第一話 隠された紋章
夜が白けてきた。
鬱蒼とした森の中をザクザクと歩く少年の姿があった。
慣れた足取りだ。
途中で何度か周りを見回していた。
ダークブラウンのボサボサの髪は、暗い森の中では目立つことがなかった。
チョロチョロと流れる小川に沿って歩みを進めた。
しばらくすると大きな岩がそびえ立っていた。
用心深く周りを見回すと、少年は岩の後ろへと回った。
――今日で17歳か。
岩に刻まれた文字のような絵のような模様を手で撫でた。
読めないし、意味も分からない。
既に他界している両親との唯一の繋がり。
幼いころから、満月の夜に連れて来てくれた秘密の場所。
だから、来ている。
ただ、それだけだ。
「……じゃよ」
突然の声に、ゾワッとビクついた。
(誰だ?)
グルグルと見回した。
「紋章じゃよ」
真後ろから聞こえる声に、心臓が止まりそうになった。
こわごわと振り返ると、白髪の老人が後ろに立っていた。
白く長い髪、白く長いひげ、白い服を着て、白い帽子を被り、白い杖を持った老人が立っていた。
「それはルース家の紋章じゃよ」
「誰だ?」
「私が見えるのか?」
老人がずぃっと顔を近づけてきた。
思わずのけぞった。
「過去、何人もの子孫に話しかけたが、答えたのはお前がはじめてじゃ」
老人はゆっくりと、岩の方に近づいて行った。
杖を模様の方に向けた。
フッと風が吹き出し、汚れが消えた。
刻まれた模様が、はっきりと浮かび上がった。
フワッと金色に光輝いた。
「これはルース家の紋章じゃよ。月と王冠の紋章。これこそが、このムン王国本流である王室の紋章じゃ」
老人が、何を言っているか分からなかった。
ルース家とか王室とか紋章とか、俺には全く関係もないことだ。
聞いたこともない言葉だ。
「お前こそが、この国の王となるものだ」
ドキリとした。
老人は続けて語った。
――この紋章こそが、かつてこの国の王家本流だった一族の証だと。
「なぜ、お前のその話が本当だと信じられる?」
いきなり現れたいぶかしげな老人に、耳障りのよいことを言われて信用できるはずがない。
「お前の心で決めるがよい」
何かが心の奥底で湧き上がりそうだった。
それが怖くなった。
老人に背を向けて、急いで立ち去った。
走って来た道を帰って行った。
ドキドキしていた。
走っている間、岩に刻まれた紋章が頭から離れなかった。
――見覚えがある。
空は薄明るくなり、日が昇り始めていた。
森を抜け、村に誰も外に出ていないのを確かめると、急いで家に入った。
六畳ほどの一部屋しかないボロボロの木造の家だった。
静かに戸を閉め、静かに床を歩いた。
家の中に1つだけあるキャビネットをゆっくりと動かした。
床板を一枚、静かに剝がした。
屈んで腕を床下に入れ、それを取り出した。
握っていたのは、古い小箱だった。
土埃を払った。
そっと蓋を開けた。
――月と王冠……同じだ。
黒く汚れている指輪に刻まれたもの。
それは、あの岩に刻まれていた紋章と同じだった。
――ドンドン!
「ショウ!行くぞ!」
――!!!
突然の大きな扉を叩く音と呼び声に、指輪をおとしそうになった。
「い、今行く!」
指輪を小箱に戻し、急いで全てを元に戻した。
扉を開けると、一つ年下のヒロが立っていた。
「遅れると罰を受けるぞ!急げ!」
ヒロと一緒に駆けて行った。
村の門には、全員集まっていた。
いつもの馬に乗った偉そうな役人がいた。
「今日は、侯爵家様の田畑の作業だ!行け!」
ゾロゾロと全員が列をなして道を歩いて行った。
俺たちは、この国の底辺で暮らしている。
なぜ底辺って分かるかって?
そりゃぁ、生まれた時から、毎日、侯爵様だの伯爵様だの煌びやかなのを横目に、蔑まされ、こき使われていれば、底辺にいる労働者だって分かる。
労働の度に、村から歩いて行き、外の様子と見比べても一目瞭然だ。
農業、畜産、林業なんでもさせられる。
朝起きて役人に連れられ、働く場所に行く。
夕方までずっと働きづめだ。
食事は夜に一回だけ。
病気しても、ケガしても薬も貰えない。
俺の両親も兄も何年も前に流行り病で亡くなってしまった。
ヒロも同じように身内は誰も生きておらず、一人だ。
「アラン王子!こんなところへ……」
役人が焦って駆けて行った。
俺たちよりも綺麗に整えられた白馬に乗った青年が向かってきていた。
(同じ年くらいか?)
畑の雑草を取りながら、チラリと見た。
「今年は作物のできが悪いと聞いて、視察に来た」
その言葉に役人はビクッと怯えた。
いきなり、ぐぃっと、傍で作業していた俺の後ろ襟を掴んだ。
「こいつらの働きが悪いせいです!もっと働かせます!」
役人は、俺の背中を足で蹴り、畑に倒した。
逆らうことが出来ず、そのまま畑に四つん這いになった。
バシッ!バシッ!バシッ!
背中に痛みが突き抜けた。
役人がちゃんと仕事をしていることをアピールしているのが、透けてみえた。
虫唾が走った。
「ほら!もっと仕事をするんだ!」
役人は、俺の後ろ襟を掴み上げ、畑の奥へ放り投げた。
「睨むだけの体力がまだ残っているようだ。存分に働かせるがよい」
白馬の上から見ていた視線は、冷ややかだった。
そのまま、一瞥して去っていった。
その日の夜は、眼が冴えていた。
鞭で打たれた背中の痛みのせいではなかった。
老人の言葉が、岩と指輪の紋章が、頭から離れなかった。
まだ、真夜中だったが、森の岩のところへ行った。
「また来ると思った」
再び、老人が後ろから声を掛けてきた。
今度は驚かなかった。
「なぜ、そう思った?」
「お前もなぜ、私がここにいると思った?」
「……」
握った手を開いた。
「お前を信じたい」
手の上には、指輪があった。
――この日が、1000年ものムン王国の最盛時代を築き、聖王と称えられるショウ王の息吹だった。




