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魔王軍を滅ぼした代償に死んだのは聖女? ……それとも  作者: 小鳥遊ゆう


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1.聖女の覚悟


 王国の兵は、地鳴りのような音に数日間、悩まされ続けていた。


 それは地表を覆い尽くす魔獣たちの呪詛に満ちた咆哮と、大地を覆う魔族軍の狂乱の雄叫びだった。


「東翼の防衛線、さらに百ヤード後退!  騎士隊、重装歩兵隊共に壊滅! 敵の進軍を食い止められません!」


「西の砲撃陣地からの信号が途絶!  敵の飛行魔獣――ガーゴイルの群れに制圧されました!」


 悲痛な叫びが指揮所に飛び交う。報告に走ってきた伝令の兵は、甲冑の隙間からどす黒い血を流し、そのまま床へ崩れ落ちた。


 王国軍の総指揮官であり、王国軍の最大戦力でもある勇者リュートは、静かに拳を握りしめていた。


 王国には元々、王族貴族と平民層の間に、深い断絶と軋轢が存在した。富も権力もすべて上層に集中し、民は搾取の対象でしかなかった。貴族たちは貧しく学のない民を蔑み、民は自分たちの税で贅沢を謳歌する貴族たちに激しい恨みを募らせていた。


 実を言えば、明日にも血みどろの大規模な暴動が起きるか、あるいは王族貴族の過酷な圧政によって膨大な死者が出るかという、国家崩壊寸前の状況であった。


 そこに魔王軍の襲来である。もはや、王国の命運は尽きたかに思われた。


 家屋ほどの巨体を持つ四つ目の大蜘蛛や、全身から瘴気を撒き散らす骨の巨兵。それらが通過した後の村々は、跡形もなく踏みつぶされた。魔族たちは捕らえた人々の肉を貪り、皮膚を剥いで自らの旗印へと変えた。


 襲われた無数の村には食い荒らされた死体と腐臭が立ち込め、生き地獄を煮詰めたような惨状が国中に広がっていく。


 この危機に現れたのが、平民でありながら絶大な身体能力を天から授かったリュートだった。


 リュートは縦横無尽に魔王軍を屠って回った。リュートは勇者と称えられ、平民の兵士たちから絶対的な希望の光として慕われるようになっていった。


 当初、貴族の将校たちは彼を泥臭い下賤の者と見下し、冷遇した。しかしどんなに侮辱されても、リュートは最前線で魔獣たちの牙を受け止め、貴族たちの不手際をも庇って命を救い続けた。


 転機となったのは、彼を泥臭い平民だと率先して蔑んでいた貴族将校が、魔族の急襲を受けて孤立した包囲戦だった。誰もが救出を諦める中、リュートは少数の平民志願兵を引き連れ敵陣へ乗り込み、彼を命がけで救い出した。


「なぜ私のような者を助けた」


 呆然と問う将校に、リュートや志願兵は「命を張って国を守ろうとする者に、身分の差なんてありません」と、皆、笑って答えた。


 この一件を境に、リュートや平民を見る貴族たちの目が劇的に変わった。彼らの間には確かな信頼と敬意が芽生えた。


 魔族の攻勢が激化する中、王族や貴族、そして多くの平民の声に推されて、リュートは全王国軍の総指揮官へと任命された。


 平民出身者が総指揮官になるのは、王国の歴史上あり得ない奇跡だった。


 総指揮官となったリュートの下では、かつて反目し合っていた平民兵と貴族騎士たちが、共に泥に塗れて同じ食糧を分け合い、背中を預け合って戦うようになっていた。貴族が平民の命を救い、平民が貴族の盾となる。


 リュートという存在が架け橋となったことで、貴族と平民の軋轢は嘘のように薄まり、人々は団結して魔族に立ち向かうことが出来た。




 だが、それも――。


「リュート……もはや、どうにもなりません」


 彼のすぐ傍らから、掠れた声が響いた。


 第一王女エレノアだった。彼女もまた、かつては王族の身分にあぐらをかいて平民を見下す傲慢で我儘な姫君であった。


 魔族の激しい侵攻から数か月、彼女の内に眠る『聖女』の力が開花した。王女であっても、魔族に対抗する力が目覚めたのであれば、最前線へ出向かねばならないほど戦況は悪化していた。


 彼女の運命は一変した。


 見下していた平民たちが家族や国を守るために泥に塗れ、魔物の爪に引き裂かれて命を散らしていく現実。そして、家も家族も奪われながらも諦めずに必死に戦う人の強さ。


 戦地に着任したばかりの頃のエレノアは、傷病兵の姿に怯え、泥と血に塗れた平民兵の伸ばす手を汚らわしいと、無意識に拒んでいた。


 だが、最前線から帰還したリュートが傷ついた兵士たちの肩を抱き、一人ひとりの名を呼んで労う姿を目にする。身分を一切気にせず、命の重さだけを尊ぶリュートのまっすぐな姿に、彼女はどうしても目を離せなかった。


「王女様、この国を守ろうとする命は貴族も平民も同じです」


 ――不器用に微笑んだリュートの言葉に、いつしかエレノアは己の傲慢さを捨てていた。


 服を泥で汚しながら、朝から晩まで必死に傷病兵たちの手を取り、祈りを捧げ続けるようになったエレノア。やがて彼女に宿る『聖女』の温かな光は、傷ついた人々にとって最大の救いとなっていった。


 どれほど苛烈な戦場であっても、民を守り続けるリュートの背中に、そしてその優しさに、エレノアは一人の女として深く恋に落ちたのだ。


 リュートにとっても、身分や偏見を乗り越えて本当の慈愛を獲得していく彼女の変化は、何よりも美しく、好ましく思えた。絶望に満ちた最前線で誇りを保ちながらも泥にまみれ、民のために慈愛の光を放ち続ける彼女の姿に、リュートも強く惹かれていったのである。


 激戦の合間、誰もいない崩れた礼拝堂の裏手で、ふたりは身分の壁を越えて初めて互いの想いを確かめ合った。


「わたしはもう、飾り物の王女ではありません。あなたと共に、この国の未来のために戦いたい……。

 一人の女性として、あなたのお傍にいたいのです」


 震える手でリュートの胸元にしがみつくエレノアを、リュートはそっと抱きしめ返した。


「王女様……。いや、エレノア。

 平民の僕がこんなことを言うのは許されないかもしれない。けれど、僕が生涯をかけて守り抜きたいと願うのは、この国と、何より君なんだ」


 そうして交わした小さな口づけ。


 本来言葉すら交わすことのないはずの王女と平民が、戦火のただ中で確かに結ばれ、ふたりは互いにとってかけがえのない恋人同士となったのだった。


 だが――。


 一月前の魔王軍の猛攻の際、魔獣の黒い爪からリュートを庇い呪いを受けてしまい、彼女の聖力は失われてしまった。今や彼女は、誰も癒すことが出来ない。


「たくさんの人たちが死んでいったわ。残っている兵たちも、戦いで傷つき、疲れ、もう限界。武器も食料も底をついたし、王都からの援軍も補給も届かない。

 リュート、ねえ、リュート……」


 地平線を埋め尽くす異形の軍勢を前に、彼女は青白い頬に大粒の涙を伝わせ、リュートの軍服の袖を震える手で掴む。


「……ねえ、リュート。わたしたちは十分、戦った。でも、これ以上は無理よ。

 わたしは覚悟を決めた。だから、少しの時間だけでいい。

 大好きなあなたの腕の中で、あなたを感じたいの。

 だから、わたしをしっかりと抱きしめて?」


 一人の怯える少女のように弱気を吐露し、すがりつくエレノア。しかし、彼女を真っ直ぐに見つめるリュートの瞳には、どんな難敵にも立ち向かう勇気と、けして諦めることのない不屈の心が宿っていた。


 (君ほどの強い人が、これほどまでに弱音を漏らすなんて……)


 エレノアが、不安に押しつぶされ、恐怖に怯えているのだとリュートは胸を痛めた。そうなるのも仕方がないと、彼女を安心させるようと優しく微笑んだ。


「いいんだ、エレノア。君は十分に戦った。あとは、僕がやる!  君を守るためなら、僕は何度だって立ち上がるよ」


 突然の吐露に少し戸惑いながらも、リュートは彼女をしっかりと抱きしめ、彼なりの言葉で彼女を励ました。エレノアが自分にとってどれほど大切で愛おしい存在であるかを、改めてその瞳で語りかけながら。


 二人のやり取りは、指揮所の中にいる貴族出身の騎士も、平民出身の傷だらけの兵士たちも、全員が見つめていた。


 彼らもすでに、この前線が破られるのは時間の問題だと理解していた。


 逃げ場のない死線の中で、泥に塗れた命を散らす直前だからこそ、彼らは自分たちの「残すべき希望」を知っていた。全員が全滅する前に、希望の象徴である勇者リュートと聖女エレノアのふたりだけでも脱出させることが、崩壊しつつある王国に未来の光を託す唯一の道であると。


 兵士たちは誰からともなくそう悟り、その命を盾にする決意を固めていた。


「リュート様、王女様をお連れしてここを脱出してください!  あなたは王国の希望です!

 リュート様が脱出するまで、命に代えても、時間を稼いでみせます!」


「リュート様!  我ら鉄盾重装兵、あと半刻は持ちこたえてみせます!

  魔獣どもに砦の門は簡単には破らせません!」


 死を目前にしながらも、彼を信じ慕う兵士たちの目は諦めていなかった。


 (……わたしは、誇りある王女。

  さあ、リュートに言うのよ、エレノア……)


 彼らの決意に触れたエレノアは、意を決したように胸元から黒く干からびた三本指の猿の手――王国の秘宝『魔猿の手』を取り出した。


 父である国王から手渡された、使用者の最も大切なものを代償として、どんな願いも叶えるという神具。


 出陣の際、国の窮地に際して使うよう国王に渡されていた。この極限状態においてこそ、兵や民を救い王国の未来を守ることができるのは、『魔猿の手』を使うほかないとエレノアは理解していた。


 実のところ、彼女は恐怖に怯えているわけでも、諦めていたわけでもなかったのである。


 (わたしが『魔猿の手』を使えば、きっと、リュートが代償として神に徴収されてしまう。

この国は、リュートを失うわけにはいかない

それなら……。)


 リュートの愛の言葉や行動を思い返せば、彼にとって一番大切な存在であるのはエレノア。そう自惚られるほど、リュートは幸せな時間をくれた。リュートが『魔猿の手』を使った場合、代償は自分だと断言できるほどに。


 エレノアは迷わなかった。最後に強く抱きしめてもらい、リュートと国の未来のため、命を差し出す覚悟も決まった。


 エレノアは、『魔猿の手』を取り出すと、両手でぎゅっと強く握りしめた。傷つき、散っていく人々を、愛おしい民をどうしても救いたい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな切痛なまでの願いを祈った、その瞬間だった。


 干からびた猿の手が、ぽんやりと淡い光を帯びて妖しく輝いた。


「――っ!?」


 直後、エレノアの意識がふっと途切れ、視界が真っ暗に染まる。ほんの数秒のことだった。ぐらりと大きく揺れた意識がすぐに持ち直し、彼女はハッと息を吐いて瞬きをした。


 (……いまの、光は……?  意識が遠のいたのは、一体何だったのかしら……?)


 不可解な感覚に胸騒ぎを覚えたものの、刻一刻と迫る魔王軍の脅威を前に、思索を深める余裕はなかった。


「……愛しているわ、リュート。どんな形になろうと、いつでもわたしの魂はあなたと共にあります」


 愛の言葉と共に、エレノアは手にしていた『魔猿の手』をリュートへと差し出した。


「リュート、これを受け取って。これは王国の秘宝……あらゆる奇跡を起こす力を持つものです。 これで、あの魔王軍を滅ぼす力を願ってほしいの」


 エレノアは代償のことを口にしない。ただ、彼に全滅の危機を救う術として、彼に秘宝を手渡した。


 秘宝を受け取ったリュートは、『魔猿の手』の禍々しい形状に一瞬、戸惑った。だが、意識は直ぐに魔王軍へと向かう。


 リュートはエレノアに向かって、力強く頷いた。


「わかった、エレノア。君と、この国のみんなの未来は僕が守る」


 リュートはもう一度エレノアを抱きしめると、指揮所の中にいる貴族と平民だけでなく、戦闘中の兵士にも聞こえるような力強い声で宣言した。


「みんな、僕を信じてくれ! 身分も過去も関係ない!

 ……僕たちは一つだ!  必ず、全員で生きて帰るんだ!」


 リュートは『魔猿の手』を強く握りしめ、願いを叫んだ。


「僕に魔王すら一撃で討ち滅ぼすほどの、至高の勇者の力を与えよ!」


 ゴキリ、と耳に残る骨の折れる音が響き、魔猿の手の一本目の指が折れた。


 その瞬間、世界が震えた。


 リュートの体内に、かつてないほど巨大で圧倒的な神気の如き闘気が怒涛の勢いで湧き上がり、全身の細胞一つ一つに行き渡っていく。リュートは己の肉体にみなぎる、神すら屠り得るほど超絶的な力を自覚した。


 リュートは、そっと自分の両手を見つめ、視界を確かめ、足を踏み鳴らした。


 (……なんだ、このあふれ出る力は!?)


 リュートは大きく息を吸った。


 覚醒したリュートは単騎、砦の最前線へと飛び出した。地平線を埋め尽くす数万の魔物と魔族の軍勢を眼下に、彼は腰の聖剣を静かに抜き放つ。


 そして、ただ一振り――横一文字に閃光を薙ぎ払った。




 天地を切り裂く巨大な衝撃波と光の嵐が巻き起こり、地平線を埋め尽くしていた数万の魔王軍は、一瞬にして塵へと還っていった。


 絶望的な数の敵勢が一瞬で消え去り、王国軍の最前線に奇跡的な勝利がもたらされた。




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