隠し通路
「ずいぶんと、不思議な感じがするねぇ。テンカ様のいろんなことを、わたしはまだ覚えているなんて」
「……」
俺はそういう物にも身に覚えがあって何も言えなかった。俺もそうだった。
俺にとってそれは、おばあさまだ。俺に帰る場所と料理の腕と、それからいろんな生活の知恵を教えてくれた人。
あの人との時間は、実はかなり短かったのに、俺の中では昨日の事のように思い出せる。
初めて、厨房に立った日の事とか。調理師免許を取るために、頭を下げてお金を借りる決意をしたら、何も言わないで俺にお金をくれた事とか。
色んな事が悔しくて、悲しかった時に、閉店後に突っ伏していた俺に差し出されたはちみつの入った甘い牛乳の事とか。
覚えていないだろう些細な事を、俺もいくらでも覚えている。
「それだけ、好きだったんですよ、ディ・ケーニさんはテンカ姫が」
「そうだろうねぇ。わたしゃあれだけの人に、まだ出会ったためしがない。あれはきっとテンカ様と出会うためのお導きだったに違いないだろうねぇ」
何を思い出していたのか、ディ・ケーニさんは遠くを見て呟いた。その目の中にある懐かしさは、俺もよく知っている感情だった。
「ああ、どうしてテンカ様は幸せになれなかったのか。子供を殺されるしかなかったのか。テンカ様に残されていたのは、あの子だけだったのに」
悲しそうな口調と心からの哀しみが、俺にジワリと伝わってきた。
伝わってきたそれがあまりにも痛い感じがして、俺も涙がこぼれそうになった。
意外と人間は、周りの空気に影響されて感情が揺れたりする。
俺も人間だから、悲しみがこんなにも突き刺さっているのに、何も思わないという事はない。
「……さて、昔話をおしまいにして、わたしは今度はスズの話でも聞かせてもらおうかね、一体どこで冬乞いを覚えてきたんだい?」
話題を変えるような声で言われた俺は、言葉に詰まった。どう言い訳すりゃいいんだ。
うかつな嘘っぱちは、カルミナ・スペクルには通じないぞ。
だって彼女たちは知識がある。人間の知らないあれこれを知っている。制限とかを知っている。
俺が並べ立てる嘘八百の半分は、効力を発揮しないし、第一に俺は嘘八百を並べられるほど頭が回らない。
俺は言葉に窮して黙り、そして言った。
「気付いたら踊れたんですよ」
嘘は、口にしていない。だって気付いたら俺は、武神時代に踊れるようになっていたんだ。誰かに習ったわけでも何でもなく、俺は気付けば冬を乞い願い、冬を感じるように踊っていた。
だからまさしく、気付いたら踊れた、というわけなのだ。
「気付いたら踊れたぁ? なんだいその、なんだか得体のしれない感じ」
「私もそう思いますけど、本当に踊れるようになってしまったんだから仕方がないじゃないですか」
「……いったいどこの、ギギウス・ブロッケンなんだよ。ギギウス・ブロッケンは生まれ持った冬の心で踊るから、どんな踊りだって冬乞いになるっては聞いて居たけれど」
「そうなんですか」
なるほど、前世の俺も冬の大陸で生まれた、根っからの冬の存在だったから、心が冬を求めるままに、冬の力を顕現させられたのか。
意外な所でそれに納得してしまう俺が、いた。
「……もしかしてスズは」
「え?」
「消え去ってしまったという、冬の武神の魂の欠片が、入り込んでしまった人間なのかもしれないね」
「あまり有得そうな話ではないと思いますけれど」
「そうかい? まあ人間の間では知られていない話だけれど、あのユーリウスがギギウス・ブロッケンをバラバラにした時に、手に入れるべきだったとても重要な、ギギウス・ブロッケンの欠片を取りこぼしたってのは、わたしらの間では有名な話さ」
「欠片?」
「そう。それは冬その物だったとも、ギギウス・ブロッケンがギギウス・ブロッケンたるあり様だったともいわれているね。実のところ、瘴気王ヨーゼン公も欲しくてたまらないものさ。……ヨーゼン公も、最後の戦いのときに冬の武神に魅入られてしまって、魂を抜き取られたようなものだからね」
「え……」
俺はなんだか頭が痛くなるような気分だった。
目の前に、問題が積みあがったような、そんな心地にさせられたのだ。
俺暴れまくっただけなのに、なんでいろんな所に余波がやってきてんのさ……生まれ変わった俺に何の試練を与えたいわけなんだ……どうしろって……
頭を抱えてしまった俺を見て、ディ・ケーニさんはいう。
「安心おし、あんたはテンカ様の恩人さ。ヨーゼン公はとても義理堅いお方だから、あんたを悪いようにはしないと、この第八位のディ・ケーニは断言しておくよ」
それはそれでなんだか、おっかない気がするぜ……
俺はどっと疲れた気分になって、さっさと寝台に潜って眠る事にした。
うっかりして、明け方辺りに目が覚めた。仕込みで朝早い時間に起き続けていたからな。習慣になっているんだろう。まだ朝焼けがうっすらとしていて、世界はひどく透明な物を宿している。
日が高くなっていくにつれて、世界は生き物の気配で満ちていき、場合によっては圧迫感をもたらすようになる。
俺はとりあえず習慣として台所に立ち、テンカ姫の時代からある竈……つまり着火装置もない本物の竈に、何とか火をつけた。これ、改修工事できないだろうか。
流石の俺も毎日火打石と火打ち金で火を熾すのは、面倒くさい。
魔導式のあれそれができている今日、竈の火のために用意される薪は、高級品なのだとか。
俺そんな高級品を使いまくれない。もったいない。
やっぱり魔導式のコンロ、欲しい。昨日はもう時間が時間だったし、誰かを呼ぶ事もできなかったから、しょうがなしに火を熾したわけだけれども。
日常生活で火を熾すのは嫌だ。個人的に。
というか……俺側妃だろ? わがまま言えば設置してもらえないだろうか。ああ、もう側妃という物を受け入れちまっている、順応能力の高い俺に我ながらびっくりだ。
炎を起こし、お湯を沸かしていればお腹が空いてきた。
朝飯どうするかな。ぼんやりとお湯を呑みながら主寝室に戻ると、俺の目を引いたのは鍵付きの机の上にある、小さな鍵だった。
どこの鍵だろうかと気になって、俺はそのあたりを探ってみた。
すると驚いた事に机の下斜めに、小さな鍵穴があり、そこに差し込めるようになっていた。
できるかな。
なんだか探検をする気分になった俺は、それに鍵を差し込んで回してみた。
かちゃりと鍵が開く音がして、俺はかぽっと音を立てて開いた、人が一人ようやく通れる穴に、心が踊り始めた。
やっぱりこういう物が好きだ。
俺はディ・ケーニさんに声をかけてから、そこに行く事にした。
「ディ・ケーニさん」
「何だいこんな朝っぱらから」
「なんか隠し通路があるから行ってきます」
「はいよ、本当に男の子って感じだね。気を付けていっておいで」
「どこにつながるとかわからないんですか」
「わかりゃしないさ。わたしゃここの瘴気を抑え込む方で手一杯だったんだからね」
「なるほど」
言いながら俺は、穴に身を滑り込ませた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
言った後俺は、暗い穴の中を進み始めた。
進んでいくとだんだんと、何かが変わっていく。それはどこかに通じているから感じる物だった。
方角的に城の本宮の方に向かっていそうだけれど、本当にそっちに向かっているんだろうかと思ったその時だ。
一気に穴が大きくなり、扉が一つ現れた。よくある引き戸だ。いったいどこにつながっているんだろうという、好奇心が抑えきれない俺は、慎重に引き戸を開けてみた。
ぱあっと世界が明るくなっていく。そしてそこは、豪華な調度品に包まれた、銀色が悪趣味な空間だった。
察してほしい、悪趣味になりにくい落ち着いた銀色だというのに、悪趣味と形容したくなる感じを。
そしてその空間の金のかかりっぷりを。
一体どこなんだと思ったその時、静かな声がかけられた。
「誰だ」
聞き覚えのある声で、俺は居住まいをただして答えた。
「夜の離宮に入れられた者です」
声の主……国王は俺を見やり、少しばかり驚いた声で言った。
「少年、一体どこから出てきたかと思えば、そことはな」
俺は手招きされるがままに近付き、俺が開けたのが、とても移動できなさそうな大きな書架だったという事を知った。




