夜の離宮
「……」
俺は連れてこられた離宮を見て、しばらく黙った。
俺を連れてきた兵士たちは、それ以上の仕事をしないと言わんばかりに、立ち去ろうとする。
だがさすがの俺でも目の前の事実には、引きつる。
そのためとっさに、一人の腕を掴んだ。
「ちょっと待ってください」
何なんだこの離宮は。
俺は内心で思った事を、出来る限りオブラートに包んで言った。
「なんなんですか、この離宮の感じ。おどろおどろしい感じが……」
「気のせいだろう。夜の離宮は特別な離宮ですからね」
さらりと言う事でもねえだろうが! 何なんだよこの暗い感じは?! いかにも瘴気漂う感じは?! 夜っていう名前以前の問題の離宮だろうが!!
彼らの示した、夜の離宮とやらは、見た目は小さめの、そこそこというか。
いいや、あいまいな表現をやめよう。
えらく恐ろしい、触るのもおっかないような豪華な外見の、離宮だった。
庭もある。荒れ果てて草がぼうぼうと生えている庭だ。
手入れを怠っているのか?
だが問題はそこじゃない。
俺は何度も離宮を見る。
見たって何かが変わるわけでもなく、現実が変わるわけでもなかった。
夜の離宮は。
……瘴気に、包まれていた。
いっそ王城の中に、これだけ瘴気漂う場所がある事に感動するくらいだ。
これじゃあ、人間はとても住めない。
それとも、何か意味合いがあるのか?
俺にここを浄化させたいのか?
ちらりと考えた後に思いつく。
俺の力を、図りたいのか、国王は。
ありえない話じゃない。
俺の力は、はた目から見れば未知数の代物だ。
どこまでが限界なのか、どこまでが可能なのか。
あの国王が図りたくないわけがない。
それにしたってまあ、俺はこの瘴気の大本がどこなのか、見極めなけりゃならないが。
帰りたい。切実に。
しかし帰っても。俺はここに引っ張られていくんだろう。
その未来が容易に想像できてしまって、俺は深く溜息を吐いた。
「大丈夫ですよ、死人が出た事はありませんから」
兵士たちがどこか、気分が悪そうな調子で言った。
俺が見立ててみるに、瘴気にあてられているのだ。
瘴気は簡単に、人間の体を蝕むものなのだから。
そう考えると、俺は本当に異世界製の体をしているんだろう。
瘴気はわかるけれども、体を蝕んだりする感覚はない。
しいて言うなら、夏のむっとした不愉快な湿気に似た感じが、するくらいか。
そういえば、国語辞典で瘴気と引くと熱病を引き起こす、山川の毒気、と出るんだった。
なんか関係あるのかね、俺の感覚と瘴気のあいだには。
……考えるのをよそう。
俺はまた考えるのをやめた。
必要なのは、ここを調べる事だ。
はてさて、もし俺の頭が分かるのであれば、疑問に思う事もあるかもしれない。
何故国王の言いなりになるのかと。
抵抗をしないのかと。
地球の皆様の一般的な、思考回路だろう。
ある意味、あまちゃんで現実ってものを知らない考えでもある。
何故かって?
国王というものは、よほどの事がない限り、他人に簡単に殺人を命じる事が出来る、そんな立場なのだ。
国王が、全ての家臣から見放されているなんて事は、滅多な事ではない。
それゆえに、殺せと言えば誰かが手を下す。
そう思っただけで、下の者たちが動きかねない。
それが国王という物の、ある意味魔性なのだ。
そんな相手に、抵抗をする?
そこら辺にいるような、権力なんてものを欠片も持っていないちびが?
死ねと言っているんじゃなかろうか。
はたまた、大事な人たちを殺せと言っているような物か。
国王という物に抵抗できるのは、自分を殺したら不利益になると過信しているような、自信家かもしくは。
自分は忠臣だとナルシストを起こしている奴位だ。
忠臣はいさめるのが当然? って思うかもしれない。
でもそんなのはな、結局自分が可愛いのだ。
国が亡んだら自分の立場が危うくなる。
国が亡んだら、自分に税金を納めている人間がごっそり減る。
国が亡んだら、自分に多大な不利益を被る。
国が亡んだら、自分の身内が危うくなる。
という事を、直感的に知っているのが、世間一般様の忠臣なのだ。
ただそれを、意識していないという救えない奴らなんだぜ。
ちなみに俺はそのどちらでもないから、国王の命令に従うしかない。
平民が国王という権力に抵抗するのは、数の暴力を行使するしかない。
……こんな考え方、周りの常識人からすれば、異常者と言っていいものかもしれないけれどな。
俺にとっては明白な事実でしか、ないのだ。
「……」
俺は立ち去る兵士たちに、縋って戻りたいという事も出来ず、瘴気がむせ返るような場所を見ていた。
見てから、足を踏み出した。
一体国王は、どこまで俺を試したいのだろう、と思いながら。
「外側以上に内側も豪華」
俺は小さく呟き、薄暗く……当然だ、どこの窓も分厚いカーテンで覆われている……どこか埃臭い中を歩く。
夜の離宮は、見た目が小作りという物に反さず、中も小さめの造りだ。
人が一人、普通に居住するにしてはやはり、大きい物だが。
多分それは、召使が日常的に歩き回るのが前提なのだ。
離宮に召使が一人もいない、そんな人間が入った事はないんだろう。
俺は足元を見やる。
見やった足元は、大小さまざまな、そして多種多様な色をした木でモザイクがのような、メダリオンのような模様が作られている。
それだけでも十分手が込んでいる。
さらに驚いたのは、その上から固い、ガラスのように透明なコーティングがされている事だ。
掃除はかなり楽だろう。
そして意外と、滑りにくい。転んだりはしなさそうな気遣いがあった。
そんな立派な床に、壁紙は薄紺に星座が銀で描かれているという物。
夜の離宮の異名の、理由はここだろうか。
そんな事を思いながらも、進んでいく。風呂場は立派。洗い場もあるし、バスタブも大きい。
鏡は周囲にロココ調の銀の流線があしらわれている。
「台所完備」
俺はそこだけはうれしくなりながら、また一つ部屋を見る。
いまだ、何処にも瘴気の根源がない。
一体それはどういう事を示しているのか。
そんな事を考えつつ、俺は部屋を五個ほど見て回り、そして最後の七つ目に、主寝室に到着した。
あー、この感じは、やっぱりここが大本か。
瘴気のむせ返る感じを感じながら、俺はどんな魔窟が展開していても、驚かないように心を落ち着かせて、扉を開いた。
ぶわり、扉が結界の役目でも果たしていたのか、あふれだす、もはや熱波のような瘴気。
でも俺は、それを少し暑いとしか感じない。
やっぱり地球産の俺と、この世界の毒気は何かがあるらしい。
ちらりと思ってから俺は、中を覗いた。
ぱっと見て、主寝室も夜って感じの造りだった。
何のためなのか大きい寝台。
古めかしい感じのそれにもやはり、夜の紺碧の色の天蓋に銀の刺繍の星座が散らばっている。
瘴気はそこからじゃない。
意外だ。てっきり寝台あたりになんぞあるかと、思ったんだが。
俺は足を踏み入れて、ゆっくりと見回した。
ここも分厚いカーテンで窓が覆われている。
そこはいい。
使われていない所が劣化しないように、という配慮だから。
そんな薄暗がりで見まわしてみれば、なんだろう。
そこの作りこまれた、気遣いの中の豪華さが、良く分かった。
良く分かりながら、国王の目的がさらに分からなくなりながら、俺はそれを見た。
「これか?」
小さく呟き、俺はそれを見た。
全身が見渡せる、それは大きな大きな姿見だった。
ただ不思議な事に、これは飾りの何一つない、しいて言うなら鏡と同じだけ磨きこまれた縁取りがあるだけの、簡素な姿見だった。
だというのに、それからはむせ返るような瘴気が、立ち上っていた。
そして俺は、これの正体が何となく察せた。
察せたからこそ、呟いた。
「……冬乞い踊って、消し飛ばすか」
言ったとたんだ。
「やーめーてーぇえぇぇぇええぇぇ!!!」
鏡が絶叫し、がたがたと震え、そして俺と視線が合う箇所に、顔が浮かび上がった。
「やめてよおちびちゃん! あたしゃまだ消滅したくないよぅ!」
それは老婆の顔をしていた。ふっくらとした、親しみやすい感じの。
でも口からは牙が見え隠れしているし、額には第三の目があった。
そう。
「あなた鏡の魔妖の一種?」
俺は呆れて、大昔に前世の俺たち、神と対立していた、とある一族の名前を出した。




