Prologue〜とある兵士の走馬灯〜-1
戦争は、煙草に似ている。
いいことなんざ一つもないのに、この世から消えた試しがない。
タイラー・セブンス小隊長は、ため息とともに紫煙を吐き出した。口の端にくわえた紙煙草は、噛み癖と唾液で既にひん曲がってしまっている。
これが最後の一本。家を出るとき妻が持たせてくれた一箱がまるまるなくなるくらいには、長い行軍だった。とはいえそれも、もうすぐ終わる。
明朝、セブンスたち総勢二千のアイルー軍は、ついにルミエール領を目と鼻の先に捉えた。
ルミエール王国への宣戦布告は、内々に、入念に、何年も前から計画されていたことだった。
発端というほどのものはない。世界最強の男だのが現れるよりずっと前から、ルミエール、アイルー、ダバル三国は常に一触即発の関係にあった。長い歴史の中で、幾度か国境を撤廃し、手を取り合って一つの国と成ろうと試みたときもあったようだが、いずれもうまくはいかなかった。
覇権争い、裏切り、報復――醜い歴史の終止符を打ったのは、どこからともなくルミエールに降り立った、冷気を纏う白銀の青年である。
白皇。世界最強の男。
ヤツが全ての争いを止めた。絶対に勝てないのだから、戦う理由がなくなったのだ。ダバルは不可侵を誓って逃れたが、アイルーは為す術なくルミエールと同盟を結ばされた。抜け目ないルミエール王の用意した、あらゆる面でルミエールに有利な不平等条約――事実上の、植民地支配である。
アイルーの豊かな国土と民は、ルミエールのための土地と労働力になった。新種モンスター調査などの危険な任務は、ほとんどアイルーの冒険者ギルド《青雲》に回される。守護石の採掘地はルミエールに独占されていて、優秀なウォーカーから次々に殉職していく。
逆にルミエールは学生同士の模擬戦ですら守護石を投入するから、当然候補生がメキメキ育つ。任務でも誰も死なないから、どんどん経験を積んで冒険者の質が上がる。そうして若手が活躍するから貴重な資源がルミエールに持ち帰られて、余計に国が潤う。それでますます教育に予算が割かれて、もっともっと学生が育つ――
白皇がルミエールに現れて、たった十年。ルミエールが凄まじい速度で文明を発展させ、力を膨れ上がらせていく一方で、その養分となったかのようにアイルーの国力は痩せ細っていった。
限界だった。どこかで立ち上がらなければ、もう飼い主に噛みつく牙すら朽ちてしまいそうなところまできていた。そんなときに、一人の男がやってきたのだ。
『共に、憎きルミエールを滅ぼさないか』
謎の男は、ルミエールの内部事情に詳しかった。彼のおかげですべての準備が整った。大国ダバルと裏で手を組み、白皇をダバルへ釣り出し、がら空きのルミエール本土を蹂躙する。
セブンスはその尖兵に選ばれた。アイルーの冒険者で三十路ともなれば、もうベテランと呼ばれる歳だ。それくらい、皆若くして死んでいく。階級207という数字は、《青雲》の上位三パーセント。五十人の兵を束ねる小隊長に任命されて、今、ここにいる。
「いよいよだな、おっちゃん!」
セブンスのすぐ後ろを歩いていた若者が、いかにもやんちゃな声を張り上げた。その隣を歩く少女兵が、「ちょっと、隊長になんて口きいてんの!?」と噛みつく。
「いいだろ、別に。ちっちぇ頃からの仲じゃねえか」
「あたしらをウォーカーに推薦してくれた大恩人でしょうが! しかもすごい人なんだから! 《紫煙のセブンス》って言えば、あとちょっとで《十傑》入りまで……」
「まあまあ、二人ともそのへんで。もう敵地が目の前だよ」
柔和な目の少年兵が見かねて二人をなだめる。いつも通り騒がしい、やかましい、それでいて心安らぐやりとりだ。
やんちゃな少年がロキ、口うるさい少女がナナ、柔和な少年がルーミオ。三人は歳の近い幼馴染みで、セブンスが駆け出しの数年間、駐屯兵をしていたスラム街の悪ガキ三人組だった。幾度となくしょっ引いたりするうちに顔馴染みになり、今となっては少々大きな息子娘も同然になった。
「ウハハ、まぁ、ビビるよりかは良し。だが浮き足立ってると死ぬぞ。気ぃ引き締めろ」
「大丈夫だって! オレらの実力知ってんでしょ!」
「調子に乗らない!」
楽観的なロキの後頭部をナナが引っぱたく。本当に緊張感がない。
実際、この三人は強い。まだ十七、八歳、冒険者歴もニ年あるかどうかだが、いくつもの危険な任務を生き延びて成長してきた。既に同期の中では頭二つ抜けており、セブンスがここ十年見てきたウォーカーの中では、素材としては最上級である。
「僕は……怖いよ、正直。ルミエールのウォーカーは精鋭揃いだっていうじゃないか」
「はぁ? 温室育ちのボンボンどもに、オレらが負けるわけねえだろ。こっちは守護石もなしに毎日フィールドに潜ってんだ。頭数だって奴らの十倍あんだぞ」
「でも……相手だって人間なのにさ、殺し合いなんて……」
「ルーミオ!」とナナが険しい顔で詰め寄った。
「やめなさいよ、この期に及んで士気が下がるようなこと言うの。これは聖戦でしょ!? ずっと搾取され続けてたルミエールを倒せば、あたしらもっとマトモに暮らせるわ! スラムの皆だって飢えることもなくなる! そもそも今回の戦争だって、あっちから仕掛けてきたことなんだから! いい? 土壇場で情けなんかかけて、あんたが逆にやられるようなことがあったら許さないから!」
「落ち着けよ、ナナ」セブンスが彼女の頭に手を置き、小さくたしなめた。さすがにヒートアップしすぎだ。
「ルーミオ。『怖い』『殺したくない』って感情は人として正しいことだ。でもな、戦場に来たんなら、人をやめろ。修羅になれ」
セブンスの言葉に、ルーミオは固い顔で閉口した。――そうさ。こんなこと、やりたいヤツなんているわけがない。いたとしたら、そいつはたぶん、戦場に来ないやつだ。
「ま、偉そうにしてみても、俺だってこんな戦争は初めてだ。全員、生き残ることだけ考えろ。出世できるのは百人殺したやつじゃねえ。生きて帰ったやつだけだ」
セブンスの檄は、ルーミオたちだけでなく、彼が束ねる五十の兵全てを奮い立たせた。
セブンスが受け持つ小隊は、総勢二千を誇る第一本隊の最前線最右翼を担当している。横撃、包囲、索敵など、状況に合わせて様々な役割を担う重要な位置だ。――同時に、死亡率が非常に高いため、低身分のウォーカーがこれ適役と寄せ集められる。スラム出身者で腕の立つロキたち三人は格好の的だった。。それを知ったセブンスは、自らその小隊長を志願した。
遠方約五キロ、荒涼な平原にそびえる石造りの砦がセブンスたちを迎えた。ルミエール領南西端、ビショップ砦――両脇を巨大な山脈で隔てられている都合上、アイルー軍はどのようにしてもこの砦を通過せざるを得ない。
故に、敵は必ずここで軍を敷き待ち構えている。あの砦が最初で最後の戦場となることは、互いにとって自明だった。
砦に辿り着くまで、約一時間強といったところか。もう一本煙草が欲しいところだな――そう、ひしゃげた口元の煙草を引き抜いたその時。
「――【武御雷】!」
凄まじい閃光が真上からカッと降り注いで、セブンスたちの影を色濃く大地に焼きつける。刹那、遥か天空で弾けた轟音と爆雷が、神罰の如くセブンス小隊に降り注いだ。
まさしく、赤天の霹靂であった。雲ひとつない快晴の国と名高いルミエールの茜空から、突如雷鳴と稲妻が迸ったのである。
その雷鎚は小隊を飲み込み、大地を豆腐のように穿った。震撼して足を止めた本隊の視線の先には、砂塵を巻き上げる、縦に深いクレーター。かろうじて直撃を免れたか、その外周に散り散りに吹き飛んでいるのが三十名ほど。残りは姿かたちさえ見えず、穴の底に落ちたと思われる。
「て、敵襲!!」
「どんな規模の煉術だよ!? 《荊》がこんないきなり出てくるのか!?」
本隊がたじろぐ中、雷撃を回避していたセブンスは、ロキ、ナナ、ルーミオ含む生き残りたちに怒鳴り散らした。
「散開しろ! 固まってりゃあの雷撃のいい的だ!」
指示を受けて散り散りに距離を取り合った隊員たちであったが、結果を言えば、雷撃が落ちてきたのはその一度きりだった。
かわりに降ってきたのは――たった五人の、敵兵。
セブンスたちから僅か十メートル程度先に着地した彼らは、一様にお揃いの黒い装束を身にまとっていた。全員がフードを深くかぶって、顔が見えない。彼らの先頭に立つ、抜き身の黒刀を持った男の纏う圧力に、セブンスは久方ぶりに気圧された。
冷たく、鋭く、いっそ切なくなるほどの、殺気。
お待たせしました!
新章開幕。しばらく毎日更新します!




