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その5

 恋人同士というのはどういうものなのか、私は今まで勘違いしていたのかもしれない。

 マオと過ごすたびに、私はそう感じさせられる。


 私は、あの後、マオの車に乗って山の麓にある彼の家まで運ばれてしまった。

 山は、私が以前来た時と同じ、静かにそこに佇んでいる。

 マオの家の前には、なぜかたくさんの猫がいた。

 その中には、あの日私と一緒に山を降りた子も何匹か混じっているように思える。

 元彼氏に蹴られていた縞猫に似た子が、私を出迎えるように『なぁーん』と鳴いた。

 古本屋を営んでいるというマオの家は、古い紙とインクらしきの匂いがする。


「ああ、梢ちゃん。そんなに気を使わなくていいから、ゆっくりしていて。お茶を入れてくるね」

「そ、そんな。マオさんこそ、私なんかに気を使わなくていいです……」

「……梢ちゃん、無自覚だけど元彼にだいぶ影響を受けているね。自分を卑下するのはやめなよ」


 彼氏と別れたばかりなのに、他の男の人の家にお邪魔してお茶まで出してもらうなんて――私は、とんだ節操なしだと思う。

 なのに、マオは全く気にしない様子で、私に親切にしてくれる。


「なるべく、リラックスしてくれると嬉しいな」

「どうして、マオさんは、私にこんなによくしてくれるんですか?」

「だから、一目惚れだって言ったじゃない。好きになった女の子が悲しんでいたら、なんとかしてあげたいって思うよ。たとえそれが、自分以外の男絡みだったとしてもね」


 すり寄ってくる縞猫を撫でながら、私はそんなマオの話に耳を傾けた。


「僕は梢ちゃんのことが好きだし、できれば、僕とお付き合いして欲しいと思っている」

「そんなことを言われても……」

「友達からでいいんだ。これから、こうして会うことはできないかな?」

「えっと……友達なら」


 ――彼を断る理由はない。

 こうして彼といると、元彼氏に振られた直後だというのに、それほど心が痛まなかった。

 普通なら、まだ泣き叫んでいてもおかしくはないのに――不思議だ。


「ありがとう、梢ちゃん。ふふ、もっと近くにお互いの家があればいいんだけどね」


 マオは、そう言うと残念そうに肩をすくめた。



「最後に会えないか?」


 元彼氏から、そんな内容のメールが送られてきたのは、彼と別れてしばらく経った頃だった。

 私は、彼のアドレスを登録したままにしていたのだ。


「なんの用事だろう? 忘れ物かな?」


 そうして……

 私は、性懲りもなく元彼氏に会いに行ってしまった。


 指定された場所は、元彼氏のいるアパートの前だ。

 二階建てのやや古いアパートの前には、アスファルトで舗装された車が一台通れるほどの細い道がある。


 しかし、建物の前に辿り着いた私を待っていたのは、彼氏の非情な言葉だった。


「遅えよ――お前、ちょっと金貸してくんねえ? 今月、金欠なんだわ」


 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。

 また、ヨリを戻したいと言われるか、前にあった出来事に対する謝罪だとばかり思っていた自分の甘さを呪いたくなる。

 元彼氏は、本当に私のことなど、なんとも思っていなかったのだ。


「ごめん、私も金欠なの。今貸せるお金はないわ」

「……っ! 何言ってんだよ! 今までなら、いくらでも出したくせに」

「だって、付き合ってもいないのに。私は、あなたのATMでも家政婦でもない」

「生意気なこと言ってんじゃねーよ!」


 ゴッという衝撃が体に伝わる。しかし、何が起こったのか分からない。

 元彼氏が私を殴り飛ばしたのだと気がついたときには、私は数メートル先の路上に転がっていた。

 唇が切れたのか、口の中に鉄臭い血の味が広がっている。


「なに、するの?」

「お前が、偉そうなことを言うからだ! ブスの分際で!」


 激高した元彼氏は、さらに私に殴りかかる。抵抗するが、それが余計に彼氏の怒りをかきたてたようだった。

 私の上に馬乗りになった元彼氏は、私を殴る手を止めない。

 周囲には誰もおらず、この凶行を止めてくれる人物もいなかった。

 山に置き去りにされたときと同じだ。誰も私を、私なんかを助けてはくれない。

 私を殴ることに飽きたのか、元彼氏はゆっくりと立ち上がり、アスファルトの上に投げ出された私のバッグの方へと歩いていく。

 財布を抜き取る気なのだ。元彼氏は、バッグのそばにしゃがみ込んで、中を物色していた。


「や、やめ……」


 渾身の力を振り絞って私は起き上がり、バッグを取り返そうとする。

 よろけながらも、私が一歩を踏み出したとの時……

 ふらつく私の足の間を黒い塊が通り過ぎだ。


『フシャーッ!!』

「ね、猫!?」


 それは、真っ黒な毛並みの雄猫だった。猫は彼氏に向かって突進すると、その顔面に飛びついた。


「うわっ、なんだ!? 痛えっ!!」

『ニャーニャー!』 


 黒猫の鳴き声に呼び寄せられたのか、路地から、生垣の隙間から、アパートの陰から、次々に様々な猫が現れる。

 猫たちは、一斉に元彼氏に飛びかかった。


「やめろ、この、痛い! うわあっ!!」


 猫たちは、彼氏の顔や手を問答無用とでもいうように引っ掻き回し、噛み付いている。


『ナア〜ン』


 ふと、近くで声がしたのでそちらを見ると、先ほどの黒い猫がちょこんと座って私を見つめていた。

 元彼氏はというと、猫の大群に迫られて、何本もの筋がついた血まみれの顔を真っ赤に腫れあがらせながら、アパートの部屋へと逃げ帰っている。

 猫たちが、投げ出された状態の私のバッグを守るように取り囲み、誇らしげに『にゃー』と鳴いた。


「あ、あり、がと?」


 お礼を言って、私がバッグを受け取ると、猫たちは、一匹、また一匹と、どこへともなく消えていった。

 後には、私とバック、黒猫だけが取り残される。


『ニャアーン』


 黒猫は、甘えるように私に擦り寄り、やがて路地の向こうへ消えていった。

 猫と入れ替わるように、路地の向こうから、一人の男の人が歩いてくる。それは、よく見知った人物――遠くに住んでいるはずのマオだった。


「マオ、さん?」

「梢ちゃん!」


 マオは、痛ましいものを見るような目で、地面に座ったままの私を見下ろす。


「大丈夫!?」

「え、あ、はい。どうして、ここに?」

「し、仕事で、偶然……それより、病院に行こう。顔が、梢ちゃんの顔が」

「顔?」


 私はバッグから手鏡を取り出して自分の顔を確認する。

 映し出された私の表情は酷いものだった。目の横に、唇の際に、青いアザがいくつもできている。


「妖怪みたい……」

「そんなことないよ! 早く手当しよう!」


 マオは、私を抱き上げると、無理やり近所の町医者へと連れて行った。

 医者に手当をしてもらい、マオに家まで送られる。


「マオさん、ありがとうございます。マオさんには、お世話になってばかりで……」

「ごめん、僕がもっと早くに梢ちゃんを見つけていれば……梢ちゃんが怪我を負うこともなかったのに」

「あの、猫が助けてくれたんです」

「ね、猫……?」

「はい。元彼にボコボコにされて、お財布を取られそうになったところに猫がいっぱい現れて、彼に仕返ししてくれたんです……おとぎ話みたいでしょう?」

「……そうだね。本当に、駆けつけるのが遅くなってごめんね」


 マオが悪いわけではないのに、なぜか何度も彼に謝られてしまった。

 数日後、誰かの通報により、元彼氏は傷害容疑で逮捕された。


 そして……数ヶ月後――

 私とマオは、お付き合いすることになった。



「梢〜! イケメン彼氏が、今日も校門まで迎えに来ているよ!」


 授業の後、友人の一人が私を呼びに来てくれた。


「それにしても、あんた、いい男を捕まえたわねえ! 前の、ゴリラみたいな彼氏とは大違い!」

「ご、ゴリラって……!?」

「あんたの元彼のことよ。見た目がゴリラみたいだし、友人の私にも横柄な態度で接してくるし――梢って、男見る目ないって思っていたの」

「そうよ、挙句、傷害容疑で逮捕されるとか……終わっているわ」


 近くにいたもう一人の友人が話しに加わってきた。


「それよりも、早く彼氏のところに行ってあげなさいよ」

「そうよ、あんな素敵な彼氏を待たせるなんて、良くないわ!」


 友人に追いやられる形で、私は校門へと向かう。


「マオさん、お待たせしました。今日も迎えに来てくれたんですか?」

「うん、梢ちゃんになにかあったらいけないからね」


 何もないと思うけれど、マオは過保護だった。

 私が怪我を負って以来、なにかと世話を焼いてくれる。もう、痣も消えてきているというのに……


 マオと付き合いだしてから、以前のように猫に遭遇することがなくなった。

 そのことをマオに話してみたら、「マーキングしているからね」と、要領をえない回答が返ってきたのだが――マーキングって、なんのことだろう?

 私と、新しい彼氏の仲は順調で、元彼氏と付き合っていた頃とは全然違う。

 これが、異性と付き合うということなのだと、改めて認識させられた。それくらい、マオは私に甘々だ。


「梢ちゃん、今日は僕の家に寄ってくれるよね」

「はい、あまり遅くならないのなら」

「……善処するよ」


 こうして、私、逢坂梢には素敵な彼氏ができたのだった。




※<後日談>


 今日は、休日。

 私は、バスを乗り継いでマオの家に遊びに来ていた。


「梢ちゃん、梢ちゃん」

『ニャー、ニャー、ニャー、ニャー』


 マオと猫が交互に私を呼ぶ。マオの家にはたくさんの猫がいるのだ。

 猫は私に懐いているが、以前のように問答無用ですり寄ってくる気配はない。


「ああ、いい匂い……ん?」


 スンスンと私の匂いを嗅いでいたマオが、ふと動きを止める。


「僕以外の男の匂い……梢ちゃん、ここへ来るまでに誰か男の人と会った?」

「男の人? うーん、同い年のいとこの浩二くんに会いました。たまたま、バスで出会って……」

「たまたま!?」


 納得がいかないというふうに、マオが首を傾げていると、部屋の中に新たな猫が入ってきた。貫禄のあるデブ猫だ。

 デブ猫は堂々とマオの前に歩み寄ると、野太い声を上げた。


『ンナーゴ! ニャーン!』

「ほら、やっぱり」

『ナーッ! ンナーッ!』

「それは、気をつけないとね!」


 マオは猫と会話をしているようだ――たまに、こういうことがある。

 猫との会話が成立するわけないけれど、こうして動物の相手をしっかりしてあげるマオって、やっぱり優しい人だなあ。


「梢ちゃん、帰りは送って行くね。それと、その浩二くん、絶対に君に気があるよ……ミケ氏がそう言っている」

「ミケ氏!?」


 わたしは、床にだらーんと寝そべる太ったミケ猫を見た。


『ンナーン』


 ミケ氏と呼ばれたデブ猫は、威厳たっぷりな様子で伸びをすると、ゴロゴロと喉を鳴らす。


「他の雄に持って行かれないように、梢ちゃんのことをきちんと見ていないといけないね」


 細い月のようにそっと目を細めたマオが、そう答えた翌月――

 寂しがりやで嫉妬深い彼が、私の家の近所に店ごと引っ越してきたのだが……それはまた別の話。

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