いざ夏の大陸
そんな平穏な船旅は丸々二週間ほど続いた。
そして俺の戦闘能力は、飛躍的に上昇してしまった……なんてこったい。
事の始まりは、続く中で暇を持て余した俺が、物は試しに瘴気王に聞いてみた事からだ。
「あなたは強いのですか?」
彼は何を言うのかと思ったのだろうが、真面目に答えてくれた。
「こんな也をしているが、二つ三つは国を亡ぼせる程度には強いぞ」
ちなみに誰にも聞こえないように、俺もこの人も相手の耳元に顔を寄せるわけである。
俺らは周囲から、とても仲のいい親子に見られているらしかった。
それは、この彼が俺の事を和子、と呼んでいるからである。
わこ、と読むこれは一般的には使わない言葉だ。とりわけ古臭い言い方らしいが、意味としては子供もしくは親しい相手に親しみを込めて呼ぶ呼びかけだそうだ。
そこで、注目してほしい。
子供 という一文にである。
つまり和子、とこの人が俺の事を呼ぶたびに、周りは俺の事を、彼が若いうちにどこかの誰かに産ませた子供なのだろう、と認識するようになるのだ。
俺としては、こんなにも物騒な父親はいらないのだし、俺の父さんは地球で死んでしまったあの人だけなので、なんとも言い難いのだが。
俺が和子の意味を知った時にはもう遅く、俺は和子と呼ばれて自分が呼ばれているのだと認識してしまっていた。
そしてこの船の中でも、俺は彼の子供という見方で落ち着いてしまったのだ。
友達、と俺は船員さんに言っていたのに、船員さんたちは軒並み、俺が反抗期で若々しい父親を父と認めたくなくて、意地を張ったのだと思っていらっしゃる。
ちくせう。
まあ、それはそれは話がずれたが、俺は聞いてみて、相手も答えたわけだ。
だから俺は、聞いてみた。
「だったら、ここで私をしごくのもできますか?」
動かない体は鈍ってなまってろくでもない。
この人はさすがに、師匠並みの非常識な訓練はしないのだろうと思いつつ、きっと断られるだろうなと予測して聞いたのだ。
しかし。
「和子はそう言うのが嫌いだと思っていた。嫌いだから聞かないのだとな。やる気があるのならばいつ聞くのだろうとも、考えていた頃合いだ」
彼はにこりと微笑んで、少し待っていなさい、と言った。
「何か、角材を借りてこよう」
「どうして角材……」
「軽くて和子も扱いやすい。私も何十年ぶりになるから、勘が狂っているだろう。そこで刃を潰しているにしても、金属のついた武器を使えば和子を打ち殺してしまう」
角材でも人は死ぬぜ……と思ったんだが。
苦笑いをしていたら、あれよあれよと角材が二本用意され、俺はその場を使って打ちあい稽古をする事になった。
そして俺は、相手の圧倒的な実力に呑まれた。
俺は師匠だってある意味転がせるのだが、その俺が受け流そうと思うと、見事にひっかけられて逆に俺が転がされるのだ。
あまり安定の良くない甲板だという事を差し引いても、俺は転がりまくったし、受け身を取りまくる事になった。
時折受け身も取れなくて俺は、甲板に体を打ち付ける事もあった。
そうなると、楽しくなってきて向上心が沸き起こるのが俺のパターンだった。
「もう一回!」
「やれ、眼がきらきらしてきた、和子はきらきらした目をしているとほんに可愛らしい」
というやり取りが延々続き、周りは見物人で集まる状態になり、を二週間。
瘴気王は数多の戦場で、名のある武神たちを屠ってきた凄腕だった事を、俺は途中で思い出し、さぞ手加減されているのだろうなと思って悔しくもなった。
だが。
「ああ、和子は愛らしい。どれだけ誇りを叩き潰そうとしても、その目がくじけない。和子はこのままどんどん伸びるな」
なんてすごいいい笑顔で、楽しそうに、いかにも大事そうに言われてしまったので、悔しいからやめるという選択肢は頭からすっぽ抜けたわけだ。
そして、やっぱり暇になったぶーちゃんが、昼寝も飽きてそれに加わり、俺とぶーちゃん対瘴気王の稽古となった。
うん周りからすると、すごい娯楽だったらしい。
目の前で子供が見事に吹っ飛ばされながらも、空中で体勢を立て直して着地し、飛び掛かるのとか、巨体の獣を普通の身長の、筋肉だるまでも何でもない青年がなぎ倒し、獣も起き上がるや否や横っ飛びしたり蹄鳴らしながら子供と連携取ったり……
というのが、船客の方々からすれば毎日見ていても飽きない、そんな物に見えていたそうだ。
俺らのファンになったと言って、ぜひ君たちが闘技場の戦人になった時は援助させてほしいと手を握ってきたおば様が言うにはそういう事だという。
目立たない生活、どこに行った……
聞いた俺は、目立たないってどういう物だったっけ、と夜中に真面目に考えて徹夜して、昼に爆睡したりした。
そんな二週間である。
そんな物を続ければ、俺は船の上でも身軽な軽業ができるくらいまで身のこなしが上達し、ぶーちゃんもそこんじょそこらの猪なんて目じゃない位機敏になった。
俺ら一体どこを目指してんだろ、と時々考えたんだが、瘴気王との稽古や訓練、柔軟体操は楽しいので、暇つぶしに持ってこいで考えるのは途中でやめた。
そうして俺たちは、無事に夏の大陸の首都、ディアーヌに到着した。
その間の船旅は、前述したように訓練ざんまいだったわけだ。
しかし身のある船旅だったと思うので、俺は特に大きな問題が無かった事に安心しつつ、タラップを降りた。
俺の後に続くヨーゼン・カイ。ぶーちゃん。
どっちも町の様子が珍しいのだろう。
首をあちこちに回している。
「珍しいんですか」
「もう百年単位でこの夏の大陸に顔を出した事がないからな」
<ぶーちゃん、こんないろんな町はじめて>
「ぶーちゃんは森で育ったんでしょ?」
<はたけってところで、おいしい物もいっぱいたべたよ!>
「ぶーちゃんそれ害獣認定されちゃうから……」
ぶーちゃんの無邪気な声に、俺はつっこみつつも、彼らと同じように辺りを見回す。
本当に、バルザックとも港町とも違う世界だ。
あちこちに水路が張り巡らされており、そこを小型の船が行き交っている。
まるで写真やテレビで見たヴェネツィアのような町だけれども、様式はインドっぽい感じがする。
「ここは、元来小さな川が蜘蛛の巣のように流れている地域だ。そこを人間が住みやすいように手を加えた場所だな」
ヨーゼン・カイがあたりを見つつ、俺に説明をしてくれた。
「さて、まずははじめにお宿を探しますよ。そうしないと、闘技場の立ち見席にだって入れませんからね」
「休む場所がないと言う事だからか」
<親分、さっきから市場の方がきになってるよね>
「そうですね、立ち見席で見た後、路地で寝転がるには治安を信用できません」
俺はぶーちゃんの言葉をスルーしつつ、おそらく闘技場から一番遠い宿ならば、まだ空室があるだろうと踏んだ。
こういう行事の時の傾向として、近い宿から埋まっていくのだ。
それに。
「宿取れた?」
「一ヶ月前にこちらにいる親戚に、予約を取ってもらった」
「こっちもだめだったよ」
「どこなら空いているんだろうな」
「やっぱり近くじゃないとねー」
なんて発言を、四方八方から聞いているのだ。
遠い宿ならどうにか空いているだろう、と考えるに十分で、そして急がなければその宿も埋まってしまうだろう。
何十年に一回だったか。武術大会。
それのために、各国各大陸から、人間が一斉に集まっている状態。
早く宿を探さないと。
俺はそう決意を新たに、あちこち見回り足そうな彼の手を引き、ぶーちゃんのたてがみをつかみ、歩き出す。
「和子から手を握ってもらうのは何年ぶりかだ」
<親分、迷子にならないから、鬣はなしてぇぇぇ……>
「親分の隣にいるんだよ、ぶーちゃん」
<うん>
ヨーゼン・カイの思い出はまた放置して、ぶーちゃんの鬣を離して頭をなでる。
「早く探しましょう」
「にしても、あんたのペットは重いなあ」
「すみません……」
「いやいや、ほかの船だと乗せてもらえないだろう? 俺の気がよくてよかったなあおちびちゃん」
俺は闘技場から外れた場所にある宿をいくつか、臨時の案内所で教えてもらい、そこに向かっていた。
案内所の人たちは、どうして遠い場所をはじめに探すのか、と言った顔をした。
しかし、俺の代わりに彼らに説明をしてもらっていたヨーゼン・カイの顔面のために、疑問は途中で放り去られたらしかった。
彼が笑って、近い場所はどこも満室のようで、和子が長旅ではしゃいで疲れてしまったから、休ませたいのだと言えば、疑問はどっかに飛んだらしい。
俺はもの申したい。
誰が長旅ではしゃいで疲れた子供だ!
見た目はまだまだ十代前半のちびだけどな。ようやく性別を間違われなくなりつつあるけどな。
あなたからすれば、俺の年齢は本当に子供なのかもしれないけれどな。
いいたい事は飲み込んで、ヨーゼン・カイが教えてもらった宿を目指せば、途中どうしても、町を走る船に乗せてもらわなければならなくて。
いかにも大きな獣であるぶーちゃんを、乗せてくれる人が、この年季の入った船を操っているおっちゃんだったのだ。
おっちゃんに多大なる感謝を。
ヨーゼン・カイは水の流れをじっと見ている。
何が面白いのか、時々唇に笑みが浮かんでいた。
「俺の船はぼろぼろだろう? おかげで客が突かなくってな! おちびちゃんと美人さんが、俺の方に来てくれて本当に良かった」
こんな稼ぎ時なのに、俺花か中稼げなくってよお、かみさんにどやされるんだ、と笑うおっちゃんである。
「そうだ、どの宿に泊まるんだ」
「ここです。レダ亭を目指しているんですけれど」
「何だって! それはいいことを聞いた、かみさんの宿なんだそこは」
おっちゃんは、俺たちが宿にも泊まるいい客だと感じたらしい。
それからは色々親切に、この町の事とか常識とかを教えてくれた。
「うちのかみさんは……親切だし清潔なのが一番だし、いい女将なんだけどな、なにぶん料理がへたで、ほかの宿に客が取られるんだ」
一晩で、連泊予定の客が逃げたりな……と遠い眼をするおっちゃん。
宿で料理がまずいとか、連泊できないもんな。
この町の宿は、食事込みの値段を出しているようだし。
「きれいな寝台とか、そういうのはほんっとうに自信があるんだぞ? だから常連さんは、買い食いしてきてくれるから、そのぶん安くしてんだが」
おっちゃんがため息をつく。
「それはこの町じゃ、非常識だからなあ」




