■11話■木登り騒動
「きゃああぁぁぁっ、動かないでください、マルネリッタ様ぁっ。いっ、今、助けを呼んでまいりますっ」
女官の叫び声が、はるか下方に聞こえる。マルネリッタは庭園の高い木に登っているところだ。
自分で登っているのだから助けも何もないだろう、何を騒いでいるのかと呆れて見下ろす。が、すでに女官は建物に向かって走ってしまっていた。
走り去った女官はマルネリッタの部屋の世話係である女官テアナでもシンファでもない。
マルネリッタが庭に出る時、女官テアナ達は自分より職位が下の女官チェイルに付き人役を押し付けるのだ。
女官チェイルは新人のようで、いつもおどおどしながら後をついてくる。だが、余計な事は言わないし、高圧的な態度にでることもないので楽な付き人だった。のだが、一体どこへ行ったのか。
まあ、誰かに話せばわかるでしょうと一息ついて、マルネリッタは上へ視線を向けた。そして、枝に足をかけ、登るのを再開する。
庭師が丁寧に仕事をしているだけあって、綺麗に枝が伸びていて登りやすい。材木用に育てている木ではなく、茂る葉の緑を見せるための木なので枝が多いのだ。
マルネリッタが木に登っているのは、枝でのんびりしている大きな蛇を捕獲するためだった。
気分転換に出てきた庭園で、木の葉陰の奥に獲物を見つけたのだ。
獲物は毒を持たない蛇で、身は食用、皮は小物用、内臓は薬になるという捨てるところなく金になるいい獲物なのだ。しかも、かなりの大物と思われる。王宮だから餌の違いで身の付きが違うのかもしれない。王宮の庭とはいえ、売ればそれなりの金になるとわかっていて見逃す手はない。
今はお金を使うことがないけれど、王宮を出れば職を得るまで金が減るのは必須。蓄えは多い方がいいに決まっている。
マルネリッタは迷わず蛇を見つけた木に手をかけ登り始めた。女官が悲鳴を上げたので「すぐ戻るから、黙って待っていて」と告げて。
しかし、しばらくすると女官チェイルは慌てふためきどこかへと走り去ってしまった。小心っぽい女性だったので、一人で待つのが恐くなったのだろう。
考えてみれば、王宮に滞在する客には、木に登るような人はいないかもしれない。
そう思ったが、獲物がもう目の前に迫っているというのにここで中断する気にはなれなかった。
マルネリッタはするすると登り、獲物が寝そべっている枝に辿り着くと狙いを定めた。獲物は暖かい日差しを浴びながらうたた寝しているらしい。
絡み付かれると危険なので、注意しながら尻尾に手を伸ばす。そこを掴んで引き、一気に枝から落とす作戦だ。
よし、掴んだ!
マルネリッタが勢いよく尻尾を引くとザッと枝がしなり、蛇が枝から落ちた。そこをすかさず振り回し、蛇の頭を何度か木の幹に激突させて絞める。小柄なマルネリッタには重労働だったが、ふんばって堪えた。
獲物は気絶したのかダラリと一直線に垂れたまま動かなくなった。それを確認した後、マルネリッタは獲物を下へと落す。持ったまま降りるのは危険だから。
彼女が上機嫌で木を降りていくと、思わぬ人が待っていた。
「マルネリッタ!」
下には女官チェイルだけでなく、殿下と、他にも数人の女官や官吏が集まっていた。本当に人を呼んできてしまったらしい。
殿下は気味悪そうに地面に落とされた蛇を避け、マルネリッタのいる木の幹へ近付いてくる。
その嫌そうな様子に、そういえばダックはあの手の爬虫類は苦手だったと古い記憶が蘇ってきた。こんな場面で、あの彼と殿下が重なるなんてと少し笑ってしまう。
しかし、殿下が木の下にいるためマルネリッタは降りられない。途中の枝で動きを止め、下に向かって声をかけた。
「どうしたのですか、殿下?」
「どうしたのじゃないだろう! マルネリッタ! 一体、何をしているんだ?」
殿下はマルネリッタに向かって怒鳴ってきた。木の幹に手をつき、見上げてくる殿下の表情はよくわからなかったが、怒っているらしい。
怒っているとしても女性が木に登っている時に真下にいるなんて、男性として信じられない。スカートを幹と足で挟んでいるので下からは見えないはずだけれど。
真下から見上げられるのは、非常に困るし。かなり恥ずかしい。まるでスカートの中をのぞかれているようで。
その辺のことは下の人が配慮するべきなのにと殿下の無神経さにイラっとする。
「何って、蛇を捕っていたのです。殿下、そこから離れてくださいっ。あ、それっ、私のですから、持って行かないでください!」
マルネリッタが殿下に声をかけている間に庭師らしき男性が蛇を持ち去ろうとしたので慌てて呼び止める。せっかく獲った物を他人に取られたのでは意味がない。
「……しかし……」
マルネリッタの声に庭師の男性は足を止めたが、蛇を持ったまま女官や殿下の顔を交互に見ている。
マルネリッタの言葉があっても、女官か殿下からの指示が撤回されないので蛇を放置することはできず困っているようだった。
「こんな高い木に登って、蛇を捕まえていたのか? 危ないだろう! マルネリッタはもう子供ではないのだろう!?」
再び、殿下が上に向かって怒鳴った。
マルネリッタはカチンとくる。まるで子供のように木に登って遊ぶなと叱っているようだ。知りもせずに何を。
「子供でなくても蛇を捕まえますよ。これから降りますので、そこをどいてくださいますか、王弟殿下?」
殿下は不満そうだったが、マルネリッタの強い口調に押されて、木から少し離れた。
その彼に、もっと避けてと顎をしゃくって見せるマルネリッタに女官達は顔を青くする。
しぶしぶ離れた殿下の横に、彼女はするっと降り立った。
「マルネリッタ!」
呼びかける殿下には見向きもせず、マルネリッタは庭師の男性へ向かうと両手を伸ばした。
「それを、渡していただけますか?」
「もちろんです、お嬢様」
男性は女官達や殿下の様子を見て苦笑を浮かべたまま、掴んだ蛇の頭と尻尾をマルネリッタに差し出した。
が。
「失礼ですが、これをお嬢様がご自身で捌くのですか? 一刻も早く処理しなければ値は下がりますよ。よろしければ私が処理をして売ってまいりますが?」
「そう、ね。捌く道具は持ってないわ。お願いしてもいいですか? 手間賃は如何ほど?」
「無料で結構です。これも、王宮庭師の仕事と思ってくだされば」
「ごめんなさい、もしかして貴方の獲物だったのを横取りしてしまったのかしら?」
「いいえ。これは貴女のものです。では、こちらはお任せ下さい」
庭師の男性は早くこの場を立ち去りたかったと見え、殿下や女官達に頭を下げると素早く立ち去った。
その後ろ姿を見送りながら、彼は相当モテるだろうとマルネリッタは思った。陽に焼けた剥き出しの腕が強さを感じさせ、女性に困った顔ができるところは娘心を疼かせるタイプだ。
さて、と、マルネリッタが殿下や女官達の方へ向き直ると、そこには冷たい空気が漂っていた。
口を直線に引き結び、不機嫌そうな顔の殿下。
その殿下の背後には女官達がマルネリッタに責めるような目で、しかし薄笑いを浮かべて眺めていた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした、殿下。では、失礼いたします」
マルネリッタはさっと腰と頭を下げて挨拶すると、一人歩き出した。
彼女の背中に、殿下の低い声がかけられた。
「待ってくれ、マルネリッタ」
「何でしょうか?」
「あの蛇は……売るために獲ったのか? そのために、マルネリッタは木に登ったのか?」
「そうです。王宮の方々はご存知ないでしょうが、アレはいい収入になるので」
「だが、何も、あんな危険な事をしなくても……」
「殿下……私は身分の低い娘です。王宮の方々とは、違うんですよ」
マルネリッタは殿下が自分を心配したのだろうとはわかっていた。女官達とは、違っていたから。けれど、素直に心配させて悪かったとは思えなかった。
自分は咄嗟にお金を作ろうと考える庶民で、殿下は明日の生活を心配する必要などない人だ。その違いを痛感する。
当たり前のことだけど、ここに居るのに自分は相応しくないと改めて感じさせられた。綺麗な服を着たからといって、貴族の娘達と同じ格好をしたからといって中身が変わるわけではない。
マルネリッタは無言で腰を落とした挨拶を繰り返すと、踵を返した。
今度は殿下も呼び止めず、殿下は無言で、歩き去るマルネリッタを見送る。
それを背中に感じて、殿下がどんな表情をしているのかと思ったけれど、マルネリッタが振り返ることはなかった。