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最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う  作者: 催眠スキ


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第十八話 何もしない

 三日間。


 俺は九条に何もしないことにした。


 催眠を使わない。


 都合のいい言葉を意識の奥へ置かない。


 近づく理由も作らない。


 それでも九条が俺のそばに来るのか。


 少しだけ確かめたくなった。


 ◇


 一日目。


 朝。


 いつも通り教室へ入る。


 自分の席へ座る。


 隣はまだ空いていた。


 鞄を置き、窓の外を見る。


 何もせず待つ。


 少しして教室の扉が開いた。


「おはよう」


 九条の声。


 何人かが返事をする。


 九条がこちらへ歩いてくる。


「おはよう」


「……おはよう」


 いつもの挨拶。


 それだけ。


 俺からは何も言わない。


 九条が鞄を机へ置き、教科書を出して椅子へ座る。


 そこで終わると思った。


「相良」


「ん?」


 九条が鞄の中から一冊の本を取り出す。


「これ」


 俺の机へ本が置かれる。


 前に借りたものより少しだけ薄く、表紙は青い。


「次に読む本」


 九条が少しだけ視線を逸らす。


「もう選んだの?」


「時間があったから」


「昨日の今日だけど」


「悪い?」


「悪くない」


 本を手に取る。


 図書館のラベルはない。


 表紙を開くと、右上に小さな字で九条澪と書いてあった。


「九条の?」


「ええ」


「借りていいの?」


「渡したんだから、いいに決まってるでしょう」


「図書館で借りるのかと思った」


「これは学園の図書館にないの」


「珍しい?」


「古いだけよ」


 九条が本の表紙を見る。


「短いし、前のより読みやすいと思う」


「九条は好き?」


「好きじゃなかったら勧めないわよ」


「一番好きなやつ?」


「それは、あなたにはまだ早いって言ったでしょう」


「長いから?」


「そう」


「これが読めたら?」


「考える」


「分かった」


 本を鞄へしまう。


「汚さないでよ」


「図書館の本より厳しい?」


「当たり前でしょう。私の本なんだから」


「気をつける」


「折らない。濡らさない。開いたまま伏せない」


「寝るなは?」


「できれば寝ないで」


「努力する」


「そこは約束しなさいよ」


 九条が少しだけ笑う。


 昨日、次の本も九条に選んでほしいと俺から頼んだ。


 だから、本を用意したことまで俺と無関係とは言えない。


 でも。


 翌朝すぐ、図書館ではなく自分の本棚から好きな一冊を持ってきてほしいとは言っていない。


 ◇


 二日目。


 昼休み。


 食堂へ行くと、天城と火神が先に座っていた。


「相良、こっち!」


 火神が大きく手を振る。


「見えてる」


「なら早く来いよ!」


 食券を持って二人のところへ向かい、長いテーブルの反対側へ座る。


「九条は?」


 天城が食堂の入口を見る。


「委員会の書類出してから来るって」


 火神が答える。


「そう」


「相良、今日はパンじゃねえの?」


「たまには」


「その量で足りる?」


「火神と比べたら全員少ない」


「あたしは動くからな!」


「俺も動いてる」


「授業中に寝返り打つのは運動に入らねえぞ」


「入るかも」


「入らねえよ!」


 天城が少し笑う。


 三人で先に食べ始める。


 少しして、九条が食堂へ入ってきた。


 手に小さな盆を持ち、俺たちを見つけてこちらへ歩いてくる。


「遅かったな、九条」


 天城が言う。


「提出先に先生がいなかったの」


「お疲れ」


「本当よ」


 空いている席はいくつもあった。


 天城の隣。


 火神の隣。


 俺の隣。


 九条は少しも迷わず、俺の隣へ盆を置いた。


「相良、少し詰めて」


「他も空いてるけど」


「ここが一番近いでしょう」


「何に?」


「調味料」


 見ると、確かに俺の前に調味料が置いてある。


「使う?」


「一応」


 九条が座る。


 肩が触れるほどではない。


 でも、少し近い。


 いつものように、この距離を気にしなくていいと言葉を置けば、九条はもう少し近くへ来るかもしれない。


 そこまで考えてやめる。


 俺は何も言わない。


 火神が九条を見て、それから俺を見る。


 この前と同じように、少しだけ微笑んだ。


「何よ」


 九条がすぐに気づく。


「何でもねえよ」


「その顔で?」


「普通の顔だろ」


「絶対違うわよ」


「澪、調味料使わねえの?」


「今使うわよ!」


 九条が俺の前へ手を伸ばす。


 袖が俺の腕に触れる。


「取ろうか?」


「これくらい自分で取れるわよ」


 小さな容器を取って、自分の前へ置く。


 でも、すぐには使わない。


「使わないの?」


「今から使うの」


「何に?」


「……考えてるところ」


「調味料に近かったから座ったんじゃないの?」


「うるさいわね!」


 火神が耐えきれなくなったように笑う。


「何がおかしいのよ!」


「何でもねえって!」


「絶対何かあるでしょう!」


 天城が二人を見ながら、困ったように笑っている。


 俺は黙って昼食を続ける。


 九条は席を移らなかった。


 食べ終わるまで、ずっと俺の隣にいた。


 ◇


 三日目。


 昼休みの少し前、黒瀬先生に呼ばれた。


 合同演習の記録について、確認したいことがあるらしい。


 授業が終わり、そのまま職員室へ向かった。


 話はすぐに終わった。


 教室へ戻る。


 廊下を歩いていると、少し先に教室が見えた。


 扉は少し開いている。


 その隙間の向こうで、九条が空の俺の席と廊下を交互に見ていた。


「相良は?」


 足を止める。


「知らねえ。購買じゃね?」


 火神が答える。


「今日は昼食を持ってきてたでしょう」


「よく見てんな」


「机の横に袋があったからよ」


「黒瀬先生に呼ばれてたぞ」


 天城の声。


「何かあったの?」


「演習の記録じゃないか? 俺も昨日聞かれた」


「そう」


 九条の声が少しだけ安心したように聞こえた。


 教室へ入る。


「ただいま」


 九条がすぐに振り返る。


「相良」


「探してた?」


「探してないわよ」


「名前聞こえたけど」


「どこへ行ったのか聞いただけ」


「どうして?」


「いつもいる人がいなかったら、少しくらい気になるでしょう」


 言ってから九条が止まる。


 火神がゆっくり九条を見る。


「何よ」


「いや」


「その顔やめなさい」


「まだ何も言ってねえだろ」


「言わなくても分かるわよ!」


 九条が自分の席へ戻る。


 俺も隣へ座る。


「黒瀬先生、何だったの?」


「演習の経路」


「何か問題があった?」


「近道したところ、記録と地図が違ってたらしい」


「大丈夫なの?」


「説明したら終わった」


「そう」


 九条が小さく息を吐く。


「心配した?」


「してない」


「安心してたけど」


「班の記録に問題があったら困るだけよ」


「もう班は解散したけど」


「記録は残るでしょう」


「真面目だな」


「あなたが適当すぎるのよ」


 九条が鞄から弁当を出す。


「相良は?」


「持ってきてる」


「なら早く出しなさいよ」


「ここで食べる?」


「他にどこで食べるのよ」


「食堂かと思って」


「今日はここでいいわ」


 九条が先に弁当を開く。


 火神と天城も近くへ椅子を持ってくる。


 四人で机を囲む。


 九条は、また俺の隣にいた。


 ◇


 三日目の放課後。


 授業が終わる。


 火神は天城を連れて訓練室へ向かった。


 九条は委員会へ出す書類を確認している。


 俺は九条から借りた本を開く。


 まだ半分も読んでいない。


 短い話がいくつか入っている。


 前の本とは少し違う。


 でも、これも面白かった。


 少しして九条が書類を揃える。


「終わった?」


「ええ」


「じゃあ帰る?」


「あなた、本は?」


「続きは寮で読む」


「今日は寝ないでよ」


「努力する」


「またそれ?」


 本を閉じ、栞を挟んで鞄へしまう。


 九条が立ち上がる。


 俺も席を立つ。


 二人で教室を出る。


 三日間。


 俺は九条に何もしなかった。


 暗示を使わなかった。


 近づけとも。


 話しかけろとも。


 隣にいろとも。


 言っていない。


 俺が九条の中へ置いた言葉は、今も残っている。


 俺と話す間は少し肩の力が抜ける。


 俺の声を聞くと安心する。


 俺が近くにいても別に嫌ではない。


 三度。


 俺は九条の見方をずらした。


 その影響が何も残っていないとは思わない。


 今の九条が全部、俺と無関係に変わったとは言えない。


 それでも。


 自分の本を持ってきたのは九条だった。


 空いている席の中から俺の隣を選んだのも。


 いない俺を探したのも。


 九条だった。


 俺はそのどれも命令していない。


 廊下を歩く。


 九条が隣にいる。


「相良」


「ん?」


「その本、明日どこまで読んだか教えて」


「分かった」


「感想も」


「途中でも?」


「途中でも」


「厳しいな」


「貸したんだから、それくらい聞く権利はあるでしょう」


「はい」


 九条が少しだけ笑う。


 俺も少し笑った。


 何もしないことがこんなに難しくて。


 何もしなかった結果が、こんなに嬉しいとは思わなかった。


 少なくとも。


 今。


 俺の隣にいる九条の全部が。


 俺の言葉だけで。


 できているわけではなかった。

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