7・獣人との遭遇
走っている。
広大な真昼の砂漠を走っている。
ただし、全然本気じゃない。人間でいったら風景を楽しみながらのんびりとゆっくり歩いているレベルの力しか使っていない。
それでも時速は600km。リニアとほぼ同速。新幹線の2倍の速度ですね。
このくらいのスピードが、この砂の大地で走る速度の限界っぽい。
自分では欠伸が出るほど本気を出さないで走っているのだけれど後ろを振り返ると、あたしの走った後には数百メートルもの高さに舞い上げられた大量の砂の煙幕が延々と続いているのが見えた。
もう、1時間以上走り続けているけれど、見える景色はずっと一緒。
疲れはないけど飽きたなぁ。
そう思っているとやっと砂漠の終りが見えてきた。
やった。670kmを走破したぞ。
ラーの目の力を使わなくても、あたしの視力は専門機関の光学天体望遠鏡並に良いので砂漠の終焉の先にある景色も細部まではっきりと見えていた。
青々とした草原があり、その上には牛や山羊などの家畜が放牧されている。
その先には川や林や森もあり、民家が点在する村落と畑もあった。
今の速度のままで進むと流石にまずいよね。
家畜も人も民家も躱して走る自信はあるけれど、それでもあたしが走った後は航空爆撃をされたような状態になるだろうからちょっと気の毒。
それにいい加減、走るのにも飽きてきていたのであたしは速度を落とした。
足元が砂から草の生えた硬い土になるころには速度を普通の人間の歩く速さにまで落とす。家畜達が草を食むのどかな景色。見渡す限りの味気ない砂の大地が牧歌的でのんびりした風景になり、あたしは嬉しくて立ち止まると、その場で背伸びをした。
「んー。気持ちいい」
ちょっとだけ、休もっと。
草の上に腰を下ろして牛や山羊を眺めていると、砂漠の乾いたガサガサの風ではなく水辺のほとりや森の中から吹いてくるような心地よい風が頬を撫でていく。
ふわふわにふくらむ金髪を両手で梳いて後ろに流す。目を細めて適度に湿り気のある優しい風に頬を当てながらあたしは風の感触を楽しんだ。
こんなに素直な気持ちで自然に身を委ねたのは何年振りだろう。
幼い子供の日に一緒にいるのが楽しみだったあの人と、こうしてそよぐ風を感じて喜んでいたっけ。
ん、あの人?
あの人って誰?
「おーい」
誰かを呼ぶ声が聞こえた。
ぴくっと猫耳を声のした方に動かす。
「おーい。そこのお嬢ちゃん」
大人の男の人の声だ。声の音波が向かってくる方向と呼びかけるお嬢ちゃんという内容から、呼ばれているのが自分だと気づく。
声のした方を振り返るとそこには山羊の獣人がいた。
獣人らしい毛深い野性的なお顔。けれど、草食系の種族らしいのんびりとした優しい雰囲気の山羊のおじさんだった。
「なあに?」
山羊のおじさんの優しい雰囲気に当てられたみたいだ。
自分でも驚くほど優しい声でおじさんに聞き返していた。
「おや、あんた。やっぱりネコ科じゃないか。こんな所でネコ科の獣人がいるとは珍しいね。お嬢ちゃん、あんたどこから来たの?」
そうか。この辺は草食系の獣人が多い地域だったんだ。肉食系のネコ科の獣人の住処とは程遠いから珍しいのも無理はないよね。
どう返答しようか?
「見聞を広める為に世界を旅しているの。あたしはタウラス山脈の麓の街から来たんだよ」
咄嗟の答えだけれど大丈夫かな?
「ああ。タウラスから来たのかい。若い女の子なのに、見聞を広める為に旅をしているとは凄いね。流石はネコ科だ」
よし。通った。
ネコ科の獣人が主に生息している場所といったら、ここから北西の方向にあるタウラス山脈周辺だというくらいの情報はベステトの頭の中に入っていた。
この星の言語は母国語を理解するレベルで全て修得しているようだし。ベステトの知識は便利だね。これらの知識をベステトはこの異世界に初めて来た時に、ラーの目の力で一瞬の内に理解していたみたいだし。
江梨花という人が作った神は本当にチートだね。
山羊のおじさんはあたしの事をしげしげと眺めながら言う。
「しかし、あんた。えらいべっぴんさんだね。それに体毛が無いし、頭の毛は金色だし、とても珍しい容姿をしている。人族との混血かい?」
ん?そっか。
そういえば獣人は女性も男性も皆毛深いんだったね。女性の方が毛は薄いけれど、それでもあたしみたいに全然、体毛が無い獣人なんてまずいない。いるのは人間との間に生まれたハーフくらいだ。
「そそ。あたしは人族との混血なんだ」
山羊のおじさんに話を合わせると、おじさんはうんうんと頷いて納得してくれた。おじさん、素直だなー。
「しかし、お嬢ちゃん。あんた、べっぴんなのもそうだが、とても珍しい容姿をしているから気をつけるんだよ。あんたみたいな美人で珍しい姿の獣人は、獣人からも人間からも狙われやすいから。悪い奴らに目をつけられないようにするんだよ。できれば一人旅なんてすぐにも止めて、安全な親元に帰ったほうがいい」
うあー!ほんと良い人だな。この山羊のおじさん。
この世界って、あたしの居た地球よりも善人が多いのかもしれない。
うーん。違うか。
たまたま、この辺の人達はのんびりしていて心に余裕があるから親切みたいだね。ベステトの知識に照らし合わせたら、この世界にも碌でもない悪い奴らはいっぱい居るわ。
まあ、クズ人間のあたしが偉そうに言えた事じゃないけれど。
山羊のおじさんと話していたら牛のおじさんもやって来た。
牛のおじさんも人が良さそうで、「お腹減ってないかい」と訊いてきて、親切に持っていたチーズとレタス?みたいなものを挟んだパンをあたしにくれた。
何これ?
凄く癒されるんだけど。この人達と一緒にいると。
しばらく3人でおしゃべりをしながらあたしは牛のおじさんにもらったパンを食べて、山羊のお乳も飲ませてもらった。猫が他の動物の濃いミルクを飲むとお腹を壊すんだけれど、この世界のネコ科はそんなヤワな体質じゃない。まして、あたしの体はベステトだしね。猛毒を樽いっぱい飲まされても死なないくらい元気だよ。
食事を終えるとおじさん達はそれぞれ自分が飼っている家畜をまとめて帰る準備を始めた。山羊のおじさんが飼っている家畜は牛で、牛のおじさんが飼っている家畜は山羊だった。
どういう経緯でこういう家畜の飼い方をしているんだろう。
ベステトの知識にも流石にここまで細かい内容は含まれていなかった。
山羊の獣人だけに山羊を家畜にすると情が湧きすぎて甘やかしちゃうとか?牛の獣人もそんな感じとか?
とても気になったけれど、何となく聞いちゃいけないような気がして止めた。いや、不穏な予感で止めたんじゃなくてね。内容を聞いたら笑ってしまいそうな気がして。
さて。おじさん達も帰るようだし、あたしも出発しないとね。
そう思って立ち上がった時、遠くから地鳴りのような音が聞こえてきた。
思わず、ぴくっと音の聞こえる方に猫耳が動いた。
音は砂漠の方から聞こえてきていた。
何か巨大な生き物が地中を移動している音だ。
距離にしてまだ20kmは先だろう。
時速は30~40km。ここまでやって来るにしても、まだ30~40分以上の時間的余裕はあるね。これなら家畜もおじさん達も大丈夫。得体のしれない生物が辿り着く前にここを立ち去ってしまうはずだ。後はあたしが危険な生物かそうでないかを確かめれば良いだけ。
危険でないならそれで良いし。危険ならおじさん達やこの辺の人達に被害が及ばないように何とかしようと思う。
山羊のおじさんと牛のおじさんに手を振ってさよならした後、すぐに砂漠に向かって進む。正体不明の生物はもう、すぐそこまで来ていた。
少しだけ膝を曲げて垂直にジャンプをする。ほとんど力は込めていなかったけれど、500~600メートルくらい上空まで跳躍できた。あたしがジャンプした場所は周囲に大量の砂をまき散らしながらクレーターになっている。
空から眺めると砂漠の砂を掻き分けて進む巨大な蛇のような怪物の姿が見えた。
うん。よく見ると蛇じゃない。これはミミズだ。巨大なミミズの怪物。
砂に半分以上は隠れているので正確には分からないけれども、全長はたぶん80~120メートルくらいあると思う。
これは・・・・・・サンドワーム。砂漠を生息地にしている魔物だ。
普段は大人しい生き物で砂の中でじっとしている。時々砂漠に住む他の動物や魔物や、迷い込んできた生き物を捕食する。捕食する時は丸ごとぺろり。大型獣でも人でも、その巨大な口で一飲に食べてしまう。
こんなのが草原をこえて村落まで来たら大変な事になっちゃうよ。
でもなんか、引っ掛かるんだよね。
跳躍しきって重力に引き戻される間、考える。
「あ!」
砂を掻き分けて暴走するサンドワームの背中を見て気がついた。
背中に小さな深い傷があった。緑色の体液を溢れさせている。あの傷をつけたのは多分、あたしだ。そういえば砂漠を疾走中に一度だけ硬い物を踏んだような気がした時があった。
サンドワームの外皮は鉄のように硬く分厚いから、剣や槍ではかすり傷一つ付けられない。でも流石に力を全然込めていなかったとはいえ、あたしの脚力で踏みつけられたらただじゃ済まないよね。
想像だけれど、サンドワームは砂の中で静かに気持ちよくお昼寝をしていた。そこに突然刺すような激しい痛みを背中に感じて目を覚まし、砂から出て見ると自分の背中が傷ついていたと。そして傷をつけた張本人のあたしは知らんぷりで砂を巻き上げながら立ち去っていく。
うん。これは腹が立つね。怒っても仕方ない。
ごめんなさい。サンドワーム。
サンドワームが怒るのはもっともだけれども、このまま怒りにまかせて砂漠を出られると大参事になってしまう。
サンドワームの怒りの鎮め方は分からない。どうしよう。あたしの攻撃力なら多分、一発で倒せちゃうだろうけれど、あたしのせいでサンドワームは怒っているんだから攻撃はしたくない。
ステータスの能力じゃ、どれも駄目。どれを使ってもオーバーキルになっちゃう。それならベステトの神力を使うしかない。
確かベステトの神力は
ラーの目で世界のあらゆることを見通す力。
エジプト神話の主神・ラーにさえ勝ってしまうほどの戦闘力。
際限のない富と穣を与える恵みの力。
平穏と安らぎを与える癒しの力。
この4つだね。
この4つの中からだと。やっぱ、平穏と安らぎを与える癒しの力かな。本来のベステトの力に比べたら無に等しいほどしょぼい力に成り下がっているらしいけれど。とにかく、今はこれに賭けよう。
サンドワームに神の癒しを。
まだ落下している中、両手を暴走するサンドワームに向ける。
何も見えないけれど、あたしの体から急激に力が抜けだしていくのが分かる。ちょっと眩暈を感じながら砂の大地に着地してサンドワームの様子を見ていると、サンドワームの暴走が止まった。背中の傷は一瞬で完治した。その後、サンドワームの体全体が緩やかに揺れ出す。よく分からないけれど、凄く機嫌が良さそうに見える。
人間風に例えると、ルンルンと上機嫌でスキップしながら鼻歌を歌っているような感じだろうか。サンドワームは揺れながらもと来た砂漠の道を戻っていった。
良かった。
出来る限り無駄に生き物を殺したくはなかったから助かったよ。
だけど、なんか。きつくなってきた。体に力が入らない。
目の前がくらくらする。まるで貧血の時の症状みたいだ。
立っていられなくて、その場にしゃがみ込むけれど、それでもまだ足りない。意識が遠のきそうになって砂の上にうつ伏せになって、そのまま目をつぶる。
あーん。
これ、早く回復してくれないかなぁ。
何だか頭がくらくらして、すごく眠い。
力が抜けて体中がだるい。
すごく眠いよ・・・・・・。