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焦燥感

 樹里ちゃんの宣言通り、次の週からは先生の考えたメニューになった。今までよりも基礎練習が多く、これまで再三経験してきた茜たちにとっては少し退屈なものであった。


「またダッシュかあ」


「樹里ちゃんのメニューしんどい......」


 咲や美聡が愚痴をこぼすように、茜も知らぬ間に、不満が募っているようだった。メニューを替えられたとか、基礎練習がつまらないなどといった理由ではなく、どこか焦りから生じるものだった。


(こんなことしてる場合じゃないのに......)


 最後のインターハイを前に、宿敵にリベンジする絶好のチャンスが目の前に迫っている。それなのに、圧倒的にボールを触る時間が減り、気づけば走る時間が増えていた。次第にその焦りは、表に滲み出てくるようになった。


千佳(ちか)! いつまでそんなミスするの!」


「先輩......すみません」


 今までは声を荒げる自分などいなかった。でも心なしか、注意の言葉に鋭さが生まれていた。


「ちょっと休憩にしよう」


 それでも樹里ちゃんは何も言わない。言ってこない。ただひたすらにノートにメモをしては、個々に話しかけ、アドバイスをしている。


「茜、どうした? なんかあった?」


「......いや、なんもない」


 いつしか、咲や美聡とどう接していたのかも分からなくなっていた。いつもは三人で行っていた給水も、今は一人。水道の鏡で、汗に濡れる顔をただ見つめていた。






 

 ゴールデンウィーク最終日、いよいよスプリングカップ当日になった。会場の市民体育館は、大会前の独特の空気が流れる。


「おはよー、茜一番乗り?」


「うん、なんか早く起きちゃって」


「マジか、うちなんてさっき起きたよ」


 いつもはこれに笑っていたっけ。今の茜には、昔を思い出して笑顔を作るのが精いっぱいだった。


「あ、来たよ。王者」


 咲がそう言って顔を向けた方へと茜も視線を移す。黒に紫のジャージを着た集団がマイクロバスから降りて到着したところだ。


(やっと戦える......)


 茜は彼女らを見て、緊張と闘志が入り混じった奇妙な感覚で、武者震いをした。今日、私はキャプテンとして、エースとして、勝ちに行く。その背中を、チームに見せる。樹里ちゃんにも見せる。そうすれば、きっと......。


――バスケが好きだったあの頃に戻れる。


 何の確証もないのに、その道しか見えなかった。オレンジの光をたっぷりと浴びて、意気揚々とバスケをするのが、私のはず。そんな私になるんだ。茜の闘志は、道をひとつに絞り、一層燃え始めた。


 会場に入り、開会式、アップ等を済ませ、間もなく第一試合。相手はよく練習試合をして、いつも勝ち越している河北高校。


「じゃあ茜、集合掛けて」


「はい。集合!」


 茜の声に、一同は集まる。礼をして、試合前の最終ミーティングを始めた。


「この大会はトーナメントなので、一個ずつ着実にね」


「はい」


「相手はよく知ってる学校らしいけど、油断しないように」


 茜は、樹里ちゃんの言葉が決まり文句にしか聞こえなかった。どの相手にも、顧問は同じ言葉を並べる。「油断しないように」と。でも、茜からしたら、この大会の焦点はそこではなかった。


「みんなの大会の姿を見るのは初めてだけど、何となく、この試合厳しいものになると思うよ」


 何を言っているんだろう。樹里ちゃんの忠告は、茜の耳にさほど入らず、右から左へと流れて行った。


 一同は解散し、アリーナの入り口のドアの付近で前の試合が終わるのを待った。すると、遠くからエメラルドグリーンのユニフォームを纏った集団がやって来た。


「美聡! 咲! 茜!」


 その中で先陣を切っていた一人がこちらに大きく手を振って駆け寄ってきた。


(すい)! やっほー!」


「ねぇ、また初戦で当たったね。何回目?」


 試合前とは思えないほどのフレンドリーさで話しかけてきたのは、河北高校の三年でキャプテンの翆。練習試合で何度も戦ううちに戦友として仲良くなっていた。それだけではない。後輩たちもそれぞれ話している。


「今日も勝たせてもらいます」


「いや、今度こそうちらが勝つから」


 美聡は自信満々に言い返してきた翆に「そうこなくっちゃ」と背中を叩いて讃えた。しかし茜は話す気になれなかった。茜にはその時、違うものが目に入ったいたから。茜たちがいる場所の一つ奥の入口に、紫色のユニフォームの人たちがいた。梓西高校だ。私たちはあそこに勝つ。翆たちなどはさっさと倒して、早く戦いたかった。そう思うほどに、咲や美聡が翆と話しているのや後輩たちも緊張感無く話しているのが、癪に障った。


「じゃあね! 茜も!」


 去り際、翆はあまり話さなかった茜にも声をかけたが、茜はきちんと目を合わせることなくテキトーにあしらった。


「茜、翆と話さなくてよかったの?」


「うん。だって、試合前だよ?」


 茜が言った途端、ピリッとした空気が走った。それでも茜は構わなかった。今更、スタンスを変えるつもりもない。


「え、だっていつもはさ......」


「今日は! 違うでしょ。いつもとは」


 それ以上、咲や美聡は言ってこなかった。諦めたのか、納得したのか、振り返って彼女らの顔をきちんと見なかった茜にはわかることではなかった。





 茶色のボールが、オレンジの光を浴びる。いつもよりも会場が大きいので、声援は近いようで遠い。そのボールと同じように、4番のユニフォームを光に照らす。そして、観客の目にさらす。この背中を、今日ここにいる人たち全員が見ていて、その目全てに刻み付ける。茜の闘志は最高潮に達し、その瞬間、ホイッスルとともに、ボールが審判の手から高らかと上に投げられた。


(まってろ......)


 呼吸を荒く、必死に、ボールをバスケットゴールへ持っていく。


「茜!」


「茜!」


 誰も付いてこない。遅い。そこにいちゃダメだ。自分でやるしかない。


「茜、パスしてよ」


「そうだよ、視野広げて!」


「じゃあもっといいとこに動いてよ!」


 こんな空気、苦しくない。だって、勝てばすべて変わるから。


「茜!」


 私がチームを、私が勝利を、私が......私が......!


 ボールが翆の手に渡り、すぐにディフェンスへ。ディフェンスへ......あれ。


「茜、戻って!」


 わかってる。樹里ちゃんに言われなくても。なのに、足が......動かない。早い。翆の背中が遠い。


 間もなくして歓声が上がる。点が入ったと悟り、茜はすぐに切り替えようとした。たかが一ゴールくらいくれてやる。すぐに巻き返して......その時、ホイッスルが鳴った。それに応えるように、観客はどっと沸きあがる。翆たちが喜ぶ姿が目に入り、同時に咲や美聡が腰に手を当て、肩を落としている姿も目に入った。


(負けた......負けたんだ......)


 思いもよらぬ結果に道を閉ざされ、茜はしばらく呆然と立ち尽くした。4番を背負ったその背中は、期待を裏切られたという視線にさらされた。

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