プロローグ 始まりの電話
※この小説は、アバター2作目の重大なネタバレを含みます。
「推しが死んだので会社を休ませて下さい」
そう言ってしまったとき、多分私はだいぶ様子がおかしかった。
しかし無理もない……と今は思う。
だって11年も追いかけた映画シリーズの最新作で、突然推しが亡くなったのだ。
映画館のスクリーンで出会って一目惚れし、以来シリーズを追いかけ、グッズを集め、推しを演じる俳優に会いにアメリカの映画イベントに行くほどの愛が――。
この11年欠片も揺るがなかった愛が、行き場を失い砕けて消えた。
映画館を出てから涙が止まらず、眠ることも出来ず、部屋の天井を見ながら呆然とすることしか、出来なかった。
そんな状況で、むしろ休みたいと電話をかけただけ偉いと、誰か褒めてくれても良いくらいだ。
とはいえかけた相手は、私の言葉に長いこと黙っていた。
沈黙のなか、今更のように私は電話の相手が「鬼上司」と呼ばれている男であったことを思い出す。
有能で顔は良いが、人の心を持っていない。
感情と笑顔が欠落した冷血漢……だの何だのと言われたそんな男に、馬鹿正直になりすぎた。
そう我に返ったところで、電話越しに深く息を吸う音が聞こえる。
「推しが死んだら、休んで……いいのか?」
非難の言葉かと思ったが、どうにも様子がおかしい。
その声はなんだかとても弱っているように聞こえる。
「休んでも……許されるのか……?」
それは、問いかけだった。
だから私は、電話越しにもかかわらず頷いていた。
「だって悲しすぎて、仕事なんて……無理でしょう」
「……そう、か」
「推しが、死んだのに……仕事なんて……」
「ああ、無理だ」
無理だな……と、重なる声は震えていた。
「……休んで、いいですか?」
「明日も、午前休を取れ」
「えっ、いいんですか……?」
「今週は忙しくないし、お前はさほど有能ではないからいなくても問題ない」
さりげなく無能呼ばわりされた気がしたが、推しの死で壊れた心は全く痛まなかった。
「じゃあ、あの、休みます」
「ああ、休め」
言葉にしなかったが「俺も休む」と言っているように聞こえた。
その声に、なんか通じる物を感じて、私はつい尋ねてしまった。
「……ちなみに部長、何時の回で見ました?」
「池袋のIMAXで深夜0時から」
「私は、新宿のドルビーシネマで深夜0時からでした」
「家に、帰れたか?」
「見終わったあと、4時間ほど深夜の街を彷徨いました」
「俺は6時間ほど彷徨った。気づいたら朝で、なぜか中央線の終点にいた」
「高尾ですか?」
「大月だ」
「休みましょう、部長」
「……休む」
そこで電話は切れた。
けれどそれが、私たちの奇妙な関係の――始まりだった。




