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35.白い来路花


 目の前には、真っ黒などろどろしたヘドロのような沼が広がっていた。


 ボコ・・・ボコ・・・ボコ・・真っ黒な泡が音を立てて湧き上がってくる。時々、泡は沼から飛び出そうと身をよじったり、伸びたりしながら、弾けている。


 ぞっと寒いものが私の背中を駆け上る。思わず、私は、自分の腕で体を抱きしめた。


 ・・・・イタイ・・・・タス・・ケテ・・・ドーラサマ・・・・


 ボコボコっと泡の弾ける音の中に、かすかに悲鳴のような声が混ざる。空耳かしら? 耳に手をあてて、その声を聞き取れるよう神経を集中させる。


 ・・・・ゴメン・・ナサイ・・・・・・・


 私は声の主を探そうと、沼を食い入るように見つめた。けれど、見えるのは真っ黒なヘドロばかり。でも、確かに声はこの沼から聞こえてくる。


 ・・・・ボクノセイ・・・・セイトウ・・・・


 悲し気な声に胸を締め付けられる。


「貴方はだあれ? 沼の中にいるの?」


 私は、沼に向かって声をかけた。それがいけなかった? 急に沼が攻撃的なものに変わった


・・・・ニクイ!!!!・・・


 明らかに敵意を含んだ声が沼から響いた。同時に、沼から手を伸ばすようにぬうっと黒い(つる)が私の方に伸びてくる。


 逃げなきゃ。捕まったら、何をされるかわからない。そう思うほど憎悪がひしひしと伝わってくる。それなのに、私は足が竦んで、その場を動けないでいた。


・・・ひっ・・・・


 黒い蔓は、・・・私の足先に触れると、勢いを増したかのように、私の足、胴・・とどんどん私に巻きついていく。冷たくてぞわぞわする黒い蔓が私を締め上げていく。完全に全身が黒い蔓に巻きつかれて、身動き一つできなくなってしまった。真っ黒な闇が目の前に広がる・・・・同時にぞっとするような暗い声が耳元に届く。


・・・・イツモ・・・・イメルダバカリ・・・・ズルイ・・・・



・・・・闇の中に自分の心が引きずられていく・・・・・。





******



「お母様、どうしてアレクを私の護衛から外してイメルダの護衛にするのですか?」

「イメルダの護衛がイメルダに意地悪をしたの。可哀そうに、小さなイメルダはとても怖い目にあったのよ。そのようなものにイメルダの護衛を任せられるはずがないでしょう?」


 さっきまで泣き崩れていたイメルダの髪を優しく梳きながら、お母様はイメルダを抱きしめている。


「だからといってアレクをイメルダの護衛にすることには納得できません。お父様からもなんとか言ってください」


 お母様に何を言っても無駄だと判断した私は椅子に座っているお父様に助けを求めた。


「・・・・アレクはイメルダの護衛にする」

「お父様!!」

「もう決定事項だ」


 お父様はそう言うと、席を立って部屋から出て行ってしまった。私は、イメルダを抱きしめているお母様を睨みつけた。


「ローゼリア、お前はイメルダが可哀そうだと思わないの? 

 はああ・・・・。イメルダの護衛がイメルダに意地悪をしたのは、お前に気に入られたかったからだと言っているわ。それなのに、イメルダったら泣きながらお前は悪くないといって庇っているのよ。お前は、そんなイメルダの気持ちもわからないの?」

「そんなこと知りません!」


 お母様が悲しそうな顔をして私を見る。いつもイメルダの我儘を聞いてきたけど、アレクの護衛の件だけは譲れない。私は自分の手をぎゅっと握りしめた。


「意地悪をされた小さなイメルダが勇気を奮って母に告白したというのに、姉のお前がイメルダを思いやってあげられないなんて、情けない」

「嫌です!!」

「はああ・・・旦那様がお決めになったのよ。あきらめなさい」

「いくらお父様のお決めになったことでも絶対嫌です!!!」

「はああ・・・・。アレク、お前はイメルダの護衛になることは嫌?」


 お母様は、私に言っても埒が明かないと思ったのか、私の後ろに立っていたアレクにむかって声をかけた。


「旦那様が決めたことですから、イメルダ様の護衛を務めさせていただきます」


 アレクは平然と答えた。アレクまでそんなことを言うの?

お母様が大きくため息をついて私を見る。イメルダが私だけに見えるように、勝ち誇ったような顔をして私を見ている。


 私は、悲しく、腹ただしくて、泣きながら部屋を飛び出した。


 いつもお母様は私の言うことなんて何も聞いてくれない。お父様もアレクもイメルダの言うことを信じたんだ。みんな、いつも、いつも、イメルダばかり可愛がって、・・・・・イメルダばかりずるい・・・・


「イメルダばかり・・・ずるい・・・」


 私は自分の部屋に駆けこむと、ベッドの上で膝を抱えてうずくまった。イメルダへの妬みで頭の中はぐちゃぐちゃで、体中が何かに縛られているような感じがする。


 うぐ・・ひっく・・うぐ・・・ひっく・・・


 ぐずぐず泣いていると、アンがベッドにあがってきた。


「あらあら、こんなに泣きはらして・・・・。でも、大丈夫です! アン特製の加密列(カモミール)来路花(セージ)のアイマスクを用意しましたから。ささっ・・・お嬢様、横になってください」


 私はアンに言われるまま横になった。アンはごそごそっとアイマスクを取り出すと、私の目の上に置いた。目を閉じると加密列と来路花の香りが鼻に届く。心も体も解放されていくような気がする。


「アレクごときに、こんなに目を腫らすことはないです。遠い外国に行くわけでもなく、これからも毎日鬱陶しくらい会えるのですよ? 確かに一緒にいる時間はなくなりますが、問題なしです!」

「そう?」

「イメルダ様の護衛になったとしても、アレクが心変わりするはずがありません。腹ただしいことですが・・・」

「でも、私許せなくて・・・イメルダなんかいなくなっちゃえって思ってしまったわ」

「そう思った自分を責めるとは、お嬢様はお優しい・・・・。私なんて・・・・ここだけの話ですが、いつもイメルダ様が石でつまずくようと念を送っています」

「ふふ・・・アンと話していたら、いろいろ許せそうな気がしてきたわ」


 私は、ふふふっと笑った。

 さっきまでのどろどろとした気持ちがなくなって、穏やかな気持ちになっていく。

 優しい薬草の香りが体中にいきわたり、気持ちが落ち着いてきた。ああ、明日、アレクがイメルダの護衛になることを認めよう・・・・・・。




******


 急に今まで私を絡めていた何かがふっと消えた。


 あ・・・・今のは夢? でも、まだ、薬草の香りが残っているような気がする・・・・・。


 私はおそるおそる目を開けると、さっきまで私に覆いつくすように絡みついていた黒い蔓がほぼ無くなっていて、足元で何かを嫌がるように黒い蔓がうねうねと動いている。


・・・・・何が起こったの?



 よく見ると、私は左手に葉が白い白来路花(ホワイトセージ)の枝を一本握りしめていた。葉が白い来路花なんて珍しいわ。

 でも、今までそれを持っていた記憶はない。そう思って、白来路花の枝を持ち上げると、それを避けるように黒い蔓が逃げていく。黒い蔓は、この白来路花が苦手みたい。私は沼に近寄ると白来路花を左右に振ってみた。すると、沼の水が、私というより白来路花を避けて小さな円ができた。


 よく見ると、黒い沼も泡を立てることをやめて、静かになった。


 ・・・コワイ・・・・イタイ・・・・


 さっき聞いた声が沼の真ん中の方から聞こえてくる。小さな子どもが泣いているような声だわ。確かめなくては! 私は、白来路花を持つ手を前後左右に大きく回しながら、恐る恐る沼の中を進んだ。



 沼の真ん中に来ると、小さな赤い竜がうずくまっていた。小さな翼。真っ赤な鱗。幼い火竜だわ。ということは、この子が悪しき精霊に憑りつかれた竜なのかしら・・・・? 私は、持っていた白来路花で小さな赤い竜に触ってみた。


「・・・・・ドーラサマ?」


 首をもちあげて、私の方をみた。つぶらな金色の目と目があった。金色の目を大きくさせて私をみた。


「ごめんなさい。私、ドーラサマじゃないの。ローゼっていうの・・・・」

「ニンゲン・・・・キライ・・・・」


 小さな赤い竜は、また目を閉じてうずくまった。


「あなた、黒い沼に閉じ込められているの?」

「・・・・・ニンゲン・・・・キライ・・・・アッチイケ・・・・」


 小さな赤い竜は不機嫌そうにがるると唸った。


「ドーラサマが来れば、あなたはここから出るつもりあるの?」

「・・・・ニンゲン・・・・ウソツキ・・・・・」


 黒い沼の水がざわざわし始めた。この子を無理にここから連れ出すのは難しそうだわ。この子の気持ちに沼の水が反応しているから、無理やり抱きかかえたら攻撃されるわよね?


「あなたの言うドーラサマって、火竜の長のドラゴネット様?」

「・・・・・」


 黙っているってことは、正解ね?


「もしそうなら、預かっているものがあるの」

「・・・・・?」


 私は、小さな赤い竜を今、ここから連れ出すことをあきらめた。

 私は、肩にかかっているポシェットから、ドラゴネット様にもらった火竜の鱗が入っている小さなこげ茶色の袋を取り出した。


「この中には、ドラゴネット様の鱗が数枚入っているわ」


 私は右手にこげ茶の袋を持つと、小さな赤い竜の顔のあたりに右手を差し出した。

小さな赤い竜は、起き上がると、私をじろりと睨んで、パシリと私の手首を叩いた。私は、子犬のような小さな竜の手で叩かれても全く痛くなかったけれど痛がるふりをして、こげ茶色の袋を落とした。小さな赤い竜は慌てて、それを前足でそれを拾うと器用に袋の口をひらいた。


「・・・・ドーラサマ・・・・」


 小さな赤い竜はぽつりとつぶやいた。

 私は、もう一度ポシェットを探ってみると、ドーラ糸で組み合わせた桜のクロッシェがでてきた。


「それから、この桜のクロッシェは桜の魔力とドラゴネット様が作ったドーラ糸を使って作ったものなの。私がドラゴネット様を呼んでくるってあなたに約束する証にこれを渡すわ」


 私は、桜のクロッシェを小さな赤い竜の前に差し出した。淡いピンク色の光がきらきら光る。小さな赤い竜はまぶしそうに眼を瞬かせた。そして、また私をじろりと睨んで、パシリと私の手首を叩いた。私は、また、痛がるふりをして桜のクロッシェを落とした。小さな赤い竜は、今度はそれを拾おうともせずじっと見ている。


「・・・・・ドラゴネット様にあなたのこと話をするために、あなたの名前を教えてくれる?」

「・・・・・ラーシュ」

「じゃあ、ラーシュ、ドラゴネット様にあなたのことを話して、ここに来るように頼んでみるわ」

「・・・・・・」


 小さな赤い竜は、じっと固まったまま、桜のクロッシェを見ている。

  私は、「じゃあ、またね」と言うと、黒い沼からでるために歩き出した。


 ふうう。黒い沼の淵までくると、私は回していた手を止めて振り返った。小さな赤い竜はまた沼に飲み込まれてしまったけれど、沼の真ん中から、一筋のピンク色の光が立ちあがっている。

あれは、桜のクロッシェの輝きね。


「さて、ラーシュにはドラゴネット様を連れてくると約束したけれど、ここがどこか私にはわからないのよね? 私って、ジョアンに治癒魔法をかけたあと、水屋で倒れたまでは覚えているのだけれど・・・・・。さて、どうしよう? 」


 私は、沼を背に歩き出した。どうやら杜のようだ。でも、どこへ歩いて行けばいいのかわからない。私は、持っていた白来路花に話しかけた。


「どうやれば、アンのところに戻れるのか、あなた知っている?」


 すると、白来路花はぼおっと光りだし、その光は私を包んだ。私はまぶしくて思わず目を閉じた。











「・・・・お嬢様、お嬢様」


 遠くの方で、アンの声が聞こえる。


「私はここよ」


 アンの声に答えようと、私は声をあげた。妙に自分の耳に自分の声が響いた。


「お嬢様! 気が付かれたのですね。よかったです!」


 私が目を開けてみると、目の前にアンの顔があった。うっすらと目の下が黒くなっている。もしかして、また私、意識をなくして寝込んでいたの?


「アン・・・・。私・・・・また、倒れたの?」

「・・・・はい。でも、倒れられたのは昨日ですから、さほど時間はたっておりません」

「それでも、アンには心配をかけたわ。ごめんなさい」

「あ、ガルデオン様に、今回は魔力切れではなくて他のことが原因だから、しばらく様子を見るようにと言われていたので問題なしです!」

「ふふ・・・また、アンの『問題なしです!』って言葉を聞いたわ」

「?」


 アンがきょとんとしている。それもそうね。私が聞いたのは夢の中。

 アレクが私の護衛から外れても何も問題ないって言ってくれて、気持ちを切り替えられた。


「夢の中でね、アンが『問題なしです!』って私を慰めてくれたの」

「夢の中でもお嬢様のお役に立つことができて、幸せです!」


 アンがにっこり笑っている。


「ふふ・・・。ところで、ガル様は?」

「なんでも、思いついたことがあるからと、薬草室でごそごそしております」

「それならば、薬草室に行かなくてはいけないわね」

「もう、大丈夫なのですか? 少し何か食べるものをお持ちいたしましょう。薬草茶は何にしますか?」

「加密列と来路花のブレンドでお願い。夢の中でもアンに加密列と来路花のアイマスクを作ってもらったのよ?」

「なんだか昔を思い出します。お嬢様が小さい頃はよく作ったのを覚えていてくださったのですか?」

「ええ。覚えているわ」


 2人で顔を見合わせてふふふっと笑った。そして、思い出したかのように、アンは私の枕元にあった薬草を手に取った。


「もしかしたら、夢の中に、これらの香りが届いたのかもしれませんね? ガルデオン様に、枕元にも足元にも来路花の薬草を置くようにと言われたのです。来路花だけでは寂しいので、庭の加密列と薄荷も足して置いたのですが・・・・・届いてよかったです」


 香りが夢の中に届いて、私を助けてくれたのね。ということは、白来路花もここにあるってこと? 


「ねえ、アン、その中に白来路花の葉って入っている?」

「白来路花? 私は、白来路花の葉を見たことがないのですが・・・・」

「・・・・そう。夢の中で、白来路花に助けてもらったの。不思議なこともあるものね・・・・」








更新が遅くなり申し訳ありません。


そして、まさかの・・・・・。


次回は、ちゃんと男性陣が頑張ります。たぶん・・・・。

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