表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/7

1

 厚い雲が、空を覆っていた。


今にも雨が降り出しそうな空の下、繁華街のネオンがアスファルトを淡く照らしている。その喧騒を見下ろすビルの屋上で、俺は息を潜めながら周囲を警戒していた。


俺の名前は田中聡(たなかさとし)

警視庁捜査一課に所属する二十七歳の刑事だ。


追っているのは、世間を震撼(しんかん)させている連続殺人事件の容疑者。

黒髪のロングヘアが印象的な、一人の美しい女。

その美貌とは裏腹に、複数人を殺害した疑いがかけられている危険人物だった。


生ぬるい風が屋上を吹き抜ける。

雨の匂いがした。


……いない。

逃げられたのか。

そう思った、そのときだった。


ガンッ。


階段の向こうから、硬い足音が響く。

誰かが勢いよく駆け上がってくる。

反射的に身構えた瞬間、その足音は屋上へ出ることなく止まり、今度は一転して階下へ駆け下り始めた。


「待て!」


俺はそう叫ぶと同時に階段へ飛び出した。


鉄骨の階段を一段飛ばしで駆け下りる。

手すりを掴み、身体を振りながら一気に距離を詰める。


踊り場で、黒い長髪がふわりと揺れた。

見つけた。

紫色のワンピースを着た女は振り返ることなく逃げ続ける。


俺はさらに速度を上げ、その細い右腕を掴んだ。


「逃がさない!」


女の身体が大きくよろめく。

抵抗する隙を与えず腕を押さえ、そのまま屋上まで連れ戻した。


俺は女の腕を背中へ回し、腰の手錠へ手を伸ばした。


「連続殺人の容疑で逮捕する――」


そう告げながら、銀色の手錠を女の手首へとかけようとした。


「やめて…私は何もやってない」


か細い声だった。

周辺の音にかき消されそうなほど小さいのに、不思議と俺の耳にははっきり届いた。


「何もやってない?嘘をつくな」


俺の言葉に女はゆっくりと顔を上げる。

汗で濡れた黒髪が頬に張り付き、瞳は、どこか悲しげだった。


「やめてくれたら……なんでも言うことを聞くわ」


囁くような声。

挑発(ちょうはつ)とも懇願(こんがん)ともつかないその一言に、俺は思わず息をのんだ。


「なんでも……?」


自分でも信じられない言葉が口をついて出る。

女は何も答えず、ただ静かに俺を見つめ返していた。

沈黙が二人の間に流れる。


俺はしばらく女の目を見つめたあと、小さく息を吐き、手錠を腰へ戻した。

金属の音が静かな屋上に響く。

そして、女の腕から手を離した。

女は逃げようとはしなかった。


女はゆっくりと俺の正面へ向き直り、まるで最初からそうするつもりだったかのように微笑む。

その笑みは(あや)しく、それでいてどこか(はかな)い。


女の黒髪は艶やかに肩へ流れ、白い肌との対比が息をのむほど美しかった。

思わず見惚れてしまう。

刑事として何人もの容疑者を追ってきた。

だが、こんな感覚は初めてだった。


危険だ。

そう頭では理解している。

それなのに、俺の視線は彼女から離れなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ