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逆鱗



 夜の帳が降りる。

 ゲーム開始と同時の大樹出現、巨大質量決戦、不死狩りの結成……激動の一日目と言えた。


 このゲームの夜とは本当に夜なのだろうか。

 現実の時間もすでに日暮れなのだろうか。

 それを知ることが出来る者はプレイヤーには居ないのだろう。



 ジャンヌ班は予定通りの行軍をし、北東方面で二番目に高いビルを押さえた。

 高層マンションであり、杜撰なのかはわからないが、全部屋の鍵が管理人室に無造作に置かれている有様だ。

 言うまでもなく全ての鍵を回収し、高層階かつ非常階段に最も近い部屋に集まっている。



「…………」



 ほぼガラス張りのリビングには白いカーペットや清潔そうな調度品が並び、同じく白いソファが直角の形に配置されていた。

 その一つで大鼠は寝ころび、渋い表情で口をつぐんでいる。



「大鼠様はなぜあそこまで不機嫌なのでしょうか」



 別のソファに腰掛けるベートーヴェンが首を傾げる一方で、カーペットに直接座っていたセナは答えに詰まった。



「……想像はつくけど」


「お教え願えませんか?」


「本人が目の前に居るのに?」


「ですが、なんと声をかければいいのか、皆目見当が付きません」


「……」



 虎の尾を踏むことになるのではと数秒考えたが、引きずるタイプだったら目も当てられない。

 特に()()()()()()()()



(どこかで一回爆発させた方が、すっきりするかな)



 結局、様子を見ながらというおっかなびっくり状態でだが、話すことに決めてベートーヴェンへと向き直る。



「さっき、クロックマスター班を仕留めたじゃない?」


「ええ、見事な挟撃でございました。こちらに損害無しという点も素晴らしい奇襲だったかと」


「その時に、ほら。前線で戦わせなかったでしょ」


「……なるほど?」



 そう、決起集会で真っ先に大鼠が宣言していたことだ。


『俺は異能と戦いたいからこのゲームに参加した。援護だとか後方支援だとかは嫌なんだ。最前線で殴って蹴って闘いてぇ』


 ゲームに参加した目的であり、協力する条件であり、この場にいる意義でもある。


 

「一戦目から後方支援に徹するように厳命されれば、そりゃヘソの一つも曲がるでしょ」


「それは……そうでございますな。ですがあの時は」


「うん。教授斑との協定があった。ジャンヌ班の総意だけじゃ覆せないのが、奇襲するって部分だからね。どうしても秘密裏に、隠れながら無効化能力を使って貰う必要があったものだから、仕方ないと言えば仕方ない。なにより大鼠が決起集会で宣言するより前から、ジャンヌと教授の間で決まっていた密約なんだ。だから、今回ばかりは仕方ないと頭ではわかってくれてると思うよ」


「うるさいぞおチビ」



 不機嫌さを隠そうともしない、拗ねた声が差し込まれる。



「でも正解でしょ?」


「次からは宣言通りやらせてもらうからな、ちんちくりん。聖女サマにもそう伝えとけ」


「自分で言って欲しいなあ。それに、僕に当たってもしょうがないでしょ」


「当たられたくなきゃ解説しなくていいんだぞ、男女」


「よし表出ろぶん殴ってやる」



 セナの口からドスの効いた低い声がまろび出た。


 凍った空気に大鼠が反応し体を起こす。

 ポカンと間抜け面でセナを見ていたと思いきや、直ぐにニヤリと犬歯を剥き、挑発的に人差し指でアピールを始めた。



「ハッ! なんだ、気にしてたのか? 悪かったなぁ」


「気にしてない」


「おーおー、セナは大人だ。なら別に俺が殴られる謂われはないんじゃないか?」


「気にしてないけど殴らせろ」


「おぉ、落ち着いてくださいセナ殿」



 左腕を捕まえ静止を促すベートーヴェンのおかげで動きこそ止まったが、セナの右拳は色が変わるほどに握られている。



「……いいぜ、ヴェンさん。離していい」


「いえ、ですがセナ殿は本気で……」


「本気だからいいんじゃないか。早くしないとアンタが殴られるぞ」



 二人を交互に見て、それでも決められなかったのだろう。

 ベートーヴェンはリビングの隅のダイニングチェアに腰掛け、本をめくるサトリに助けを求める。



「サトリ殿。なんとかこの場をお収めできませんか?」


「……やらせておいた方がいい。わだかまりを残すと後に響く」


「そんな……あっ」



 力が緩んだ隙をついて、セナは大鼠に飛びかかった。

 先ほどまで拗ねていた張本人はソファに腰掛け無抵抗、どころか微笑んですらいる。

 その顔が、言葉が、セナの脳内でリフレインしていた。



『男女、キモいんだよ』


(うるさい)


『アンタの更衣室ってここじゃないでしょ! 痴漢じゃーん、ギャハハ!』


(うるさいっ)


『まーた水泳休んでる。本当は付いてるんじゃないの? クスッ』


(うるっさいっ!)


『ホモ野郎を育てた奴もホモに決まってんじゃん』



「うるさいっ!!」



 握り拳は躊躇無く振り抜かれ、大鼠の首が勢いよく後方へ捻れた。

 漫画などでありがちな勢いのある打撃音などせず、ただ鈍い低音が空気に溶けただけ。



「はぁ、はぁ、はぁ……」



 セナは肩で息をしながら、右拳を左手で押さえる。

 大鼠は対照的に、赤く染まった頬に触れもせず真面目顔で居直した。



「わりぃな、痛かったろ」


「……なんで、お前が、謝るんだ!」


「そりゃ、殴った方も痛ぇからだろ。それに今の殴り方、完全に素人じゃねえか」


「だったらなんだ!」


「いや……そこまで怒るとは思ってなかったってことだよ。だから、俺も悪かった」



 殴られた側が、面と向かって謝罪をする。

 脳の混乱と、拳の痛みと、心の軋みが合わさって、セナは頭が真っ白になっていた。



「なんつーか、俺も大人げなかったかもな。もちろん今後はできるだけ尊重しちゃもらうが、俺の意見より先に決まってた約束にグチグチ言ってるのは狭量だわ」


「……僕が指摘したそのまんまじゃないか」


「そうだぜ? けどよぉ、意地を張った男と生理中の女は吐いた唾を飲み込めないんだよな。その時は別の生き物なんだ」


「例えが最低すぎる」


「わかりやすくしようとしただけなんだがなぁ~。ま、ここはどっちも悪かったってことで、納めてくれよ。な?」



 先ほどまでのへそ曲がりはどこへやら、大鼠はにっかり笑って右手を出してくる。

 頭の中では理解しているつもりでも、セナにはその手を握ることはどうにもできなかった。



(ガキはどっちだよ、くそっ)



 手の甲で打ち払って、大鼠に目を向けることなくソファの隅で体育座り。

 張りつめた空気も弛緩して、ベートーヴェンのため息や大鼠の「やれやれ」というボヤキも耳に入った。



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