最後の錬金術師
「この、大馬鹿者!」
まだ他の役人が誰も出勤していない広間でアカバス博士の怒鳴り声が響いた。机の上に置かれた鳩はびっくりして羽ばたこうとするが、羽を縛るリボンの戒めのためにバランスを崩して転倒した。そんな鳩の滑稽な動きを目で追いながら、ウェルテは申し訳なさそうにうなだれたまま黙っていた。
早朝、ウェルテは伝書鳩と男装の女の短剣を持って、徴税役場でアカバスの出勤を待ち構えていた。他の者に邪魔されないよう誰もいない時間を見計らって、ウェルテは昨日の顛末をアカバスに報告した。無論、今一緒に外まで来ているガスコンが関わった、オストリッチの抜け荷の話は伏せていたが……
「他にいくらでもやりようがあっただろう! それを、みすみす自分から喧嘩をふっかけるとは…… ならず者のやることだぞ!」
「先生、そんな喧嘩だなんて…… ただ事情を聞き出そうとしただけです……」
「その結果が昨日の騒ぎか! 昨日のチャンバラ騒ぎの噂はこちらの耳にまで入ってきている。それがまさかお前とは…… 警吏や青騎士に捕まらなかっただけでも幸運だと思え!」
アカバスはウェルテの言い訳を遮って、興奮気味にまくしたてた。
「す、すみません…… でもサリエリの……」
「黙れ!」
アカバスは羽ペンを机の上に叩きつけた。アカバスは少し深呼吸をしながら鳩を見て、それから短剣を拾い上げた。
「確かに…… お前がサリエリの事にこだわる気持ちは判るが、あれは不幸な事件だった。未だ下手人は判らんし、手掛かりもない。だが、その男の服を着た女の件は別だ。お前の話によれば、その女はあのオストリッチ商会と揉め事を起こしているそうじゃないか」
そう言ってアカバスはため息をついた。
「オストリッチ、か…… 大商人達には気をつけねばならん。我々の常識とは全く違う世界で動いているやつらだ。お前の身の安全を考えれば、一時暇を出して故郷のプラムベリーへ帰らせるべきなのかもしれん」
「先生、それはないですよ。だって収穫祭まであと数日ですよ?」
もう間もなく、アグレッサは年に一度の収穫祭の期間を迎える。それは徴税役場が最も多忙となる時だった。アカバスは鼻眼鏡をとって眼頭をこする。
「わかっとる…… とにかく、たとえサリエリに関わりそうなのを見つけても、お前は決して関わってはならん。もし、次にトラブルがあればすぐにでもアグレッサから叩き出すぞ。よいな!」
「は、はい……」
ウェルテが弱くうなずくと、アカバスは自分のクロークと帽子手にした。
「とはいえ、このままではお前も寝覚め悪かろう。出かけるぞ、ついてこい」
そう言ってアカバスは鳩と短剣を手に外へと歩き出した。
役場の玄関横ではガスコンが壁に寄りかかってウェルテを待っていた。老博士は値踏みするようにガスコンを睨みつける。ガスコンは一応礼を尽くすため、帽子を取った。
「これがお前の連れか…… せめて友達くらい選べ、ウェルテ。どう見たってならず者じゃないか……」
遠慮の無い言葉にガスコンは苦い表情を浮かべる。
「とんでもない! 彼こそ、あの有名な剣豪であり名うての戦術家でもあるレスター・ヴァンペルト先生の一番弟子ですよ」
「ほう…… だが正規のマン・アット・アームズにも見えんな。今はどこの所属だね?」
「あいにく失業中でしてね……」
顔をしかめてガスコンは言いにくそうに答えると、アカバスは鼻で笑った。
「レスター・ヴァンペルトの弟子が失業とはな…… 勤め口などいくらでもありそうなものだが……」
「先生、そうじゃありません」
ウェルテが口を挟んだ。
「彼こそまさしく〈誇り高き戦争屋〉ですよ。この男に見合う雇い主など、俗物ぞろいのこんな時代じゃ、そうそうみつかりません」
――そんな紹介の仕方があるかよ……
こんな持ち上げられ方をした日には、密輸品を守るケチな用心棒をして日銭を稼いでいたなんてとても白状できない。あからさまに担ぎすぎたウェルテの口上にガスコンは恥ずかしくなったが、意外にもアカバス博士は納得したのか小さくうなずいた。
「確かに…… 直接お会いした事は無いが、相当変わった方とは聞いている。よかろう、とりあえず一緒に来たまえ」
二人の師であるレスター・ヴァンペルトの奇人ぶりは有名だった。決まったパトロンや雇い主を持たず、いざ戦争ともなれば多くの領主から引く手あまたの招請を受けたが、報酬額や時の形勢に関係なく本来同情されるべき側の軍事指導に赴くのが常だった。時には敗戦確実と思われた戦いの行く末を、前代未聞の戦術と奇策を駆使してひっくり返してしまった事も一度や二度ではなかった。
アカバスは二人をつれて城の大手門へと歩き出した。
「昨日、下男にバルテルミ村の様子を見に行かせた。スタックハーストの言うとおり、青騎士どもが駆け付けた時にはすでに村の穀物倉は火事で全焼し、村人が総出で火消しにあたっていたそうだ。だが、お前を襲ったというその黒服の一団はすでにどこかへ逃走した後で、村長のラムジーも行方をくらました。村人は、領主に雇われた猟師達が穀物倉に一時滞在するとラムジーから説明されていたので、妙な一団がたむろしていても誰も疑問に思わんかったそうだ。結局、青騎士どももバルテルミの村人からほとんど情報を得られず、唯一捕えられたのがお前と床屋の二人というわけだ」
ウェルテは一昨日の夜に主塔ですれ違ったアンヘルムの顔や尋問室からの恐ろしい叫び声を思い出した。その後、あの男がどんな運命をたどったのか、ウェルテは想像するだけでも恐ろしかった。
「あのアンヘルムという床屋の男だが、昨日施療院へ行って聞いてきたが、お前が森で出くわしたというあの日は、体調が悪いという理由で仕事を休んでいたそうだ。おそらく、森でその一団に合流するための方便だろう…… お前の話によれば、村には大勢のけが人がいたということだから、その治療に赴いたにちがいない……」
おそらく、密輸の馬車を襲った時の負傷者に違いないと思い、ウェルテとガスコンは顔を見合わせてうなずいた。
「それに、サリエリが殺された日、あの村でサリエリが来るのを見た者はいないそうだ。それが正しいとすると、その点に関してラムジーの言葉に嘘は無いな」
三人はアグレッサ城の城門の跳ね橋を渡り始めた。
「じゃあ、あの村長が匿ってた女とその一団は一体何者なんでしょう?」
「手掛かりはこの鳩と短剣しかない。これから判る事があるかもしれんから、お前達を……スタックハースト、お前は一体何を…… その布はなんだ?」
青い布を鼻に押し付けてなにやらくんくんと音を出しているウェルテを見て、アカバスは顔を歪めた。
「これも手掛かりなんですよ。オレンジみたいないい匂いがするでしょう? その女からもこれと同じ匂いが…… どうかしましたか?」
アカバスとガスコンは渋面を見合わせた。
「確かに手掛かりも大切だけどな、ウェルテ。マジになって匂いかいでるそのカッコは、とても見られたもんじゃないぞ……」
ガスコンの心からの忠告に、アカバスも同意するようにうなずいた。
三人が城門をくぐると東の主塔の横から朝日が中庭へと差し込んだ。顔の知られたアカバスがいるので門を守る衛兵に止められることもない。丁度、交替の時間を迎えた青騎士隊の衛兵が二人、手槍を肩に担いで歩いてきた。一人は、二日前に尋問室でウェルテを痛めつけようとした兵士の一人だった。ウェルテはこみ上げる憤りをこらえながら、憎悪に燃える目で相手を睨みつけた。兵士達もウェルテに気付いたのか、不遜で不躾な視線をウェルテへと投げかける。
「腹の立つ気持ちも判るが、諍いの種になるようなことは慎め」
アカバスはウェルテをそうたしなめ、芝生の間に通された道を館の裏の方へと進んでゆく。
正面の庭から城の北側へと回りこむと、北面の城壁前に木造の厩舎と小さな煙突のついた作業場が見えてきた。そこは領主お抱えの馬丁と鍛冶屋のための作業場だった。すでに鍛冶屋は今日の仕事を始めているらしく、煙突からは黒煙が上がり、作業場では数人の職人が焼いた鉄へ槌を振り下ろしていた。
その作業場と隣接して、大きな窓のある土壁の平屋が建っている。アカバスは木戸の前に立ち、乱暴に拳を叩きつける。
「おるか! ソニー! ソニー!」
アカバス博士が何度もドアを叩く。
「うるさい! 誰だ!」
室内からの怒鳴り声と共に、鏡板もない粗末な木戸が開かれた。姿を見せたのは、染みや焦げ跡だらけのチョッキとシャツを着た小太りの老人である。
「誰かと思えば、ルイスか…… 朝早くに珍しいな。こいつらはなんだ?」
「部下たちだ。知恵を借りに来た。中へ入れろ」
平屋の中は整理のなってない納戸のような有様だった。室内には嗅いだこともない妙な異臭がたちこめ、辺り一面雑多なガラクタでごったがえしていた。窓際に置かれた長いテーブルにはランプや蝋燭、毒々しい原色の液体に満たされたガラスの瓶や壺などが並んでいる。一方、机や書棚には分厚い書物や羊皮紙が乱雑に押し込まれ、板張りの床には羽ペンやインク瓶、羊皮紙が転がっている。机の上には精巧につくられた帆船の模型が置いてあり、扉の開きっぱなしになったタンスの中には騎士の着る甲冑がバラバラの状態で押し込まれていた。
「ソニー、仕事ははかどっとるか?」
アカバスは丸椅子の上の荷物をどかして腰を下ろした。
「だめだ。上手くいかん。やはり一度西国へ行ってみんことには駄目かもしれん……」
アカバスからソニーと呼ばれた老人は落ち着きなく歩きまわりながらそう答えた。
ウェルテはようやく、このソニーと呼ばれているこの老人の正体を思い出した。
「きっと錬金術師の偉い博士だよ。ほら、少し前に領主が招いたっていう……」
怪訝な顔をするガスコンにウェルテは小声でささやいた。
「そう言えば、紹介がまだだったな。この小さいのは役場の部下のウェルテ・スタックハーストとその友人とやらだ。二人とも有名なレスター・ヴァンペルトの弟子とのことだ」
ウェルテとガスコンは帽子をとって無言であいさつした。アカバスの紹介で、老人はようやく二人に注意を払う気になったようで少し目大きく開いてしてウェルテ達を観察した。
「あのへそ曲がりの弟子か……」
「あのぉ…… ヴァンペルト先生を知っているんですか?」
「何度か会った。最後に会ったのはメタルの街だったか…… あんな風来坊にも弟子がいたとはな」
ウェルテの疑問に老人はそうつまらなそうに答えた。
「こいつは私がグライトの大学にいた時分からの知り合いの錬金術師サンティーノ・マルケサルだ」
この老人こそ、アカバスと同じくグライトの大学で学び、特に自然科学や化学で多くの研究を手がけてきたといわれる有名な錬金術師だった。もっとも錬金術師という名前がついているとはいえ、今日日水銀やアルコールを煮たり焼いたりしていればいつか金が生成できるなんてことを本気で信じている者などいなかった。大昔に、真面目に金を生み出そうと設けられた錬金術師制度だったが、いつしか自然や化学の学問に精通した人間に対し、教会が錬金術師という称号を与えて科学技術の研究をさせるようになっていた。そして、ここ数十年の間にはその名前すら時代錯誤の色が濃くなってきたため、今では錬金術師などという資格も称号も廃止されたのだが、三十年以上前にその称号が与えられた最後の一人がこのサンティーノ・マルケサル博士だった。
「こいつは『火粉』の生成法を見つけるために御館様に招かれたんだ」
『火粉』。西国でつくられ、西国の異教徒しかその精製法を知らないと言われている、大変貴重な黒い粉の事を人々はそう呼んでいる。その名の通り、その粉に一旦火を着けると猛烈な速さで爆発的に燃焼する事からそう呼ばれていた。その軍事的潜在力に目をつけた各国の領主はこぞって『火粉』の精製を図っているが、成功した例は未だ聞かれない。もっぱら西国から商人を通じてごく少量が輸入される程度で、大陸の東側ではとても希少価値の高い物だった。この老人、サンティーノ・マルケサル博士もアグレッサ公フランツの招きを受けて、城の一画に滞在しながら『火粉』の研究を進めている最中だった。
「ところで、朝っぱらから何しに来た?」
「どうしてもお前に見てもらいたいものがあってな」
そう言ってアカバスはウェルテに手掛かりを見せるよう目配せした。
「これです」
ウェルテは鳩と短剣、そして鳩をくるんでいた青い布を長テーブルに置いた。
「故あって拾ったものだ。個々の物から判った事だけでも教えてほしい」
「何を言い出すかと思えば……」
マルケサルは首にぶら下げていた紐付きの老眼鏡を鼻にひっかけ、まず鳩をやさしく手に取った。脚や腹、羽を引っ張って翼を検めた後、おもむろに卓上のベルを持ってリンリンと騒がしく鳴らした。間もなく、ノックの音と共にマルケサル付きの小姓が入ってきた。
「裏の鳩舎から餌の豆を一つまみ持ってこい!」
小姓は返事をすると大慌てで走っていった。
「餌をやっとらんだろう?」
「はぁ、何食わせていいか判らなかったもので……」
ウェルテが恥ずかしそうに弁解した。
「ソニー、何か判ったか?」
「とりあえず、肉付きが良く、よく鍛えられていて、そして腹をすかせた伝書鳩だということくらいだ。普通なら途中で落伍し拾われた時の為に、所有者の名を彫った脚環を付けるものだが、こいつにはそれがない」
小姓が小袋に入った豆を持ってきた。マルケサルが豆を鳩の前へと転がすと、それまで大人しくしていた鳩は夢中でそれをついばみはじめた。
「かわいそうに、腹がへってたんだな……」
「ソニー、お前も幾羽か伝書鳩を飼っておるな? 一体どう使う?」
アカバスの問いにマルケサルは肩をすくめて見せる。
「どう使うも何も、ただ文をくくりつけて小屋から放すだけだ。そうすれば自ずと自分の故郷であるグライトへ飛んで帰る」
「ん? つまり博士が今飼ってる鳩はグライトの鳩ということですね?」
ウェルテが疑問を口にすると、マルケサルは大きくうなずいた。
「当たり前だ、鳩は自分の巣にしか戻らん。グライトの大学へ急な連絡がいる時には、グライトで育った鳩しか使えん。逆に今大学にはワシがここで育ててグライトへ馬車で送っておいた鳩が飼われておる筈だ。急な知らせあれば、その鳩がここまで戻ってくるだろう。もしこの鳩を持ち主へ返してやりたいのなら、たらふく食わせて放してやればよい。勝手にどこかへ帰るだろう」
「その鳩が帰り着く先を確かめる方法はありませんか?」
「無理だな。お主が空でも飛べれば別だが……」
次にマルケサルは鳩を包んでいた布を手に取った。
「コットンか…… なかなか高級だな……」
マルケサルはさっきのウェルテと同じように、その布を自分の鼻へと押し付けた。
「ほのかなオレンジの匂い…… おそらくこの布切れの持ち主、レディーだな」
「ええ! なんで判ったんだ?」
ウェルテとガスコンは驚いて顔を見合わせる。アカバスは椅子に腰かけたまま笑い出した。
「やはり、科学を修める者は鼻が利かんとな」
「オーデコロン…… エスカルのご婦人方に人気の、値の張る香水だ」
「じゃあ持ち主はエスカルから来た者という事になりますね!」
早合点するウェルテへ、老錬金術師はかぶりをふった。
「売られているのはエスカルでも…… この香料、生産地は南のエスカルではなく北方の田園地帯だ。考察に決めつけは禁物だ」
「このあたりはナイジェルの奴に聞いた方がいいかもな」
ガスコンの言葉にウェルテはなるほどとうなずく。
マルケサルは最後に細い短剣を手にした。
「それも同じ持ち主なんだ。私は見てないが、聞くに男装の女が持っていたようだ」
「とにかく、非常に珍しい。刀身の刃はほとんど飾りに近い。柄の握りはヘラジカの角、鋼も良い物を使っているようだ。……これは本来、左手用の短剣としてつくられたものではないようだの」
マルケサルは短剣の柄を握りながらつぶやいた。
「どういうことですか? マンゴーシュとして使えるように、ガードにはちゃんと親指を守る指環も付いてますよ」
ウェルテがまたもたずねた。マルケサルはうんうんとうなずきながらガスコンへと目をやる。
「でかい方のお主、どうもマン・アット・アームズと見た。この平たいポンメルの使い道、心当たりないかな? もちろんマンゴーシュとしてではないぞ」
「ああ? 俺が?」
急に話を振られ、ガスコンは慌てて首をかしげる。ガスコンはこれまでの戦場の記憶を思い返し、ようやく納得したようにうなずいた。
「思い出した。倒れた騎士に慈悲をくれてやる為の剣だ。スティレット、スティレット・ダガーだ」
スティレット。プレートアーマーや鎖帷子を貫通できるよう、刀身を硬く細く鋭くした刺突短剣である。もっぱら戦場では、落馬したり瀕死の状態にある甲冑を着た騎士へ止めを刺すために使われている。
「いかにも、これはそもそも長いスティレットとしてつくられたものに、後からガードや指輪を付けてマンゴーシュ拵えに直したものだ。このポンメルはスティレットだったときの名残だな。こんな短剣は初めて見る」
「俺は使った事ないが、相手の甲冑に突き刺してからあの平たいポンメルを体重をかけて押しこむんだ。上手い使い手なら一撃で鎧越しに相手をつき殺す事ができる」
「なるほど……」
ガスコンの説明を聞き、ウェルテは自分の首筋をさすりながら森での出来事を思い返した。
――あの女、人様の首にあんな物を突きつけるなんて…… 本当に許せない女だな
「どこで鍛造され、どこで売られたものか判るか? ソニー」
「どれ、それを知るには実験してみなきゃならん。ひとつ外へ出てみよう」
アカバスの問いに老錬金術師はそう答え、小姓を呼ぶため再びベルを鳴らした。




