3. 取り柄なんてひとつもない
クリスタが部屋を出ると、侍女に声をかけられた。
「あら、クリスタ様。確か今日陛下の婚約者様がいらっしゃるはずじゃ?」
婚約者の侍女が大変なことはみんな知っている。だからそんな大変なクリスタが部屋の外にいることに不思議に思ったのだろう。
「ええ、エレナ様とおっしゃるんだけど、なんだか今までの方とは少し違う気がするのよね」
「まあ、きっといつものようにすぐ婚約破棄されるでしょうね。陛下は誰のことも愛する気がないんですもの。だからそんなに気になさらなくてもいいんじゃないかしら」
違いないと思ったクリスタは他の仕事をしに行った。
侍女達のいう通り、陛下は誰のことも愛する気がない。だから、婚約者が誰だろうと興味がない。そして、自分に興味を示してくれないから、何も与えてくれないからみんな婚約を破棄していく。贅沢な生活に慣れている、愛されることが当たり前だと思っている貴族の令嬢にとってここは正反対の場所だった。陛下は愛してくれないし、陛下から綺麗なドレスや宝石をあてがわれることはない。それが婚約者にとっては耐えられないようだ。自分は愛されて当たり前だと思っているから。
1人になったエレナは部屋を見て回っていた。
寝室は、ベッドと小さな机、クローゼットがついているだけの小さな部屋だったが、シンクレア家にいた時は物置部屋で毛布を敷いて寝ていたので、それに比べればここは最高の場所だった。
(ここが私の部屋。とっても素敵だわ)
ベッドで寝るなんて何年ぶりだろう。今からこのベッドで寝るのが楽しみだ。きっとふかふかに違いない。
寝室の他にはキッチンとお風呂とトイレがついており、この部屋から出なくても最低限の生活はできるようになっている。キッチンは使われていないのか、綺麗なままだった。それもそうだ。普通は身分の高い人が自分で料理をするなんてありえない。
エレナは一通り部屋を見た後何をすればいいか悩んでいた。いつもこの時間は使用人に掃除をさせられたり、お母様に暴言を吐かれたりしている頃なのだが……。
(普通の令嬢は何をするものなのかしら)
エレナは姉がいつも何をしていたかを思い浮かべた。たしかお茶を飲んだり、本を読んだりしていた気がする。しかし、お茶を飲もうにも部屋の中にティーセットは置いていなかった。さっきの侍女にいえば用意してくれるのだろうけど、エレナは私なんかのために手を煩わせるのは申し訳ないと思い、お茶を飲むのは諦めた。道具があれば自分で入れれたのだが……。
しかし、読書というわけにもいかなかった。エレナは学院にも通わせてもらえず、家庭教師もつけてもらえなかったので、字が読めないのだ。侯爵令嬢として普通そんなことありえない。
もし、私が文字も読めず、マナーも知らず、ダンスも踊れないということを陛下に知られてしまったら、どうなるんだろう。王妃にふさわしくないと婚約破棄ということもあり得るかもしれない。
だとすれば、私が何もできないと知られる前に知識を身につけるしかない。まずは文字を読めるようにならないといけない。でないと、マナーやダンスのことが書かれた本を読むことができない。
そうと決まれば、エレナはさっそく王宮図書館に向かうことにした。図書館にはきっとたくさんの本があるはずだから。そう思いエレナは1人、部屋をでた。誰にも行き先を伝えず。
しかし、しばらく歩いても一向に図書館は見つからなかった。
(図書館ってどこにあるのかしら)
エレナは王宮を彷徨っていた。
おそらく使用人に聞けばわかるのだろうが、自分から話しかけることは怖くてできなかった。それに、使用人も今までの婚約者が性格が悪かったことを知っているので、エレナを見ても誰も話しかけることなく少し避けるように通り過ぎていった。普通の貴族ならば、自分を見て挨拶しないことに激怒したりする。しかしエレナは、そんなことでは怒らない。それどころか、自分に命令してこないことにホッとしている。
しかし、エレナは忘れていた。自分が文字を読めないため図書館と書かれていてもそこが図書館であるとわからないことに。そのため、エレナは図書館を素通りしてしまった。それに、図書館が見つからないのでそろそろ部屋に戻ろうと思っても王宮は広すぎて自分の部屋がどこだったか忘れてしまった。
そうしてしばらく歩いていたころ、立派な扉を見つけた。
(やっと見つけたわ)
ここが図書館に違いないと思ったエレナはそっとその扉を開いた。しかし、そこは図書館ではなく、陛下の執務室だった。そんなところにノックもなしに入ってしまった。しかし、エレナはそのことに気づかず部屋の中に本がたくさんあることからここが図書館だと思い、静かに部屋に足を踏み入れた。
(たくさん本があるのね。でも、どれから読めば良いのか全くわからないわ)
部屋に入って本棚を見て歩いているとき、見つけてしまった。ソファーで横になっている陛下を。エレナは必死に思考を巡らせた。なぜここに陛下がいるのか。そして、なぜこの部屋に陛下以外人がいないのか。
そしてエレナは少し考えてここが図書館ではないということに、ここが陛下の執務室だということに気づいた。
(ここってさっき陛下にご挨拶したお部屋だわ)
しかし、幸運なことに陛下は仮眠をとっておりこちらに気付いてはいなかった。だから、バレないようにそっと部屋を出ようとした。その時、先ほどまでソファーで寝ていたはずの陛下が、エレナの後ろに立っていた。エレナの首筋に剣を当てて。