冬の浄化ときのこ
森の中は鬱蒼としているという感じではない。
明るい。さわやかな森だ、日光的には。
でも何となく、くらーい感じがする。
「ぶーちゃん、気付いてる?」
<何をです?>
「この森、瘴気が充満してる」
俺は肌を突き刺すような、それでいてねっとりとして不愉快な空気に眉を寄せて呟いた。
王都付近の森が、ここまで瘴気に覆われているとは知らなかった。
そして思い出す。バルザックには、いにしえの時代の聖女が作り上げた浄化の魔法が展開されているという事を。
「ここできのこ狩りなんてのんきな事出来るかな」
<ぶーちゃんいつもここで、きのこ食べますよ?>
「ぶーちゃんこの森で生まれた?」
<はい。この森で生まれてこの森で育った>
ぶーちゃんの言葉を聞いて、俺は魔物は魔素の含まれている獲物しか襲わないという事を思い出した。
それは遙かなる大昔に、俺たち神一派と敵対していたほかの神の一族が、俺たちや、俺たちの加護を持つ生き物たちと戦うために、魔物を生み出したという事実だ。
それゆえに魔物は、魔獣や魔素を体内に持っている生き物しか襲わない。
つまり魔素を欠片も持っていないぶーちゃんは襲われない。
ぶーちゃんが恐れるのは、食物連鎖の上位の存在だ。例えば狼とか熊とか、そういうの。
この地域にライオンはいなかったと思う。大昔のローマの周辺にいたという、ライオンもいないだろうし。虎もいなさそうだし、ぶーちゃんがそこそこの暮らしをしていたのもわかる。
「さて、ぶーちゃん、危ない時は俺は全力で逃げるから。絶対に」
<その時はぶーちゃんも一緒>
「うんうん。一緒に逃げようね。正直ぶーちゃんの速度で逃げられるかわからないけれど」
俺は思わず地のままで話していた。これはよくない兆候だ。この地は周りに知られてはいけない。
だってさ。女の子のような丁寧な言葉づかいでようやく、俺は女の子として認識されるんだぜ。
一人称が俺だったら、間違いなく俺は男の子として認識される。
さすがの俺もわざわざ自分から、自分の性別を間違わせたりはしない。
そのための丁寧な言葉でもある。
まあ、この丁寧な言葉は今生の両親の教育のたまものでもあるんだけれどな。
俺はその言葉遣いを教えてくれた両親を、心から愛している。
自然発生した武神ではなく、自分が生んだ子供として、心から愛情を注いでくれたあの両親。
俺は不意に涙が出てきそうになって、目のあたりをこすった。
「さて、きのこはどのあたりかな」
<こっちが穴場>
楽しそうにぶーちゃんが先導する。毒きのこの選別は、ぶっちゃけぶーちゃんの嗅覚に任せる事にしていた。
だって俺の勘や経験よりも、ぶーちゃんの本能や身体能力の方が正確なんだもの。
そうして俺たちは、のんびりと森の中を歩きまわり、時折斜面に滑って転がったり、疲れたら日向ぼっこして休憩をして、籠いっぱいのきのこをとった。
俺としてはこれでとろけるような、ホワイトシチューが作りたい。
ぶーちゃんも乳製品は大好きなので、作る時はその辺に座り込んで待ち構えるだろう。
俺はそんなぶーちゃんが可愛いし、相方のような不思議な関係のように思ってしまう。
そして帰ろうと思った時だ。
不意に香った匂いが、俺を誘うようだったので、足が止まった。
「……なんだ?」
俺はどうしたのと言いたげにこっちを見るぶーちゃんに、荷物を任せた。
「ちょっとあっちに行ってくる」
<あっち? 何にもないですよ?>
「なんか行った方がよさそうだから」
この感覚をなんと呼べばいいのかわからず、俺はそっちに足を進めた。
近付くほどに、むせ返りそうな瘴気が肌を刺す。
「……こっちが、核か?」
瘴気には核がある。どうして生まれるのかは俺も知らないが、核がある。
そしてそれを浄化しなければ、いくらその周りを浄化しても意味がない。
それに。
「瘴気が濃すぎて、魔物すら生まれていないのかよ」
濃すぎる瘴気は、魔物を強化するけれども、魔物ですら生殖能力を失う。
呪われた何とか、と呼ばれる土地に一個最強の魔物がいる癖に、数がとても少ないのはそれが理由だ。
魔素と一緒だ。多すぎれば害になる。
これほどの瘴気は、人間は倒れるだろう。なんで俺が倒れないのか疑問だけれど。
元神だからなのか。
それとも異世界の遺伝子が、瘴気に抗えるのか。
分からん。
でも俺はそこにたどり着いた。
そこはちょっと小さめの沼だった。
沼の中央に平らな丸い石がある。ちょっとした舞台になりそうな石だ。
そしてそこに、瘴気の核のようなものが感じられた。
核は目に見える物じゃない。だから倒せる物じゃないし壊せる物でもない。
瘴気は、神の力で浄化する以外に手段がない物なのだ。
普通は神の助力をこうて、浄化する。でもキャシーですらどうにもできないほどの瘴気っていうのは、神に助力をこうてどうにかできる物なのだろうか?
「地母神の助力しかないだろうが……」
俺はふと思った。こうなったら中級の神ではなく、地の頂点である母神の助力が必要だが。
派閥の違うやつらが作った瘴気を、母神がどうにかできるだろうか、と。
さらに思った。
ここに冬の力を降り立たせたらどうなるんだろうって。
春の大陸に冬の力を呼ぶのはある意味危ない。力が反発するからだ。
でも、俺は知っている。
――――冬は全てを打ち払う。春が生み出す力ならば、冬は全てを無に帰す。
春の大陸で増加している瘴気ならば、冬の力で打ち払える。春に依った瘴気は、冬の破壊に抗えない。
だから冬の大陸で生み出された荒神だった俺ならば、冬を呼び出せるんじゃなかろうかと。
「やってみるか。どうせダメもとだ」
俺はいま人間だ。何の力も持っていない。たぶん。
でも、何もしないでこの瘴気が広がって、魔物がバルザックに入ってしまえばそっちの方が問題だとわかっている。
俺はやれる事をしないで、放置する性格じゃないのだ。
「踊れっかな」
俺は頭の中から、遠い記憶の踊りを思い出す。
冬の大陸で生まれた頂点の武神しか知らない、冬の力を降ろす踊り。
冬の大陸に奉げられる踊り。
やらないという選択肢はない。だって放置したら俺も被害をこうむるから。
俺は意を決して、石の舞台の上に立った。
音楽はいらない。魂で踊るから。
指を天にいっぱいに向けて、俺は踊り始めた。
この踊りはものすごい激しい踊りで、ゆったりとした春の踊りや、情熱的な夏の踊りとは系統が違う。
冬の荒々しさや厳しさを、そして絶対性を象徴する踊りなのだ。
ステップは死にそうだし。本当は氷の上で踊る踊りだから、石の上では滑りが悪い。俺は途中から靴と靴下を脱ぎ捨てた。
はねるような踊りではない。時折高く宙を舞い、くるくると回る。
なあ、俺はまだ冬の神の力を持っているだろうか?
俺は心の中で、俺を生み出した大陸に呼び掛ける。
俺はここにいる。
俺は。
俺は、ここにいるんだよ。
踊り終わるその時に、俺は冬の冷たすぎる空気があたりの瘴気を薙ぎ払ったのが分かった。
肌を突き刺す息苦しさが消えていたのだ。
息が切れてしょうがない。前世だったら息なんて切れなかった。
俺は滴るような汗をぬぐって、がさりと動いた茂みに条件反射で隠れた。
それから四つん這いで獣のように、ぶーちゃんのいた所まで逃走した。
だって、あの茂みの揺れ方は人間のそれだったからだ。
俺は面倒事はご免なのである。




