◍ 狸少年の作戦。女狐をおびき出すには
ちりん――……
器の中で踊る玲瓏な音。
カビのような緑青が吹いた銅貨二枚と、あとは、刻み煙草の灰が溜まっているだけだった器の底に、貨幣とは別の重みが加わえられた。
溝鼠、と暴言を浴びながら育った男の子は、ゆっくりと腕を下ろして底を見つめる。
「いいか――? この礫は、ただの石ころじゃない。上質な常磐の欠片が、海の波にもまれて磨かれたものだ……」
お前に何人の同胞がいるか知らないが、これを売れば金になる。皆で分け合え。
そう説く相手は死神のような黒づくめだが、墨染めの衣から出された手は白く、指先まで美しく、降ってくる声は瑞々しい。
冥府の役人なのか。だとしたら、帷帽を廻る夜色の薄紗にどんな顔が隠されているのか、興味津々に見上げていると、死神の後ろから金色夜叉が歩み寄ってきた。
「そういうことなら、この先に〝鮑叔〟って半妖の男がやってる質屋がある。五つ目の狭い路地を、左に曲がった石段の途中だ。そいつ以外には、絶対に売るんじゃねぇぞ?」
黒と金の大人二人。
男の子はきょとん顔をしていた。変な二人だけど――。
両方、腰の位置が高い。足長い。なんか強そう。ちょっと怖い。でも
なんかかっこいい大人――。
康狐仙捜索、六日目。
八重歯のかけた歯を見せて笑い、ボロ布をハタハタ振って、男の子は旋風の如く立ち去った。
金色の前髪をかき上げ、嘉壱はやれやれとため息をつく。聞き込みのため、ちょっとそばを離れたら、貧乏神のようなガキんちょに死神が捕まっていた……。呆れた。
この辺りには、平然と詐欺やスリで飯を食う子どももいるので、一応、気をつけてもらいたい。
「いいのか。あれ、お前の腰にぶら下がってたお守りの一つだろ」
李彌殷から旅に出るほど遠出しなければ、あまり必要ないかもしれないが、時化霊に当てられやすくなるには違いない。いくら花人の生命力が元来半端ないからと言って、半端ない仕事をする奴には、三つ持たせても足りない場合だってある。
「持たせてくれた奴が心配性なだけだ。問題ない――。俺が頼まれたのは、今のところ単なる人探しだし、狩りと言ってもいいけど、おそらく山奥に行く必要はない」
「近くにいるってことか?」
「呼んで声が届くほどの距離ではないけどね」
「ついでに、俺の提案に乗ってくれた理由も聞いていいか。最初はともかく、今も継続しているから余計に分からねぇ」
「なんの話?」
死神男――皐月は聞き返しながら、再び市場を歩き出す。
「月嬌の紗雲っていう踊れる奇術師として、一世風靡を巻き起こしてる話だよ。宵瑯閣の女将は、お前をすっかり気に入ってる。住み込みだから、飯も寝床も確保できた。でも、本当は嫌なんだろ? 目立つのも、女装も」
枇琳園の招財神たる地位を脅かしてやればいいと言ったのは、正直冗談だったし、まさか本当に現実となりそうな勢いで評判になるとは思わなかった嘉壱である。
「お前……、一体何者なんだよ。マジで。花人のくせに、大道芸で飯食ってたのか?」
「なんにせよ、背に腹はかえられない。康狐仙をおびき出す方法として必要な条件が揃ってたから、まぁいいかと思っただけ」
萌神荘に来いと言って来る相手ではないのなら、外に機会を作るしかない。何処にいるか分からない以上、何処にいても耳にするくらい、世間の噂になるものを餌にする必要がある。
かつ、餌場は多くの人間に紛れて、気軽に顔を覗かせることが出来る公の場に設置するのが理想だ。
「相手が、食いつきたくても食いつけない場所にある餌に意味は無い。なにより、俺という餌が、居場所を示すだけでなく、目立ちながらも正体を隠せることが最大の条件だった。仕掛けが丸見えじゃ、獣も魚も掛からないでしょ」
雑魚には単なる美味そうな餌。大物にはそれ以上に、挑発的な餌に見えることが重要。
「なるほどなー」
「でも、実を言うと、芸事の神として崇められてきた負等嫌努をくすぐるよりも、こっちには、もっと確実に相手を引きずり出す策がある」
「火事でも起こすか? 康狐仙は先代に次ぐ火霊の使い手。そういやぁ、火祭りが大好きだ」
嘉壱は面白くなってきて、また冗談を言った。
皐月は立ち止まって懐を漁った。目の高さに出して見せたのは、内側に白蓮と蜻蛉が手描きされた、手のひらより小さい玻璃の小瓶。
「ぬあ…っ!!?」
康狐廟に飾れていた、狐仙の大事な大事な蒐集品の一つではないか。
嘉壱はたちまちにして顔面蒼白。
「どういう神経してんだお前ぇっ!! アホかあああああ…ッ!!」
じゃーん。
勲章のように見せつけている皐月は、痛くもかゆくもない顔。あまりに平然としてるから怖い。盗みを盗みだと思ってないっぽい無表情が怖いッ!! 今すぐ無関係を装いたい…っ!!!
「これこれ――。お前たち、何を騒いでおる?」
聞き覚えのある老爺の声に、嘉壱はハッとして、おそるそる後ろに腰をひねっていった。
◍【 狐の足跡について、狼に聞いてみる 】
「燦寿さまあああああっっッ!!」
白神狼・范燦寿太仙老――。李彌殷に最も近い東の路盧県を守る土地公の一人だが、他とは格が違う。元来は亘樹宮という地方を治めていた按主で、本性は〝送り狼〟と呼ばれる山岳獣神の長だ。
狼は山を行き来する人間の後をつけ、襲うものだが、燦寿の一族はむしろ、安全に下山できるよう導く神聖な存在として崇められていた。とはいえ、狼は狼である……。
いつも以上に好々爺の目が細く、微笑んでいるように見えても、今の嘉壱にはすべてが恐怖でしかない。鼻水を噴き出したその反応を見て、骨董売りの少年があきれたように尋ねる。
「なんだ。燦寿のじいさんに用があってきたんじゃないのかよ」
雑踏の中に嘉壱を見つけたのは自分だ。燦寿に声をかけて報せたが、余計な真似をしただろうか。
「――いや、そんなことはない」
若い美声を発して、死神がスイスイと歩み寄る。
「長生きしてそうなそこのじいさん、不躾で悪いけど、この先の城隍神廟について詳しかったりしたら、ちょっと話を聞きたい」
「おお~。構いませんぞ冥府のお役人殿。わしは当代最高齢を自負しておりましてな、現に生き字引と言われておりますのじゃ。もしや、康狐仙について探っているのかな?」
「よく分かったね――」
皐月は帷帽の薄紗を軽く手で除けて、燦寿に半顔と口元の微笑を見せた。
燦寿は一瞬鋭い目をしたが――、すぐに周囲が驚くほどの豪快な笑い声を上げた。
「ふぉっふぉっふぉ! 亀の甲より年の功。若い人が道に迷うのは必然じゃからのぉ~」
何処ぞの鬼国の〝元老〟というのは、煮ても焼いても食えん偏屈な爺、婆だろうが――。
「わしはこう見えて、花木を育てるのが好きなのじゃよ。変わり種ならなおのこと。どんな花を咲かせ、実を結ぶか、楽しみでならん」
嘉壱は小首を傾げた。燦寿が言っている鬼国とは、おそらく花人の国、萼のことだ。現に、自分が養子に入った菊嶋家にも、青二才いびりが趣味と言わんばかりの厄介な老将がいる。
なぜ今、そのことに触れるのか、引き合いに出すのか、わざとらしい物言いが気になった。嫌がらせを受けてきた自分を見ながら言うなら、まだ分からなくはないが、燦寿がじっと見つめているのは皐月だ――。
燦寿は果物の山から〝龍眼〟の実を手に取って彼に差し出し、意味深に続ける。
「故に――、〝竜氏〟と謳われるこの国の王のご意見番まで務めておるのじゃ。好きに呼び、なんでも頼って下され」
「じいさん、そんなに偉い人だかったのか」
骨董売りの少年は、だからと言って慌てたりしない。燦寿が垣根のない交流を好むことをよく知っている。
我に返った嘉壱が、すかさず補足した。
「燦寿様は壽星台閣の璧合院――国王の諮問機関を長年に渡って支えてきたお一方だ。燦寿様、こいつは皐月。六日前、いきなり萌神荘を訪ねてきて…」
「ああ、飛叉弥から聞いとるよ。助っ人を雇うことにしたと。場合によっては、隊首としての務めを分担することになるだろうとも…」
「ハあっ!? 待ってください、そ…それってッ! こいつが俺たちの指揮を執るかもしれないってことですかっッ!?」
聞いてねぇぞ――……っッ!! 嘉壱は驚きだけではない感情に、カッと目を見開く。
皐月は嘉壱の両拳が握りしめられるのを、視界の隅で見ていた。しかしここでは、あえて触れない。遅かれ早かれ、こう言う流れになるだろうと思っていたのだ。
ただ、飛叉弥のバカ野郎が腹をくくれずに八年も費やしてきただけで――。これからは二人体制。自分が代わりを務めなければならないほど、事態が悪化てくることは容易に想像がつく。皐月はこっそりため息をもらし、とりあえず話を戻す。
「じいさん、この鼻煙壺を見てくれ。康狐仙が、どうやって集めてきたか知りたいんだけど……」
「んむ――?」
作り手の職人、同じ趣味の蒐集家、骨董商――などなど、誰かから得なければ増やせるものではないだろう。自分で育てて収穫できる米や野菜とは違うのだから、ここにも狐の足跡があるはず。
燦寿は一つ唸り、傍らに立つ骨董売りの少年と顔を見合わせた。
「確かに。鼻煙壺の入手先の者も、黛紅の馴染みには違いない。近況について何か知っている可能性があるが……」
骨董売りの少年が怪しげに目をすがめる。
「地下の〝伏魔殿〟とかじゃないの……? その辺の質屋と違って、価値も分からないままとんでもない物、売り買いしてる連中ばっかりだけど、中には異常なほどの知識を持つ蒐集家や職人もいるって、昔、父ちゃんが言ってた。公然と取引できないやばい呪物とか、お宝とか、秘密厳守でやり取りするから、ここだけの話、けっこう台閣のお偉方…」
もっ。
もぐもぐもぐ……。
口に突っ込まれてきた葡萄の実を味わい、少年は燦寿から房ごと受け取って、自分の仕事に戻ることにした。
「――まぁ、今のは聞き流して欲しいところじゃが、多少の不浄を我慢してでも、必要があれば自ら足を向ける者が、わしらの中にもいないではない」
「寿星桃の後釜として調達された新たな世界樹の養い手には、当初、康狐仙の名前が挙がってたんでしょ? 天壇按主や、都城隍としての務めはともかく、自分の宿地である枇琳園まで放ったらかしにするようになったのは、彼女に何か、差し迫るものがあると考えていい――?」
皐月は心持ち、声をひそめる。
燦寿はゆるゆると首を横に振った。
「それが分かれば、我々も苦労しておらん。ちょうど今、城隍神廟で話し合いを設けているところじゃ。今後の事と次第によっては、さらに上――〝破軍星神府の神議臺〟に掛けなければならん」
そうなる前に、なんとか黛紅の真意を確かめられたら良いのだが、如何せん、これから忙しくなりそうなのだ。
「嘉壱、飛叉弥から聞いておるか。例の薬――〝ケリゼアン〟による被害が拡大化してきている」
「緘口令が敷かれてるのか、皆、なんとなくしか知らないんじゃ…」
「ああ。臣民に対する周知は、すでに始まっているが、それは恐慌状態を引き起こさないための表向きな内容。しかし、無関係と思っていた怪奇現象や事件も、ここに来て関連が疑われはじめた。これは下手をすれば、八年前の大旱魃に次ぐ被害を出しかねない事態だ……」
これが例の黒同舟の仕業だとすれば、休戦状態だった緘黙を破って、再び動き出したことになる――。
「お前たちにも近々、〝宋愷〟という男についての詳細を、把握してもらうことになるだろう」




