前編
何年振りかを振り返るよりも、今は向かわなくてはいけない場所があるため、新幹線を降りると急いでタクシーに乗り込み、実家へ向かった。
変わらない街並みを見つめながら、自分が過ごした青春時代の記憶が走馬灯のように蘇る。
近所にあった商店街も変わらず生息していたが、やはり過疎化は進んでいるようで、何軒かは閉店したようだった――。
白石と表札に書かれた家の前へ辿り着き、そう言えば……、と隣の家をひょいと覗き見る。
いるわけがないと分かっているのに、子供の頃の習慣は恐ろしい物だと感じた。
幼少の頃、たまに見かけた女の子、学校にも通ってない彼女はいつもひとりで玄関先にあるポーチ付近にいた。
じっと玄関先の花壇の花を眺めては、寂しそうな顔をしており、気になって一度だけ声をかけたことがあるが、こちらを見た後、彼女は花壇を指さした。花の感想を言えと言いたいのか、よく分からない彼女の行動に、首を捻るばかりだったし、話かけたのはそれが最初で最後だった。
――不思議な子だったな……
足を半歩隣へと向けた時、自宅から母が顔を出し「敦何してるの?」と声を掛けられ、足が止まった。
「あ、ただいま」
「『あ』じゃないわよ。全然入って来ないから何してるのかと思ったわ」
うちの玄関先は、リビングの窓ガラスから丸見えなこともあり、入って来ない自分を不信に思った母が見かねて声を掛けて来たのだ。
仕方なく向きを変え家へと足を運べば、早速とばかりに母からゴミ袋を手渡された。
この辺り一帯、都市開発予定地に入っており、高層マンションやら、大型のショッピングモールなどが建設されるらしく、当然だが我が家も立ち退きを要求されていた。
とはいえ、今住んでいるボロ家より遥かに良い家を用意してもらえたのだから、棚ぼた感はある。
ただ、引っ越しが面倒なのは言うまでも無いことなので、多少の愚痴が零れるのは仕方が無いことだった。
「凄い荷物だな――」
「まだ半分くらいよ?」
「え……、どんだけあるんだ」
既に山のように積まれたダンボールを眺めながら、溜息を零せば、母は肩を竦めながら。
「だって、この家に住んで二十年なのよ、二十年分のガラクタが埋まってると思っていいわね」
「ガラクタって自覚があるんだ」
仁王立ちする母は、眉を歪ませながら「そんなことはいいから、早く自分の部屋を片付けてね」と二階にある俺の部屋へと顎をしゃくる。
「母さんがやってくれたらいいのに、何でわざわざ実家の部屋の片付けをしに、有休まで使って来なきゃ行けないんだよ……」
「あら、学生の頃の良からぬ宝物とか出て来てもいいの? 私が墓に入るまで後ろ指刺されることになるわよ」
何とも恐ろしいことを言う母に、いやいや、俺はデジタル派だから、と色々と反論したかったが、自ら羞恥を広げるのも馬鹿らしいので「大変申し訳ありませんでした」と早々に謝罪し、自分の部屋へ入った――。
出て行った時と変わらない部屋を見渡し、埃が積もった机の上をさっと拭い、そこへ手荷物を置いた。
そのまま脇にある窓を開ければ、春風がさわさわとカーテンを揺らす。
――さて、片付けますか。
ゴミ袋を広げると早速整理することにした。
大きな家具類は捨てても構わないだろう、流石に勉強机はもう必要ないしな……、と机の引き出しを開けて、細々とした物を整理する。
学生の頃に落書き帳などいう物に変化した授業ノートを見ながら、くすりと微笑したり、懐かしい漫画を手に取り読み返したり……。
一向に進まない整理を続けていると、急にふわっと揺れるカーテンが、自分の顔にかかる。「をぃ! 良い所だったのに……」と愚痴を溢しながら、カーテンの布を掌で払う際、隣の家の庭先が視界に入った。
――そういえば、あの子、まだ居るのだろうか?
当時、自分と同じ歳くらいだったけど、成長していれば、それなりに美人なんじゃないか? などと不埒な考えが過る。
いやいや、とかぶりを振りながら、話をしたのも幼少の頃に一言だけだし、成長した彼女と今更会った所でどうしようもない。
それに彼女は何かわけありな気がした。
考えて見れば、自分と同じ歳くらいの子で、学校に行ってないこと自体、少し妙だった。
窓を閉めカーテンを引こうとした瞬間、その家の玄関から女性が出て来るのが見えた。
あの子だろうか? と目を凝らして見るが、お隣さんとはいえ、それなりの距離があり、確認できるような視力を俺は持っていないため、そうそうに諦め、窓とカーテンを閉めた――。
面倒な片付けを終え、燃えるゴミと燃えないゴミを両手に持ち、母へ手渡す際、隣人のことを聞いて見た。
「さっき、窓から女の人が出て行くのが見えたけど、隣って昔から住んでる人だよね?」
「あー、お隣さん無愛想な人達よね、たまにしか会わないけど、一度だって挨拶を返してもらったこと無いのよ」
「ふーん、まあ、色んな人がいるからなぁ、けど、そっか、あの子があの時の……」
その言葉を聞いた母は「うん? 何の話」と疑問符を顔面に貼り付けながら聞いて来るので「いや、子供の頃たまに見かけたんだ」と返事をしながら、リビングのソファに腰かけた。
「確かに女の人も見かけるけど、子供だった頃は知らないわね」
「そうなの? まあ、俺も数える程度しか見かけたことが無かったからなぁ……」
「どちらにしても、お隣さんは近所付き合いは避けてる見たいだし、子供も同様だったと思うわよ」
母の言葉に納得はしたが、妙に引っ掛かった――。
一晩実家に泊まり、翌日、帰り支度を整え外へ出る。チロっと横に視線を投げながら、隣の家をふと覗いて見た。
――居るわけないか……
しばらく玄関ポーチを眺めていると、背後から声を掛けられた。
「あの……、うちに何か?」
その声に驚き、弾けるように振り返れば、女性が立っていた。
「もしかして立ち退きの件でしょうか?」
「あ、いえ、違います。俺は隣に住む白石です」
「ああ……そうですか」
どうやら、不動産会社の人間に間違われたようで、女性は少し困ったような表情を見せていた。
近所付き合いが苦手だということは十分に分かっているので、簡単に挨拶を済ませ、その場を離れようとしたが、ふと、あの時のことを聞いて見たくなり「あの……」と言葉を溢した。
「昔、ここで会ったのを覚えてませんか?」
「え……」
「あ、やっぱり覚えてないですか……、子供の頃、一度だけ声をかけたことがあるのですが……、そうだ、赤い花模様のハンカチを大切そうに持ってましたね」
俺の言葉を聞いた瞬間、女性の顔が強張って行く。
そんなに変なことを言ったか? と自分の言動を思い返し不思議に思う。
顔色が悪くなる女性に「大丈夫ですか?」と声をかければ
「ええ、大丈夫です。あ、の、お願いが……」
「……? はい」
女性が何か言葉を言いかけた時、家の中からドンっと鈍い音が聞えた。何事かと思い、音の鳴った方へ目を向けたが、女性が「もう、行って下さい」と消えそうな声を出した。
何かを言いかけていたはずなのに、彼女は軽くお辞儀をすると、そそくさと家へと入ってしまった。
――何だったんだ……。
切羽詰ったような彼女の様子に只ならぬ物を感じ取ったが、その理由を確認出来ないまま、実家を離れた――。
都内にある自分の家に戻り、数日が経った頃、仕事終わりに母から電話が入った。実家の引っ越しは滞りなく済んだ報告と、隣の熊田さんから自分に伝言があると言う。
お隣さん熊田って名前だったのか、と今の今まで隣人の苗字すら知らなかったことに自分で驚きながら、「伝言?」と聞けば、母は「狐につままれた見たい」とお道化た言葉を溢しながら。
「ヨシザワコトミ、それを伝えて欲しいって」
「は……?」
全然意味が分からないんだが?
お隣が熊田さんだと知ったばかりの俺に、謎の伝言を言い渡され、一体どうしろと言うのだろう。
取りあえず、ボールペンを持ち、メモ帳に伝言であるヨシザワコトミの名を書いて見た。
――この名前は何だろう? 名前じゃないのか? いや名前だよな……?
ヨシザワコトミという名を頭の中で反芻する。
熊田さんの家に関係があるなら、俺には接点が無い人物だ。
「何、このヨシザワコトミって」
「私に聞かないでよ」
それもそうだ。交流の無い母が知っているわけもないが、自分にも聞き覚えのない名前だった。
ふと母が「そう言えば、熊田さん、揉めてるのよね」と言う。
「揉めてる?」
「ほら、立ち退きの件よ、熊田さんの所だけ了承してなくて、何度も不動産会社の人が訪ねに来ているのよ」
「へぇ……」
ああ、だから、あの時、俺に不動産会社の人間かと尋ねたのかと納得した。
数十年と暮らした家が一瞬で崩れるのは、確かに良い気はしないのかも知れないし、拘りのある家なら、そう簡単に立ち退きに了承出来ないのかもなと思う。
まあ、どちらにしても、俺には関係のないことだ。取りあえず、伝言を受け取り、母との通話を終えた。
風呂に入り、飯を食い、面白くもないテレビを見て、ベッドへ体を沈める。
――ヨシザワコトミ……、ね。
全然記憶の無い名前なのに、幼少の頃見かけた女の子の姿を思い出した――。




