第9話 ウイカのいない日
帽子捜索騒動から三日が経った。
見つかった帽子は翌日に無事村瀬さんへ返され、彼女はまたしても涙しながらウイカに感謝していた。
結局、村瀬さんへ帽子をプレゼントした人について俺が知ることはなかったが、別にそれはいいだろう。人には人の事情がある。
コミュニケーションをとるのに不慣れな様子のウイカだったが、真凛とは日に日に仲良くなっているし、騒動の結果村瀬さんのグループともよく話すようになっている。
彼女が転校してきてから二週間ほど。謎の老婆心が働いて心配していた俺も、今ではすっかり安心していた。
――ところが。
その日、ウイカは突然学校を休んだ。
転校してきて初めての欠席だったため、クラス内で心配の声も上がったが、小柳先生曰くただの夏風邪だと連絡を受けたそうだ。
そのことが妙に気になった俺は、一限の授業が終わると同時にメッセージアプリへ連絡を送る。転校してきてすぐに連絡先を交換していたが、校内では一緒にいることが多かったし、放課後や休みにわざわざ連絡する機会もなかったため、彼女とのやりとり回数は極めて少ない。
「風邪? 大丈夫か?」
と、かなり飾り気のないメッセージを送信。
スマートフォンをポケットに戻すと、隣で幸平が問いかけてきた。
「イサトは何も聞いてなかったのかい?」
「ああ。まさか休みだと思ってなかった」
「親戚と言ってもあんまり連絡はしないんだね」
「まあ家族間も疎遠だったしな」
親戚設定は結構曖昧に誤魔化しているので、こうツッコまれると良い返しが思いつかない。ウイカが他人に聞かれて何か別の事情を答えていたら、既に俺たち二人の回答で齟齬が起きている可能性が高い。
やりとりを聞いていた真凛もウイカのことを聞いてきた。
「ねえイサト。気になってたんだけど、ウイカちゃんのご家庭って……」
おっと、そこか。
これについては本当に俺も詳しくない。彼女の生い立ちや境遇についてはまだ聞いていないことだらけだ。
アザラク・ガードナーという組織の施設に住んでいること、そこの環境が、聞く限りだとあまり良くないことは断片的に分かっているが、この話は魔法に絡む内容で他の人には教えられない。
そういえば、施設に住んでいるならご両親はどうしたんだろう。いないと言っていた気がするが、そうした話はナイーブなことのように感じて、どうにも踏み込みきれずに避けてきた。
既に俺より仲良くなっていそうな真凛も、知っている事情は同程度のようだ。
「ご両親の話も聞かないし。それに……この前ちょっと心配なこともあって」
「心配?」
言いながら、真凛の表情が暗くなる。
雲行きの怪しそうな話に、俺は固唾を呑んだ。
「今、プールの授業があるじゃない?」
高校は水泳が必須科目ではないため授業に組み込まれていないところも多いそうだが、我が公立香文高校では毎年きちんと実施される。
男女分かれて、六月の初旬から中旬は男子が、中旬から下旬は女子が受けることになっていた。先日から女子にバトンタッチして授業を受けている。
「で、ウイカちゃんは見学だって言うから。体調悪いのかなと思って話を聞いたの」
「それで?」
真凛がチラりと教室を見回す。他のクラスメイトに聞かれていないか確認したようだった。
知られてはまずい話なのか。少し怖い。
「その、体に痣や傷が多いから、水着は見せられないんだって」
「怪我してるのか?」
「……なんというか。傷跡も少し見せてもらったんだけど」
ふむ。戦闘の傷だろうか。
彼女は一介の高校生としてこの学校に転校してきたが、獣魔という化け物を相手に戦う戦闘員だ。どのぐらいの頻度でアレが出現しているのかは分からないが、生傷が絶えない仕事なのは想像するに容易い。
しかし、事実を知らない人から見るとまったく別の予想が出てくるだろう。それも、家庭事情が不明な少女とあれば尚更だ。
――いや待て。
前に戦いを見た際は獣魔に苦戦している様子もなかったし、何より、俺だって彼女が施設でどのように暮らしているのか知らない。
傷が戦闘以外でついたものだとしたら?
ただの邪推かもしれないが、脳内に嫌な予想がいくつか浮かんでしまう。
「怪我、結構酷かったのか」
「見た時ビックリしちゃって、あんまり深くは聞けなかったんだけど」
それはそうだろう。本人が説明したがらない事情には、ずけずけと押し入らないのが正しい。
戦いの最中で傷ついたのか、私生活での出来事なのか定かではないが、どちらにしろウイカのことは少し心配だ。そもそもあんな化け物と渡り合う戦闘員だという割には華奢だし、普段安全に暮らしているのだろうか。
俺は居ても立ってもいられず、再度スマートフォンを取り出してウイカにメッセージを送った。
「体調が平気なら放課後連絡したい。返事待ってる」
焦っても仕方ないのは分かっているが、心が落ち着かなかった。家の場所を知っていたら学校を飛び出して行きたいぐらいの気持ちだ。
……そう、俺は彼女がどこに住んでいるのかも知らない。本当に何も知らないんだと、改めて痛感する。
そこで、ひと通り話を聞いていた幸平が落ち着いた声色で告げた。
「早合点はいけないよ。怪我がご家庭の事情によるものかなんて分からないし」
「それは……そうよね。ごめん、なんか嫌な想像ばかりしちゃって」
真凛も俺と同様にかなり心配しているみたいだが、こういう時に幸平が冷静で助かる。
俺も何とかポーカーフェイスを気取り、一旦ウイカのことを隅に置いて次の授業からは勉強に集中した。といっても、休み時間のたびにメッセージは確認したが。残念ながら彼女から返事はない。既読にもならなかった。
そわそわとした気持ちのまま時間だけが経ち、遂には授業が終わって放課後になる。
「イサト、連絡あった?」
「いや。まだだ」
俺が否定すると、真凛の表情が険しくなる。
それをまた、幸平が優しく落ち着かせた。
「風邪だって言っていたんだから、寝込んでいるのかもしれない。無理にみんなで電話とかしちゃ悪いよ」
「そうなんだけど! ウイカちゃん、大丈夫かな」
二人はこれから部活だ。ひとまず解散するしかない。
終始不安げな真凛と、口では冷静な雰囲気だったが表情は硬い幸平に別れを告げて、俺は帰路につく。
途中、何度も彼女の連絡を確認しつつ自転車を走らせた。
しかし、ついぞ進展のないまま家に辿り着く。落ち着かない。
「……ただいま」
「お帰り兄貴ー。……って、どしたの? めっちゃ暗い顔してるけど」
家に帰ると、妹の沙良が出迎えてくれた。すぐに俺の表情に気がつく。
「ああ、いや。なんでもない」
言いながらまたスマートフォンを確認。やはりメッセージは返ってきていない。
そわそわした様子の俺を見て、沙良はニヤりと笑った。
「何? 彼女からの連絡でも待ってんの?」
「かっ……!? 違う!」
「そうよねー。兄貴に彼女ができるわけないか」
いや別にできてもいいだろう、とツッコむ気持ちもすぐに薄れてしまう。
こちらをからかってケラケラ笑う沙良だったが、俺の覇気がないことに違和感を覚えたらしい。
「いやマジで、どした? この世の終わりみたいな顔してるよ」
「そんな顔してるか」
「してる。見てるこっちが落ち込むぐらい」
流石にそれはマズいな。俺はなんとか取り繕った笑顔を見せた。
「本当になんでもない。すまんな」
「笑顔ヘタクソか」
沙良の言葉を聞き流しながら自室に戻る。
そこから何度も連絡がないか確認しつつ、俺はベッドの上に力無く倒れこんだ。
気づけば五分置きにはスマートフォンを確認しており、それが帰宅してから一時間ほど続いた。
いっそ電話してみるか、とモヤモヤ考えていたところでスマートフォンが震える。
「連絡できなかった。風邪は嘘」
ようやく彼女のメッセージが飛び込んできた。
また嘘かよ。と思いつつ、連絡がついたことで少しだけ気持ちが和らぐ。
どう返事しようか悩んだが、メッセージでのやりとりにまどろっこしさを感じてしまい、俺は一言だけ伝えた。
「今から会えるか?」




