第三章 騎士と悪魔
「ふん——っ!」
ベリットは素早く岩壁に飛び上がり、手にした闊剣を振り上げて黒影へ斬りかかった。だがその刃は、先ほどの弩の矢と同じように、黒影の身体をまっすぐにすり抜け、傷ひとつ与えられない。
乱れ舞う刃と盾が風を巻き起こすが、実体のぶつかる音はひとつもない。ベリットはまるで空気に向かって滅多打ちにしているようだった。
黒影が右手を持ち上げると、強力な斥力が手のひらから放たれ、ベリットを弾き飛ばした。
「うっ!」
老いた戦士は、最初に立っていた場所へと転げ落ちた。
「若者よ! 申し訳ないが、わしひとりの力では、どうやらこやつを倒せぬようだ!」
ベリットは、実力のある二人の傭兵へと助けを求める目を向けたが、二人はいまだ幻術の影響から抜け出せずにいた。
老人は赤毛の青年の前に歩み寄り、盾を掲げると、その頭めがけて振り下ろした。
「へへ……金山、銀山……全部俺のものだ——いててて!」
激しい衝撃で、ハドははっと我に返った。茫とした目で周囲を見回す。
「あれ? さっきまで一面にあった金銀財宝は? それにダイヤをびっしり散りばめた俺の服は……」
「ふふ、そんな光景、わしも一度見てみたいものだ——だが、あれはすべて作り出された幻にすぎんよ。」
ハドはぼんやりと黒影を見つめ、その顔に一瞬で怒りが満ちた。
彼は憤然と、その場に立ち尽くし、口の端に涎を垂らした少女の前へ歩み寄ると、少女の額に指を弾いた。
「へへ……飴玉の山、チョコレートの川……全部俺のものだ——いててて!」
アイラは涙を目にいっぱいためて額を押さえ、どうやらようやく幻術からも解放されたようだった。
「この野郎、本気で俺様を怒らせやがったな。よくも俺様の財宝を全部奪いやがって!」
「ハド様に対して、そんなことをした人は誰もいないと思いますけど——」
ハドはすでに長剣を手に取り、黒影へと突進していた。刃は黒影をかすめ、その表面にさざ波を立てるだけだった。
黒影がわずかに右手を上げると、ハドは弾き返された。
「ちっ! なんだよこいつ?」と言い捨て、また突っ込もうとする。
「ハド様——」
アイラが慌ててハドを引き止め、赤毛の青年に何かを囁くと、ある品を差し出した。
「……」ハドはそれを受け取ると、ベリットに向かって叫んだ。
「おいジジイ! 次はてめえが前に出る番だ!」
「わしは金を払う側だと思うのだがな——」ベリットは肩をすくめ、すぐに大笑いした。「だが、わしの宿敵となれば、その首を討つ役目を他人に譲るわけにはいかんな——」
ベリットは怒号とともに再び黒影へと突進し、黒影がまた手を上げて、彼を弾き飛ばす——
巨大な斥力が消え去った一瞬、澄んだ弦の音が洞窟に響き渡り、淡金色の矢が黒影へと放たれた。それは黒影に触れると、跡形もなく消え去った。
————————
「うあああああ————!」
凄まじい悲鳴が上がり、黒影は歪み、苦しげにその場に膝をついた。その幽青い瞳が、尽きせぬ怒りを宿して、得意げなハドを睨みつける。
「許せん……numato laliss! 下等な生き物の分際で、よくもこの私を傷つけたな!」
「はっ! さっき、わけのわからん鳥語をまくしたててた時から怪しいと思ってたんだ——てめえ、魔人だろ? それでいて魔法空間にでも隠れてるつもりか、いい気味だぜ!」
ハドは得意げにベリットを見やった。
「どうだ? ジジイ、俺ってすごいだろ?」
「ふふ、アイラ嬢はたいしたものだ。これほどの学識、さては月輝学院の出か?」
ハドの不機嫌な表情を無視して、ベリットは笑いながら金髪の少女を見た。
アイラは照れくさそうに首を振った。「ベリットさん、先ほどハド様が放った弩の矢には破魔の呪印が込められています。あの魔人はしばらく魔法を使えないはずです、今のうちに。」
老人はうなずくと、足もとの地面がひび割れ、その姿は瞬く間に、膝をつく魔人のすぐ側へと迫った。
「魔界の使徒よ、人の苦しむ魂を糧とする邪魔の外道よ。今日、メロフィエの騎士がここに貴様を討ち果たす!」
魔人は空に向かって手を掴むと、玄鉄でできた法杖がその手に落ちてきた。
——!
玄鉄の法杖がベリットめがけて振り下ろされ、ベリットは盾を掲げて受け止める。しかし恐ろしい力に、全身の骨が軋んだ。
「numato……恩知らずの下等生物め、本来なら甘い夢の中で死なせてやるところを——zatom、ならば苦しみの中で死ね!」
魔人は法杖を掲げ、その先端をベリットの喉へと突き出そうとする——
——火花が散り、ハドの姿が眼前に現れた。振るう長剣が鉄の杖をいとも簡単に払いのける。
——! 魔人が凶相を露わにし、鉄の杖を振り回して、雨あられとハドを打ち据える。しかしこの赤毛の青年は慌てることなく、剣を掲げて魔人の一撃一撃を受け止めていく。
青年はすでに魔人の嵐のような猛攻に押されているように見える。だが最初から最後まで、青年は戦いながら退き、その歩みは少しも乱れなかった。
ごぉん——! 激しい衝突音が空気を震わせ、ハドは再び正確に、魔人の力を込めた一撃を弾き返す。返る力で、魔人は一瞬、体勢を崩した。
金色の光が再びハドのマントの下から放たれ、魔人がまた悲鳴を上げる。
「ふふん、さっきので足りないんじゃないかと思ってな、わざわざもう一つ、大サービスを届けに来たんだぜ。俺って優しいだろ?」
「うっ……zatom! その程度の小細工しか能がないのか!」
矢を受けた魔人は怒鳴りつつ、猛然と身体ごとハドへとぶつかった。
「え?」これほどの怪力がまだ残っているとは思わず、ハドは吹き飛ばされ、石壁に激しく叩きつけられる。
その一瞬、一道の影が素早く魔人へと迫った——
闊剣が振るわれ、玄い刃が魔人の胸を貫き、淡い青色の血が流れ出る。
「z……zato……」
怨念に満ちた両の目がしだいに色を失い、魔人の身体は泡のように空気の中へ溶けていった。
ベリットは静かに、魔人の消えた方角を見つめていた。ふと、魔人の血に濡れた掌の中に、何か器物が増えていることに気づく。
「——! こ、これは!」掌を見つめ、老人はしばらく言葉を失った。
アイラが近づいて、その品をのぞき込む。それは紅玉をはめ込んだペンダントだった。
「さきほどの魔人は、おそらく妖術師の類でしょう。彼らが得意とするのは、誰かと深く関わりのある品を使って呪いをかけること……このペンダント、ベリットさんにとって、ずいぶん大切なものなのでしょう? とても綺麗ですね。」
「ちっ、こんな骨折りをして、たかがこの飾りひとつのためか? このむさ苦しいジジイが、まるで乙女みたいな真似しやがって!」
先ほど吹き飛ばされたハドも、ぶつぶつ言いながら寄ってきた。
「……これは父が私に用意したものだ。『認められた』後継ぎは、成人の儀の日に親から宝石を授かり、正式な名を与えられる。『認められなかった』者は、家門との縁を強制的に断たれる。それがわが家の伝統なのだよ。」
「まったく、愚かな伝統だな。」「——ハド様!」
ハドの遠慮のない物言いに対し、ベリットはただ大笑いした。「その通りだ! まったく愚かとしか言いようがない……だからこそ、四十数年前に滅びたのさ。」
ベリットは振り返り、ハドとアイラの二人を見やった。その目の奥深くの陰りと狂気はすでに消え去り、先ほどの姿とはまるで別人のようだった。
「ハド殿、アイラ嬢、本当に、ありがとう。お二人の勇戦、ベリットは生涯忘れぬ!」
アイラは顔を赤らめて地面を見つめ、ハドは面倒くさそうな顔で言った。「くそジジイに一生偲ばれるなんて、呪いみたいで怖いんだよ……それで? 忘れてないよな?」
ハドはベリットに手のひらを差し出した。
「もちろん、今回の報酬、お二人には決して手を抜かぬ!」
ベリットは大笑いしながら、手にした宝石のペンダントをハドに渡した。
「?」
「いえ、これは約束の報酬をはるかに超えています。しかもこれはベリットさんの父上のペンダントで、裏には何か言づてのようなものが……」
ベリットは手を振った。「あの老いぼれが何を言うかなど、足の指で考えてもわかる。名誉だの、大義だの、聞くだけ無駄というものだ——そして、お二人の働きは、約束をはるかに超えていたではないか?」
ハドは上機嫌で掌の宝石のペンダントをめくっていたが、裏側を見た途端、その笑みはたちまち消え、面倒くさそうにペンダントをベリットへ投げ返した。
「この馬鹿、おとなしく現金で払えよ。こんなガラクタ、てめえで持って遊んでろ。」
そう言ってハドは不機嫌そうに先に出口へと向かって歩き出した。
「ハド様——!」アイラが慌てて後を追う。
ベリットはその場に立ち尽くし、ペンダントの裏の銘文を怪訝そうに見つめた。
女神アニスを仰ぎて、『エリド』の名をメロフィエ家第八代の後継ぎに授く。汝の栄光がエリドとともにあらんことを、その永遠の安寧を願いて。
シレンス・メロフィエ
エリア・メロフィエ




