家出決行
「そうか、少年は料理をするのか」
何処か感心したように言われて、身構えてみた。
一体何が交換条件として飛び出すのか、と思ったわけだ。
ちなみにこれは、夜の離宮にきちんとした機能を持つ風呂が欲しいとごねて、なぜかチェスゲームの相手をさせられたせいだ。
チェスゲームなんてがらじゃないのだが、しょうがないからいくつか手をうって、そこそこの弱さとそこそこの粘り強さで、俺は見事に敗北した。
ちなみに、風呂はきちんと整備された。
ディ・ケーニさんが術式が甘いとか効率が悪いとかぶつぶつ言っていたけれども、俺がいじくった後はなんだか絶句された。
そんなへんな改変はしてなかったんだが、俺の常識はディ・ケーニさんの常識ではないからさもありなん。
しかしその、国王にはチェスゲームでの粘り強さを気にいられてしまったのか、俺はここ数週間、夜のお時間になると呼び出される。
そして俺が寝落ちするまで、チェスゲームである。
いい加減に飽きてくれ。
俺は眠い。
ぐああといかにも、な少年の調子で欠伸をして、俺は騎士の駒を動かす。
「チェック」
「ほう、そうきたか……なかなか少年は奇策が得意らしいな」
言いながら、チェック、と俺の駒が取られていく。
俺はまた盤上を眺めまわして、一つの役どころしか持てない駒たちを動かす。
「はい、チェックメイト」
今日は俺の勝かもしれない。
そんな事を考えてから、言葉を続ける。
「ここの料理は、故郷の味ではないので、舌に合わないんですよ、なんだか」
「故郷が遠い、と言っていたな」
「ええ、もうここからじゃ二度といけない場所です」
異世界だ。地球で、二度と戻れないし会えないし、会いたいほど恋しい人もいない。
両親が死んで、親戚連中に遺産目当てに殺されかけて、さらに拾ってくれたおばあさまも死んで、友達とも疎遠な生活だった。
だからあの、俺の故郷に未練らしいものはないのだ。
こっちで単純に生きていた方が、俺としてはよほど楽ちん、だ。
そして空気が合う。
「二度といけない場所とは、どんな所だ? まさか天界というのではないだろう?」
「そんな御大層な場所なわけがないでしょう? 普通に地上ですよ。地面がありますし海もありますし、そこそこいい生活でしたけれど」
俺は息を吐きだして、ひょいと蜂蜜酒を傾けた。
しってるか、この世界は普通に、十三くらいで軽い食前酒は許されるんだ。
大人がいれば十六歳あたりで、飲酒可能なデンマークとかに近いのかもしれない。
うろ覚えの記憶なんだけれどな。
「身内はろくでもない感じでしたよ」
「身内がそれで犯罪者組織に狙われて」
よく生きていたな、とあきれ果てた調子で言われるが。
「長年そう言う事に身を浸していれば、やっぱり適応しますからね、人間は」
俺はぼろりとそんな事を言った。
そうだ。
生まれ落ちて、武神の記憶を思い出したあたりもそうだった。
最初は血まみれた世界に吐き気がして、泣き出して、情緒不安定だったけれどもいつの間に、本当にいつの間にか慣れてしまって、あれは俺の一部になった。
「そうだ、少年」
「なんでしょう」
「俺が勝ったら、踊れ」
「……はあ。あんなの何度も見れば飽きませんか」
「少年が蠱惑的に踊るのを見て、いるのは意外と楽しい」
「ぶふうっ!」
この貧相で色気のない人間に、あんた今なんて言ったんだ!
俺は駒を変な所に動かしそうになり、そんな動揺の結果、今日は敗北した。
敗北したので、俺はしぶしぶ着替える。
なぜか国王は、俺を自分のシャツ一枚にして、腰を銀の飾りで締めあげた、たったそれだけの衣装で踊らせるのがお好みだ。
裸足で毛足の長い絨毯をはねるように踊るのは、やぶさかではないのだが、やっぱり国王の好みは変な物だった。
「そうです、陛下」
「なんだ」
「料理を作れる設備が整ったら、私のご飯を毎日、一食食べに来てくださいよ」
「おまえがそんなに、うまい料理を作れるわけがなさそうだが」
「言いましたね、その発言を撤回させるためにも気合いを入れましょう」
言いあいながら、俺は国王のためだけに踊る。
冬乞いでも何でもない、普通の踊りだと自分では思う物を。
ただ、心から響いてくる音を一つ二つと拾い上げて、体に流していくだけの踊り。
毎回毎回、振り付けは全然違うし、支離滅裂な物だけれども、国王はこれがお気に入りだ。
冬乞いだったら理解できる。
使用目的がはっきりしているし、利用価値があると思うのに、国王はそんな物を求めない。
今の俺は、たぶんお気に入りの踊り人形なんだろうな、とどこかで思っている自分がいる俺であった。
数週間、こっちにいる。
店の事はすごく気になっている。
どうしているか気になりすぎるくらいだ。
だがしかし。
俺がここから出て行く事は出来ないに違いない。
夜の離宮から出て行くには、幾重にも取り囲まれた堀や外壁を越えなければならない。
そして、それを出て行くためには手形が必要な場所だってあるのだ。
俺は手形なんて持ってないし、ねだって見たら。
「必要な物ではないだろう」
とか言われて、話は流れた。本当に帰れない。
ぶーちゃんが心配でしょうがないぜ、俺は……
俺の事親分親分と、慕ってくれているあの子をどうすればいいのか全く分からないのが、俺の現状だ。
あれ、これ監禁されているみたいなものじゃないか?
なんて気づくのが実に襲い俺は、おそらく危機意識が非常に馬鹿なのであった。
しかし。
人間、やれない事はないのだ。
そのため俺は、真夜中に壁という壁をよじ登り、強行突破で店に帰ろうとしている。
何故かって言ったら、いい加減に店の様子が知りたいのだ。
そして親方やキャシー、ぶーちゃんに会いたい。
俺が向こうの様子を聞くと、何故だか知らんが絶対に嘘であろう事を言われるのだ。
だから俺は、自分の眼できっちりと確かめたいわけ。
壁をよじ登り、見張りの眼をかいくぐり、俺はお濠まで来た。
堀ってのが飛び越えられないレベルの広さで、これ本気で侵入者を防ぐ目的だななんて思った。
そしてこう言うところには抜け穴があるはずなのだが、俺の眼には見つけられない。
そのため。
「誰だ!!」
こうして見つかってしまうわけだ。
背後の兵士たち、目前の堀。
後は察してくれ、どっちにしても厄介なこと間違いない。
俺は息を吸い込み、堀の中に鋭利な物が付き立っていない事を願いながら、堀に飛び込んだ。
ばしゃんと大きな水音がした。
ここで俺の、小柄な体が命運を分けた。
俺の体が小さくて、軽かったために水の中に突き刺さっていた、鋭利な木の杭の所まで体が沈まなかったのだ。
俺は間一髪助かって、兵士たちががやがやとしているのを聞きながら、何とか堀の向こう側まで泳ぎ切った。
兵士たちは俺が串刺しになって死んだと思ったらしく、そして夜の見えない時間帯だから、死体を引き上げて見聞する事も難しいから、持ち場に戻って行った。
それってどうなのよ、と俺は内心で突っ込みながら、これ幸いと堀を上がる。
ごつごつとした堀をよじ登るのは、割合楽だった。
山猿とも呼ばれた俺を舐めるな。
近所の立ち入り禁止区域の崖を、命綱一本で制覇した俺のあだ名は、小学校二年生で山猿一択だった。
ほかのあだ名はその、なんだかとんでもない女の子につけるには恥ずかしいそれの前にかすみ、誰しも俺を山猿と呼んだ。
学校の先生ですら、ふざけて山猿、と呼んだ事が合ったくらいだからな。
そうしてよじ登り、俺はずぶぬれのびしょびしょのまま、難攻不落、侵入困難と言われているその城から脱出する事に、成功した。
城から道を進んでいけば、歓楽街を通っていくしか帰り道がない。
俺は歓楽街を進んでいく。
いかにも訳アリの濡れ鼠の、ちびを見て人々は、無視する。
誰もがこんな厄介ごとの塊に、介入するわけがないのだ。さもありなん。
何とかカツアゲだのなんだのから逃れながら、俺はとうとう店までたどり着いた。
そこまでに出会ったカツアゲと、奴隷売買の後ろ暗い奴らは皆、ぶん殴って急所に一撃を加えて悶絶させてほったらかしにした。
一瞬、そいつらの金を奪ってやろうかと思ったが、汚い金は持ちたくない主義なんで、やめた。
俺はちょっと店の前を眺めた。
この時間帯はキャシーのお酒のお店だから、それなりの店構えになっている。
俺の作った立て看板は、いろんな風に書き加えられたりして、変わっていた。
使える物はきっちり使った方がいいからな、なんて俺は思いながら、扉を開けた。
りりりり……とドアベルが響き、中のお客さんたちがちらりとこちらを向く。
そして一斉に怪訝な表情をとった。
俺はニコニコして、カウンターにいるキャシーに手を振った。
キャシーは目を見開いた後、持っていたお酒の瓶をその場に丁寧において、走ってきた。
「ギギー!! あなた何の連絡もなしに、王宮に入ったとか聞いて居たのに、どうやってここまで来たの、そんな濡れ鼠で!!」
「帰りたかったから、帰ってきたんです」
「風邪をひくわよ、今は初夏だからそこまで気温は下がらないけれども! まあまあ泥まみれじゃない、それになんだか生臭いわ、どこを泳いできたの!」
キャシーが俺を見てから店の奥に戻り、布を俺に被せてきた。
「ごめんなさいみなさん、ちょっとだけ待っていてくれないかしら?」
美貌のキャシーの言葉に、常連さんだろう皆様が快く了承してくれる。
「ありがとう!」
キャシーはそう言うや否や、俺を店の奥の居住空間にある、王宮とは比べ物にならない貧乏なお風呂に放り込んだ。
俺はすぐさま泥だの生臭い水だのを、洗い流してすっきりした。
そしてすっきりした顔で、自分の衣類を着た。
やっぱりこれだよ、王宮の服はいまだにサイズがちゃんとしてなくて、けっこうだぼだぼとしているんだ。
生地はものすごい上等なんだけどな。生地の無駄としか言いようのない物ばっかり着せられるんだ。
「……あー」
そして居住空間で、暖炉の前に座ると、とことこと物音がして、獣の匂いが鼻をかすめた。
<おかえり、親分>
「ああ、ただいま、ぶーちゃん」
<親分かえってこないから、ぶーちゃんそっちに行こうと思ってたの>
「そうなの、ごめんね?」
<親分がかえってきたから、もういいの>
ぶーちゃんが親愛を込めて、鼻をこすりつけてくる。
<親分、しらない男のにおいがするね>
俺はぶーちゃんの物言いが、なんだかエロティックな気がしたんだが、何も言わなかった。
ぶーちゃんそれは、男のにおいじゃなくて、建物のにおいだと思うぜ……
「そうだ、親方は?」
<親方は今日は、おしろの方にいるの>
「なんで?」
<しらない。でも親方、おしろの人たちに泣きながらおねがいされて、七日に二回、おしろに行く事にしたんだって>
「へえ」
俺はそんな事を言いあいながら、欠伸をした。
<親分、ねむい?>
「うん、くたくた」
<それじゃあ、いっしょにねよう?>
「そうですね……」
俺はあくびをもう一回した後に、ぶーちゃんが寝転がったからその場で、ぶーちゃんを枕に目を閉じた。
温かい鼓動の音。生き物の匂いと、肌に触れる体温。
全てが安心できる物で、俺の意識が暗くなった。




