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Ⅱ. 人+馬+蛇

 静かな風が吹いている。しかし、小鳥の囀りや市場の活気あふれる人々の声などは聞こえない。


 静かだ。静かすぎるほどに。


 マキュリは自分の息も、鼓動すら聞こえなかった。自分の脳みそが、聴覚刺激を遮断してしまっているようだ。


 それはなぜか。


 自分が1番よく知っているはずの自分の身体が、知らない肉体になっていたのだ。


 マキュリは慌てて、自分の姿を見るために鏡を出現させた。所持している物や魔法具などは彼女の頭につけているカチューシャに無限に入れられるようになっている。ただのカチューシャではなく、道具をしまっておけるとても便利な魔法具の一種である。


 その鏡で、自分の姿を恐る恐る見る。


 マキュリには、目の前に映るものが現実だとは到底思えなかった。


 臍下から上は自分の身体だ。しかし、下半身が馬の胴体になっている。黒い胴体に黒く光る馬の蹄。

 尻尾にあたる部分は、黒い蛇の頭部になっている。自分の身体と馬の胴体の間、それから馬の胴体と蛇の頭部の間はむき出しの骨で繋がっていて、その骨からなにやら薄紫色の炎がゆらゆらと燃え出ていた。


 信じられないわけだった。


 マキュリは、先ほど昼寝していた際の夢の続きではないかと思い、自分の頬をつねった。何度も何度もつねって頬が真っ赤になってしまった。しかしなにも変化は起きない。


「あ…。」


 自分でもよくわからない感情が喉に込み上げてきて、


「あ“あ“あ“あぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあぁあ!!!!!!!!!!!」


 頭を抱えながら、空気が振動するほどの大声で叫んでいたのだった。


 ひとしきり叫び終えたあと、急に声がした。


「…おい。」


 真後ろから聞こえる。振り返ると、尻尾にあたる部分の蛇が、こちらを見ていた。


「うるせえぞ…。」


 またしても信じられなかった。その蛇が、少しドスの効いた声で言葉を発しているのだ。

 蛇が言葉を発する可能性は2つ。1つ目は、魔法で人語を覚えさせると、話せるようになる。しかし、人間と同程度の思考能力も教えないとそもそも会話ができないため、ある程度教える者の頭が良く、且つ膨大な魔力が必要だ。

 2つ目は、悪魔や魔族の手先の可能性。ずる賢く、目的のためなら手段を選ばない非道な連中である。


 もしこの尻尾の蛇が後者だったらどうしようと不安を抱えながら、マキュリは蛇にどちらなのかを恐る恐る尋ねてみた。


「俺か?俺の名前はネアス。悪魔さ。普段は我が主の右腕として働いている。んで、お前の名前は?」


 ネアスと名乗るその蛇の頭部は、ニヤリ、と立派な赤い牙をむき出しにし笑ってそう答えた。


 マキュリの視界はまたしてもグラリと歪んだ。


 最悪だ。


 この訳のわからない状況も最悪なのに、ましてや悪魔にも遭遇してしまった。いや、正確に言えば、馬の胴体を隔てた自分の身体に、悪魔がくっついている。


 自分の名前など教えてもいいのだろうか。名前を奪われ、挙げ句の果てには寿命も奪われ…。

 様々な思考がぐるぐると脳内を行き来する。そしてふと思った。


 いや、この状況は、もしかしてこの悪魔のせいなんじゃ…。


「おい貴様聞いてんのか。」


 ずっとネアスを見つめたまま固まるマキュリに痺れを切らしたネアスが、少し強めの口調でマキュリに言った。そしてマキュリはハッと我にかえり、ネアスに質問した。


「私の名前を教える前に、1つ教えてちょうだい。この訳のわからない状況を生み出したのは、あなた?悪魔ならやりかねないわよね。だって、私はこんなに取り乱しているのにあなたはいたって冷静沈着。普通ならありえないわ。」


 ネアスは少し笑って答えた。


「俺じゃねーよ。だいたい、悪魔がすぐに取り乱してどうする。俺はそんな弱っちいひよっこみてーな悪魔じゃねえよ。俺だってこの状況には理解が追いついていない。しかし、ここからどう状況を理解していくか、どう行動していくかを考えている。賢い悪魔の証拠だ。」


 マキュリは少し眉を顰めた。


「賢いのなら尚更油断ならないわ。私を騙そうったって無駄よ。私だってそこそこ名の知れた強力な魔法使いよ。あなたが私を痛い目に合わせようってんなら、私も全力で立ち向かう。あなたなんて塵になってしまうかもね。」


 マキュリは強気な口調でそう言ったが、握りしめた拳は震えていた。実際のところ、恐怖でしかないのだ。


「なんて気の強い娘だ。めんどくせえ。俺は賢いからな。ここでお前を痛めつけたところで何も得られるものはない。ましてやこの不可解な状況だ。万が一俺が今お前を殺したとして、同じ胴体に付属している俺はどうなる。」


 そこまで言われてマキュリは気がついた。


「──あなたも死んでしまうかもしれない…。」


「そういうことだ。もちろん本当にそうなるかはわからない。なんなら試してみるか?」


 ネアスは不気味な笑みでそう言うので、マキュリは身震いした。


「嫌よ!やっぱり悪魔となんか仲良くなれそうにないわ!…けど、さっきこの状況をどう理解してどう行動するか考えてるって言っていたわよね。それを聞かせてちょうだい。」

「…その前に、まだお前の名前を聞いていないぞ。」


 マキュリは、そういえばと思ったが、強気な姿勢を崩さなかった。


「油断ならないって言ったでしょ。いくらあなたがこの状況に無関係だとしても、名前を簡単に教えることなんてできないわ。」


 すると、ハァ〜〜〜、という大きなため息をついてネアスは言った。


「まぁいいさ。それより、何が起こっているのかを移動しながら確かめたい。ちなみに、お前はこの辺、見覚えはあるか。」


 マキュリは一旦冷静になり、ぐるっと辺りを見渡してみた。


「…わかる気がするわ。待って──。」


 もう既に日は暮れ、夜の闇の中だった。しかしマキュリはよくよく目を凝らす。少し暗闇に目も慣れてきたところで、気がついたことがあった。

 辺りは木々が生い茂っている森だったが、一本だけ幹が傷だらけの木があったのだ。


「あっ!そうよ!この森!母さんが私に魔法の練習で連れてきてくれていた森だわ!あの木はそう、魔法の練習でついた傷がたくさん残ってる。わかる。わかるわ!私の家からそう遠くない場所よ!」


 マキュリは走り出した。が、次の瞬間にゆっくりと歩を止めた。


「……ん、あれ。私、馬の体で普通に走れてる…。」

 するとネアスが言った。

「んーやはりな。この馬の体はお前と一体化している。」

「え…。…なら、あなたとも一体化しているの?なんか私はあなたのことは動かせないみたいなんだけど…。」

「ふむ。俺はこの馬の体を動かすことはできない。この馬の体はお前の神経とでも繋がっているのかもな。俺は付属品みたいなものかもしれないな。」

「なんだか不思議なことだらけで理解が追いつかないわ。」


 マキュリは頭を抱えて唸り出した。


「いちいちうるさい奴だな。早くお前の家に行って状況を確かめた方がいいんじゃないのか。」


 そうネアスに言われてハッとしたマキュリは、記憶を頼りに森の中を駆けていった。


 森には、チロチロと流れる小さめの川が流れている。その川沿いを進み、生い茂った木々を抜けた先に、マキュリの家はあった。見慣れた木造の家屋。居間に位置する部分の窓からは室内の光が漏れ出ている。


 無我夢中で走ったマキュリは、息を整えながら、家の木の扉を開けようとした。

 取手に手をかけようとした時、マキュリの脳裏につい先程の記憶が蘇った。


 母親の顔面だけがどこかへ飛んでいくのが見えたあの時。あれがもし本当なら、もし家の中に母親がいても、目を覆いたくなる光景が広がってしまっているのではないか。そうマキュリは心配になり、取手にかけた手は震えていた。


 恐る恐る開けてみる。ギィ…と鈍い音を立てながら開いた扉の向こうからは、いつもの馴染みのある家の木の匂いがふわっと漂ってきた。


 胴体が馬になっている分、いつもよりも身長が高い。いつもなら難なく入る玄関も、少し身をかがめないと入れなかった。


「…母さん?」


 家の中はいつにないほど静かだった。人の気配はない。


「母さん!?」


 それでもマキュリは懸命に母親を呼んだ。

 しかし返事は無い。外で吹いている風が小窓に当たり、カタカタと音を立てているのが聞こえるだけ。


「どうしよう…。私があの森へ飛ばされたように、母さんも飛ばされちゃったのかな…。」

 と言ったところで、マキュリはとても重要なことに気づいた。そう、そうである。


「──私の下半身も…無い……!!!!」


 マキュリは目の前がグラグラと揺れる感覚に陥った。


 先程切り離された自分の下半身も、母親の身体も顔面も、綺麗さっぱり部屋から姿を消している。しかし身体が切り離される瞬間に血が出ていたわけでは無いようだ。本当に綺麗に、まるでそこには最初から何も無かったかのように、ただいつもの空間だけが広がっていた。


 ファクトの姿もどこにもなく、鳴き声はしていないかと耳を澄ませてみたが、何も聞こえないのだった。




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