期待の声
香坂先生が赴任してきて一週間、彼女はあっという間に部と打ち解けた。彼女は最初に言った通り、メニューに口は一切出さない。練習の時間は、ただひたすらに部員のプレーを観察した。
「樹里先生、なんも言ってこないよねほんとに」
「でも、なんかメモしてるよ」
咲の言う通り、観察しては時々、ノートに何かをメモしていた。しかし、その正体は明かされぬまま、時は過ぎていった。
「よし、じゃあ今日の練習はここまでにしよう」
香坂先生になってから変わったことは、練習時間も挙げられた。今までは練習の終わりは定められてなく、自主練など好きにしていた。しかし、彼女が来てからは、しっかり休息を取るようにと全員で解散という制度になった。
そして、解散した後は部員とコミュニケーションを取る。練習のこともそうだが、それ以上にたわいもない会話が多かった。
この一週間で、彼女のことを掴めている部員はいなかった。その一方で、最初に感じた高揚感は、練習を重ねる度にじんわりと高まり続けていた。
「樹里先生ってなんの教科担当なの?」
「えーっとね、数学かな」
「数学? じゃあうちらの担任の可能性低いかー」
「あぁ、でも最初は副担任とかだから、まだ分からないよ?」
「美咲ちゃんとかと同じクラスだったから、熊坂の可能性高いよね……」
「熊坂先生ってあの、柔道部の?」
「そうなんですよ、うち二年間担任で、もうお腹いっぱいなんです」
先日発表されたクラス替えで、見事に茜と咲と美聡は同じクラスになった。
「まぁ、私からは何にも言えないから。明日をお楽しみに」
香坂先生は不敵な笑みを浮かべていた。三人はその後も、クラス担任の話題で盛り上がりながら帰路に着いた。
翌日の始業式の日、教室に向かうと、黒板には熊坂先生ではない字が記されていた。
(この字からすると、おそらく……)
しばらくしてチャイムが鳴り、教室に入ってきたのは古典の鈴木先生だった。茜は予想が当たり、心の中で一人ガッツポーズをする。
すると、鈴木先生の挨拶の雲行きが変わり、皆の視線が教室の扉に集まった。そして入ってきたのは、香坂先生だった。
(え、ほんとに?)
茜は思わず咲と美聡にアイコンタクトをとった。二人も驚きと喜びが隠せていないようだ。
「えっと……はい!」
香坂先生は教卓の前で簡単に自己紹介を済ませた。体育館で見る彼女とは少し雰囲気が違く、「先生」という感じがした。
放課後、部活に向かう途中、三人の話題は香坂先生の話で尽きなかった。
「え、まさかだったよね?」
「絶対ないと思ってたから、めっちゃ嬉しかった」
「それな、うちもびっくりしたー」
驚きと嬉しさを口にしながら体育館へ入ると、早速、部活動見学の新入生がいた。入学式の日から来るということは、かなりやる気のある子たちだろう。
「うわー、今年一年多いね」
「ひとえに、茜さんの活躍の賜物じゃないっすかねぇ」
美聡がおどけて言うので、茜は笑ってそれをあしらった。
「部活動見学に来た感じ?」
咲がそのうちの一人に話しかけると、その一年生はハキハキと「はい」と答えた。
「私、水野選手に憧れて……」
「え、私?」
「はい、去年のインハイ予選見てました。めっちゃ尊敬してます」
去年のインターハイ予選は、部内で数年ぶりにベスト4まで進み、惜しくも準決勝で負けて本戦は逃した。茜は二年生ながらにエースとして活躍し、地元のローカル局に取り上げられたりもした。
「そっか、ありがとう......」
茜はそれとなく礼を言って、それから、練習を始めた。
エースとして注目されるようになり、ああいった期待の声は茜の耳にもよく入ってくるようになった。しかし、その言葉を聞く度に、ボールが重く感じた。
「茜! こっち!」
後輩や色んな人の視線を感じる。キャプテン、そしてエース、このくらいのプレッシャーは、この先本当に選手としての道を歩むなら、跳ねのけなければいけなかった。頭の中が騒がしく、美聡のパスの声も妨げられてしまった。
「茜、大丈夫?」
「うん、ちょっと休憩しようか」
マネージャーに指示を出して、練習を止め、休憩に入った。いつにまして、重くなったボールをキャリーに入れ、咲や美聡と給水に行った。もちろん、香坂先生はそんな茜の様子もきちんとノートに記していた。




