19.プリシラの守護神(最終話)
「顔を上げろ、プリシラ」
「えっ……あっ、ジャレドさま……!」
「遅くなって悪かった」
ジャレドが放り出したものを見てみれば、それは縛られた男であった。気を失っているようだしプリシラの知らない男だったが、カミラとジョナスが抱き合うようにして「ひっ」と息をのむ。
「こいつの名前はヘクター・マッコイ。プリシラ、あんたを事故に見せかけて殺そうとした男だ」
「わたくしを……あの時、馬車で……?」
「そうだ。他にも強盗殺人やら何やらをしでかしている大物の賞金首だ。今からこいつを、役人に引き渡す」
ジャレドはそう言って、足元に転がっているヘクターと、カミラとジョナスを見比べた。
「し、知らないわよ、そんな男っ」
「そうですよ、この薄汚い男はいったい誰なんです」
「あんたらがプリシラを偽物と言い張るならば、今はそれでもいい。だがヘクターの取り調べが始まったら、王宮から呼び出しがかかるだろうな。それを、楽しみにしていろ」
「な、なななにを言うのよっ」
「そ、そ、そうですよ、知りませんよ、そんな男は……」
二人の声はうわずっている。しかもカミラは、表向きは執事となっているジョナスを夜会に連れてきたうえ彼に抱きついているので、二人の動揺ぶりに、妙に近い距離感に、周囲のものは再びざわめき始めた。
「お嬢様っ。プリシラお嬢様っ」
今度は集まった客たちの間を縫って、かつてのヴィレット家の執事、マーカスが現れた。
「マーカス!」
「大丈夫ですよ、お嬢様!」
彼は紙の束を掲げ、それをひらひらと振りながら、急いでプリシラの元までやって来た。
「お嬢様がお嬢様であると証言してくれる方が、こんなに集まりましたよ。まずはヴィレット邸を不当に解雇された、私含む使用人二十数名でございましょう」
マーカスはホールに響き渡るような大声を出した。不当に解雇、の部分でカミラとジョナスに視線を向ける事も忘れなかった。
「それから、ヴィレット家所有の麦畑で農作業をする者たち。私どもは皆平民でございますが、身分ある方たちにも連絡を取ることができました。フォートナー女子修道院で、お嬢様と一緒に過ごされた方たちです」
フォートナー女子修道院は資金難に陥って、皆がばらばらになった。シスターたちは他の教会や修道院へ、行儀見習いで身を置いていた娘たちはそれぞれの生家へ。中にはプリシラより身分の高いものもいた。
「修道院長やシスターたちにも連絡がつきましたよ。もちろん、彼女たちもお嬢様がヴィレット家の娘だと、そして規律を守り立派に修道院で過ごされた事を、役人の前だろうが王様の前だろうが胸を張って証言してくれるそうです」
「ま、まあ……マーカス。わたくしのために、このような……」
「お礼ならば、ジャレド様にどうぞ。いつだったか、お嬢様とジャレド様に街でばったり出会いましたでしょう? あの後、ジャレド様が私を訪ねてくださったんです。出来る事から地道に働きかけて行こうと、二人で作戦を立てながら、時々連絡を取っておりました」
「ジャレドさまが……?」
驚いてジャレドを見上げると、彼は首を振った。
「実際に動いて手をつくしたのはマーカス殿だ……それより、急いでヴィレット邸に向かうぞ」
そして彼はホールに集まっている客たちに向かって叫んだ。
「皆さん。見ての通り、俺……オースティン・ジャレド・ハーヴェイの婚約者、プリシラ・ヴィレットには問題が発生しています。ヴィレット子爵の生命に関わることですので、中座をお許しいただきたい!」
彼が言葉の終わりにした一礼は、どんな貴族よりも堂々としていて、そして洗練された上品なものだった。
ジャレドはヘレンにも一言詫び、プリシラを連れてホールを出る。彼は屋敷の外に役人を五人も連れて来ていて、彼らの中の二人にヘクターを引き渡した。それから、残りの役人を連れてヴィレット邸に向かう。
カミラとジョナスも、あれだけの注目を浴びたらもうパーティー会場にはいられないだろう。ヴィレット邸にのうのうと戻ってくるかもしれないが、どちらにしろヘクターの取り調べが始まれば、彼らは役人に呼び立てられる。案外このまま行方をくらませて、新たな賞金首となるのかもしれない。
ジャレドのお披露目パーティーは失敗に終わったかのように思えたが、参加者たちには大好評だった。
賞金稼ぎの野性味溢れる格好でホールに現れたオースティン・ジャレド・ハーヴェイ侯爵の振る舞いは、大変派手な催し物として受け止められたのだ。今となっては、何よりのお披露目になったのではないかとヘレンは語る。
「そんな事になっていたとはねえ……」
「本当に、ジャレド様は素晴らしかったのですよ!」
ヴィレット邸の執事に戻ったマーカスは興奮気味に、何度も何度もジャレドの勇姿をバーナードに語って聞かせていた。
ジャレドは一度捕まえ損ねたヘクターの行方を、ずっと追い続けていたようだ。そしてヘクターの新たな目撃情報が得られたのは、お披露目パーティーの直前であった。ジャレドはヘクターを捕まえてパーティー会場にやって来て、プリシラを助けてくれたのだ。
バーナードも、何度目になるか分からないその話を頷きながら聞いている。
「お父様。起き上がっても大丈夫なのですか」
「おお、プリシラ……!」
バーナードは部屋にやって来た娘を、両手を広げて歓迎した。
「本当に、お前には苦労をかけたね。私が不甲斐無かったせいで、申し訳ない……」
「そんな。お父様だって、大変だったのですもの。そのように落ち込まれては、お身体の回復も遅くなってしまいます。どうか、元気を出してください」
「ああ、お前は、本当に優しい子だね……」
あの日、バーナードはひどく衰弱した状態でヴィレット邸の奥の間から発見された。カミラとジョナスは、バーナードを生かさず殺さずの状態で薬を盛って監禁していたのだ。その部屋には外から鍵がかけられていてカミラかジョナスが管理しており、使用人たちもバーナードの姿を見た事は殆どないと証言した。
発見された当初のバーナードは薬のせいで朦朧としており、プリシラの顔もよく分からないほどであったが、あれから二週間が経って薬もだいぶ抜け、元気を取り戻し始めている。
妻を亡くした寂しさを埋める為、周囲に進められるままにカミラを娶ったことを彼は悔いたが、プリシラが心から愛する人に出会ったことはとても喜んでくれた。
プリシラは父の世話をするためにハーヴェイ邸を出て自分の屋敷に戻った。今はマーカスや新しい使用人たち──それに古くからの使用人も何人か戻って来た──と一緒に、父の代わりに屋敷の切盛りを頑張っている所だ。
ちなみに、カミラとジョナスはパーティー会場からこそこそと抜け出したあと、予想通りグラウツの街から、そして王都からも離れようとしていたらしい。が、街道沿いの宿屋で大喧嘩になり、店のものを壊し始めた所を通報され、役人に連れられて行った。しかもカミラのお腹にはジョナスの子供が宿っていたようだ。妊婦という事で悪環境の地下牢獄に入る事は免れているが、出産を終えた後は厳しく追及される事となるだろう。
もしカミラに男子が誕生していた後であったなら、バーナードの命も本格的に危ない所であった。バーナードの子供と偽ってジョナスの子を出産したカミラは、バーナードを始末して愛人のジョナスと子爵家に居座るつもりであったのだから。
父の様子や屋敷の中に問題がない事を確認すると、プリシラは今朝届いた王宮からの書簡を持って馬車に乗り込み、ラガリエへと向かった。
ヴィレット邸にマーカスが戻って来たように、ハーヴェイ侯爵邸では新しい使用人が増えていた。マーカスの息子の、マーカス・ジュニア──彼らの家では、長男に代々マーカスと名付けるらしい──である。彼は将来ハーヴェイ邸の執事となるべく、今は従僕としてジャレドに仕えている。マーカス・ジュニアに彼の父の近況を告げていると、二階からジャレドがやってきた。
「プリシラ」
「ジャレドさま」
プリシラが生家に戻って以降、毎日会えるということは無くなってしまったが、二人はバーナードの身体が元通りになったらすぐに式を挙げるつもりでいる。医師の見立てではあと二、三か月といったところだろうか。
「ジャレドさま。わたくし、今朝は王宮からお報せを受取ったのです」
「どうした、ジョナス・ケインが獄死でもしたのか」
プリシラは苦笑いしながらも違います違いますと首を振り、王宮からの書簡を広げてみせる。
それはプリシラ・ヴィレットの死亡は正式に取り消された……つまり、プリシラ・ヴィレットは生きていると記録が書き換えられた報告であった。
父のバーナードはもちろんプリシラは本物だと認めたし、マーカスが集めてくれた人たちの証言もあった。そしてプリシラの墓はからっぽだったとも確認された。
証言してくれたシスターたちのために何かできる事はないかと、今、ハーヴェイ家とヴィレット家が援助し、フォートナー女子修道院をもう一度蘇らせようという話もあがっている。
「証拠がそろっている割には時間がかかったな」
「役人さんたちは、他にも仕事がありますから。きっと、お忙しいのでしょう」
ハーヴェイ侯爵家のことが解決したとみえたら、今度はヴィレット子爵家の問題が起こったのだ。取り調べなくてはいけない罪人が増えて、役人たちも大変だろうとプリシラは思う。
それにしても、とプリシラはジャレドを見上げた。
彼は琥珀色の瞳に優しさと情熱を湛えてプリシラを見つめ返している。
「ジャレドさまは、本当に……いつもわたくしを助けてくださいます」
「あんたも頑張ったじゃないか。よく、一人で持ちこたえたな」
プリシラはジャレドに出会っていなければ、カミラたちを目にした途端、どこかに逃げ隠れてしまっていたかもしれない。或いは、カミラに無視された時点で俯いてしまい、何も言えなくなっていたことだろう。だがホールの真ん中で大声を出して彼らを呼び止めることが出来た。一人で彼らを糾弾する事こそ無理だったが……ジャレドが、助けてくれたのだ。
「いつだって、助けてやるさ」
彼はプリシラの銀の髪をひと房掬い、そこへ口づけた。
「なにしろ、あんたに惚れ抜いているからな」
プリシラはジャレドの後ろに控えていたマーカス・ジュニアが、こちらに背中を向けてしまったのを視界の端で捉えた。彼に申し訳ないと思いつつも、ジャレドからのキスを唇にも受ける。
「ジャレドさま。わたくしも、心からお慕いしております」
ついばむ様な口づけを繰り返したあとで、額をくっつけながらジャレドが囁く。
「……街に行って、書簡の事をジュリーにも報告するか」
「はい。ジュリー様にもお知らせいたしましょう。喜んでいただけると思います」
「その後で……あの部屋にも行ってみないか? 俺が、借りていた部屋だ」
ジャレドが暮らし、プリシラも暮らし、二人が初めて結ばれた場所。賞金稼ぎの仕事は先が読めない為、余裕を持って家賃を支払っておくのだ。だからあの部屋は、今もジャレドが借りている事になっている。
「どうかな、未来のハーヴェイ侯爵夫人?」
少し危険で、だがとても魅力的な笑みを浮かべながら、ジャレドは胸ポケットから部屋の鍵を取り出して見せる。プリシラは彼の手に自分のそれを重ね、くすくすと笑った。
「はい。とても、良い考えだと思います」
(了)




