■10話■殿下の相談
オルディアクは本宮での仕事を終え、中宮にある自分の邸へと足を向けた。王都に自邸はあるが、彼が王宮へ滞在する時に利用する場所だ。
邸では年嵩の女官が静かに出迎える。
ここには幼いころから世話をしてくれている女官もいて、くつろぐには快適な場所だ。本宮にいるときのように官吏達から時間がと急かされることはない。
オルディアクは椅子に深々と腰を下ろした。
「以前、王妃様よりいただいた果実酒が飲みごろとなっております。お持ちいたしましょう」
「あぁ、頼む」
お気に入りの椅子から外を眺め、昨日のマルネリッタを思い返す。
マルネリッタとの会話はまったく食い違っていた。彼女は王宮の暮らしに馴染むどころか、逃げたいくらいに嫌っているらしい。
彼女の部屋には若い娘が好みそうな明るい部屋をあて、ドレスや小物をそろえ、年頃の娘が快適に過ごせるよう整えたつもりだった。だが、不十分だったらしい。
彼女にとっては全てが気にいらず、その気に入らないものの中に自分が入っている事もまた遣る瀬無い。
彼女を保護しているつもりだったのだが、どうやら口うるさい邪魔者でしかないらしい。
年頃の娘は扱い辛いと聞くが、こういうことなのだろうか。
貴族の娘達との歓談の場ではわざわざ戸口まで彼女を迎えに行き、手を引いて隣に座らせる。そうして自分にとって彼女は特別な女性だと宣言していたのだが。
どうやら、それも気に入らなかったらしい。しかし、そうでもしなければ、彼女は招いた娘達の中には入れなかっただろう。
いや、マルネリッタは彼女達の中に入りたいわけではない。
彼女達と友達になってくれればと思っているのは自分だ。
彼女達と親しくなれば王宮での暮らしに慣れるのも早いだろう。いずれ社交場に出してやる時にも都合がいい。
そう考えての事だったのだが。
マルネリッタにはそんな社交場の事情などまだわからない。
保護者に友達になれと紹介されることには、反発するのもわかりはするのだが。
「セリ……ずいぶん前に、僕が結婚の約束をしたという女の子の話を覚えているかな?」
オルディアクは飲み物を運んできた女官に話しかけた。女官セリは口元にくっきりと皺を刻んだ笑顔で快活に答える。
「ええ、もちろんでございますとも。小さな可愛い女の子の事でございましょう? もう十年も前のことでしたか。当時は殿下が何度もお話になっていたので、よく覚えておりますとも。それがどうかなさいましたか?」
「彼女を引きとって西宮に滞在させているんだが、なかなか難しい子になってしまったらしくてね。少しも馴染んでくれないんだ」
「まあ、西宮に? あの子は、確か、貴族の娘でもなく小さな領主の孫娘でしたでしょう?」
「そうだ。よく覚えているな」
「西宮で、ご家族と一緒なのですか?」
「いや、彼女は一人だ。祖父は亡くなってしまって領地も国に返還したので、彼女には家も家族もない」
「それは、お気の毒に」
「だから王宮へ呼び寄せたんだが、王宮の暮らしを嫌っているようでね。何が不満かと尋ねても答えない。全てが気に入らないらしく、街で暮らしたいと言うんだ」
「……王宮の暮らしを、嫌っているとはどういうことでしょう?」
「わからない。官吏の報告では、女官達を遠ざけ部屋に入れたがらないらしい。とにかく慣れようとしている様子もないようだ。本人は、王宮では暮らせない、そればかりだ」
「……それは、かなり悪い状況のようですね」
「どうしても嫌なら一カ月後には再考すると言ってしまった。家もないのにどうやって暮らすのか。部屋を借りる、仕事を探すと言っていたから、そうするつもりなのだろうが。女の子一人でそんな生活はさせられない。どうしたものか」
「……女の子といっても、その方はおいくつなのですか?」
「十八だ」
「それでは……もう大人の娘じゃありませんか。若い娘の一人暮らしは物騒ではありますが十八なら何もおかしなことではありません。殿下は何が問題なのです?」
「危険すぎるだろう? 保護者もなく娘が一人で暮らすなどと、絶対にさせられない。王宮なら警備も万全だ。他の所で暮らせるなら、王宮でも暮らせるだろう?」
「王宮で暮らせないのには、理由があるのでしょう。何もなく逃げ出したいほど嫌うとは思えません。本当に理由がわからないのですか?」
「全てが気に入らないようだったが……」
「彼女の身分が低いせいではないのですか?」
「いいや、そんなはずはない。彼女は僕の大事な女性だと周知されている。彼女の身分など……。だが、彼女は身分が違いすぎると何度も言っていたな。ここでは誰もそんなことを言わないだろうに、そんなに身分が気になるものなのだろうか」
「殿下……申し上げにくいことですが、王宮内であっても殿下の威光が届かない場所はあります。彼女が逃げ出したいと思うなら、よほど居心地の悪さを感じているのではありませんか?」
「居心地が悪い?」
「殿下がそんな風に子供扱いしていては、彼女もさぞ居心地が悪いでしょう。どんな風にお暮らしなのです? 話し相手はいらっしゃるのですか?」
「話し相手になればと優しいと評判の娘達を何人か招いて会わせた。誰かと友達になってくれればと思うのだが、一向に親しくなろうとはしない」
「誰を呼んだのですって? まさか、貴族のお嬢様方ではないでしょう?」
「そうだが? 彼女とは歳も近いし、王都や社交事情もよく知っている」
「最悪です、殿下。最悪の人選です。それは、逃げたくもなります。どうしてそんなことを……」
「彼女達に会わせたことで、逃げたくなるのか? マルネリッタも僕はああいう女性と婚約すればいいと言っていたが、それが原因か?」
「原因の一つには違いないと思います。王宮へ招待されるような貴族の娘達は、身分の低い娘を対等に扱ったりはしません。もちろん全ての娘がそうだと言うわけではありませんが。そんな身分差のある娘達を引き合わせて、仲良くしろとは、どちらにも酷なことです」
「身分差といっても、マルネリッタが身分の高い男性と結婚すれば入れ替わる程度のものだろう?」
女官セリの言葉に、オルディアクはむすっと不機嫌になっていた。セリは苦笑する。
セリが、マルネリッタという女性がどういう状況にあるのか、少々情報を集めてみようと思ったところへ。
「殿下、マルネリッタ・シオンズ様が西宮の庭木に登って降りられないと女官が騒いでおります」
官吏が慌ただしく報告してきた。
「今、行く」
不機嫌な様子で立ちあがったオルディアクを、女官セリは苦い顔で見送った。




