血の道の覚悟
この両手は血にまみれ。
この姿は罪に塗れ。
この両足は、血の海を渡る。
その生き方を嫌ったわけではないのだし、これも支配の一つの形だと知っている。
子供の盤石な王座を保つために、この醜い男はいくらでも修羅になる。
そう決めたのは、血のつながりなどないだろう姿をした、己の力を欠片も受け継がなかった、息子を見たその日の事だ。
あなたの子供だと。お産に疲れ切った女が勝ち誇った顔で微笑んだが、己はそれを嘘だと知っていた。己の子供ならば、月が足らない。十月十日には、あまりにも足りない。
なれども子供は月の満ちたふくふくとした赤子。
この両目がなくとも、それが偽りだとはすぐわかるというのに、女は笑う。
それは嘘が決して露見しないと思っているからこその、笑いなのか。
馬鹿を。
己の子供であるというのなれば、何ゆえに己から受け継ぐべき、力が発露されていないのだ。
この己は、生まれ落ちる時に炎に包まれて生まれてきた。そして産道を焼き、母が二度と子供を産めないようにしてしまったと聞いて居る。
己の子供なれば、それ程度の事を生まれ落ちる時にやって見せるだろう。
近親婚が続きすぎた結果、濃くなりすぎた王座の血。
女もまた力の強い系譜であり、自身も強い力を持っているだろうに、異質な事など何も起きないお産など、ありえるわけがない。
しかし女のお産はつつがなく終わった、安産だった。難産という言葉はまったくないだろうお産。
この子供は己の子供ではありえない。嘘偽りを見抜いてしまう、アルストロイの浄眼はそれを真実として映し込む。
彼の考えだけではなく、彼の考えを超えた力である、その両目がその偽りを見抜いてしまう。
だが。
この子供が、己の血を継いでいないというのに、王座に就くというのならば。
それはこのセレウコス国の王の血が、代替わりをするという事だ。
古い系譜の血は終わり、新しい時代の血がセレウコス国を反映に導くと、何かが決めたという事なのだ。
なれば。
この己は、希代の悪王に。息子の道が一層清らかに正しく見えるように、進もう。
彼は女の手から赤子を受け取る事なく、そう誓った。
正妃である女も、側妃の女も、己の子供を産む事はなかった。どちらも他所の男の血をもつ子供をいかにも、といった調子で己の子供だと言い張り、育てる。
醜い権力争いを放置し、呆れたものだと見放したのは、その戦いの中でこそ子供たちは強くなると想定したからに他ならない。
血が変わるその時は、知られようとも知られなかろうとも、争いが起きるものだ。
来るであろうその争いを見通しながら、その争いの中でも生き抜くためには、強さを得るしかないのだと思い、己は子供たちとは最低限の関わりを保った。
それでも知ってしまったのは、生まれついた子供たちの脆弱さ。
一体どこの男の子供なのか。魔術の才能はあれども、体が脆すぎる。それは間違いなく己の血を継がないという決定的証拠だった。
己の血を継いでいるならば、体は異常なほど丈夫になるのだ。些細な傷など、瞬く間に回復する体。
骨がひしゃげようとも、一晩眠りに着けば癒えてしまう体。
濃すぎる血の、歪んだ異能。
己の子供だというのならば、その力の一部程度は受け継ぐだろうに。それをどちらも全く受け継いでいない。
見た目こそ、髪の色こそ血統が正しいように見せているが、そんな物はまやかしだ。
同じ髪の色の人間も、己のさらに上にさかのぼった際の色彩も、どこにでも転がっているのだから。
片方に至っては、女の血が色濃く受け継がれていると言わんばかりの、女と同じ色彩。
誰も己の血ではないと見抜けないのは、女たちの狡猾さの結果なのか。
どうでもいい。
己は領地争いを裁定する。愚かな領主だ。この程度の、うまみなど何一つない場所をめぐり、血で血を洗うような戦いを繰り広げている。
無辜の民をそのように弑逆する愚か者は、このセレウコス国に必要ない。その血脈も。
一族根絶やし、という物を非道すぎるというのならば、その領主だけを処罰しても何の解決にもならないという事実に目を向けるがいい。
その領主を見て育ってきた次の世代が、同じいさかいを繰り返さないと、未来を見通せるのか。
その次の世代が、息子たちの治世に影を落とさないと言い切れるのか。
それなれば、草の根をかき分けると言っていいほど、その血を絶やす方がいい。
恐怖政治だと恐れればいい。その代わりに、人の心を失わない息子たちの治世を、民は賢王の治世だともてはやす。
代替わりの時に、この己がすべての罪科を背負い、全ての怨嗟を抱きかかえて、黄泉の道へ下ればいいのだ。
なんならば、死んだ暁にはその肉体にいかような仕打ちが行われようともかまわないと、遺言でも残しておくか。
恐怖からの狂気は、屍という抵抗をしない物に向けられた時、酷くおぞましい物になるというのだから。
全ては、このセレウコス国が永年に続くようにするための、手段。
己の欲望ではない場所で、この国と来るべき息子たちの治世のため。
そうして、歴史に名を遺す悪王になる事に、己はもう迷いなどない。
「……」
夢を視た気がした。自分の部屋の窓辺、一等、綺羅星という何の星よりも輝く星が見える窓辺に、朝焼けが差し込んでいる夢だ。
その窓辺には、何者かが座っている。何者か、という思考は回らない。夢だからか。そんな事を思いながら、定まらない思考回路で見ていれば、その何者かの、色が存在しないような長くのばされ過ぎた髪が、びょうと吹き込む風に舞っていた。
白い。
髪も肌も。まとう着物も。この世の物とは思い難いほど白く、そして濃密な黒い影を落としている。強烈な色彩の差。
見ればその何者かの足元には、バルザックでは降る事がないと言われている雪が積もり、水が凍って鏡のような氷が張っていた。
六角柱の氷がその何者かの周りに生えている。
流石夢だ。荒唐無稽。
いつの間にか凍てつくような心地になり、己は息を吐きだす。白く白く変わる息。
その何者かは、こちらに目を向けてきた。静けさを孕んだ、冬という物が形を得て息吹を上げればこうなるだろう、と思わせる瞳は。
己が罪と同じだけ、あかいあかい咎人の色をしていた。




