8・冒険者現る
目覚めると辺りは暗くなっていた。
貧血のような症状は治まったけれども、相変わらずだるい。
力が入らない足で立ち上がる。
あれ?
あたし今、足4本で立ち上がらなかった?
足元を見ると黒い毛に覆われた前足2本がある。驚いて体全体を見回して気づいた。猫だ。あたしは真っ黒い毛並の猫の姿になっている。
ベステトの知識を照合する。
答えが出た。
今、自分は黒い仔猫の姿になっている。
この黒い仔猫の形態はベステトの緊急省エネモード。
神力のエネルギーが残りわずかになると、エネルギー消費を抑えるために猫耳女の子の姿から仔猫の姿に自動的に変身するみたいだ。
やっちゃったよ。
思い当たるのはサンドワームにかけた癒しの力。
多分、あれで神力のエネルギーを使いすぎてしまったんだ。
改めて良く考えたら、回廊を通る時にも神力を消費していたはずだから、元々神力の残量は少なかったのかもしれない。どうしよう。体力とかと違って、神力は眠ったり食べたりして回復するものじゃない。
神力を回復するには愛の補給しか方法がないんだった。
愛って、どうやって集めたらいいの?
ベステトの知識を照合。
答えが出た。
愛は文字通り、愛。
愛の溢れる人と心を通わせたり、交合う事で愛が集まる。
後は自家発電ともいうべき自分自身が愛で満ち溢れた人になる事だけれども、自分が愛で満ち溢れるって何?愛の女神や、慈愛に満ちた聖女様じゃあるまいし。そうそう愛なんかで満ち溢れたりしないよ。
ん?愛を集めるのに最後にもう一つだけあった。
信仰心だ。自分自身が信仰の対象となり、人々から純粋な信仰心で愛される事。
それって神様として崇め奉られるという事だよね。
これは絶対無理。
だって、あたしは人間のクズだもん。
とにかく、こうしていても始まらない。
一刻も早くこの砂漠から出て、なんとかして愛を取り入れないと、そのうち透明になって消えちゃう。
力の入らない体でふらつきながら歩く。
100歩と歩かぬ間に力尽きて砂の上に横に倒れた。もう1歩もあるけない。
見上げるとスモッグが無いからか、透き通るような天空には煌めく無数の星々が瞬いている。
きれい。
星がとっても綺麗。
ここで終わるのかな。
あたし。ここまでなのかな。
江梨花。
いやだ。
ここであたしが終わったら江梨花まで終わっちゃう。
終われない。あたしはこんな所で終わってなんかいられない。
心を奮い立たせて、4つの足に力を込める。
歩くんだ。歩いて歩いて、生きる道を見つけるんだ。
あきらめるもんか。歩けなくなったってあきらめるもんか。
這いずってでも前に進んでやる。
両前足の中心のすぐ上の辺りが桜色に輝く。
あたしの黒い毛に覆われて今まで気がつかなかったけれど、そこに居たんだね。桜色の小さな宝石。あたしの大切な人。とても大事なあたしの存在。
あの人の優しい気持ちに触れて、あたしは知った。本当の優しさとは、とても強いものなんだと。うつむかないし、すくまない。1歩も退くつもりのないその心には後悔も恐れも無い。
本当の愛を持つ人は世界最強だよ。
もう、立ち上がれないほどに衰弱しきっていた体に不思議と力が溢れてくる。
頑張れる。このくらいで負けるもんか。
よろめきながら砂の上を歩いていると、前の方から人影が見えた。
こっちに向かって歩いて来る。
夜目が利くはずなのに目の前が霞んでほとんど分からない。
近くまで寄られて、やっと相手の顔が見えた。
ブラウンの髪にヘーゼルの瞳。盾のような物と槍みたいな長い棒を持った男の子。獣人じゃない。人間の男の子だ。どうして、こんな所に人族がいるの?
霞む目で頑張って男の子を見る。14~16歳くらいの男の子だった。
よろめくあたしの目の前に腰を下ろして男の子は、優しく手を差し伸べてきた。
温かい胸に優しく抱かれて、ほっとしてしまう。
そして気が緩んだ瞬間に意識を手放してしまった。
気がつくと温かい毛布にくるまれていた。
首を回して辺りを見ると丸太で囲われた壁と木の天井。壁の丸太よりも太い大きな丸太が天井の筋交いになっている。ログハウスみたいな家の中に居るようだ。
暖炉が見えるけど火は熾していない。別に冬のように寒いわけではないから火はいらないのだろう。毛布から体を起こすと山羊の獣人の女性が見えた。何か料理をしているみたい。その先のテーブルには昼間に会った山羊のおじさんと、あの人族の男の子が座っていた。
起き上がったあたしに気がついた男の子は近づいて来て、そっと頭を撫でてくれる。撫で方が弱っているあたしを気づかうようでとっても優しい。
優しい触り方をする男の子の手が気持ちいい。
ぽわんとなって目を細めた。
「良かった。少しだけ元気になったみたいだ」
撫でられて気持ちよさそうなあたしを見て、男の子が呟いた。
あ、そういえば少しだけ気分が良くなってる。
体のだるさは抜けていないけれども、だいぶ力が戻ってきていた。
あれ、どうしてだろう?
「おや。仔猫が目覚めたの?それじゃ、このミルク粥を食べさせておあげ」
山羊の女性が白いトロトロの液体の入った木の器を男の子に渡すのが見えた。
男の子は山羊の女性にお礼を言うと、木のスプーンで液体を掬い、ふうふう息をかけて冷ましながらわたしの口元に運んでくる。
食べろという事か。
ちろっと舌でスプーンの中の液体を舐める。
うん。美味しい。オートミールに近い味だ。
あたしはスプーンの中の液体をぺろぺろ舐めて食べた。
「よし。いい子だ」
そう言って男の子は空になったスプーンを木の器からまた掬い、ふうふう冷まして食べさせてくれた。人の姿でこんな事をされたら恥ずかしくて死ねる自信がある。
でも今は黒い仔猫の姿なので羞恥心がそれほど出ない。それに体がだるくてそこまで意識を向ける余裕もないしね。
10杯くらいスプーンの中の液体を食べたらお腹がいっぱいになってきたので、ごちそうさまでしたの意味を込めて鳴いた。
「みゅう」
「ん。お腹ふくれたか?」
男の子はあたしの思いを正確に察してくれた。
こいつ、すごいな。
そのまま、男の子はあたしの体を膝の上に抱いて優しく体を撫でてくれる。
気づかうように触れてくれるその撫で方が気持良すぎてあたしは夢心地になる。
少しづつだけれど、体にも力が湧いてくる。
あ、そうか。
これ愛だ。男の子のあたしに向けてくれる優しい気持ちが愛となって体の中に入ってきているんだ。それにしても愛って、与えられるとこんなにも気持ちが良いものなんだね。
「おお。元気が出てきたみたいじゃないか。儂にも触らせてもらえるかい?」
昼間に会った山羊のおじさんが男の子に近づいて来てあたしを見た。
男の子はそっと大事そうにあたしの体を山羊のおじさんにあずける。
「おう。可愛いな」
あたしを抱くおじさんはにっこり笑いながら撫でてくれた。
おじさん、また会ったね。今晩は。
昼間の時とはまるで姿が変わってしまったから分からないか。
おじさんからも温かい優しさをもらう。
愛ってこうやって生まれるんだね。
気持ちいい。
男の子と山羊のおじさんと女性がテーブルに座って食事をしながら会話をしている。あたしは毛布にくるまりながら3人の会話を聞いていた。
3人の会話の内容から、山羊のおじさんと女性は夫婦だと分かる。仲の良い素敵な夫婦だった。あたしの両親とは大違いで、すごくうらやましい気持ちになる。
男の子は冒険者という肩書らしい。
冒険者とは護衛や魔物の討伐。戦争などで活躍する人達の事を指す。
何でも屋の傭兵みたいなものだけれども、彼らは自分達が傭兵と同一視されるのをとても嫌がるみたいだ。良く分からないけれども、冒険者としてのプライドみたいなものがあるらしい。
そして冒険者であるこの男の子は名前をルーカスという。会話の中でルーカスという名前の由来が(光を運ぶ者)であるというどうでも良い内容も聞こえてきた。どうでも良いは失礼だね。命の恩人なのに。
ルーカスはアトランティス大陸内の諸国を旅しながら強くなるための修行をしているらしい。時々、ギルドと呼ばれる運営組織からの依頼を受けて生計を立てて旅を続けているみたい。
ギルドとは一つの国家にとらわれず、各国に拠点を持つ巨大な運営組織の事で、その運営内容は物品や金銭の移動、運用の管理から魔物や害獣の討伐、戦争やお宝などの発見、採取に至るまで幅広い分野で活動している。
世界を股にかける巨大資本。グローバル企業だね。
地球の巨大グローバル企業も食料、衣類、車に家。飛行機や原油にプルトニウム、兵器に至るまであらゆる業種に手を出していたから、その異世界版という事になるのか。
どこの世界も巨大資本が集まるとやる事は変わらないみたい。
ここは砂漠地帯と草原地帯の堺にあり、サウス・セリアンスロープ内では辺境地域として見られている。住んでいる国民の人口も少ないし、比較的平和で犯罪も少ない地域だから警備兵団の拠点すら無い。
だからこの地域で突然の紛争や、強力な魔物の出没が起きても軍事力をすぐには動かせず、到着には時間がかかるとう問題があった。
そこで国の統治階級の人達はギルドを利用する事に決めた。大規模な軍を動かすほどの事案でもない小中規模の問題が発生した時にのみギルドに問題解決を依頼するという形にした。
軍隊を駐留させれば、拠点となる砦や城を築かなければならず、軍隊や拠点の維持費も多めにかかってしまう。国家予算の効率的運用の観点からも、辺境の防衛管理にはその場限りのギルドを利用した方が安上がりだった。
そして最近。サンドワームの出没頻度の増加がこの地域の長老達から報告され、サウス・セリアンスロープの首脳部はギルドに砂漠の調査を依頼した。調査の結果次第によってはサンドワームの討伐依頼も行う事になる依頼内容だった。
早速、ギルド冒険者管理部門の調査依頼課が依頼内容を発布し、数名の冒険者が依頼を受理してこの地に来た。その依頼を受理した冒険者達の内の1人が、旅をしながら冒険を続けるこのルーカスだったという事らしい。
そっか。
サンドワームが増殖しすぎちゃったのかな。
個体数が増えすぎると獲れる獲物が減っちゃうから、縄張りである砂漠から餌を求めて草原まで溢れ出てきちゃうかもしれない。
サンドワームは砂漠の食物連鎖の頂点に位置する魔物で、他の砂漠にいる食屍鬼や悪鬼等の魔物を食して間引いてくれている。もしもサンドワームが絶滅して、食屍鬼や悪鬼を食べる魔物がいなくなると、増殖力の高い食屍鬼や悪鬼が大発生して砂漠から溢れ出し、近隣を襲いだす事になるし。
生態系は難しいね。今回、サンドワームが草原まで餌となる獣人や家畜を求めて溢れ出してくるようだと、可哀想だけれどもある程度は殺して間引かないといけない。
ただ、サンドワームは砂漠の食物連鎖の頂点。普通の魔物とは強さが桁違いなんだよね。並の軍隊じゃ1個小隊でも勝てない。1個中隊規模の兵力が必要になる大物だし。
それを冒険者が討伐するとしたら、結構大変だと思う。
AからFまである冒険者の実力を表すランクの中でも上位Bクラス相当の実力者じゃないとサンドワームを相手にするのは大変だと思う。
冒険者のBクラスというと準・英雄級の超人達で、「姿は人だけれど。もうとうに人間辞めてるよね!怪物並だよね!」と恐れられるか、呆れられるくらいに鬼つよなのです。
そんなBクラスがどこのギルドにもホイホイ在籍しているはずもなく、Bクラスは主要都市くらいにしかいない。
ましてAクラスともなるとその実力は英雄級。たった1人で戦場の勝敗をひっくり返してしまうくらいの超怪物。このクラスになると1つの国家に3、4人居れば多い方。一番領土の大きいバルト帝国内でさえAクラスの冒険者は4~6人くらいだと言われています。
そして冒険者のクラスには伝説のクラスと呼ばれるSクラスがある。このSクラスというのはもう、どうしようもない強さですね。英雄が束になってかかっても勝てません。
多分、あたしが猫耳女子形態の時と同じくらいの強さだと思う。
猫耳女子形態は本気にならなくても国家の1つや2つ簡単に潰せる。つまりSクラスとはそういう人達。
今現在、アトランティス大陸にSクラスの冒険者はいないと言われているけれど。結構いるよ。最初にベステトがこの世界に来た時に20人以上いたからね。実力を隠して生きているんだろうね。気楽に気ままに生きていたいのかな?
ルーカス本人の言葉を信じると、彼の冒険者のランクはD。
Dクラスなら冒険者としては立派な中堅実力者になる。まだ15歳らしいのに凄いね。あたしより1歳年上のお兄さんだ。あと地球で3カ月死なないで生きていたら、あたしもルーカスと同じ15歳になれたのに。我ながら早死にしたなぁ。
翌日。
愛を補給して元気になったあたしは朝ごはんを頂いて食べています。
朝ごはんは昨晩と違ってお粥みたいなものじゃなくて、ちゃんと噛めるオートミールみたいなものでした。
元気になれて朝ごはんが美味しいけれど、猫耳の女の子の姿に戻るのには愛が全然足りていないので黒い仔猫の姿のままなんだけれどね。
「元気になったね。ピンクジェム」
頭を優しく撫でられながらルーカスにそう呼ばれた。
あたしの前足の前にある桜色の宝石を見てそう名付けたらしい。
昨晩。ルーカスが気になったらしく、あたしの体から宝石を取ろうとして、あたしが痛がったのを見て止めてくれたけれど、本当に痛かった。ちょっと怒ったよ。
この桜色の宝石はあたしの体と完全にくっついているから体の一部なんだよ。
普段は黒い毛に隠れて見えないけれども夜の暗闇の中では宝石が自ら発する光のせいで宝石が体についているのが分かってしまう。知らない人の前では気をつけないといけない。
ただ、昨晩はこの宝石の光のお陰でルーカスに発見してもらえて保護されたから時と場合によるけど。
あたしの体をひとしきり撫でて満足したらしいルーカスは、黒鋼の盾と荷物を入れたリュックを背中に背負い、左腰に長太剣を提げると、持ち手棒の部分に当たる打柄がダークグリーン色の槍を右手に持って出発の準備を終えた。
あ、そうか。砂漠の調査に出かけるんだ。
「気をつけて」
「無理はするなよ」
山羊のおじさんと奥さんがルーカスに声をかけて送り出す。
ルーカスの事が気になる。
心配で居ても立っても居られなくなり、走り出した。
「どうしたピンク?ついて来たら危ないよ。家で大人しく待っていて」
ルーカスにそう言われたけれど心配。
あたしはジャンプしてルーカスの背中のリュックの上に飛び乗る。
「こら。いい子だから聞き分けて。危ないから。ね!」
ルーカスを困らせたくはないので暴れるわけにもいかない。
あたしはルーカスの手に捕まり、また家に戻された。
仕方がない。
気づかれないように後ろからついて行こう。




