて帰る事も出来ず、世話になっていた家の事も何一つ教えてもらえないどころか、嘘しか伝えられない。不安になって当然でしょう? この子がどうやって城から抜け出したのか、なんていうのは知りませんよ。でも、この子がそう言う事をしてしまうくらいに、陛下はこの子を不安がらせたのです。お分かりになってくださいな」
「だが、側妃が許可なく城を出るのは禁じられています。処罰の対象になりうるのですよ。言いたくはないが、あなたも」
「それならば、もっと常識的な考えと気遣いを示してあげてください。私は罰せられる事なんて恐れないけれども、この子はきっと自分のせいで私が罰せられたと自責の念に駆られますよ。それで余計に、城にいられない気分になるかもしれない。この子はそうなったら、自分を追い詰めてしまいます」
キャシーと男の人の言いあう声が響いている、開店準備中の酒場。
俺はバーカウンターの内側で、ぶーちゃんに守られるように眠っていた。
あれ、俺ここで寝たんだっけ? 確かその辺の、もっとごろ寝できる場所だったような、なんて思っていたけれども、邪魔だからぶーちゃんに頼んで、キャシーが退かしたのかもしれない。
きっとそうだろうな。
しかし頭がはっきりする。よく寝たわ。瞼もクリアな感じがするし、いっそ爽快。
だがここでぶーちゃんに挨拶をする、空気の読めなさは持っていないから、俺はカウンターからこっそりとした感じで、向こうを覗いた。
キャシーが仁王立ちして、騎士階級っぽい身なりの男性と向かい合っている。
一歩も譲らないし、第一キャシーが譲るなんてありっこない。彼女は最高位の美女神だ。高々騎士階級の男風情に、怯えたりなんてしないだろう。
「その子供はここにいるのでしょう? 早くお引き渡しください」
「引き渡すも何も、あなた方が自分たちのやっている事の非常識さや非道さや、人道に反する事を理解する方が先ですよ。今日はおかえりください。そして陛下に、きちんと報告しなさい」
「あなたはご自分の身分をわかっていませんよ」
「十分に分かっていますよ。……帰ってください。そしてもっと、まともな言葉と態度で人を説得できる方が来てくださいな」
「……我々もいつまでも我慢は出来ませんよ。おい、衛兵、しらみつぶしに探せ!」
騎士階級の男が、苛立ったように声を発して、部下たちを動かそうとする。
キャシーの酒場に、乱暴されてはたまらない。
俺はとっさにバーカウンターを乗り越えて、キャシーの前に立った。
「私はここにいます」
転がるように出てきた俺を見て、騎士の男が瞠目する。
俺はその男を睨むように見つめ返して、言った。
「この人にも、このお店にも乱暴は許しません。……私がもともと何であろうとも、今の身分ならば、あなた方に命令ができるのです。私をお迎えに来たのでしょう? 私はここにいますよ。だから早く向かいましょう」
ここで帰ると言わなかったのは皮肉だが、騎士にそれは通じなかったらしい。
騎士は俺の腕を、折れそうな位に強引につかみ、引っ張っていく。
「側妃殿がいた、戻るぞ、衛兵」
騎士が衛兵たちに声をかけて、帰り始める。
だが言いたいぞ。
いてえんだよ! 骨が折れる! なんで騎士ってやつらはそんなに力いっぱい俺の腕を掴むんだ! 理解に苦しむ!
俺は悲鳴を抑えて、キャシーに手を振った。
「また帰ってきます、キャシー」
キャシーが止めないのは、俺が自分で決めた事だから。
自分で決めた事に責任を持つ事を、キャシーは理解しているからだ。
そのため、俺が選択するまでは守ってくれたけれど、俺が選んだ道だから、キャシーは止めようとはしない。
キャシーは俺の親でも何でもない。俺を全てをかけて守るわけじゃない。
ただ瞳は心配そうに、俺を見ていたから頷いて笑いかけた。




