徐々に違和感のようなものが
そうしておっちゃんの愚痴を聞きつつ到着した、レダ亭は、本当に清潔第一のお宿で、俺はすぐにここにしたいと思った。
カーテンも絨毯もきれいにしてあって、年数がたって色が変色している物はあっても、汚れはないのだ。
物を丁寧に使っているのは間違いなく、そして壊れたものを継いだりくっつけたりして大事に使っている。
「元はかなりいいものだな、あれらは中期のものだし、そこにあるのは当時の最高級品だ」
俺の隣で宿の中を見ていたヨーゼン・カイがいう。
宿の前を掃いて掃除していた女将さんが、それを聞いてにこにこと笑う。
「これの価値を知っている人間が来るなんて、何年ぶり! 泊まっていくんだろう? そこのきれいなお父さんに乾杯して、安くするよ。武術大会を見に来たんだろう?」
女将さんの言葉に俺もヨーゼン・カイも頷く。
ぶーちゃんも首を上下に動かしている。
「そっちの怪獣はペットかい? なんだか賢そうな顔だね」
「私の相棒なんです」
「おちびちゃんの相棒? 何か特技があるのかい?」
「すごく重い荷物を、引っ張ってもらえます。あと鼻がよくて、跳躍が得意です」
「へえ、そんな大きな、二人乗せても平気そうなのが、身軽なのかい。……だったらあなたたちは、一階の少し大きな部屋がいいかもね」
「高くないですか?」
大きい部屋はそれだけで、値段が高くなる。
俺の心配を聞いて、女将さんが豪快に笑った。
「違うんだよ、常連さんは、もう自分のお気に入りの部屋に入っちゃって、大きい部屋しか空いていないのよ」
そっちか。
たしかに、こんな風にとても清潔で居心地がいい宿だったら、お気に入りの部屋があるかもしれないな。常連さんだったら。
「料理付きでこれくらい」
女将さんが示した値段は、良識的な値段だ。
だがおっちゃんは、女将さんの料理がまずいと言っていた。
常連さんみたいに、買い食いするか。
それとも……
と考えた時だ。
「和子、炊事場を借りなさい」
「へ?」
「和子はここに来るまで市場を、それはきらきらした眼で見ていただろう。この地方の物で何か、作りたいんじゃないのか?」
「あら、おちびちゃんは料理が出来るの? うらやましいわ。炊事場だけなら、料理代を入れない代わりに半額にしちゃう」
決定だ。
俺は迷わずこう言った。
「では是非、それでお願いします。武術大会は何日間続くんですか」
「知らないの?」
「初めて聞いて、この人も詳しい事を知らなくて」
「武術大会は、予選だけで一週間。本戦で一週間の丸二週間よ」
長いな!
でも、数多の腕利きが参加する超大規模な物だから、其れくらいはするのだろう。
オリンピック考えて見ろ。一ヶ月くらいあるだろ、色々含めたら……
「この町の市場の事だったら、私が詳しいから、一緒に買い出しに行きましょ。料理は下手だけれど、目利きは出来るのよ」
長さに驚いていた俺を見て、女将さんが茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。
何だろう、この親しみやすさは。
こういう女将さんに、親切なおっちゃんの宿だから、料理無くても常連の客がつくんだろうな、と俺は納得した。
「食べたい物……」
宿の一番大きな部屋で、ぶーちゃんがものすごい気持ちよさそうに転がっている。
綺麗好きな豚ちゃんだものな、ぶーちゃんは。
そんなぶーちゃんに寄りかかる体勢で、すごくくつろいでいます、という調子の相手に問いかけた内容が、これである。
たべたいものはなんですか?
である。
俺は数時間の昼寝の後、女将さんと買い物にいく。
しかし、ヨーゼン・カイは夜の時間帯に外にでちゃだめだ。
夜になると、この、瘴気王の空気は昼中ののほほんから、一変してしまうのだ。
どこまでも蠱惑、なんていう空気に。
それで船旅の間も、船客を何人も虜にしそうになっていた危険物、それがこの人だ。
俺の目の届くところだったら、俺が子供の振りをして手をつなぐなり腕を組むなりして、そういう人たちを遠ざけるのも出来るが。
見知らない広い町……当たり前だ、首都が小さくてどうする……で、一日目で無駄な騒ぎを起こしたくない。
起こしたくないなら外に出さなければいい。
そしてこの人は、自分の吸引力をよく知っているから、俺のお願いを聞いてくれる確率が高いのだ。
師匠とは大違いの物わかりの良さだ。
旅をしていて、話の通じる人はこんなに楽なのかと感動した事もたびたび。
それはさておき、俺はヨーゼン・カイにご飯の献立を聞いてみる。
作れるもので簡単なら、作ろうという優しさだ。
この人は封印されてからずっと、まずい飯ばっかり食べていたからな。
この世界の物としては普通かもしれないが、俺基準ではおいしくない料理である。
なんでこんなにこの世界の料理って発展してないのだろう。
……平和じゃないからなのだろうか。
平和ならば、そういう物に熱心になっても生きていける。
平和じゃなかったら、明日の命が心配だったりしたら、食糧事情は発展しないと、俺は何かの本で読んだ事があった。それだろうか。
首都は栄えていても、この世界は常に魔物の脅威にさらされ、濃すぎる瘴気が人間の居住区域を侵食しているのが現状だ。
どうも、ヨーゼン・カイ率いるあいつらが介入していないらしいが。
とにかく、彼だって恋しい味だってあるかもしれない。
……神々と敵対していた一族の頂点だから、もしかしたらものすごい高級料理かもしれないし、第一飯を毎食食べるかもわからないが。
俺にあわせて、人間に擬態するために、食べているのかもしれないが。
一応な。
稽古付けてもらった事もあるし。
出来るものなら食べさせたい。
そんな俺の心を読んだのかどうなのか、しばし黙った後言われたのは。
「ピリミェーニとカインチュアを思い切り食べたいんだが」
……待て、今俺の記憶の中にすごい引っかかったぞその単語。
片方はおばあさまの、片方は。
俺の目の前でいなくなった、母さんの。
一瞬胸が強烈に痛んだ。
カインチュア。母さんの得意料理でばあちゃんの故郷、ベトナムのスープだ。
ヨーゼン・カイはおそらく、この世界のメニューを言ったのだろうが、俺の翻訳機能が、俺の知っているものと同じ中身ならば、俺が理解できる単語にしてしまうのだ。
そして今、其れが起きた。
「また極端な」
「うまいだろ?」
「そりゃあおいしいものですけどね。……ちょっと待ってください、材料を思い出しますから」
「……和子、まさかどちらも作れるのか」
「材料も作り方も、実は全部知っています」
「和子は色々な事を覚えたな」
そんなやりとりをして、俺はどっちも作ろうと決めた。
ぶっちゃけ手順を勘違いしなかったら、簡単だし。
材料のハーブを間違えなければ、そこそこのものになるし。
「じゃあ、おとなしく待っていてくださいね。ぶーちゃん、来る?」
呼びかけに、ぶーちゃんが起きあがる。
寄りかかっていたヨーゼン・カイは後頭部を床にたたきつけた。
結構すごい音がしたが、ぎょっとしている俺とは違い、彼もぶーちゃんも気にしていない。
<この人といっしょなんていうのより、親分と一緒のお買い物のほうがずーっといい>
「しし、何か失礼な事を言わなかったか?」
「ぶー」
ぶーちゃんも、この人の扱い俺と同列で適当だよな。
こんなでも、たぶん世界滅ぼせちゃう人なのに。
……性格の問題だろうか。
一瞬疑問が頭をよぎるが、俺は気にしないでぶーちゃんをつれて部屋を出た。
「あら、怪獣も一緒なの? 助かるわ、台車を持っていけるもの」
言いつつ女将さんが、ぶーちゃんに手伝ってもらう気満々で台車を物置から持ってきた。
「ぶーちゃん行ける?」
<これくらい、キャシーたちの荷車より重くないもの。キャシーも親方も、ぶーちゃんにツベ乳の大きい瓶五本も運ばせたもの>
ツベ乳もらえたけど、なんて言うぶーちゃんの瞳はあどけなかった。
俺は何ともいえない気分になった。
親方もキャシーも何ぶーちゃんを家畜にしてんだよ。
確かに俺もはじめは、荷物を運ばせたら便利だろうな、って思ったけど。
今じゃ俺にとっていなくてはならない相棒である。
相棒、本当に扱いが雑で申し訳ない。
もっと大事にしよう。
……いきなり、いなくなった時後悔してしまわないように。
父さんも母さんもあんな風に、いなくなったから余計に、そう思う自分がいる。
「それにしても、その怪獣本当に物わかりの良さそうな顔をしているのねえ。その辺の使役魔獣は、荷車につなぐのでも一仕事なのに、この怪獣おとなしいのね」
<ぶーちゃんはいいこだもん。親分、おやつちょうだい>
その訴えを聞き、俺は悟る。ぶーちゃんはそろそろおやつがほしい時間だったようだ。
俺は道具袋をごそごそとあさり、航海中ずっとぶーちゃんのご飯だった栗を二にぎり、ぶーちゃんの口元にやった。
<おいしいねえ、虫がわいてるのがおいしいの>
もりもり殻ごと食べているぶーちゃんが、数週間の結果虫食いになった栗を、心底おいしいと言う風に食べる。
なんか申し訳ないんだけど、ぶーちゃんは人間じゃないから、俺の基準とはちとずれるらしい。
猪も豚も、虫を地面から掘り出したっけ?
思い出せないんだが、きっとやるんだろう、ぶーちゃんの事を見ているとそう感じた。
そしてぶーちゃんのおやつが終わると、女将さんが船を呼んでくれた。
あのおっちゃんは新しいお客さんを捜しに、港の方に行っているから別の船頭さんだ。
「荷車も船に乗せるんですか」
「そうよ。こっちの、人が乗らない方の台に乗せるの」
「ぶーちゃんは……」
「どっちがいいか怪獣に聞いたら?」
<そっちがいいの。人間いっぱいで狭いもん>
明らかに、濡れてもいい荷物置き場を示す女将さん。
そこにぶーちゃんを乗せるのは忍びなかったのだが、ぶーちゃん本人?が荷物置き場の方にとことこと進んでしまったので、無駄な悩みだった。
「いやあ、頭のいい怪獣だな! こういう不安定なところに、普通の魔獣もそこらへんの畜生も乗らないぞ」
「船に乗ってきましたから……」
「へえ、怪獣連れて船に乗ってくるなんて、おちびちゃん訳ありかい」
「いえ、武術大会を見たかったんで……でもこの子相棒なのでおいていけないから」
苦しい言い訳である。もっというと、ぶーちゃんをおいていった暁には俺が死ぬほど自己嫌悪しそうだからなのだが。
しょうがない。
同じ町にいるならともかく。大陸まで越えてしまうなら、一緒に王宮から逃げたのだ、どこまでも一緒に行きたい。
それにしても、あの後アレイスタ全然出てこないな。
やっぱり限定解除が効いてるんだろう。
そのまま一生出てこなくてかまわないと思えないのは、俺にとって命の恩人だからと、昔の親友だったから。
今は赤の他人みたいな感じもする。
数百年単位で遠ざかってたし、ぶーちゃんの中にいたとはいえ、ぶーちゃんを丸のままアレイスタだとは認識できない。
アレイスタとぶーちゃんは全くの別物、と言う意識が俺の中にあるのだ。
何となく自分でも複雑かも、しれないが。
かわいいぶーちゃんと、ぶっとびアレイスタは別物なんだよ!
誰に俺は言い訳してるんだか。
そう思いつつ、俺は夕市が行われるという地区へ進む船に乗っていた。
「どっちおいしい」
「ぶー」
「よしこっちで、お兄さん」
「何でその怪獣、一番美味しいものとか、一番新鮮なものとか、食べ頃の物とかを選べるんだい?」
<親分ほめられた!>
俺とぶーちゃんは、女将さんに初心者だからと連れ回されたが、ここでもぶーちゃんの鋭敏な嗅覚が物を言った。
俺も見る目はある方だと思ってる。
でも、どっちが食べ頃か、という実に微妙なラインは、二つ並べてぶーちゃんに聞いた方が美味しいものを手に入れられる。
そんなのりで、俺が見繕い、ぶーちゃんに最終判断を下してもらっての買い物。
肉に野菜に、香草に原型の香辛料、それから、この町の名物だという魚醤を一瓶。
魚醤が、ベトナムのニョクマムそっくりな味だったんだよ。
カインチュア作るなら欠かせない物だもの、俺はその専門の出店で味比べを十種類ほどやって、一番好みの物を買った。
おちびちゃん、一番熟成が完璧なもの選ぶんだね、どこの出身だいと聞かれたが、これも笑ってごまかして、うんと遠い場所と答えておいた。
後は勝手に想像してください。




