3.私の欲しいもの
「それでは、お姉さま、指輪を頂戴」
私、イメルダ、そしてアンがイメルダの部屋へ入った。早速、イメルダは皇太子妃候補に貸与されている指輪をねだった。
「ちょっと、まって。セバス、ちゃんと魔法石を動かしているかしら?」
セバスのほうを見ると、セバスが頷いた。これで、お父さまにも伝わるのね。ということは、もう引き戻せないってことね。ちゃんとするのよ。私!
私は息をゆっくり吸い込むと、指輪を右手の薬指からはずした。指から抜けないとか、光が出るとか何か予期しないことが起こるかと思ったけれど、何も起こらなかった。そんなものかとちょっとがっかりしたような安心したような複雑な感じで心がざわざわする。
「この指輪は皇太子妃候補に貸与されるものだから、本当に貴方にあげられるものではないわ」
「エドワード様の婚約者は私よ。だから、その指輪は私のものだわ。さっさと頂戴!」
「貴女は試験を受けていないから皇太子妃候補にはなれないのよ?わかっている?」
「いいえ、エドワード様に『婚約者になりたい』と言ったら、『いいよ』っておっしゃってくださったわ。だから、私が婚約者よ。さっさと頂戴!もう、お姉さまったら、渡すのが惜しくなったんでしょ?」
「それでは、今、貴女の部屋にあるものすべてと交換するわ。いいかしら?」
「いいわよ。宝石でもドレスでも好きに交換してあげるわ。それより、はやく頂戴よ!」
私は大げさに一つため息をつくと、仕方ないわねと肩をすくめて、指輪をイメルダに渡した。イメルダがそれを受け取ると、指輪はぼおっと小さく輝き、指輪はその大きさと形を変えて、イメルダの薬指にすとんとおさまった。私の指にはめられていた時は金の鎖と銀の鎖が蔦のように絡まっているだけのシンプルな指輪だったのに対し、イメルダの指では、3つの金色のハートリングがプラチナの土台についたデザインに変わった。若干、キラキラ度が増しているような気がする。その指輪は持ち主によってその形を変えるの代物だったのかと今更驚いた。イメルダは皇太子殿下に一目惚れしているからハートのデザインなのかもしれないと思うとちょっと心がちくっとする。私は皇太子殿下に会ったこともないのだから、なにも思うところはないけど。それよりも今は、指輪をはめて有頂天になっているイメルダを部屋から追い出さなくては。
「それでは、イメルダ。早速だけど、ここから出て行ってくれない?」
「どうして? ここは私の部屋だわ。お姉さまこそ、さっさと宝石かドレスをとって出て行ってよ」
「いいえ。さっき、その指輪とこの部屋にあるものすべてと交換したから、ここにあるものすべては私のものだわ。だから、イメルダのほうがが出ていかなくてはいけないわ」
「な……なにを、言っているの? セバス!なんとか言って」
私の言葉が理解できていないイメルダはセバスに助けを求めたけど、セバスは、魔法石をしまうと、首を左右に振った。とても悲しそうな顔をしている。ごめんなさい。セバス。貴方には迷惑をかける。きっと、指輪が手に入って有頂天のイメルダもすぐに私の言葉の意味を理解して癇癪を起すだろう。そんなイメルダは宥めるのは大変だ。それにお父さまへの報告もセバスの仕事だ。私は心の中で手を合わせてセバスに謝った。
「イメルダお嬢様。さきほどの交換条件は、この部屋にあるものすべてというものでした。ですので、お嬢様がその指輪を返さないおつもりならば、ローゼリアお嬢様の言う通り出て行くしかありません。」
セバスは、イメルダの部屋の扉を開けて、イメルダに退出を促した。イメルダはそれでも動こうとしない。私は令嬢としてはかなりはしたないけど、イメルダをずるずる押して部屋から押し出した。
「ちょっ……ちょっと待って。お姉さま」
「待てないわ。それとも指輪を返してくださる?」
「う……わかったわ。アレク、お母さまの部屋に行くわ。ついて来て頂戴」
イメルダは助けを求めるように部屋を見回した。そして、部屋の中にいたイメルダ付きの侍女や側使えの中からお気に入りのアレクを見つけて、声をかけた。そうはさせない。
「だめよ。アレクも今この部屋にいたから私のものよ。お母さまの部屋に行くなら、入り口に立っていたセバスと行ってちょうだい」
イメルダはまだ何か言おうとしたが、お母さまに泣きついてなんとかしてもらおうと思いなおしたのか、自分で扉の向こうに出て行った。私は、イメルダを部屋から追い出すことに成功すると、扉を閉め、鍵をかけて、部屋の中を見渡した。
「ふう。やっと、出て行ってくれたわ」
「よかったのか? お嬢。指輪と交換なんてことして」
今まで侍女や側使えの後ろに立っていたアレクが、私のすぐそばにやってきた。その顔は意地悪そうににやにやしている。性格悪い人だ。私がしようとしていることなんてお見通しっていいたい?昔から、側使えとしての態度は大きいし、口は悪かった。だから、どうして、イメルダが私から取り上げて四六時中離さないのか不思議だった。もしかしたら、顔がいいっていうだけで、イメルダのお気に入りになったのかも。
「いいの。あとはお父さまがなんとかしてくれるわ。魔法石を使ってお父さまにイメルダとのやりとりを送ったからたぶん大丈夫よ。
それに、今日のイメルダの様子を見ていて、なんだか自分が馬鹿らしくなったの。何でも仕方がないと、いろんなことをあきらめていた自分のことが可哀そうになって、これからは自分の思うように生きようと思ったの」
そう。これからは、自分のやりたいようにする!私は皇太子妃候補なんてなりたくなかった。イメルダは皇太子妃になりたいのだから、指輪をあげて立場を交換できるのならお互いいいことづくめじゃない?考えればこれは好機。皇太子妃にならず、自分の思うように生きるチャンス。この好機をくれたイメルダにはありがとうと言いたいくらいだ。
「お父さまがお城からどんなに馬を飛ばしてきてここまでは1刻かかるわ。だから、私に残されているのは半刻ってとこかしら。
アレク、それからみんな、聞いて頂戴。
今、皇太子妃候補の指輪とこの部屋にあるものすべてを交換したわ。だから、あなた達侍女も、宝石もドレスも何もかも私のもの。
でも、私はこの部屋のすべてが欲しいわけではないの。イメルダにおねだりされて取られた私の大切なものを取り返したいだけだわ。だから、取り返したいものを見つけたら、用事はすむから、みんなもちょっとだけ付き合ってくれない?」
私は部屋の中にいた侍女や側使えにむかって、イメルダがいつもしているようなお願いのポーズをしてみた。みんな、ちょっとだけ笑ったような気がする。よかった。少しの間時間が稼げそう。それから、もう一つ大事なことを思い出したわ。
「アン、私の部屋に戻って、私のトランクを持ってきて。」
「例のお嬢様の妄想のトランクですね。いつか家出するときのために、っと妄想を膨らませて着替えやら本やらを詰め込んだあのトランク!やっと、日の目を見るときが!!」
「アン、お喋りはそこまでにして! あと半刻しかないのよ? 急がないとお父さまに足止めされてしまうわ。それから、荷物をもって温室集合で!」
「わかりました!すぐに行ってきます!ついでに食堂に寄って、なにかくすねてきますね!」
私の部屋からついてきたアンがとても張り切って、侍女用の扉を使って部屋から出て行った。私も扉からそっと顔を出したけれど、廊下はまだ誰もいなかった。ふう。イメルダはお母さまのところに行ったみたい。思い通りにことが進んでいてよかった。ちょっと安心した。私はアンが出ていった後、再び鍵をかけると、部屋にいたイメルダ付きの侍女や側使え達にむかってにっこりと笑った。
「だからね、みんなには私の大切なものを探してほしいの」
そう言っても、何が私のものかわからない侍女や側仕え達は、みんなきょとんとして立ち尽くしている。
小さいころから、イメルダは私の部屋に勝手に入っては、いろんなものをおねだりした。おばあさまに頂いた本、8歳の時の誕生日プレゼントだった裁縫道具、私がお父さまのために刺繍したハンカチ、ふしぎな花の栞、バラのポプリ、虹色のインクの羽ペン……等々。中でも一番私が大切にしていて渡したくなかったのは、おばあさまの形見のかぎ針とアレク。そう、アレクは私が側使えにと我儘を言って引き取ってもらった私の大事な側使えだった。
「アレク、貴方だったら、私の大切なものが何処にあるか知っているのではなくて?」
「そうだな。ハンカチや栞は、『自分が作った』と言って、旦那さまや奥さまに渡していたからもうこの部屋にはない。裁縫道具は使ってみたものの、お嬢みたいな刺繍ができないと癇癪をおこして裁縫道具を床にほうり投げたぜ。あんときはぎゃーぎゃー叫んで、大変だった。あと……お嬢が大切にしていたかぎ針は『なにこれ?お姉さまがとても大切なものだというからもらったけど、全然綺麗じゃない』とか言って、すぐにゴミ箱に捨てた。俺が拾って、クローゼットの一番奥の箱の中にしまっておいた。ちなみにばあさんの本もその箱の中にある」
「ありがとう。アレク。かぎ針がゴミ箱に捨てられてしまったなんて知らなかったわ。……本当によかった。あれは大切な大切なおばあさまの形見なの」
「だろうな」
そう言うと、アレクはクローゼットの中に入って、裁縫道具とかぎ針と本がはいっている箱を出してきた。裁縫道具の中から針とハサミを、そして、おばあさまの形見のかぎ針と本をアレクに渡した。アレクは、どこからか小さな箱を持ってくるとそれらを仕舞ってくれた。
「アレク、私はこんな騒ぎを起こしたから責任をとってこれからこの家を出て行くわ。悪いけれど、途中まででいいから私について来てほしいの」
「おう。途中といわず、嫌になるまでついていってやる。なんぜ俺はおまえのものだからな」
アレクがにやにやしている。確かに、イメルダの前で”私のもの”と言ったけど、あれは言葉の綾であって、アレクを私に縛りたかったわけじゃない。私はアレクに自由をあげたい。でも、今はそんなことを言っている余裕はないから、後でアレクに説明しよう。それより、お父さまの手から逃げられるようみんなにお願いしなきゃ。
「そうそう、みんな、今見たこと聞いたことは、一刻ちょっとの間で構わないからお父さまに言わないでね。お礼にイメルダの衣装部屋から好きな宝石をあげるわ。もし、イメルダに文句を言われたら、私からの褒賞だと言えばいいわ。お父さまもお母さまも貴方たちを責めたりしないはずよ。」
「お嬢、扉の向こうが騒がしくなってきたぜ。正面切って扉からは出ていけそうもない。どうする?」
「じゃあ、この窓から飛び降りられるかしら?」
「まかせとけ!」
「じゃあ、お願いするわ。みんな、私の無理に付き合ってくれて、お母さまのところに報告に行かないでくれてありがとう。あと、お父さまとお母さまとジュド兄さまとイメルダとティオのことよろしくね」
扉をどんどんと叩く音が聞こえてくる。侍女や側使え達がどうしたらいいかわからず青い顔をして、立っている。開けなさい!と怒鳴っているのはお父さまの声のようだ。やはり馬を飛ばしてきた。私は履いていた踵の高い靴を脱ぎ棄てて、窓枠に手をかけているアレクに飛びついた。アレクはにやりと笑うと、私を抱えて、窓から飛び降りた。――自由だ!