夜更け
努力は必ず報われる。報われない努力は、努力が足りていないだけ。誰かがそんなことを言っていた。それは、答えが確かにあって、過程ではなく、結果を全てとするから。そんな世界は、力強く、輝いている。しかし、あの日流した汗も、涙も、かすれす声で呟いた叫びも、闇へと消えていく。そんな、空しい世界だった。
「......で、できた......終わった......!」
零士は、隣から声がして、おぼろげになっていた世界から醒めた。
「え、ついに?」
「はい! 終わりました......!」
そう言って満面の笑みで告げる新人研究員の彼は、何日も寝ていないのだろう、限界の二文字を顔に浮かべながらも、喜びの声を上げた。
「教授! 終わりました! これで、学会に間に合いますよ!」
研究室のソファに横たわっていた教授は、零士の声で咄嗟に起き上った。それから、少し惚けながらも、事態をすぐに把握した。
「ほんとうか! 間に合ったか!」
「はい!」
その他にも、零士の先輩など研究チームのメンバーが、仮眠から一斉に起きて、歓喜の渦の中に加勢した。皆、お互いを称え合い、全身で喜びを表している。ちょうどその時、研究室の一つの窓から朝陽がさしこんだ。
数日後、零士たちは都内の大学に赴いた。目的地である講堂の入口には、看板に『日本考古学学会』の文字が書かれていた。
「えー、それでは続いて、京城大学、畷教授より発表です」
教授がマイクを司会から受け取り、壇上に上がる。零士はその舞台袖から、スライドを動かすべくパソコンの位置についた。他のメンバーは、席で発表を見守る。
「えぇ、私から本日発表させていただくのは……」
史実を新たに解き明かす発表。タイトルが綴られたスライドを眺め、零士は少し目を潤わす。そこにある文字、一つ一つが、メンバー全員の努力の結晶だった。
発表は順調に進んでいく。零士はスライドをひとつ、ひとつと進めるごとに、今までの日々を振り返り、思いを馳せていた。席にいる他の教授たちやその研究メンバーの人々の目も、輝かせながらスライドへと視線を集めている。メンバーたちも、これには誇り高く……零士は、ふと、とある人に視線を止めた。
(……大丈夫かな)
零士の視線を止めたのは、論文の最後を担当していた新人の彼。彼も、仲間たちとともに誇り高い様子でいた。しかし、その目は輝いていなかった。まるで、抜け殻のように、姿はそのまま、魂だけ吸われているようであった。
「……おい、次」
ふと、教授の小声と視線を感じ、零士は慌ててスライドを次にする。発表途中で余所見をしてしまった。今はどうしようもできないので、後で、声をかけてみよう。そう思った時だった。
鈍い音を立て、すぐに会場がざわつく。皆の視線とともに、壇上の教授や零士も顔を向ける。すると、そこに倒れていたのは、彼だった。
「おい……霧島! おい! すみません、誰か」
会場が混乱の渦に飲まれる中、そばにいたメンバーたちが彼の介護をする。発表どころではなく、教授や零士もすぐに彼の傍へ駆け寄った。
遠くでバイクの音がする。零士はふと時計を見ると、深夜の三時を回ろうとしていた。朝の新聞の配達だろうか、静けさに包まれた病棟のベランダで、夜風に吹かれながらぼんやりと考え事をした。
自分はどうして、彼に目を止めたのか。何かわからないが、確かに自分の中で、心に引っかかるものがあった。
病室に戻ると、ちょうど彼がゆっくりと瞼を開けるところだった。
「……ここは……」
「……霧島、目覚ましたか……よかった……」
「先輩……」
彼はまだ起きたばかりの掠れる声で、「ごめんなさい」と言った。その時、零士の中で記憶の断片が繋がり、先ほどの答えが形を成していった。
彼は、この研究に一番邁進していた。それは誰よりも、研究を愛していた。もちろん、零士にも愛はあったが、それとはまた違う、エネルギーのようなものを彼は帯びていた。だから、皆が力尽きようと、ひとりで作業を進められた。彼は優しく、いつもチームのために何かをすることを好きそうにやってのける。だから、自分らはそれに甘えていたのかもしれない。彼にも、越えてはいけないラインがある。零士は、それに気づけなかったのが悔しかった。かつての自分のように、そのラインを越えさせてしまった。
「……霧島、ごめん」
「なんで……先輩が、謝るんですか……」
彼はこんな状況になった今でさえ、笑顔を作ろうとした。
「霧島を見てると……昔の自分を思い出すんだ」
雲から月が顔を出し、更けた夜が少しだけ明るくなる。日の出まではもう少し、時間があった。




