第206話:北海道共和国樹立
薩長軍の北伐が迫る中、五稜郭では歴史を覆す決断が下されようとしていた。
徳川家茂の口から語られたのは、身分を問わない「選挙」の実施。
それは、旧幕臣たちの常識を打ち破る革命的な宣言だった。
慶応五年、五月。
北の大地に、遅い桜が咲き誇る季節。
我々は、歴史の転換点に立っていた。
薩長軍の北伐が開始されたという急報を受け、五稜郭では連日、激論が交わされていた。
だが、結論は一つだった。
我々は、単なる敗残兵の集団ではない。
正当な理念と、明確なビジョンを持った「国家」として、世界にその存在を示す必要がある。
そうでなければ、国際法上、我々はただの反乱分子として処理され、諸外国からの支援も受けられなくなるからだ。
「入札……つまり、選挙を行う」
徳川家茂の宣言は、五稜郭内に衝撃を持って受け止められた。
身分を問わず、二十歳以上の男子すべてに投票権を与え、その総意によって国家の指導者を選ぶ。
それは、当時の日本においては、あまりにも革命的な発想だった。
当然、反発もあった。
「百姓や町人に、政がわかるはずがない」
「武士の面目が立たぬ」
旧幕臣の中には、そう言って眉をひそめる者も少なくなかった。
だが、俺は、そんな彼らを説得して回った。
「時代は変わったんだ」
俺は、屯所の一室で、不満顔の旗本たちに向かって言った。
「薩長を見てみろ。あいつらは、身分に関係なく、能力のある奴をどんどん登用している。だから強いんだ。俺たちが古い殻に閉じこもっていたら、勝てるわけがねぇ」
「しかし、永倉殿。徳川の世は、厳格な身分制度によって保たれてきたのではござらんか」
「その徳川のトップである上様が、変わろうとしているんだぞ」
俺は、彼らの目を真っ直ぐに見つめた。
「上様は、将軍という特権を捨てて、一人の人間として民の信を問おうとしている。その覚悟が、あんたたちにはわからねぇのか?」
その言葉に、旗本たちは押し黙った。
家茂の覚悟。
それは、誰の目にも明らかだった。
彼は、自ら街頭に立ち、民衆と言葉を交わし、その声に耳を傾けていた。
その姿は、かつての雲の上の存在であった将軍像とはかけ離れていたが、不思議と以前よりも大きく、頼もしく見えた。
そんな中、松浦武四郎が、ある提案を持ってきた。
「永倉さん。……アイヌの人々にも、投票権を与えるべきです」
松浦は、真剣な眼差しで俺に訴えた。
「この大地は、元々彼らのものです。我々和人は、後から入ってきたに過ぎない。共に生きるなら、共に決めるべきではありませんか?」
その提案は、さらに大きな波紋を呼んだ。
和人社会には、アイヌに対する差別意識が根強く残っていたからだ。
だが、俺は迷わなかった。
「……その通りだ」
俺は松浦の肩を叩いた。
「新しい国を作るんだ。最初から差別があったんじゃ、薩長と同じになっちまう。やろう、松浦さん」
俺たちは、アイヌの集落を回り、長老たちに協力を仰いだ。
最初は警戒していた彼らも、松浦の熱意と、家茂からの親書を見て、次第に心を開いてくれた。
そして、アイヌの長老たちが選挙管理委員として参加することが決まった。
これは、世界でも類を見ない、先進的な試みであった。
投票日当日。
箱館の街は、朝から異様な熱気に包まれていた。
五稜郭内や、市内数カ所に設けられた投票所には、早朝から長蛇の列ができていた。
髷を結った武士、野良着姿の農民、半纏を着た職人、そして民族衣装を纏ったアイヌの人々。
彼らが、同じ列に並び、同じ一票を投じる。
その光景は、まさに「維新」と呼ぶにふさわしいものだった。
新選組の隊士たちは、投票所の警備を担当していた。
「押すなよ、押すなよ! 順番だ!」
原田左之助が、槍を抱えながら列を整理している。
「へへっ、すげぇ人だ。……俺には難しいことはわからねぇが、新八が言うなら間違いないだろう」
原田は、投票箱を守りながらニカっと笑った。
「左之助、その箱は俺たちの命より重いんだ。頼んだぞ」
「おうよ! 蟻一匹近づけさせねぇよ」
その横では、藤堂平助が、足の不自由なアイヌの老婆の手を引いていた。
「お婆ちゃん、こっちだよ。段差があるから気をつけて」
「ありがとねぇ、兵隊さん」
「大事な一票だからね。ゆっくりでいいよ」
平助の優しい声に、老婆は皺くちゃの顔をほころばせた。
俺は、その光景を見て、目頭が熱くなった。
かつて、「人斬り集団」と恐れられ、京の街を血で染めた新選組が、今、民主主義の守護者として民衆を守っている。
これこそが、俺たちが求めていた「誠」の形なのかもしれない。
近藤さんがここにいたら、どんな顔をしただろうか。
きっと、「トシ、新八、よくやった」と、あの大きな口を開けて笑ってくれたに違いない。
芹沢さんの犠牲によって生き延びた近藤さんは、今も影として、俺たちを支えてくれている。
五稜郭の一室では、坂本龍馬と中岡慎太郎が、窓からその様子を眺めていた。
「……たまげたな」
中岡が、感嘆の声を漏らす。
「まさか、徳川の将軍が選挙で選ばれようとするとはな。しかも、アイヌまで巻き込んで」
「ああ。日本の夜明けは、ここから始まるぜよ」
龍馬は、懐からピストルを取り出し、愛おしそうに磨いた。
「薩長の連中が見たら、腰を抜かすじゃろうな。自分たちが『朝敵』と呼んだ相手が、世界で一番進んだことをやっとるんじゃから」
「全くだ。……これで、大義名分は完全に逆転するな」
二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「わしも一票入れたかったが、残念ながら選挙権がないきのう」
「お前は土佐の脱藩浪人だろうが。……まあ、俺もだがな」
中岡が苦笑する。
彼らは、あくまで「客分」として、この歴史的瞬間を見守っていた。
そして、開票の結果が出た。
大統領には、圧倒的な得票数で徳川家茂が選出された。
次点には榎本武揚、その次には松浦武四郎や土方歳三の名があった。
俺、永倉新八にも、少なからず票が入っていたことには驚いたが、それ以上に、民衆が家茂を選んだという事実が嬉しかった。
それは、家茂が単なる「血筋の人」ではなく、「徳のある指導者」として認められた証だったからだ。
翌日、五稜郭で建国宣言式が行われた。
バルコニーに立った家茂は、集まった数万の民衆を見下ろした。
その隣には、純白のドレスを纏った和宮の姿もある。
家茂は、大きく息を吸い込み、力強く宣言した。
「本日、ここに北海道共和国の樹立を宣言する!」
うおおおおおっ!
地鳴りのような歓声が上がった。
五稜郭の空に、新しい国旗が掲揚される。
北極星を中心に、七つの星(北斗七星)を配した、青地の旗「北辰旗」だ。
七つの星は、和人、アイヌ、そして五畿七道の民を表しているという。
「余は、選挙によって選ばれた、初代大統領として、この国を率いる!」
家茂の声は、朗々と響き渡った。
「この国は、誰か一人のものではない。ここに集う、すべての民のための国である! 身分も、生まれも関係ない。志ある者が、自由に夢を追い、努力が報われる国。……それが、余の目指す『大和』である!」
民衆の歓声は、いつまでも鳴り止まなかった。
涙を流して喜ぶ者、肩を抱き合う者、空に向かって拳を突き上げる者。
そこには、新しい時代への希望が満ち溢れていた。
式典の後、家茂は直ちに組閣を行った。
行政の長である国務総裁(首相)には、榎本武揚を指名した。
「榎本、頼むぞ。実務はそなたに任せる」
「はっ! 閣下のご期待に添えるよう、粉骨砕身努力いたします」
榎本は、感極まった様子で頭を下げた。
彼は、オランダ留学で学んだ知識をフル活用し、この国を近代国家へと導くキーマンとなるだろう。
軍事総裁には土方歳三、開拓総裁には松浦武四郎が任命された。
そして、かく言う俺・永倉新八は、治安維持と諜報を担当する「監察総裁」という役職を仰せつかった。
「新八、お前には汚れ役を押し付けることになるかもしれんが……」
家茂が申し訳なさそうに言う。
「閣下、水臭いことを言わないでください」
俺は笑って答えた。
「俺は、新選組の二番隊組長です。汚れ役なら、慣れていますよ。……それに、この国を守るためなら、鬼にでも蛇にでもなります」
「ありがとう、新八」
家茂は、俺の手を固く握りしめた。
その夜、五稜郭では祝賀会が開かれた。
フランス料理と日本酒が振る舞われ、和洋折衷の宴となった。
ブリュネ大尉らフランス軍事顧問団も、上機嫌でワインを飲んでいる。
「素晴らしい! これぞ、東洋の奇跡だ!」
ブリュネは、酔っ払って俺に絡んできた。
「ナガクラ、君たちの国は、きっと強くなる。……フランスも、全力で支援するよ」
「メルシー、ブリュネさん」
俺は、慣れないフランス語で答えた。
会場の隅では、斎藤一が一人で酒を飲んでいた。
「斎藤、もっと飲まんか?」
俺が声をかけると、彼はふっと笑った。
「飲んでいるさ。……ただ、まだ終わっていないと思ってな」
「ああ、そうだな」
俺は、彼の隣に座った。
建国はゴールではない。スタートだ。
薩長軍は、すぐそこまで迫っている。
これからが、本当の戦いなのだ。
「だが、今夜くらいは祝おうや。……俺たちが作った、俺たちの国だ」
「……そうだな」
斎藤は、静かに杯を干した。
宴の喧騒から離れ、俺は一人、バルコニーに出た。
夜空には、満天の星が輝いている。
その中心には、北極星が動かずに鎮座している。
まるで、我々の行く末を見守っているかのように。
「新八さん、ここにいましたか」
背後から声をかけられた。
振り返ると、沖田総司が立っていた。
その隣には、中沢琴も寄り添っている。
「総司か。……体はもういいのか?」
「ええ。こう休んでばかりだと退屈なんで、少し抜け出してきました」
沖田は悪戯っぽく笑い、琴は「もう、総司さんったら」と頬を膨らませた。
だが、その顔色は以前よりもずっと良く、生命力に満ちていた。
俺たちは並んで手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
「綺麗な星ですね」
「ああ。……江戸で見た星とは違うな」
「ええ。でも、同じ星です」
沖田は、北極星を指差した。
「あの星のように、僕たちも動かずに、この国を照らし続けたいですね」
「そうだな」
俺は深く頷いた。
そして、ふと、ここにいない男のことを思った。
「近藤さん……見てるかな」
俺の呟きに、沖田も静かに答えた。
「見てますよ、きっと。……今もどこかで、僕たちと同じ空を見上げているはずです」
「ああ。いつかまた、会える日が来るさ」
風が吹いた。
それは、昼間の暖かさを残した、優しい風だった。
ふと、懐のお守りに手が触れる。
和宮様から頂いたお守りだ。
その温もりが、俺に勇気を与えてくれた。
この国を、この希望を、絶対に守り抜いてみせる。
◇
その頃、五稜郭内の特別室では。
病床の孝明天皇が、苦しい息の下で、北の空を見つめていた。
「……家茂、和宮……」
その瞳には、涙が光っていた。
彼の命の灯火は、今にも消えようとしていた。
だが、その魂は、同じ北の大地にある新しい国と繋がっていた。
日本の運命を分ける激動の時が、刻一刻と迫っていた。
武士も農民もアイヌも、等しく一票を投じる選挙の光景。
新八をはじめ、かつて京を震撼させた新選組が民主主義の守護者として投票箱を守る姿には、彼らの新たな「誠」の形の表れだった。
龍馬たちが見守る中、薩長の大義名分を根底から覆す、新しい日本の夜明けが描かれる。




