第十五話 先約
約束。
そう呼ぶには。
小さなものだ。
放課後。
図書館で。
相良が読む本を選ぶ。
それだけ。
それだけなのに。
朝から。
忘れていないか。
少し気になっていた。
◇
「おはよう」
教室へ入る。
「おはよう」
隣から。
相良の声。
今日は。
髪が跳ねていない。
珍しい。
そう思ってから。
昨日。
自分が直したことを思い出す。
「九条」
「何?」
「髪見てる?」
「見てないわよ」
「そう」
「何よ」
「今日は大丈夫かなと思って」
「自分で分かってるなら、毎朝直しなさいよ」
「一応やった」
「一応?」
「鏡見た」
「それは普通よ」
「朝から疲れた」
「鏡を見ただけでしょう!」
相良が。
小さく笑う。
私は。
鞄を机へ置く。
「それより」
「ん?」
「今日の放課後」
「ああ」
相良が。
すぐに答える。
「図書館」
「……覚えてたのね」
「約束したから」
「ならいいけど」
「忘れてると思った?」
「あなたでしょう」
「信用ないな」
「普段の行いよ」
「最近よく言われる」
「誰に?」
「九条に」
「私しか言ってないじゃない!」
また。
相良が笑う。
忘れていなかった。
それだけで。
少し安心した。
別に。
楽しみにしていたわけではない。
約束を忘れられたら。
困るだけだ。
◇
昼休み。
「九条」
蓮が。
私の席へ来る。
「何?」
「今日の放課後、訓練室が空いてるんだ。久しぶりに三人で少し練習しないか?」
「三人?」
「俺と九条と火神」
少し離れたところから。
朱音が手を上げる。
「もう予約した!」
「予約したのは俺だけどな」
「細かいことはいいんだよ!」
「よくないだろ」
「澪も来るよな?」
いつもなら。
断る理由はない。
三人で訓練するのも。
珍しいことではない。
蓮と朱音なら。
気を遣う必要もない。
でも。
「ごめん」
口から。
先に出ていた。
「今日は無理なの」
「委員会?」
「違うわ」
「何かあるのか?」
「……先約」
「先約?」
朱音が。
こちらへ来る。
「澪に?」
「どういう意味よ」
「いや、珍しいなって」
「私だって予定くらいあるわよ」
「誰と?」
「相良」
一瞬。
朱音が止まる。
「相良?」
「図書館へ行くの」
「なんで?」
「本を選ぶためよ」
「相良が読む本?」
「そう」
「へえ」
朱音が。
窓際の席を見る。
相良は。
もう購買へ行ったらしい。
席にはいない。
「相良が小説読むのか」
蓮が。
少し驚いた顔をする。
「読もうと思ってるみたい」
「九条が勧めた?」
「聞かれたから選ぶだけよ」
「そっか」
蓮が。
いつものように笑う。
「じゃあ、訓練はまた今度だな」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないだろ。先に約束してたなら、そっちが先だ」
「……ありがとう」
「次は来てくれよ」
「ええ」
「相良に、ちゃんと読めそうなの選んでやれよ」
「そのつもり」
「薄いやつにしとけ!」
朱音が言う。
「最初から長いと絶対寝る!」
「あなたと一緒にしないで」
「あたしは読むぞ!」
「何を?」
「漫画!」
「小説の話をしてるのよ!」
「似たようなもんだろ!」
「違うわよ!」
朱音が。
納得していない顔をする。
蓮が笑う。
いつも通り。
何も。
変わらない。
ただ。
今日は。
二人とは別の予定がある。
相良との。
先約が。
◇
放課後。
授業が終わる。
朱音が。
勢いよく立ち上がった。
「蓮、行こうぜ!」
「まだ先生に提出するものがある」
「早くしろよ!」
「火神も手伝え」
「なんでだよ!」
「昨日の記録だから」
「澪!」
「私は行かないわよ」
「分かってるって」
朱音が。
私と。
相良を交互に見る。
「図書館だろ?」
「ええ」
「相良、寝るなよ」
「図書館で?」
「本読んだら」
「まだ選んでもない」
「選んでも寝るだろ」
「失礼だな」
「普段の行いだ!」
朱音が笑う。
蓮も。
鞄を持って立ち上がる。
「じゃあ、九条。また明日」
「ええ。また明日」
「相良も」
「うん」
二人が。
教室を出ていく。
その背中を見送る。
少しだけ。
訓練のことが気になった。
昨日の演習は。
うまくいった。
あの二人となら。
今日もきっと。
楽しいと思う。
「九条」
「何?」
「行きたかった?」
「え?」
「訓練」
「どうして?」
「見てたから」
「少し気になっただけよ」
「じゃあ、図書館は別の日でもいいけど」
「……は?」
「本は逃げないし」
「そういう問題じゃないでしょう」
「そう?」
「今日行くって約束したじゃない」
「でも、天城たちとは今日しかできないかもしれない」
「訓練なら、またできるわよ」
「図書館も」
「だから!」
声が。
少し大きくなる。
「先に約束したのは、こっちでしょう」
相良が。
私を見る。
「約束したから?」
「そうよ」
「九条らしいな」
「何よ、それ」
「真面目」
「悪かったわね」
「悪いとは言ってない」
相良が。
鞄を持つ。
「じゃあ行く?」
「最初からそのつもりよ」
「分かった」
「あと」
「何?」
「私が選ぶんだから、文句を言わないでよ」
「まだ何も言ってないけど」
「先に言っておくの」
「厳しいな」
「ちゃんと読む気がある人には厳しくしないわよ」
「俺もある」
「本当に?」
「たぶん」
「やっぱり厳しくする」
二人で。
教室を出る。
廊下の先。
蓮と朱音の姿は。
もう見えなかった。
◇
図書館。
放課後の館内は。
静かだった。
本棚の間を。
相良と歩く。
「何が読みたい?」
「面白いやつ」
「それで分かったら苦労しないわよ」
「短いやつ」
「正直ね」
「長いと途中で寝るかも」
「朱音の言った通りじゃない」
「まだ寝るとは言ってない」
「寝るかもって言ったでしょう」
「可能性の話」
「高そうね」
棚から。
一冊抜く。
「これは?」
相良が。
表紙を見る。
「厚い」
「これで?」
「冊子の何倍ある?」
「小説と説明書を比べないで」
「九条が昨日言ってた」
「そうだったわね」
本を戻す。
少し考える。
「一話が短く分かれている方がいいかしら」
「読みやすそう」
「会話が多いもの」
「それも」
「難しい言葉が少ないもの」
「俺を何だと思ってる?」
「普段、本を読まない人」
「合ってる」
「否定しなさいよ」
別の棚へ移る。
何冊か。
背表紙を見る。
相良は。
私の少し後ろを。
黙ってついてくる。
「あなたも探しなさいよ」
「九条に任せる」
「少しは自分で選ぶ努力をしたら?」
「詳しい人に聞いた方が早い」
「そうだけど」
「九条が選んだ方が外れなさそうだし」
「……そう」
悪い気は。
しなかった。
頼られただけ。
それだけなのに。
「これなら」
一冊。
棚から抜く。
連作の短編集。
一つ一つの話は短い。
でも。
最後まで読むと。
最初の話の意味が変わる。
「面白い?」
「ええ」
「九条は読んだ?」
「前に一度」
「好き?」
「好きよ」
「じゃあ、それにする」
「まだ説明してないでしょう」
「九条が好きなら面白いんじゃない?」
「好みが違うかもしれないわよ」
「違ったら、そのとき考える」
「適当ね」
「選んでくれたのに?」
「……最後まで読んでから言いなさい」
相良が。
本を受け取る。
表紙を。
少しだけ眺める。
「これ、九条が最初に読んだ小説?」
「違うわよ」
「一番好きなやつ?」
「それも違う」
「じゃあ、一番好きなのは?」
「あなたにはまだ早いわ」
「難しい?」
「長いの」
「じゃあ無理かも」
「読む前から諦めないで!」
「これが読めたら考える」
「本当に?」
「たぶん」
「またそれ」
でも。
今度は。
少し笑ってしまった。
◇
貸出の手続きを終える。
相良の手には。
私が選んだ本。
本当に借りた。
そのことが。
少しだけ不思議だった。
「九条」
「何?」
「ありがとう」
「まだ読んでないでしょう」
「選んでくれたから」
「約束したもの」
「うん」
「ちゃんと感想も言ってよ」
「読み終わったら」
「途中で寝ないでね」
「努力する」
「読むことに努力が必要なの?」
「俺には」
「自慢しないで」
図書館を出る。
廊下を。
二人で歩く。
「でも」
相良が言う。
「何?」
「前の九条なら、俺の本を選んでくれなかっただろうな」
「前?」
「席替えした頃」
「ああ……」
確かに。
あの頃なら。
相良と二人で。
図書館へ来るなんて。
考えもしなかった。
「前のあなたは、小説を読もうとも思わなかったでしょう」
「それもそうか」
「だから、お互い様よ」
「九条は変わった?」
「別に変わってないわよ」
「そう?」
「あなたが思っていたより、少しだけましだっただけ」
「それ褒めてる?」
「一応」
「分かりにくい」
「十分でしょう」
相良が。
小さく笑う。
私も。
少しだけ笑った。
今日は。
蓮と朱音の誘いを断った。
相良との約束を。
先にしていたから。
だから。
相良を選んだわけではない。
約束を守っただけ。
それだけだ。
もし。
約束がなかったら。
どちらへ行ったのか。
そんなことは。
考える必要はない。




