第三章−追悼と調査、奇跡、疑い−【第四話】
■シンドロモンス感染個体における形態学的遷移について
本資料ではシンドロモンスという異形変異性個体について、感染後に見られる行動の変化および、形態の変化を解説する。
シンドロモンスは宿主(現在人間以外の寄生は確認されていない)に寄生し、機能や外形を改変していくことで自己の増殖を図る生物である。
感染から終末期へかけての全過程は、概ね二週間前後を要すとされているが、各形態への移行時期には個体差が存在する。
また、最終形態である変成期を迎えた個体は移動能力が欠如し、死滅するまで定着地点で周囲に胞子の散布を継続する。
1.胞子形態(感染後約一日)
本形態はシンドロモンスが環境中に散布する胞子または、後述する伝染形態を迎えた感染者の体液を経口摂取した際の最初の段階である。
取り込まれた胞子は宿主体内にて潜伏し続け、宿主が睡眠中に発芽を開始する。
尚、睡眠中発芽を誘引するのは、宿主が睡眠中に分泌するメラトニンが関与している可能性が指摘されている。
2.発芽形態(感染後約五日)
胞子は発芽後、宿主の代謝を促進させ、行動量の増大を引き起こす。
宿主には食欲および睡眠欲の増加が見られ、性格傾向も活動的な方向へと変化する。また、高所を選好する行動が顕著になる。
更に、次形態へ移行が近付くと、宿主は自身の側へ新たな寄生対象を置く傾向を示す。
3.伝染形態(感染後約八日)
本段階では、宿主は他個体に対し自身の体液を摂取させようとする強い行動傾向を示す。
この体液は極めて高い感染性を有し、摂取した生物を高確率でシンドロモンスへと感染させる。
形態的特徴として、宿主の肉体は緩速的に原型を失い始める。
まず皮膚表層に緑色の斑点状の病変が出現し、その質感は次第に苔状の粗質感へと変化する。
続いて、宿主体内から樹枝状の触手構造が外部へ出現する。
この変化による体格の変化には個体差があり、宿主の取り込んだ胞子量に左右するものとされている。
次段階への移行直前には、これら触手を用いた激しい暴走行動が観察され、周囲の複数個体を巻き込む形で感染を拡大する。
この過程で宿主の意識は確認されておらず、完全に喪失しているものと推測される。(諸説あり)
なお、宿主が外傷などにより重度の損傷を受けた場合、形態変化が異常に加速する例が報告されているが、その機序は未解明である。
4.変成形態(感染後約九日~十五日)
宿主の死亡後、シンドロモンスは成長した触手を地中または建物へと固定し、全体を定着させる。
その後、個体は可能な限り高所へ向けて体幹を伸長させ、その頂部に胞子嚢を形成する。
胞子嚢から放出される胞子数は多くないものの、散布範囲が広範に及ぶため、感染力は極めて高い。
概ね感染後十五日前後で生命活動は終息し、個体は死滅する。
◆ ◆ ◆
涼やかな風が、診療所の診察室のカーテンを揺らす。
窓に映る、どこへ行っても変わらない青空が平穏な日常を告げている。
「メディ、行こうか」
「……はい」
フラワスさんとシュガリットさんがテラペイアの診療所に来てから、早二週間が経過した。
私達は墓地へと向かうための身支度を済ませて、テラペイアの診療所を後にする。
「……今までも、シンドロモンスへ感染してから、時期によってある程度の特性の変化があることは知られていたが……それを最近の研究を基に、君と再構成したあの資料、学会には好評だったよ」
「いえ、ピュラモスさんのこれまでの研究と、何よりも……あの二方のおかげです」
私達の足は郊外のほうへ向かっていく。
その歩みが進むにつれて、建物の数も少なくなっていくのに対し、緑の数は増えていく。
セミの合唱が聞こえてくるが、前回に聞いた合唱よりも小さくなっていた。
────そして、そのまま歩き続けて二十分程度。
光が射し込む木々に囲まれた、舗装の行き届いている道を抜けると、目の前には緑の丘の端まで無数の墓標の経つ空間が広がる。
「こっちだね」
ピュラモスさんの後ろへとついていき、数分歩いて木の陰の下、何も置かれていない墓標の前に立つ。
それはソルティナさん、その家系が入っている墓標だ。
「よっと」
ピュラモスさんは持っていたバケツを置く。
そして、中から掃除用具類を取り出し、それをその墓へと使っていく。
私はそれを後ろから眺めて、ふと、揺れる木の葉を見つめた。
「彼女ら……だけじゃない。今はもう居ないが……『ユウ・ソロウ』、『セイブ・ワイツ』、『ミィ・スベテ』……その他のシンドロモンス患者が居なかったら、私達の研究は躍進することもなかった。あの資料をまとめることも、促進抑制剤を作ることもできなかった」
「ですが、残った問題もあります」
シンドロモンスの進行を抑制する薬剤ができたとはいえ、まだ問題は残っている。
シンドロモンスの完治と、パレーディアの中でシンドロモンス感染が発生した原因。
特に後者に関しては現在テラペイアで受け持つ五人のシンドロモンス患者、そしてこれまでの患者は、外部より来た人間もしくは、何かしらの理由で外部へ赴いた際に感染した者だ。
それらは、シンドロモンスに襲われたことで感染が確立された者であるが、それ以外の感染ケースは報告されていない。(そもそも、シンドロモンスの感染者が少ないのもある)
「そうだな。特に、シュガリットとフラワス。あの二人が都市内で感染した唯一の事例であるのは確実だ」
「……はい」
「そして彼女らを除いて、テラペイアがシンドロモンスの患者を受け容れた際の状況。それはシンドロモンスに襲われて拠り所を失った人間が、本来失踪として処分される手前で、私達を聞きつけて診療所に来たというのがほとんどだ」
「ましてや、都市内でシンドロモンスが確認されたケースはない、ですよね」
「ああ。つまり考えられることとしては、都市内のどこかにシンドロモンスの発生源があるか────」
「作為的に、そして人為的に感染させられたか。でしょうか」
それができる者。
パレーディアに来て三ヶ月の私では見当もつかないが、それはパレーディア生まれパレーディア育ちのピュラモスさんもそのようだった。
「もし、もし仮に人為的であるのだとしたら。それを突き止め、取り締まるのはガーディアンの役目なのでしょうか」
「いや、確かにそれが公になればそうだろうが。確たる証拠がなければ、奴らは動かないだろうね。それに、もし既に公になっていたら、今頃パレーディアは騒然としているところだ」
「……そう、ですか」
「まあ民間傭兵なら、金さえ出せばいくらか融通の効いた対応をしてくれるだろうが、民間傭兵すらも動かせるほどの根拠があるわけではないし……このあたりはきちっと調べたほうがいいかもしれない」
その発言から察するに、やはりピュラモスさんは原因を突き止めるつもりらしい。
「あの、ピュラモスさん、いいでしょうか」
「なんだい、改まって」
「その調査、私にやらせてくれませんか」
「んな、なに言って────」
「もし、その予測が事実なら、それを解き明かすのは危険なことであるのに間違いないでしょう。ですが、仮に調査をするのがテラペイアの代表である貴方の場合、有事の際にテラペイアは機能しなくなってしまう可能性が高いと考えます」
掃除を進めるピュラモスさんの手が止まり、ゆっくりと立ち上がって私と向き合う。
「つまり、もし危険な目に合うことがあったとして、それが自分であるべきだと言いたいのか」
「否定をしたいところですが、概ねはそうなります。ですが当然、自ら危険なことは起こしませんし、無事に調査を終えるつもりです。あくまでも調査だけで、解決までには手を出しはしません。ダメ……でしょうか?」
私は、ピュラモスさんが掃除していた墓へと顔を向けて、目線は彼に向けたまま言う。
それにピュラモスさんは一瞬だけ視線をそらして、後ろ髪を掻いては墓を見やった。
「願いを申し出る時のその仕草っていうのは、自分が危険な目に遭う可能性のある物事にするもんじゃないぞ……」
「仕草、ですか?」
「いや、その上目遣いが無意識であるなら何も言うまいよ……。まぁいい、分かった。一つだけ約束をしてくれるのなら、構わない」
私はコクリと頷く。
「まず、さきに君の言った『安全保証』は絶対的な前提条件かつ、この『一つ』の約束に入らないものとして。メディ、繁栄大祭というものがあるのは知っているか?」
「繁栄大祭、ですか?」
「あぁ。秋を迎えてすぐにある、セントラルルートだけじゃない、全ての補助道路も封鎖されて行われる程の巨大な商業祭だ。パレーディアの一年の中で、最も重要な催しと言っても過言じゃない」
「それは単純に、バザールの上位的なお祭り……ということでしょうか?」
「いいや、バザールとは全然比べものにならないさ。まずは規模、パレーディアにある八割のキャラバンが出店をし、通路のどこもが人間でごった返す……だけじゃ、確かにただ規模のでかいバザールだが」
ピュラモスさんは光景を想起するように目を閉じ、続ける。
「催しの中に、歌姫祭という演目がある。出店をしないキャラバンらは、スタッフの中から女性を一人出場させることができて、出場した者達で歌の上手さを競うっていうものだ。判定するのはギルドの役員で、優勝者と所属キャラバンには莫大な賞金と資金が提供される。でもって、優勝したキャラバンの広告宣伝にもなるわけだ」
「なるほど……ピュラモスさんの言いたい事、なんとなく理解してきたかもしれません」
「あぁ。多分、おおよそメディの理解した通りだと思うよ。それでもって敢えて言うが、君にはそれへ出場して欲しい。それが、調査を行うための条件だ」
「しかし歌……ですか。歌唱力と見た目において、キャラバンを背負って人前に出られるほどの自信はありませんが……都市内のシンドロモンス感染について、調査を私に任せていただけるのなら、喜んでお受けします」
ピュラモスさんは「ありがとう」と小さな声を発しながら頷ずくままに俯き、そのまま屈んで墓の掃除に戻る。
「毎回、大事なことは君ばかりに任してしまって……なんだか不甲斐ないな、私は」
「そんなことはありませんよ。私は、テラペイアへと迎え入れてくれたご恩を返さなければなりませんから」
「その恩については、十二分に返して貰ったさ。テラペイアの継続、日頃の患者対応、詳細なシンドロモンスの形態学的遷移のまとめと促進抑制剤の開発。あまりに十分すぎるだろう」
「この都市にいる間は、ピュラモスさんのお役に立てること自体、それが私の『恩』です」
「それじゃあ……永遠に返し終わらないぞ」
風が吹いて、私の髪と墓に影を落とす木の葉が揺れる。
「なぁ……メディ。促進抑制剤もできたことだから、恐らくは、完治へとつながる抗真菌薬の完成もすぐそこまで迫ってきている。だから……」
ピュラモスさんの掃除を進める手が止まった。
「……はい」
「残る問題のほう、抗真菌薬は私の手で完成させてみせるから……それができたら私と────」
ピュラモスさんの言葉が止まったその時、後ろから声が聞こえた。
「ピュラモスせんせーい! メディさーん!」
「遅れてすみませーん!」
霊園の入り口から聞こえてきた声の主。それは、笑って大きく手を振る赤い髪の姉弟の声だ。
私はその声へと振り返り、手を振り返しては自分の位置を知らせる。
「はぁ……なんでもない! シュガリットらも来たことだし、彼女らと掃除をさっさと仕上げて、少し早いだろうが、飯でも食いに行くとしようか!」
「はい、そうですね。彼女らもようやく私達と接するのに慣れてきたみたいですし……あわよくば、彼女らが都市内で感染した心当たりを、今なら話してくれるかもしれませんしね」
「あぁ……。しかし、無理にとは聞けないから、本当に話してくれそうならば、だがね」
「はい、仰る通りです」
本来であれば、既に変成期へと差し掛かっていたであろう二人が、無邪気に、そして明るくこちらへと走ってくる。
墓へと影を落とす木から、セミの鳴き声が響き始めた。
それはさながら、その二人の笑顔を喜んでいるかのように。
◆ ◆ ◆
────時間にして昼前。
郊外に配置された第二診療所の広間にて、シンドロモンス患者専用の病棟。
早めのお昼ご飯を済ませた私達は、シュガリットさんらの作ったサンドイッチやポテトサラダ、オニオンリングが乗っていた皿を片付けていた。
「それでメディさん、私達がシンドロモンスに感染した理由……ですよね」
「はい。本当に差し支えなければで良いので、心当たりがあるのであれば教えていただきたいです」
台所で食器を洗い、横のシュガリットさんがそれをタオルで拭き取る。
そんな中で、シュガリットさんは語った。
「これはまだ、ピュラモス先生にもお話ししていないのですが……」
「もしも内密にしてほしいということであれば、そこもしっかりとお守りします」
「あいえ、今であればそれも構わずお話しはできるんですが……その、後ろめたさを感じることではあるので」
「後ろめたさ、ですか?」
「はい……。実を言ってしまうと、私達のキャラバン、『ガルドル』には解散通知が出されていたんです」
「既定の売り上げを出せていないと、ギルドより出されるというものですよね」
ピュラモスさんに出会った当初、テラペイアもそれを出されていた状況であったので、解散通知というのがどういうものなのかは自分事のように理解できる。
「私達は父や母より継いだこのキャラバンを、何としてでも守らなければならなかった。だから、姉のソルティナは水商売を始めて……それで出た利益を、ガルドルの利益として計上していたんです」
ふと、ソルティナさんの言っていた言葉を思い返す。
『こんな状態になった私なんか、シンドロモンスになろうとしてる私なんか、誰も相手してくれるわけがない……。そんなんじゃ……商売成立しなくて、返さなきゃいけものも返せない……』
「加えて、どこかからかお金を借りていた。でしょうか?」
「……流石、メディさんですね。そうです、その通りなんです。姉は多方からお金を借りていって、気付けばそれは、物凄い額になっていって……。おかげで、ガルドルは二か月以上の経営維持ができましたが────」
「しかしそれにも限界が来た?」
「はい。そして、全ての負債を自分一人で背負っていた姉は、ある日家に帰ってくることがなくなりました。そんな姉の心配をした私達は、街中を探し周りましたが、最終的に届いたのは姉の訃報……」
シュガリットさんは段々と声を震わせていき、食器を拭くその手は止まっていた。
「その訃報が届く前、姉から送られてきた手紙の中にはピュラモス先生とテラペイアについてが綴られていました。シンドロモンスに感染したこと、テラペイアという組織にお世話になっていたこと、とか。そして、それを知ったその直後に、あいつが来たんです」
「あいつ?」
「ほら、ちょうどピュラモス先生と出会ったあの日に……店内で男性が暴れていたことは聞きましたかね?」
彼女との出会いの発端は資金繰りの為に外出をしていたピュラモスさんが、ガルドルの付近を通った際、ガルドルで暴れている男性がおり、ガーディアンへの通報を話題に出すや否や逃げられてしまったと言う話だった。
「はい、聞いています」
「素性は知りません。ですが多分、姉にお金を貸し付けていた内の一人なのかとは思っています。……そいつが来て、お店を襲撃された際に、その人に殴ったり蹴られたりして……その時に何か飲まされた気もして……」
「飲まされた……」
シンドロモンスの感染経路は、その胞子か、伝染形態の人間の体液。
もしも人の手で感染させられたものだとして、胞子で感染させるにしても、それでは『飲ませる』ではなく『吸わせる』という表現になるだろう。
それに、胞子では吸わせる前後で空中を漂いかねないのだから、吸わせる側にもリスクが大きい。
つまるところ、可能性として高いのは後者の体液の方だろう。
「はい、これが私のシンドロモンスに感染した心当たりです。お役に……立てますかね?」
「辛いことであるのに、わざわざ話していただいて……本当にありがとうございます」
「いえいえっ! 私も、フラワスも。命がなければ姉と家族の意思を継ぐことができないと、治療を受けていく中で思ったので……。こんな事がシンドロモンスの治療に繋がるのなら、光栄です」
シュガリットさんは満面の笑みを浮かべて、拭き作業を再開する。
その笑みは、出会ったときの怯えを忘れられたかのような、そんな笑みだった。
彼女らは強い。
……シュガリットさんは治療を受け、大きく前を向いた。それはフラワスさんも同様に。
姉の死を乗り越え、自分らの抱えるシンドロモンスにも向き合い、そして次は治療を受けながらもガルドルへと復帰するための手段を模索しようとしている。
しかし、彼女らが不在のガルドルを維持しようと徹底的な支援をしているピュラモスさんや、テラペイアスタッフの献身が、それらの助けになっているのは間違いない。
そんな彼女らの助けに、私もなれているのなら嬉しい。
「あれ、メディさん。綻んでますよ?」
「……え、あ」
「あ、言ったら戻っちゃった……」
「す、すみません。意識をしてはなかったのですが、気味悪かったでしょうか?」
「あ、いや、全然全く! そんなことないです! 何かいいことでも考えているんだなあと、そう思っただけです」
そうか、ようやく明確に理解した。
これが喜び、だろう。
自然と笑みがこぼれる、そんな言葉があるが。
何かを思考した際、ふいに笑顔が作られている状態。
それが……喜び。
「メディさん、多分ですけど……これからきっと、シンドロモンスがパレーディア内で発生した原因を調べにいくんですよね」
「はい。ですが、あくまで調査までです。原因の解決までは手を出さないつもりです」
「……お願いですから、怪我とか、しないでくださいね」
「勿論です、危険なことには極力近付かないつもりですから、安心してください」
「メディさんやピュラモスさん、フラワスやそれ以外のスタッフの方々……今となっては、皆さんが家族のようなもので。こうやって、ご飯を作って片付けて、こんな幸せが続けばいいなと、そう……思っているので」
「私も、シュガリットさんを含め、皆さんが大切ですから」
彼女へ、今度は意識的に笑顔を作る。
いわゆる愛想笑いのような迎合的なものでなく、心から『喜び』を噛み締めた、そんな笑顔を意識して。
◆ ◆ ◆
────お昼過ぎ。
私は走る。
「待ちやがれっ!」
「おいっ、白髪女っ!」
「足速え……!」
ただひたすらに、走る。
後ろの三人の男達の手から奪った透明な液体の入るサンプルチューブと、そのうちの一人が身に着けていたネックレスを手にして。
……無論、それがただの液体であるとするのならば、私とて奪うようなことはしない。
「アイツ、角曲がったぞっ!」
────数分前。
情報に乏しい中、唯一手がかりのありそうなガルドルへ向かう道のり。
目的地の、やはり明かりの灯ってないネオン看板を目前にして、建物の裏に今私を追いかける三人の男の影が見えた。
ガルドルの近くで、それに日陰となるような場所で何やらぶつぶつと話していたので、気になった私はそれへと聞き耳を立てる。
『あの家族、まだここに戻ってきてないんだな』
『聞いた話、うさんくさい医療キャラバンに掛かってるらしいぜ』
『今更そのキャラバンも、コイツでシンドロモンスパニックかもな?』
笑いながらそう言う男がチラつかせていたのは、今に私の持っているサンプルチューブ。
その状況と聞いた言葉で、危険なことはしないと言っていた私だが、気付けば足を動かしていた。
そうして透明な容器と、後に証拠とするためのネックレスを、落とさぬようにしっかりと持った私は、曲がった角の道を抜けた。
────その刹那。
「メディっ!!」
聞き覚えのある……否、ずっと気がかりとしていた人の声がした。
走らなければならないという頭の命令に反して足が止まり、その強い呼び声に私はゆっくりと振り返る。
「ソイル……さん?」
そこに居たのは、金髪蒼眼の華奢な女性と共にいるソイルさんその人だった。
そして私の胸中には、廃都市地帯でソイルさんが意識のない状態から起き上がった時に感じたのと、同じような感覚が溢れる。
「くっそ! どこだ!!」
「だから、そっちの角だよ!」
「すばしっけえ女だなぁ! ほんとに!」
私の抜けてきた道のほうから、男達の怒声が聞こえてくる。
「っ!」
一方で、ソイルさんはこちらへと足を早めてくる。
しかし、駄目だ。
そのままの速度では、角から出てくる奴らと丁度良くぶつかってしまう。
「ソイルさんっ────!」
『止まって!』と、口にする前に。
角から出てきた三人の内の先頭が、こちらへと走ってくるソイルさんの横からぶつかり、彼の身体を吹き飛ばす。
「いったっ!?」
「ッチ……! なんだよ邪魔だなっ!」
男がソイルさんへと汚い言葉を投げかける。
そしてそれを見た途端に、私の胸にはあの『不安』が落ちる。
「この泥棒女がよっ!」
「さっさとソイツは返して欲しいんだがねぇ」
しかし、すぐにもその言葉の矛先が私へと向けられて、不安が少しだけ消えていく。
「お断りします!」
しかし、このような危険な人間を前に、彼を巻き込むわけにはいかない。
はっきりと、そして強く言い放ち、なるべく男の気がこちらへと向くようにする。
「ほら、今素直に返せば通報だってしないでやるからよ」
「そうだぜ? てかそもそもアンタ、それが何か分かってるからそれを盗ったんだよな?」
「……確かに、失礼な事をしたのは百も承知ですが、それ以上に貴方達のしていることは、到底許されることではありませんよ」
「金を払わん方に問題があると思うがねぇ、俺達は」
「私も、貴方達が貸し付けたお金を回収するのは当然のことで、なんら悪い事とは思いません。……しかし、許される事でないというのはその手段のことです。立場とこの液体を利用し、当事者の命を不必要に脅かした挙句……奪い去ろうともした! それが許されないと言っているんです!」
こうして言い合っている間にも、ソイルさんが距離を開けてくれないものかと思うが、吹き飛んだソイルさんの横に金髪の女性が駆け寄っては、何やら話しているようだった。
いっそのこと彼に離れるように直接伝えたいが、それこそ関係者であると思わせかねない悪手だろう。
そう思考した際、彼へと駆け寄っていた金髪の女性が立ち上がり、言葉を発する。
「私、ガーディアンに所属している者ですが、何かトラブルでしょうか?」
「ガーディアン……」
男達はその単語を聞き、僅かに一歩、後退する。
それが動揺を示す反応であったのは明らかだが、驚いたのは私もそうだ。
ソイルさんが一緒に居たガーディアンを名乗る人物、その人との距離感が一朝一夕の関係では無いように見えた。
────あぁ、そうだ。
この三か月間、ソイルさんにはソイルさんの日常が構築されているはずだ。
……で、あるならば。私がこれ以上ここに居るのは、彼の日常の……邪魔になってしまうだろうか。
「いえいえ、こっちの問題ですからね。ガーディアンさんはどうぞ、お引き取りを────」
そう考えた途端、体が動いた。
男がガーディアンの女性に気を取られる間に、私は背を向けて思い切りよく大地を蹴って────
「……っ! また! また会える、メディっ!」
瞬間、その声に体の動きは止まってしまう。
そして直後、彼の優しい言葉と共に、淡い桃色の『何か』がこちらへと投げられた。
それが決して男達へ目がけて投げられたものでは無く、明確に私へと送られた物であって、絶対に掴まなければならない物であるのは分かった。
掴み損なわないよう、私の手は正確にその飛翔体をキャッチして、そのまま彼に背を向けて走り出す。
恐らく奴らは、ガーディアンを前にして自らの行いを明かすようなことはできないだろう。
それはつまり、結果的に私が奴らから液体とネックレスを奪った事実が、暫くは公となる事がないということ。
「……なんで」
ソイルさんの安全についても、あの場にはガーディアンの人間もいた。
確かに最初に名前を呼びはしたが、必要以上に言の葉は交わさなかった。
とするならばきっと、ソイルさんへ何かしらの危険が及ぶこと可能性は低いと考えてよいだろう。
そうだ。合理的、かつ安全に、あの場を切り抜けるには、あのタイミングしかなかった。
だというのに。
「……なんでっ!」
渡された物への感謝も、生きていてくれて良かったという言葉も、伝えることができたらよかったのになんて考えているのだろう。
あの金髪の女性とソイルさんはどんな関係なのだろう、なんて考えているのだろう。
────目に見える景色が過ぎ去っていくのに、彼との距離がみるみると離れていくのを実感する。
それでも、私は走る。ただひたすらに、走る。
そうして休まずに体躯を動かし続けていたせいか、眼部が段々に熱くなっている感覚を、私は覚えた。
◆ ◆ ◆
テラペイア診療所の入口、そこで私は足を止めた。
後ろを確認して、どうやら奴らを撒くことはできたようだ。
両手を確認すると、左手にはサンプルチューブ、右手には男のネックレスと桃色の花を模している装飾品。
必死に逃げてきたので、その場でソイルさんから受け取った時は、それがなんだかは分からなかったが……これはお守りだろうか。
「これは……絶対に無くしませんから」
右腕を展開して、そのメディカルストレージ内に積め込まれている薬品達の隙間へ、そっとそのお守りをしまう。
大丈夫だ、ここなら誤って落とすことも、無くすこともない。
ストレージを閉じ、そのまま診療所へと入っていく。
「ピュラモスさん、いらっしゃいますか?」
診察室の扉を開ける。
しかし、室内にピュラモスさんは居らず、返ってきたのは静寂だけであった。
「まだ、第二診療所から戻ってないのですね……」
ひとまずは換気のために窓を開け、持っていた物を机に置いてから座る。
「……ふぅ」
────窓から見える空では、雲がゆっくりと流れていき、風が幽かなセミの声を運ぶ。
それが今の状況は安全な状況であるのを認識させてくれて、私は上半身を机に預けていた。
…………最近、妙だ。
頭の中で行われてる合理的行動を取るための演算。
しかし、その結果に反する思考も存在し、演算結果に背く様に体を動かしてしまうことがある。
本来、シャングリラであれば、これは禁忌とされる状態で即刻廃棄処分になるだろう。
今がパレーディアであるから許されているとはいえ、間違いなく私は欠陥品だ。
加えて、廃都市地帯までは使用できていた背部のメディカルストレージも、今となっては自らの機能で開けることができなくなってしまっている。
「あの場所を離れれば離れるほど、私は欠陥品になっている……。いやそれとも、私がシャングリラで生み出された瞬間から欠陥品だったのか……」
こう考えてしまうことも、本来アンドロイドが思考する必要のないこと……否、そも思考すること自体あり得ない事であり、私が欠陥品である証だ。
「メディ、戻ってるのかい?」
廊下の方からピュラモスさんの声が聞こえてきて、咄嗟に私は椅子から立ち上がる。
そして、診察室の入り口を見ると、そこに彼は立っていた。
「はい、お先に戻らせていただいてました」
「シュガリットから早速調査に出たと聞いてね。出る時は何か一言をかけてからにしてくれよ」
「すみません、ピュラモスさんとフラワスさん。睦まじく会話してらっしゃったようでしたので」
「それでもだ。まぁ、無事なら良かったよ」
ピュラモスさんが鞄を壁にかけ、私の隣に腰を下ろす。
「どうだい、収穫はあったのかい?」
「はい。かなりの収穫だと思います」
こんな短時間で収穫を得てきたとは思ってもいなかったのだろう。
私が机の上の物を見やると、ピュラモスさんの視線もそちらへと行き、一瞬目を丸くしてからすぐに表情を変えた。
「まさかじゃないが、これがシュガリットやフラワスの感染源だったりしないよな」
その液体は、奴らの言葉を正とするのならば伝染形態のシンドロモンス感染者の体液。
透明度から見て、それが唾液であるのは間違いない。
ピュラモスさんはサンプルチューブを手に取り、透明度を確認するように手に持ったまま中身を眺める。
「これを持っていた人間、恐らくはガルドルへお金を貸し付けていたどれかのキャラバンの者だとは思いますが……『今更そのキャラバンも、コイツでシンドロモンスパニックかもな?』と、言っていましたので。シュガリットさんらが、それによって感染させられたものであるのは間違いないと思います」
「貸金キャラバンが、か……。にしても、なんでそんな奴らがこんなのものを持っているんだ。そもそも、この液体、一体どこから────」
ピュラモスさんは突如電池が切れた玩具のようにピタリと、言葉と、そのサンプルチューブを眺める手を止める。
「……前提として、ここ直近でシンドロモンスが確認されたのは全て都市近郊よりも外側で、都市内および都市近郊で発生したシンドロモンスはいない。だとすると、何故、外に出ることなどあり得ないであろうキャラバンが持っている? ……それだけじゃない。これが本当に感染者の体液だったとして、透明度から見るにこれは『唾液』だ。それを踏まえ、仮にこれをシンドロモンスから直接採取できていたものとして、何故『唾液』なんだ?」
仮に件のキャラバンが、普段は外に出ることなどなくとも、実は近郊よりも外へ出ていて、伝染形態の感染者と遭遇したうえで体液を採取していたとして。
外部に存在する感染者の多くは、大抵が伝染形態末期か変成期の個体であろう。
しかし、『唾液』である時点で変成形態はまずありえず、伝染形態だとしても、かつてのオディギアさんのように暴れる対象から、唾液をピンポイントで採取するなど至難の業であろう。
暴れる対象の唾液を採取するのならば、真っ向から対処して、流れ出た『血液』を採取したほうが確実かつ安全なはずだ。
それを考慮して残るのは一つの、最悪な可能性。
「……しかし、ありますよ、ピュラモスさん。唾液をピンポイントかつ、安全な対象から採取しておける方法が」
部屋へと吹き込む風が強くなって、窓がガタガタと揺れ、室内のカーテンがカラカラと騒ぎ立つ。
「まさか、テラペイアの────?」




