表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
208/227

第208話:遺詔の公開

帝の崩御から七日。悲しみに包まれる五稜郭で、歴史を覆す重大な局面が訪れようとしていた。

家茂や和宮、新八ら共和国の要人が見守る中、松平容保の手により遺詔が紐解かれる。

 孝明の帝・崩御から七日が過ぎた。

 五稜郭の半旗は、初夏の風に吹かれ、悲しげにはためいている。

 だが、その静寂の裏で、歴史を覆す巨大な歯車が、音を立てて回り始めていた。


 五稜郭内、大統領執務室に隣接する大会議室。

 ここには、先月の選挙と組閣によって選ばれた北海道共和国政府の要人たちが一堂に会していた。

 上座には、喪服に身を包んだ和宮様と、その傍らに徳川家茂大統領が座している。

 その周囲を固めるのは、新生国家の舵取りを担う「総裁」たちだ。

 行政の実務を統括する国務総裁・榎本武揚、軍事を司る軍事総裁・土方歳三、北の大地の開発を担う開拓総裁・松浦武四郎。

 そして、政府顧問として迎えられた元会津藩主・松平容保公。

 海援隊を率いて通商と情報を担う坂本龍馬も同席している。

 俺もまた、治安維持と諜報を担当する監察総裁として、その場にいた。


 重厚なマホガニーの机の上に、一通の書状が置かれている。

 菊の御紋が記されたその封書は、陛下の遺詔――すなわち、遺言であった。

 室内の空気は張り詰め、誰もが息を呑んでその時を待っていた。


「……これより、先の帝の遺詔を開封いたします」

 松平容保公が、震える声で告げた。

 彼は、帝からの信頼が誰よりも厚かった人物だ。その悲しみはいかばかりか。

 和宮様が、静かに頷かれた。

「容保、頼みます」

「はっ」

 容保公は、恭しく封を切り、和紙を取り出した。

 そこには、陛下の震える筆跡で、最期の想いが綴られていた。


『朕ガ崩御ノ後、天下ニ告グベキ事、左ノ如シ』


 容保公が読み上げる声が、静寂な部屋に響き渡る。


『一、東宮睦仁親王ハ、長州ノ兵ニヨリ誤リテ殺害サレタリ。今、京ニテ帝ヲ名乗ル者ハ、長州ガ擁立セシ替玉ニスギヌ偽帝ナリ』


 どよめきが走る。

 松浦総裁が目を丸くし、榎本国務総裁が眉をひそめた。

「誤って……? 暗殺ではなく、事故だったというのか?」

 榎本が驚きの声を上げる。


『一、朕ハ、逆賊ヲ討チ、正シキ日本ヲ取リ戻サンガタメ、北ノ地ニテ再起ヲ期セリ』

『一、朕ガ後継者トシテ、和宮親子内親王ヲ指名ス。朕ガ義弟徳川家茂ト共ニ、天下万民ノ安寧ヲ守ルベシ』


 読み終えた容保公の手が、小刻みに震えていた。

 彼は、遺詔を押し頂き、嗚咽を漏らした。

「陛下……。どれほどの無念であられたか……」

 その姿に、同席した者たちも涙を禁じ得なかった。


「……なぜ、今まで黙っておられたのですか?」

 松浦総裁が、沈痛な面持ちで問いかけた。

「陛下は……なぜ、もっと早く、このことを世に示されなかったのですか?」

 家茂大統領が、静かに答える。

「陛下の身の安全のためです。もし、北海道へ逃れる前にこの事実を公表すれば、薩長はなりふり構わず陛下を殺しに来たでしょう。それに……」

 家茂大統領は、俺の方を見た。

「確たる証拠がなかった。偽物だと言っても、薩長は『乱心した』とでも言って、揉み消したでしょう。だが、この遺詔は違う。陛下の直筆であり、御璽ぎょじも押されている。これ以上の証拠はありません」


 俺は、拳を握りしめた。

 古傷が疼くような気がした。

 脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇る。

 

 炎と狂気に包まれた京の街。下京の路地裏。

 俺は、逃げ遅れた町人を誘導している最中だった。

 そこで遭遇したのだ。御所から逃げ出し、お忍び姿で彷徨っていた睦仁親王と。

 そして、殺気立った薩摩兵たちと。


 あれは、本当に偶発的な事故だった。

 薩摩兵は、親王だとは知らず、ただの若い一人の公家の逃亡者だと思って発砲した。

 俺は親王を救おうと飛び出したが、間に合わなかった。

 凶弾は、幼い親王の胸を貫いた。

 俺の腕の中で、親王の小さな体は温もりを失っていった。


 その後、俺たちは親王の遺体を、生き残った警護の侍たちに託した。

 「御所へ。帝のもとへ、お連れしろ」と。

 侍たちは涙ながらに親王を担ぎ、御所へと向かった。

 だが、それが間違いだったのかもしれない。

 御所はすでに混乱の極みにあり、長州の手が伸びていたのだ。

 後から聞いた話では、親王の遺体が御所に到着した後、長州側がそれを確保し、「行方不明」として処理したらしい。

 そして、ほとぼりが冷めた頃に、大室寅之祐という替え玉を「発見された親王」として擁立したのだ。

 俺が「見た」と証言しても、遺体という物証がない以上、「新選組の狂言だ」と言われるのがオチだった。

 事故だったからこそ、彼らは必死に隠蔽し、歴史そのものを書き換えるという暴挙に出たのだ。


 だが、今は違う。

 陛下の遺詔がある。

 俺の「目撃証言」という不確かなものではなく、父君である帝ご自身が「息子は殺された」と断言する、揺るぎない真実がここにある。


「……新八」

 土方が、俺の肩を叩いた。

 その目は、「ようやく時が来たな」と語っていた。

 俺は頷いた。

「ああ。……あの子の無念、ここで晴らす」


 家茂大統領は、決意を込めて言った。

「公開しましょう。日本中へ、いや、世界中へ。薩長の正体を暴き、我々の正義を示すのです」

 榎本国務総裁が、力強く頷いた。

「承知いたしました。外務省を通じて、各国の公使館へ通達します。これで、諸外国も薩長政府を『正統な政府』とは認められなくなるでしょう」

 坂本龍馬が、ニヤリと笑った。

「わしの出番じゃな。この遺詔の写しを、日本中にばら撒いてやるぜよ。北前船の連中も、飛脚も、みんな使うてな」

 土方軍事総裁も、腕を組みながら口を開いた。

「治安維持は任せてください。国内の不穏分子が騒ぎ出すかもしれんが、我々が抑え込みます」


 翌日。

 北海道共和国政府は、全世界に向けて「孝明天皇遺詔」を公開した。

 それは、電信網を通じて瞬く間に日本全土へ、そして海外の新聞社へと配信された。

 さらに、俺と龍馬は徹底的な情報戦を仕掛けた。

 遺詔の写しを大量に印刷し、北前船の商人や旅芸人、飛脚を使って、日本中の都市や村々にばら撒いたのだ。

 瓦版屋が、声を張り上げる。

「号外! 号外だ! 京の帝は偽物だ! 睦仁親王様は、蛤御門の変で長州兵に殺されたんだとよ!」

 人々は、その内容に驚愕し、動揺した。

「まさか、あの時の……」

「事故を隠すために、偽物を立てたのか?」

「なんて恐ろしいことを……」

 疑念は、野火のように広がっていった。

 これまで薩長に従っていた諸藩の大名たちも、動揺を隠せなかった。

「もしこれが真実なら、我々はとんでもない連中に加担していたことになる……」


 俺は、監察総裁室で龍馬と向き合っていた。

 龍馬は、パイプをふかした。

「えらい騒ぎになっちゅうぜよ、新八。京の町じゃ、薩長の役人がビラを回収して回るのに必死らしいが、一度出た噂は消せん」

「ああ。嘘はいつかバレる。だが、今バラせば、薩長は終わる」

 俺は、地図上の京の位置を指差した。

「奴らの権力の源泉は、『錦の御旗』だ。それが偽物だとわかれば、誰も奴らには従わない」

「情報戦か。おんし、なかなかやるのう」

 龍馬は、楽しそうに目を細めた。

「剣だけじゃ勝てん時代になったちゅうことか」

「剣も使うさ。だが、まずは奴らの足場を崩す。……睦仁親王の無念、晴らしてみせる」


 ◇


 一方、京の薩長政府は、恐慌に陥っていた。

 二条城の会議室では、岩倉具視が顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。

「流言だ! これは逆賊の妄言だ! 誰がこんなものを信じるか!」

 彼は、遺詔の写しをビリビリに破り捨てた。

 その額には、脂汗が滲んでいる。

 大久保利通は、苦虫を噛み潰したような顔で、腕を組んでいた。

「……岩倉様、落ち着かれよ。騒げば騒ぐほど、民の疑念は深まるばかりです」

「では、どうせよと言うのだ! このままでは、結局、我々は逆賊になってしまうぞ!」

「……もはや、力でねじ伏せるしかありますまい」

 大久保の声は、冷徹だった。

「不穏分子は徹底的に取り締まる。噂を口にする者は、片っ端から捕らえる。恐怖で支配するのです」

 西郷隆盛は、その場にいたが、一言も発しなかった。

 彼は、窓の外を見つめ、深い溜息をついた。

 その瞳には、迷いと苦悩の色が浮かんでいた。

(……おいどんは、何のために戦ってきたんじゃろうか。……過ちを隠すために、さらに嘘を重ねて……これが、新しい日本か?)


 北海道では、遺詔の公開により、民衆の結束がより一層強まっていた。

 五稜郭の広場には、連日多くの人々が集まり、口々に叫んでいた。

「我々は、正統な帝のために戦うのだ!」

「薩長の逆賊を許すな!」

「和宮様万歳! 北海道共和国万歳!」

 その熱気は、新選組の屯所にも伝播していた。

 道場では、隊士たちが気合の入った稽古を続けている。

 竹刀のぶつかり合う音が、以前よりも鋭く、力強く響いていた。


 井上源三郎さんが、若い隊士たちを集めて語っていた。

 その顔は、いつもの穏やかな笑顔ではなく、真剣そのものだった。

「いいか、お前たち。俺たちは今まで、物事を知らない輩から、『賊軍』だの『朝敵』だのと罵られることもあった。悔しい思いもしただろう」

 若い隊士たちが、無言で頷く。

「だがな、それは全部嘘だ。正義は、こっちにあるんだ」

 源三郎さんは、一人一人の目を見つめた。

「俺たちが守ってきたのは、本物の帝だ。そして、これからは和宮様をお守りする。……胸を張れ。俺たちは、誰に恥じることもない『官軍』なんだ」

「はいっ!」

 隊士たちの返事が、道場に響き渡った。

 その目には、迷いはなかった。

 自分たちの戦う意味を、誇りを取り戻した男たちの顔だった。


 俺は、道場の隅でその様子を見ていた。

 隣には、土方歳三が立っていた。

「……源さんの言う通りだ」

 土方が、ボソリと言った。

「俺たちは、間違ってない」

「ああ。……これからが本番だ、土方さん」

「わかってらぁ。……喧嘩の支度はできてるぜ」

 土方は、不敵に笑った。

 その笑顔は、かつて京で暴れ回っていた頃の、「鬼の副長」のそれだった。


 遺詔の公開は、単なる情報の暴露ではなかった。

 それは、薩長という巨像の足元に打ち込まれた、致命的なくさびだった。

 そして、我々にとっては、反撃の狼煙のろしでもあった。

 北の大地に吹く風は、もはや冷たくはない。

 それは、新しい時代を告げる、熱い風へと変わろうとしていた。


帝の遺詔により、睦仁親王暗殺の真相と現帝が偽物である事実が白日の下に晒される。

新八が目撃したあの日の悲劇が、今ようやく薩長を追い詰める刃となる。

世界への真実の公開は、偽りの明治政府に対する宣戦布告であり、正義を取り戻す狼煙となる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
女帝の先例はいくつかあるとはいえ、リアルでも男子継承を堅守するのかどうなのかが物議を醸しているのを知っている身としては、随伴してきた宮家から天皇を出すってのが無難だと思うが……北行の混乱で(皇位継げそ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ