第8話 大切なもの
位置を特定している以上、帽子の捜索は容易かと思われたのだが。そこからの状況は予想に反して芳しくない。
六人で手分けして捜し始めてから、既に三〇分ほど。誰も手がかりを見つけることができないまま時間だけが過ぎていた。
天候もさらに悪化し、いつ雨が降り出してもおかしくない雰囲気だ。なんとなく各人の士気も下がっている気がする。
そこで、一人が口を開いた。
「もう、いいよ……。みんなありがとう」
当人である村瀬さんだ。
捜索を始める前なら、全員が気にするなと伝えていただろう。しかし手がかりがない現状では、やる気も下がり始めている。
気休めを言ったところで帽子は見つかっていないし、魔法を知らないみんなからすれば、心許ない目撃証言しか情報がない。その目撃者が帽子を見かけた後で、風に飛ばされていった可能性だって考えられる。
今も確実に帽子が残っている保証なんて一つもないのだ。
沈黙。
だが一人だけ手を止めないやつがいた。ウイカだ。
「ウイカちゃんも本当にありがとう。もう大丈夫だから」
「……じゃない」
「えっ?」
「大丈夫じゃない」
顔を上げることもせず、ひたすらに辺りを見回すウイカ。
本人が打ち止めるにすると言っているにも関わらず、頑なに意見を曲げない様子に、村瀬さんも面食らったようだ。
ウイカは強い口調で話す。
「ユミさんは、帽子を大切なものだと言っていた」
「だけど……仕方ないよ。みんなが手伝ってくれただけで充分」
口ではそう言いつつも、やはり割り切れていない様子の村瀬さん。彼女の表情を見れば、安易に諦めようと言うのも躊躇われる。
そうは言っても、ウイカの強情な態度には驚かされた。
困惑する村瀬さんに、俺は取り繕うように伝える。
「ごめん村瀬さん! ウイカは俺が連れて帰るから、今日はもう解散しよう」
「う、うん……」
捜索を続けるウイカに後ろ髪を引かれるような表情の村瀬さんたち。俺は苦笑いを見せながら手を振り、なんとか彼女らを追い返す。
一同が去っていくのを確認してから、ウイカの方へ視線を戻した。
「ウイカ、打ち止めだ。ストップ」
やっぱり聞こうとしない。ウイカは汗を流しながら必死に花壇へ手を伸ばす。手入れされた花の間には大きな死角もなく、そんなところに帽子が隠れているはずがない。ヤケクソだ。
何をそんな意地になっているんだ。
少し強引にウイカの両腕を掴んで、グッと自分の方へ顔を向けさせた。
「ウイカ!」
俺が強く呼びかけると、ようやく彼女が顔を上げる。
――瞳が少し潤んでいた。
「な、なんでお前が泣いてるんだよ!」
「駄目。見つけないと」
うわ言のように呟くウイカ。
なんだ? 明らかにおかしい。
彼女が俺の手を振りほどこうとするのを踏ん張って止める。しばらく抵抗して暴れていたウイカだったが、やがてゆっくり力を抜いて項垂れた。
落ち着いてから、改めて問いかける。
「何をそんな意地になってるんだ」
「……ユミさんの帽子は、中学校で大切な人から貰ったものだって」
それはウイカが村瀬さんから聞いていた事情なのだろう。大切な人というのが誰なのかは分からないが、そう言われると拘りの逸品なのは理解できる。
「その大切な人には、もう会えないって言ってた」
もう会えない?
プレゼント相手は恋人だったのだろうか。遠くに引っ越したのか、もしくは何か不幸があったのか……。
ウイカは詳細を聞いているかもしれないが、今は村瀬さんの過去を追及しても仕方ないし、問題はそこじゃない。
村瀬さんにどんな事情があったとしても、ウイカがこんなに感情移入するのは不自然だ。
「だからって、お前が背負うことないだろ」
「……私、知らなかった」
「? 何を?」
ウイカが再び顔を上げる。その視線は真っ直ぐ俺を見ていた。
吸い込まれそうな彼女の碧眼。まだ涙が収まっていない潤んだ瞳を見ていると、なんだか放っておけない気持ちになる。
「プレゼントって、温かいの」
「温かい?」
どういう意味だろう。
心が温かくなるということだろうか。たしかに人からプレゼントをもらうと嬉しいが、別にウイカが帽子を貰ったわけではない。
彼女が村瀬さんの帽子に拘る理由にはならないはずだ。
「私、施設で生まれてから、プレゼントなんて貰ったことなかった。他人に優しくされること、知らなかった」
施設というと、彼女の属するアザラク・ガードナーという組織か。
そういえば、その組織とかいうのに所属するまでの経緯を俺は何も知らない。今の暮らしぶりもだ。
これまでの情報で、娯楽に乏しい場所だということは聞いている。彼女は外の常識を学べずに育ったし、それに加えて優しくされることを知らなかったなんて言われると、ふつふつと嫌な感情が沸いてくる。
しかし、その施設に怒るのは後だ。ウイカの話を聞く。
「だから、嬉しかった。これ」
言いながら、ウイカがいつもの巾着袋を取り出した。紐には、よく知らないアニメのマスコットキャラクターが取り付けられている。
俺が何の気なしに渡した、ペットボトル飲料のオマケだ。
「お、お前! そんなキーホルダーのこと……」
「うん。はじめて、プレゼントされた」
なんてこった。
俺が気まぐれにあげたキーホルダーで、彼女は他人にプレゼントされる喜びを知ったというのだ。
返す言葉もなかった。
「プレゼントが無くなるのは悲しいこと。……私、ユミさんの帽子を絶対に見つける」
力強い眼差しで見つめられる。
これは俺の責任でもあるのだろうか。少なくとも、諦めようと言う気持ちは失せていた。
「……分かった」
改めて、俺はウイカのことを何も知らないんだと理解した。
彼女はこの学校に来て色々なことを学んでいる。外の世界では魔法が普通でないことも、美味しい食事がたくさんあることも、他人からプレゼントを貰うと嬉しいことも。放課後にクラスメイトとお喋りする楽しさだって知らなかったはずだ。
彼女はそんな色々を知るたびに目を輝かせ、楽しそうにしている。
ただの他人なのに偉そうだが、そんな当たり前の、普通の喜びを彼女にもっと知ってほしいと思った。
「それで、見つける方法はあるか?」
「もう一度、魔法使ってもいい?」
「任せる」
ウイカが目を瞑って、先ほどと同じように帽子の気配を探る。今度はより長い時間を使って、集中して場所を特定しようとしていた。
俺は黙ってその様子を見守る。
しばらくして、彼女が顔を上げた。俺の腕を引っ張りながら指をさす。校舎側、それもずっと高く。
俺もそれを視線で追いかけた。
「げっ! あんなところに!」
屋上から生えているテレビ用アンテナに、ベージュのハットが引っ掛かっているのが見える。白の首紐が絡みついて、遠くまで飛ばされなかったのは不幸中の幸いか。
位置は合っていたが、高さがまるで違ったとは。中庭付近にあるという情報と思い込みが、視線を下に固定してしまっていたようだ。
ウイカはまた俺の方へ顔を向ける。
だんだん分かってきた。これは魔法を使ってもいいかという問いかけだ。
俺はチラりと周りを確認した上で、すばやく答える。
「いいよ。取り戻して、明日村瀬さんに渡してあげよう」
「うん」
彼女は大きく頷くと、箒も無しにトンッと空へ飛び上がった。
力強く掴まれた俺の腕もまた、重力に逆らうように……。
「って、おいおい! なんで俺まで!」
引っ張られて、俺の体が宙に浮く。いや浮いているというか、ぶら下げられているというか。
ウイカは表情一つ変えずに淡々と伝えてくる。
「紐、絡まってる。外すの手伝って」
「いや怖いって! 危ない! 絶対離すなよ!」
「……それ、振り?」
「どこで覚えたんだよそんなこと! 違うからな!」
二人で飛んだ空は、とんでもなく恐ろしいものだった。
けれど、遠くまで広がる景色はまるで見たことのない世界のようで。
いつ降り出してもおかしくないと思っていた曇天も、いつの間にか隙間から夕陽が射し込んでいる。
彼女が外の世界の常識を知らないように、彼女にも俺たちの知らない景色が見えているんだと思った。
魔法を使って空を飛ぶ。上から世界を見下ろす。
俺は――彼女の魔法にワクワクさせられていた。