国王と元武神
「陛下?」
俺は怪訝な顔で問いかけた。俺が現れたのは窓際の本棚だったんだが、声をかけられるまで若干……ほんの少しばかり、間があったような気がしたんだ。
まるで夢でも見ていたような感じだが、この明け方の時間だし、寝ていてもおかしくない。
寝ぼけたか何かかもしれないな。
それにしても寝ぼけてもすぐに気配を察知して誰何するのは、さすが警戒心の強い王族の中の、それも頂点と言ったところか。
気配を消す事には特化していない脳筋だった前世の俺と、そして日本で平和ボケレベルで平和を満喫していた俺のどちらも、やっぱり気配を消す事には特化していないから、気配はさぞうるさい物だっただろう。
それに少し反省する。日本じゃやくざに狙われていても、日本のやくざはそこまで気配ってものを読み取ったりしなかったからな。
ちょっと足音をけして息を殺せば、小さい体の俺はすぐに見つけられなくなった。
あれ便利だったよな。もろもろの神様の加護とかあったから、やっぱりそういう悪運の強さもあったしな。
「来やれ」
言われた俺は素直に近付く。近付いてから国王が仮眠は取ったけれど就寝はしていないという事実を知った。
一体どこの人間が、固そうな椅子に座って就寝するんだ。
つまりまあ、国王はぎんぎらぎんの派手な、そして座り心地の悪そうな椅子に座っているわけだ。
縦横とたっぷり贅肉ののっかった椅子の寿命はいかほどか。
ちらりとだいぶ失礼な事を考えながら、俺は求められるままに近くに寄って行く。
「そこに隠し通路があったとは想定外だったな。なるほど、いつの時代の物かはわからないが逢引に使われたものだろうな」
俺を見て本棚を見て、判断している国王の顔はどこか疲れたものがあった。
何で疲れているのかはわからないけれども、ああ、この人は疲れているんだなとどこかで思った。
「それにしても、ずいぶんと埃まみれの姿をしているな」
「埃っぽい所をくぐってきましたから」
隠し通路は長年使われていない埃の積もり方で、つまり俺は今とってもみすぼらしい状態だ。
離宮に戻ったらさっそく風呂を沸かしたいのだが、そのためには魔導式の何かを導入しなきゃならない。もしくはお湯をあきらめて、冷たい水を覚悟で冷水での行水か。
流石に冷水を浴びるのは日本じゃ、やった事ないな。
川遊びで頭から川に飛び込んだ事はある。あの時は俺をうっかり突き落としてしまった友達がびゃあびゃあ泣いたな。
その時は川の流れが異様に早い日で、俺は相当な下流まで流された。
川の神様が俺に救いの手を差し伸べなかったら、俺はおそらくあの時おぼれ死んだだろう。
救いの手の対価は、救出までの丸一日、神様相手に将棋を打つという事で、丸一日見つけられなかった俺の生存率は絶望的だったっけな。
だから奇跡だと騒がれたけれども、ぴんぴんしてたから悪ふざけをするななんて逆に思い切り叱られた覚えがある。
そんな懐かしい思い出を思い出しながら、俺は苦笑いをした。
「汚らしいので、私は離宮に戻らせていただきます」
「いいや。ここにいろ」
尊大な調子はさすが王様と言ったところか。
埃まみれの俺を側に寄せて、上から下まで眺めている国王の眼は、間近で見れば見るほど複雑怪奇な色味をしている。
青の中に蒼が混ざっていて、さらに藍が揺れ動いて、碧が煌く。
どう考えても何かしらのまじないが働いているとしか思えない色味だ。
これほど人の目玉を鮮やかにできるまじないっていうのは……なんだか。
俺はあんまり呪術系には詳しくないし、もとより興味のない神様時代を送ってきたからまるで判別ができない
これがキャシーならばすぐさま見抜くかもしれない。美貌の女神は美神第一位の実力と知識を持っていたから。
金髪碧眼。色は王子さま系の悪くない色だろうに、この肥えに肥えた体を見るとそれが半減どころか九割台無しという言葉を思い付く。
やっぱりダイエットを囁いてみるのがいいのかもしれない。
もしもの時のためだ。俺は人間の体だし、小さいし骨もそこまで強くない。たぶん。
だから閨のあれこれとかが起きてしまった時、圧死なんていう屈辱的な事は回避したい。
もっともこの傲慢そうな国王が、俺なんかに欲情したりして、組み敷くなんて言う未来はあまりなさそうだと思うんだがな。
「不思議だな」
何を思ったのか、俺のどこら辺を見てそんな考えに至ったのか、国王が言う。
不思議という物は俺に一番似合わない、フレーズだと思うんだが。
「こうしてよくよく見てみると」
国王の言葉は続くから、俺はそれを遮る事もなく黙って聞いている。
「少年は意外と、顔立ちは整っているらしい」
褒められているのか、それともよく見なければ評価もできない位の地味な顔と言いたいのか。
俺としては後者だと思いたい。整った顔立ちなんて言葉は、生まれてこの方言われた事がないんだ。
ギギウス・ブロッケンだった時代の俺はそりゃもう、冬そのものの、冷たく凍てつく、そんな面をしていた。それを周囲は雪の結晶のように美しいと評した。
一つとして同じ形のない雪の結晶は、どれもが見事な形をしている。それと同じでギギウス・ブロッケンは見るたびに違う美しさを感じさせる、と言われた。
それは永久の美貌を誇るキャシーたち美神や、完璧で悠久の整い方と言われていた男神たちとは決定的に違う物だった、と俺は今ならわかる。
当時はなんのこっちゃい、わけわからん、程度にしか思っていなかったが、生まれ変わってよくよく考えて、その事に気付いたのだ。
げに恐ろしきは無自覚と無知だというわけか。
国王が埃まみれの、薄汚れた俺の頬に手を伸ばす。俺は抵抗する理由も立場もないから、それを甘んじて受け入れた。肉付きのいい大きな手だが、爪の形はきれいな物だった。
元々の形はきれいな物なのだろう、という事を感じさせる爪の形と手の形だった。
魔素太りの極みがこれとは、この国王は色々損をしているに違いない。
ちょっとばかり同情した。俺も背丈と異様なほどの童顔の所為で、損をしてきたから。
容姿で損をしている人間に、俺はちょっと共感しちまう部分がある。
「整っているというよりもこれは」
観察をする眼は心底青い。海の中の様に青いんじゃねえのか、これは。
そんな事を思っていた俺は、次の発言に思考回路が停止した。
「華が開く前のつぼみだな」
お前の華はいつ咲くのか、と心底興味深げに言われた俺は、目を瞬かせた。
俺に比喩表現の理解力はない。
だがしかし、俺はやはり年齢をおもっくそ勘違いされているという事実だけは、何とか分かった。
俺って国王にも幾つに視られてんだよ。
やっぱり親方みたいに十三くらいなのか。
俺、今年で十九で、たぶんこの世界の感覚だと行き遅れるんだけど。
「……それは、一生咲く事のない花でしょう」
俺は二三分思い切り黙って返答を考えてから、そう答えた。
花が咲く時期真っ只中であるはずの俺がこう、という事は、花何ざ持ち合わせがなくて、一生国王の言うところの花が咲く事は、ないと思ったんだ。
というか何が悲しくて、少年扱いなのに花だのなんだのと言われているんだ。
男に対する言葉としてはなんだかいやらしいし、女に対してだったら……何になるのだろう。
「なぜだ? 男を知らないからか」
言い方が下ネタ臭いぞ。男を知るってな……日本のこの年齢の女の何割が男を知らないと思ってんだよ。
多分割合は高いぞ。
大体言葉が矛盾しているだろう。男だと思っているのに、男を知らないとかなんだそれ。俺の年齢勘違いしているのにその言い方は変過ぎる。
それともなんだ、この国王は俺の年齢とか性別とかをすでに、看破していてからかっているのか。
……腹が立つはずのあれこれが、奇妙なほど腹立たしくないのは、この青い目が、溶けように煌く金の髪が、朝焼けの中で光っているせいなのか。
「……男を知らんというのなら」
ふいに、だ。
ふくよかというのもオブラートに包まれ過ぎている、贅肉だらけの国王という男がほんの一瞬ばかり、ひどく見惚れる美丈夫の姿と重なったのはなぜだ。
その美丈夫の姿のまま、国王がいやらしい笑みを浮かべて言い放った。
「俺が教えればいいだけだが」
「……っ」
俺は言いたい事が言えなくなった、なんだこれは、なんなんだこれは。何がしたいんだ、いったいこれはこれは。
顔に血の気が集まってくる。耳まで流れる血流の勢いが増していく。唇が引きつって何も言葉が出てこなくなって、開いた目玉がぱたぱたと瞬く事も出来ない。
今までどんな状況下にあっても、己を失わなかった俺が、今は完璧に己を失っている状態だった。
なんという不覚だ。俺とあろうものが。こんな事は一回もなかったせいで訳が分からなさすぎる。どうすりゃいいんだ。
「まあそれにはまだ、幾分幼過ぎるだろな。体がついていかないだろう」
国王が意地の悪い表情で、そんな言葉を言った。




