1,姉が消えた夜
初投稿です!
初めて小説を書くので分かりずらいところもあるかもしれませんが,楽しんで欲しいです!!
助言があったら遠慮なく言ってください!
成績優秀。運動神経抜群。誰にでも優しく、学校では男女問わず人気がある。
そんな完璧超人にも、家では弟をこき使うという欠点がある。
「蓮、醤油とって〜」
「はぁ?そのくらい自分で取ってよ」
「いいじゃんそのくらい、取って」
「はぁ、ったく…はいどうぞ」
「ありがと」
「姉ちゃん、明日も仕事?」
「うん。ちょっと面倒な仕事が入っててね」
「また?」
「また、です」
詩織は味噌汁を飲みながら、何でもないことのように答えた。
姉の仕事について、俺は詳しく知らない。
ただ、普通の会社員とは違うことくらいは分かっていた。
夜遅くに呼び出されることもある。怪我をして帰ってくることもある。それなのに、何をしているのか尋ねると、いつも決まって同じ答えが返ってくる。
「秘密」
「……怪しすぎるだろ」
「大人には秘密の一つや二つあるものなのです」
「……姉ちゃん、まだ二十歳にもなってないだろ」
「弟のくせに生意気!」
詩織が箸を向けてくる。
俺は笑ってそれをかわした。
いつも通りの夜。
いつも通りの食卓。
明日もきっと、こんな時間が続くのだと思っていた。
――そのときまでは。
*
午後九時十七分。
家の照明が、一瞬だけ明滅した。
「……ん?」
俺が天井を見上げると、詩織の表情が変わった。
笑顔が消えた。
箸を置き、ゆっくりと窓の方へ顔を向ける。
「蓮」
「何?」
「今すぐ、奥の部屋に行って」
「は?」
「いいから」
聞いたことのない声だった。
いつもの明るい調子は、どこにもなかった。
俺が戸惑っていると、詩織は立ち上がり、俺と窓の間に立った。
その瞬間。
――コン、コン。
玄関のドアが鳴った。
夜の住宅街に、不自然なほど大きく響くノック。
詩織は動かなかった。
「……姉ちゃん?」
「蓮。何があっても、ここから動かないで」
「いや、誰か来たんだろ? 俺が出るよ」
「駄目」
即答だった。
詩織がこんな顔をするのを、俺は見たことがなかった。
恐怖。
いや、違う。
目の前にある危険を理解した人間の顔だった。
そして、もう一度。
――コン、コン。
「いるのは分かっている」
ドアの向こうから、男の声がした。
「雲ヶ谷詩織。君に用がある」
詩織の指先が、わずかに震えた。
「……クロム」
姉が、その名前を口にした。
次の瞬間だった。
玄関のドアが、音もなく内側へ歪んだ。
鍵が壊れたわけではない、蹴破られたわけでもない、まるで、そこにあったドアという物体だけが、別の何かに作り替えられたかのように。
男が一人、玄関に立っていた。
白い髪。
皺ひとつないスーツ。
場違いなほど整った身なりと、感情を感じさせない瞳。
男は室内を見渡し、最後に詩織へ視線を向けた。
「久しぶりだね、詩織」
「……何の用?」
「分かっているはずだ」
男は淡々と告げた。
「君のコアをもらいに来た」
コア。
聞き慣れない言葉だった。
けれど、姉の顔を見れば、それが冗談ではないことくらい分かった。
「蓮、下がって!」
詩織が叫んだ。
直後、俺の目の前で信じられないことが起きた。
詩織の周囲で、
空気が揺らいだ。
透明な波紋のようなものが広がり、床に転がっていた箸がかすかに跳ねる。
何が起きているのか分からない。
ただ、姉の姿だけが、いつもと違って見えた。
男は驚くことすらなかった。
「抵抗するんだね」
「当たり前でしょ!」
詩織が床を蹴った。
一瞬で距離が詰まる。
俺の目では、何が起きたのか追い切れなかった。
詩織の手が男へ伸びる。
しかし。
「遅い」
男が片手を上げた。
それだけだった。
詩織の身体が、見えない壁に叩きつけられたように吹き飛んだ。
「姉ちゃん!」
俺は駆け寄ろうとした。
けれど、足が動かなかった。
目の前の光景を、頭が理解することを拒んでいた。
さっきまで夕飯を食べていた姉が。
俺に醤油を取らせて笑っていた姉が。
たった一瞬で、床に倒れている。
「来るな!」
詩織が叫んだ。
男の視線が、俺に向いた。
ただそれだけで、全身が凍りついた。
殺される。
理由も分からないまま、そう思った。
けれど男は、俺に興味を失ったように視線を戻した。
「そちらは弟か。……なるほど」
「蓮には手を出さないで」
「約束はできないな」
「クロムッ!」
詩織が再び立ち上がる。
足元がふらついていた。
それでも、姉は俺の前に立とうとした。
逃げればよかったのかもしれない、助けを呼ぶべきだったのかもしれない。
何かできたはずだ。
けれど、俺は動けなかった。
特別な力なんてない。
戦い方も知らない。
ただの高校生だった。
姉を守るどころか、自分の足で逃げることさえできなかった。
「……っ、やめろよ」
ようやく出た声は、自分でも情けなくなるほど小さかった。
「姉ちゃんに、何するんだよ……!」
男は俺を見た。
そして、ほんのわずかに首を傾げた。
「何もできない者が、何を守るというんだ?」
言葉が、胸に突き刺さった。
反論できなかった。
その通りだったから。
男が詩織へ手を伸ばす。
姉は最後まで抵抗した。
俺には理解できない言葉を叫び、必死に男を押し返そうとした。
それでも、男の動きは止まらなかった。
やがて詩織の身体から、淡い光が浮かび上がった。
結晶のような、奇妙な光。
それは男の手の中へ吸い寄せられていく。
「やめ……て……!」
姉の声が、かすれた。
俺は走った。
今度こそ。
何もできなくても、せめて姉のそばに。
けれど、あと一歩のところで身体が床に転がった。
見えない何かに押さえつけられたように、起き上がれない。
「姉ちゃん! 姉ちゃん!!」
伸ばした手は、届かなかった。
光が消えた。
詩織の身体から力が抜け、静かに倒れる。
「……あ、ああ……」
男は手の中の結晶を眺めた。
そして、懐へしまう。
「これでまた近づいた…」
まるで、買い物の用事を済ませたかのような声だった。
「待て……」
俺は床を這い、男を睨みつけた。
「待てよ……! 姉ちゃんを、返せ……!」
男は立ち止まった。
振り返ったその顔には、怒りも、憐れみもなかった。
「君が何者になるかは知らない。だが、覚えておくといい」
白い髪が、玄関から吹き込む夜風に揺れた。
「この世界には、君の理解できない法則がある」
男は一歩、外へ出た。
「そして、その法則を扱える者と、そうでない者がいる」
次の瞬間。
男の姿が消えた。
ドアは壊れたまま、夜の静けさだけが残った。
「……姉ちゃん?」
返事はなかった。
俺は姉のそばへ這い寄った。
肩を揺する。
名前を呼ぶ。
何度も、何度も。
それでも、姉は目を開けなかった。
温もりはある。
呼吸もしている。
なのに、そこにいるはずの姉が、どこにもいないような気がした。
「なあ……起きろよ」
声が震えた。
「さっきまで、普通にしゃべってたじゃん……」
何が起きたのか、分からない。
どうして姉が狙われたのかも。
あの男が何者なのかも。
コアというものが何なのかも。
何一つ、分からなかった。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
姉は、俺を守ろうとした。
最後まで。
なのに俺は――何もできなかった。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
壊れた玄関の向こうに、赤い光が滲む。
その夜、俺の日常は終わった。
そして俺はまだ知らなかった。
姉が残したものが、いつか自分の運命を大きく変えることを。
脳の奥深くに、ほんのわずかな残滓が入り込んでいたことを。
それがやがて、新たな異知の核を生み出すことを。
――そして、俺が再び姉に会うために、世界の裏側へ足を踏み入れることになるのを。
これは、何の力も持たなかった少年が、世界の法則に挑む物語。




