50.白来路花の行方(6)
――鈴蘭よりドラゴネット様?
その言葉の意味をもう一度考えてみる。今まで、私は、ラーシュに憑りついている悪しき精霊を倒すことでラーシュを助けられると思ってきた。だからまず、ラーシュの心の中にある澱みをドラゴネット様が浄化した。そして、ラーシュの身体に表面上、憑りついている悪しき精霊を好きな鈴蘭でおびき寄せるという作戦を立てた。でも、それが、まったく見当外れだったら……?
――よく考えて頂戴。ローゼ!
私は自分に問い直す。ルーカス様が触った黒い靄は杜の中から現れたと言っていたわ。そしてその黒い靄は何に集まった? ……アンのポシェットについていた赤いボタン。ドラゴネット様の鱗から作ったボタン。だから、ラーシュの想いから生まれた想いの一部だと思っていた。でも、それがほかのものの想いだとしたら……?
悪しき精霊がドラゴネット様に襲い掛かっていると思っていたけれど、その先入観を捨てて目を凝らして黒い靄とドラゴネット様を見る。……ドラゴネット様に触ろうと黒い靄の中から手を伸ばすように黒い蔓を伸ばしている。
『……ド……ラ……ドーラサマ ドーラサマ……』
さっきここへ来る途中から聞こえている重く低い怨嗟のような声。何を言っているのか聞き取ろうとじっと耳をすませると、ドラゴネット様の名前を呼んでいることに気づいた。
「あの黒い靄はこの剣で斬りつけても霧散するばかりだ。唯一、火竜が持っていた短杖の触れた部分だけが消える」
怒りを含んだエリック様の声が耳に届いた。私は、泉からエリック様に視線をずらした。エリック様もぐっと歯を食いしばったような顔をして、泉を睨みつけている。剣を持つ手が白くなって微かに震えている。
――聖剣で霧散する? ということは実体がないの? シーフウィル様は確かに触ることができた。やはり、あれは私達が思っていた悪しき精霊ではない……?
私は、剣を握りしめているエリック様の手に自分の手を添えた。エリック様がハッとなったように、視線を私に向けた。その緑色の目には、絶望に抗おうとする強い力がある。やはりこの人は皇太子様なのだ。この地を守ろうという強い意志が感じられる。
「これは、まだ私の憶測でしかないのですが……」
私は、ゆっくりと目を閉じて、息を吸った。微かに声が震えるけれど、構わない。
「構わない。続けて」
エリック様に私の緊張が伝わったのか、エリック様はふっと小さく息をはくと肩の力を抜いて私の手にもう片方の手を優しく添えた。エリック様の手が温かい。私はその温かさに背中を押される気持ちで話を始めた。
「シーフウィル様は綿埃の姿をしていましたが、触ることができました」
私の言葉に、エリック様が緑色の目を大きく開いた。
「そうか! あれはあの竜の心から生まれた悪しき精霊だと思っていたが、全く別のものだと考えるべきなのだな?」
エリック様が、ゆっくりと視線を私から泉の黒い靄へ移す。私も黒い靄を見る。見ようによっては竜の影に見えなくもない。黒い蔓を伸ばしドラゴネット様に巻きつこうとする黒い靄。ドラゴネット様の短杖に触ると輝いて消える黒い靄。
「はい。ドラゴネット様に固執している想いという点では同じですが……」
「だからか。……いろいろと納得がいった。ということは、どこかにあの黒い靄の本体があって、それを探して倒さないといつまでもあの黒い靄は泉から湧いてくるというわけだな?」
エリック様が、どんどん私の仮説を確信に変えていってくれる。エリック様の声も明るく力強いものになってくる。
「ええ」
「まず考えられるのは、その本体がこの泉の中にある場合だな。鈴蘭を取り除き、見えるようにしなくてはならないか。そんな広範囲の魔法は試したことがないがやってみるしかないな。火で焼き尽くすか、氷で凍らせるか……」
エリック様は、私から手を離すと七竈のリングをいじり始めた。鈴蘭を取り除く魔法を考えているようだ。
「待ってください。鈴蘭を取り除くなら、ガル様の魔法がここにあります」
私は、アンから借りて中指にはめていた指輪をエリック様に見せた。
「ガルの魔法?」
「『必殺草むしり』といって、カマイタチのような風を起こして草花を刈ることが出来るんだそうです」
「面白い魔法だな」
私は、ガルデオン様の魔法を唱えようと泉に近寄った。赤黒い鈴蘭が風に揺れている。毒を含んだ水のために赤黒くなってしまった鈴蘭。水さえ浄化できればもとにもどるのに、ここで黒い靄の本体が隠されているかもしれないという可能性のためにすべて刈ってしまっていいの? 明日は精霊祭。村の人はとても楽しみにしている。呪文を唱えようとして唇が震える。
……私は、ガルデオン様の魔法を唱えるのをやめて、首を振った。隣にいたエリック様が怪訝そうな顔をして私を覗き込む。
「どうした? ローゼ?」
「……。ごめんなさい。鈴蘭を刈ることは私にはできない……」
私は、泉を見据えたまま力なく答えてしゃがみこんだ。目の前には赤黒い鈴蘭が揺れている。鈴蘭の香りに混ざって甘いアーモンドの香りが鼻を刺激する。青く澄んでいる泉の水を眺めるしかできなかった。
「……そうか。ならば俺が……」とエリック様が七竈のリングに手をかけた。
「待って!!」
大声で叫んだ。詠唱を唱えようとリングを握っていたエリック様がびっくりした顔で私を見た。
私は、にっこり笑うと、目の前に広がる泉に自分の手を入れた。ぴりっとした痛みが全身を走る。私は慌てて手を引っ込めた。
「ローゼ!!」
エリック様が私を抱き抱えると泉から遠ざけた。
「何をする。ルーカスのように手が真っ黒に……」
「なりませんでしたわ」
私は、ほっと息を吐きながら手をエリック様に見せた。そして、ポシェットから来路花の葉を取り出すと握りしめた。すうっと輝いたかと思うと痛みが消えた。私も、まだ心臓が飛び出そうなくらいばくばくしている。本当を言うと私も真っ黒になったらどうしようかと不安だったのは事実。どう言い訳しようかと思案していると、私の腕を掴んでエリック様が怒鳴った。
「だからと言って黙って手を泉に入れることはないだろう!」
あまりにも大きく怒鳴られたので私はびっくりしてその場に固まってしまった。エリック様が私の腕を掴んでいた手を私の後ろにまわすと、ぎゅうっと抱きしめた。エリック様が小刻みに震えているのがわかる。エリック様の息が耳にかかる。私は居心地が悪くなってもぞもぞっと動いた。エリック様も耳を赤くして、私から離れた。
「……まったく無茶をする」
エリック様が眉を下げて大きく息を吐いた。
「実は私も賭けでした。しゃがんだ時、泉の水が青いことを知ったんです。夢の中で見た澱みは真っ黒などろどろしたヘドロのような沼だったから、ここには黒い靄の本体はないと考えました」
「ならば、そう言ってくれれば、よかったものを。俺が魔法をかけるのを止めるために咄嗟の行動にでたのかと思った。心臓が止まるかと思ったぞ」
「ごめんなさい。泉の水には毒は含まれていますが、黒い靄は含まれていないことを証明したかったのです」
「しかし、火竜にしがみつこうとしている黒い靄は泉から湧いているように見えるぞ」
「よくわかりませんが、黒い靄は雲みたいなものではないですか?」
「雲? ああ、そうだな。ふわふわ浮いていた。水の上も浮いているのか?」
「ここからでは断言できませんが、おそらく」
「となると、黒い靄の本体は別にあって、黒い靄は杜の中を自在に動き回り、今は火竜のところに集まっているだけか……」
エリック様が、顎に手をあてて考え始めた。
「もし、俺が一連の騒動を起こす側だったとしたら……奥の手は見えないところに隠しておく」
「見えないところ?」
「ああ、探しづらいところ、見つかりにくいところ、……そう言った場所だ」
――考えて、よく考えて。精霊のこと。この宵の杜のこと。
『魔女の家に遊びに来る』と言っていたシーフウィル様。ということは、精霊たちの住処はこの宵の杜の中にある。最初はこの祭壇のまわりだと思ったのだけど、ニコラさん達村の人は、宵の杜にはよく来るのに『精霊にはめったに会えない』と言っていた。ならば隠されているはずだ。
「精霊の住処!」
「精霊の住処?」
「そうです。精霊の住処はおそらくこの泉の近くにあるはずですが、人からは見えないように細工がされているはずです。何かを隠すにはいい場所だと思います」
私の『……はず』ばかりの仮説をエリック様が難しい顔をして考えている。竜王様はシーフウィル様の悲鳴を聞いた。おそらく事件が起きたんだ。綿埃になってしまったシーフウィル様。全く姿を現せない精霊達。精霊の住処で何があったと考えるのは考えすぎ? 私は自分が持っている情報を矢継ぎ早にエリック様に話した。
「そこで、シーフウィル様が綿埃になるほどの何かがあったんです!」
「……わかった。その精霊の住処を探そう。だが、どうやって?」
「来路花です。来路花を探せばいいのです」
それを聞いてエリック様の目が大きくなった。私の言いたいことが伝わったみたい。私に向かって大きく頷いた。
「守りの魔法の来路花か!」
「はい!」
「しかし、どうやって探す?」
「来路花の魔力を探します」
私は目を瞑り、自分の魔力を広げた。ドラゴネット様の魔力、魔物たちの魔力、強すぎる魔力に負けそうになりながら、来路花の微かな優しい魔力を探した。
「ありました!」
「ローゼは凄いな。これだけ強い魔力が溢れている場所で、かすかな来路花の魔力を探せるとは、大した探知魔法だ」
「ありがとうございます」
エリック様がくしゃくしゃっと私の頭を撫ぜる。私の魔法を褒めてもらえて単純に嬉しい。私は頬がゆるみそうになったので、一つ咳払いをした。
「では案内します。ここからすぐですわ」
「その前に、俺の出番だ。……呼んでいないお客がたくさんやってきたようだ」
エリック様が首を左右に振って肩を鳴らした。聖剣を鞘から抜いてにっこりと笑う。
「お客?」
「ああ、この祭壇の外ではたくさんの魔物が待ち構えている」
「えぇ? もしかして私が魔法を使ったから?」
「来路花を探すためだ。問題ない。それに、このくらいの魔物なら俺がお前を守り切って見せる」




