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殺し屋 慈悲心鳥  作者: 来宮奉
国際会議
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国際会議前日

# 国際会議前日


 食品貿易に関する国際会議はいよいよ前日に迫っていた。

 会場となるコンベンションセンターでは、プレス向けの事前公開が行われていた。


 午前中の寒さに包まれた海沿いの会場では、記者や警備を担当する警察、会場のスタッフたちがせわしなく動いていた。

 そんな中タクシー降車場で、雑誌記者のナンバー9は人を待っていた。

 時計を気にしていたが、やってきたタクシーから降りてきた女性の姿を認めると、仰々しく彼女を出迎える。


「いやあ、来てくれてありがとう。

 どうしても君の手が借りたくてね」


「役に立てるとは保証しないですよ」


 女性は記者らしい格好で、というナンバー9からの指定を受けて、グレーのテーラードジャケットとスラックス姿でやってきた。記者らしく見えるようにと、PCの入るショルダーバッグと、ミラーレスカメラを肩から掛けている。


 そんな彼女はナンバー9の服装を一瞥して眉をひそめる。

 チェックのネルシャツにハイゲージの黒タートル。デニムのパンツ。それだけでもだいぶ胡散臭いのに、古臭い上着とぼさぼさの髪も合わさって、あまりきちんとした記者には見えない。


「ぼかあ君のことを高く買ってるよ。

 というわけだから今日はこれでよろしく」


 ナンバー9が差し出したのは、プレス用の身分証だった。

 女性はそこに記載された名前を見て、また眉を顰めた。


「長月玖実? 誰ですか?」


 ナンバー9はぼさぼさの髪をかいて笑う。


「事前申請だったもんだからカードの修正が間に合わなくってさ。

 とりあえず後輩の、フリーライターの名前で最初は申請しておいたんだ」


「でしたら直接その人を誘ったらよかったのでは?」


「誘ったんだがね。

 どうも彼女オカルト記事で大手雑誌に載ったので気をよくして、すっかりそっち方面の取材にのめりこんじゃってさ。

 年明けに田舎の洋館へ取材に行くからそれどころじゃないときたもんだ」


「単純にあなたが嫌われているのでは?」


 そんな言葉はナンバー9の耳には届かなかった。


「ま、名前は違うが安心してくれ。キャンセル枠の名義差し替え手続き済みだから、記載は違っても正当な身分証だよ。

 ただ、今日と明日は長月玖実で頼むよ」


「そういうことでしたら。

 どうもお久しぶりです。長月玖実です」


「ああ、久しぶり」


 返答を受けて『長月玖実』は、自身の身分証を首から下げた。


「正当な身分証なのは結構なことですね。

 相手国の農業・農産食品大臣が来るような国際会議で偽装身分証使ったなんてばれたら一大事ですから」


「わかってるさ。だが大臣が暗殺されることに比べたら些細な事だろ?」


「本当にそんなことが起こるとは信じてないですよ」


「ぼくだってそう信じたいがね、現に警察も来てる。

 ほら、向こうに反社みたいなのがいるだろう?

 組織犯罪対応。もっと言えば、〈翼の守〉に関する殺人事件の対応を専門にしてる連中だ。

 彼らが来てるってこたぁ、こりゃ当たりかもしれない」


「私は当たらないことを祈ってますけどね。

 それで、結局私は今日何をしたらいいですか?」


 問いかけると、ナンバー9は歩きながら話そうと、会場の入館ゲートへと向けてゆっくり足を進めた。


「知っての通り、本会議は明日だ。

 今日はプレス向けの会場公開がメインでね。

 といっても、午前中は警備側の現地リハーサルのほうが忙しいみたいだ」


「警備情報って、公開してしまっていいんですか?」


「しっかり警備してますよアピールをしないわけにもいかないんだそうだ。

 ただ見せるのは体制だけ。動線やら時刻みたいな情報は伏せられる。

何より、明日はこれより警備は厳しくなるだろうね。」


「それならいいですけど。

 会議はしないんですよね」


「一応プレ会議みたいなのもあるらしいが、公開はされない。

 重要人物も何人か来るようだ。

 とりあえず手荷物検査を済ませよう」


 会場へ入るためのゲートで、2人は分かれて手荷物検査の列に並んだ。

 身分証の確認をされたが、女性はしっかりとフリーライターの「長月玖実」を名乗り、何のお咎めもなく通過した。


 入館ゲートは一か所に集約されている。

 裏手には業者やVIP用の入り口もあるだろうが、そちらは記者には公開されないだろう。


 会場に入ると特に案内はなく、ナンバー9が用意してきた会場マップを見ながら会場内を確認する。


「会場内の構造はこんな感じだそうだ。

 スタッフの知り合いから、スタッフの動線も確認してきた」


「それ、絶対外に出したらまずい情報ですよね」


「悪用しなければいいのさ。

 ともかく、殺し屋慈悲心鳥は女性かも知れないって疑ってる刑事がいる。

 そういうわけだから、男が入れない場所を調べるのを任せたい」


「調べるって言っても、大したことはできないですよ」


「とにかく目を光らせておいて欲しいってことさ」


 なんと適当なことだろう。

 長月はため息交じりに、一応地図とスタッフの動線を確認する。

 スタッフ側に侵入することはできないだろうが、記者が立ち入りできるトイレは後で中を見ておくことにした。

 もしかしたら、そこで殺し屋が凶器を準備している可能性だってあるわけだから。

 女性用更衣室もあるようだが、おそらくプレスは立ち入りできないだろう。そっちについては、そこでは何も起こらないことを祈ることにした。


 それから2人は会場内を見て回りつつ、2階のメディアラウンジへ入った。

 プレス向けに、本会議で提供される料理が公開されている。

 もちろん試食可能だ。


「結構気合入ってますね」


 撮影可能とのことなので、長月は料理の写真をカメラに収めながら言う。


「農業・農産食品大臣様が来る食品貿易に関する会議だからな。

 日本の食材をアピールしないといけないわけだよ」


「いいですね。

ところで、我々は表向き記者で来ているのですから、記者としての仕事をしないわけにはいきませんよね」


 長月の手には既に、芸術作品のような焼き目のついた和牛の皿があった。


「今日は会場の下調べをしに来たのであって……」


 ナンバー9は言葉を選ぶが、長月が解体されたばかりのマグロを使った寿司の皿を手にしたのを見て、考えを改めた。


「そうだな。記者として、これはまったくもって正当な仕事だ」


 メディアラウンジの席に座り2人はしばらく料理を楽しんだが、やがてナンバー9は会場の地図や会議参加者の名簿、警察側の情報等の資料を机の上に広げた。


「結構下調べしてきたんですね」


「当然だ。

 それで、向こうの大臣が狙われているのは間違いない」


「そもそもそれが本当ですか?

 大臣をころ――狙うなんて、リスクが高すぎると思います」


 周りにほかの記者がいるため、長月は言葉を選んで問いかけた。

 されどナンバー9はその点に関しては絶対の自信があるようだった。


「今回の会議における最重要人物だ。

 この人に何かあれば一発で会議はご破算となる」


「それは間違いないでしょうけど。

 ――そういえば、その大臣はもう日本には来ています?」


「今朝の便で来てるそうだ。

 無事に大使館についたとこまではわかってる」


「空港での事件はなかったと」


 長月は和栗を使ったデザートで糖分を摂取した。糖分によって活性化した脳で意見を述べると、ナンバー9は頷いて見せた。


「そうだな。全く不審な点はなし」


「大使館からここまでの移動経路は?」


「狙われる可能性もあるが、プレス向けに経路は公開されてない。

 時間帯も非公開だし、もしかしたらダミー車列なんかも出すかもしれん」


「〈翼の守〉の情報は向こう側も知っているってことですか?」


「詳細は伝えてないだろうが、注意するようには伝えてあるようだ」


「注意、ですか」


 なんとも、本当に事件が起こるのかどうか雲行きが怪しくなってきた。

 もし本当に殺し屋が動く可能性があるのなら、注意などではなく警告すべきだ。

 注意で済ませた結果本当に大事に至ったとしたら、一体その責任は誰がどのようにとるというのだろうか。


「では、ほかの人は?

 大臣以外にも、会議への参加者はいますよね」


「そうだな。

 重要人物はこのあたりだろうか」


 ナンバー9は資料の中から相手国の参加者リストを出し、さらにいくつかの顔写真を選び出した。


「こいつはFIA――いわゆる検疫に関する実務機関――のグエン長官。

 獣医疫学が専門らしいが、技術的知見に優れ交渉を得意としている。


 こっちが民間食品セクタ―代表のマルテル女史。

 食品最大手ノーザン・プレーリー・フーズの副社長だ。実務筆頭で、港湾貿易やコールドチェーンの迅速化を推進してる。


 それでこいつが、与党系下院議員のオハラ議員。長年畜産業を後ろ盾にして議員となってきた人物で、今回豚肉輸出簡素化の議題をねじ込んだのもこいつだ。


 そんでこいつは在日大使のフレイザー参事官。今回の会議のコーディネータを務める。会議開催に向けて日本側と交渉してたのがこいつだ。


 一応、知っているだろうがこれが農業・農産食品大臣のボーモント大臣。

 対外発信に長けていて、食料安全保障に関して国家間での取り決めをいくつも進めてきた」


 長月は「ふうん」と相槌を打ちながら、それぞれの面々について確かめる。

 農業・農産食品大臣のボーモント大臣は、50代くらいに見える端正な顔立ちの男性で、ダークブロンドの髪をしていた。

 いくつかの写真を見たが、笑顔の写真が多い。しかしどれも本心では笑っていなさそうな印象を受けた。


 FIA長官のグエン博士は、40代後半くらいの男性。額は広く、生え際はだいぶ後退している。細身の眼鏡をかけ、表情はどの写真も硬質で、研究者気質なのがうかがえた。


 民間セクター代表のマルテルは、40代にかからないくらいの女性で、体つきはどっしりとしており、服装も冷蔵倉庫の作業服の写真が多く、とにかく実務を重視する人物のようだった。


 下院議員のオハラ議員は50代前半の男性で、額と口元の皺が深く、実年齢よりかは老けて見える。しかし表情はどれも柔らかく、支援者と寄り添ってきた現場主義の議員であることがうかがえる。


 在日大使のフレイザー参事官は50代半ばくらいの男性で、濃紺のしっかりとしたスーツを決めていた。スーツの着こなし方から几帳面さが伝わってくる。


「豪華メンバーみたいですね。

 それで、豚肉の貿易簡素化? でしたっけ。

 それをねじ込んだということは、別の議題がメインですか?」


「そうなる。

 デジタルトレーサビリティだとか、原産地表示の相互運用とか、食料安全保障がどうのこうの」


「あやふやですね」


 これまでの下調べと異なるどうにも歯切れの悪い回答に長月は眉を顰めた。


「正直なところ、今回の取材は慈悲心鳥がメインで会議のほうは興味がない」


「そんな態度で結果が出せるとは思えませんけどね」


「君はいったいどんな立場なんだ?」


 ナンバー9は困ったように笑う。

 対して長月は、和三盆を使った菓子を口に入れて返す。


「私は料理がメインで、取材の手伝いは興味ないので」


「そうだった」


「といっても、手伝いですからやることはやりますよ。

 それで、その重要人物は今日来るんですか?」


「参事官のフレイザーは間違いなく来る。

 他は会場まで来るかどうかは未定だ」


「日本には来ているんですよね」


「ああ。先週くらいから来てる。

 日本の食品産業と会合したりしてるとか」


「そっちの取材はいいんですか?」


 先週から来ているなら、先週からできることはあったじゃないかと問うと、ナンバー9は相変わらずの胡散臭さで返す。


「ターゲットは大臣だと踏んでるんでね」


「そうでしたね。それに、そっちはプレス向けに料理は出ないでしょうし」


 自分もそっちに行く意思はなかったよと告げる。

 しかしナンバー9はそんな長月をからかうように言った。


「山梨ではワインの試飲会とかあったらしいぞ。

 議員と民間セクターの代表が顔を出したらしい」


「そういうほうが誘ってほしかった」


「次回があれば検討するよ。

 さあ、そろそろ場内ツアーの時間だ」


 冗談めいて言って、ナンバー9は資料をまとめて立ち上がる。正午を回り、警備側のリハーサルもひと段落。午後からはプレス向けの場内ツアーが予定されていた。

 長月はまだ料理に未練があったが、やむなく席を立った。


 公式に設定された場内ツアーは、プレス向けに会場内の、本来は見学できない場所まで公開するツアーで、当日は入れない本会議場や控室などの写真を撮ることができた。


 長月は女性だけが入れるような場所に気を払いつつ、ほかの記者たちにも注意を向けた。

 事前登録制の記者だが、記者ではない人間が入り込む可能性も否定できない。

 キャンセル枠の名義差し替えとかで、プレス関係者への潜入をしてきてもおかしくない。

 実際に1人。そんなふざけた真似をして会場に潜入している人間も知っていたし。


 女性記者の顔をなるべく覚えるようにする。

 そんなに数は多くないのでなんとか覚えきれそうだった。


 場内ツアーは折り返し、本会議場へと戻ってきた。

 ナンバー9が手に入れた会場の地図を手に、長月は彼に問いかける。


「本会議場に当日は入れるのは誰になります?」


「出席者だけだろうな」


「清掃員とか、ケータリング関係は?」


「事前には入れるが、会議中は無理だろう」


「入れる可能性があるのは?」


 重ねられた問いかけに、ナンバー9は頭を整理するように中空を見つめて、指折り数えながら答える。


「会議のメンバー以外だと、通訳、議事関係、警護、くらいか。

 技術者は短時間のみで運営同伴。医務担当は呼ばれた時だけ入室する。それまでは控室で待機だ」


「技術者とは?」


 他は何となく理解できたのだが、技術者が待機する理由がいまいちわからず問いかける。


「会議の録音システムとか、同時通訳のためのヘッドセットとかのAV機器に関する技術者が入るそうだ。

 身元確認はされているだろう」


「そうですか。

 会場のスタッフとかは入れないという認識でいいですか?」


「資料配布する人はいるかも。ただ、その辺の一般人が日雇いでできる仕事じゃない。

 おそらく関係省庁――今回でいうなら農林水産省か――そこの事務職員かなんかが担当することになる」


「身元不確かな人間が本会議場に入り込む余地はないと」


「そういうこと。

 本会議場に入る場合は運営同伴。会議中の動線は裏のサービス通路のみで、ここは警視庁お墨付きの警護で固められてる」


「だとしたら――」


 長月はこれを本当に言ってしまっていいのか悩んだが、どうせ記者の手伝いという名目で来ている何の責任もない立場なので、言ってしまうことにした。


「会場で事件なんて起こらないのでは?」


「そういう事件を起こしてきたのが慈悲心鳥なのさ」


 ナンバー9はその点について一切譲るつもりはなさそうだった。

 されど、記者手伝いの忌憚なき意見として長月は言うべきことを言っておく。


「私は慈悲心鳥を知らないですけど、もし私が殺し屋なら、もう少し事件を起こしやすそうな場所がないか探すと思います」


「貴重な意見どうも。

 そうだな。大使館からここまでの経路を深堀してみるよ」


「きっとそれがいいですよ。

 それと、今夜の大臣の予定とか」


「それは盲点だったな!」


 胡散臭い笑みを浮かべながら、ナンバー9は手を打った。


 ……この人は本当に、慈悲心鳥を突き止める気はあるのだろうか。


 手伝いとしてやってきた長月だが、どうにも不安になってきた。


「はっはっは。そんな顔しないでくれよ。

 やる気はあるんだ。だからこそ、そういうアドバイスはありがたい」


「そうですか。

 では飛び切りのアドバイスなんですけど、ラウンジに日本酒の試飲コーナーがあるの見ましたか?」


「見たけど――わかったよ。行ってみよう。

 座って調べ物もしたいし」


「そうですよ。

 会場にケータリング業者は入れなくてもラウンジには入るわけですから。

 それに料理だって、人を介して会場に侵入します。

 これは、調べる義務がありますよ」


 飲み食いしたいだけだろう、とはさしものナンバー9も口には出さなかった。

 ただそれでも、夕方からは参事官が登壇するレセプションがある。

 決して飲みすぎることがないようにと、釘はさしておいた。



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