バレンタインデーの女神様
僕、柏木宗一郎は柏木家の長男として生まれ、小さい頃から父親に『人の為に生きなさい』という言いつけを守り、面倒事を頼まれれば気軽に承諾し、誰もやりたがらないクラス委員も小学校4年から高校2年の今まで8年間連続でやってきた。あだ名はもちろん委員長である。
そんな神の子のような僕にも欲はある。
教室のサイドボードに目をやると、誰が書いたのかわからないが、ピンクのチョークで『明日はバレンタインデー』と書かれており、周囲には花や蝶々など、それはもうウザイぐらいにデコレーションされていた。
そう。僕は17年間という長い月日の中でバレンタインデーにチョコを貰った事がないのだ。別に、2月14日は誰からも何も貰わない主義でもなければ「僕にチョコを与えないで下さい」なんて注意書きも書いていない。
僕みたいな人間が、このままバレンタインデーに何も貰えず卒業するのは如何なものか。来年卒業する僕等にとって実質最後のバレンタインデーぐらいはご褒美があってもいいのではないだろうか。
そんな事を悩んでいるとクラスメイトのA君が声をかけてきた。
「そんな顔してどうしたんですか?」
彼とは特別に仲がいいというわけではないが、先ほど話した面倒事を頼んでくるNO,1のサラブレッド。一応彼にもプライバシーがあるので名前はA君にすることをご了承頂きたい。
「その顔はズバリ! 明日の事について悩んでいますね?」
「何故わかった?」
「そんなの同属臭ってやつです。君からはプンプンと臭ってきてますよ」
A君は素晴らしい嗅覚をお持ちのようだ。ちなみにA君は僕に敬意を表しているのか知らないが同い年なのに敬語を使ってくる。ここでもし「タメ口でもいいよ」なんて言った日には、周囲の人間からはA君の奴隷として見られそうなので、それは言わない事にしている。
「じゃあ、A君も誰からも貰った事はないのか?」
「勿論です。あっ、でも、お母……」
「その先は口にするな!」
A君が言い終える前に言葉を遮った。
身内からのチョコをカウントしてしまうと、バレンタインデーの完全敗北者として認めざる終えなくなり、枕を涙で濡らすこと間違いない。なので俺はあえて貰った事がないとしている。
「そんな貴方に朗報です。私に良い案があります」
「ほう。聞こうじゃないか」
「ここじゃ皆に聞こえちゃうんで場所を移しましょう」
僕は言われるがままA君の後をついていった。
「ここでいいでしょう」
案内された場所はトイレの個室だった。
「なんでこんな場所なんだ。人がいない所ならもっと他にもあるだろ」
「いやぁ、秘密と言えばトイレの個室かなと思いまして」
「そんな呼応関係聞いたことないぞ」
「まぁ、細かいことは置いといて、バレンタインデーの良い案を聞きたくないですか?」
「そうだな。聞かせてくれ」
A君はわざとらしく咳払いをした後に口を開いた。
「チョコを貰えた人間は貰えなかった人間を見下し、貰えなかった人間は貰えた人間に妬む。これに反論はありますか?」
「いや、ないな。A君にしては良い事を言うじゃないか」
「そこで私は考えました。男子全員がチョコを貰えれば幸せになるんじゃないかと」
「そんなの当たり前だろ。しかし、そんな奇跡は起こらない。それは、17年間という長い年月によって検証済みだ」
「ごもっとも。奇跡を起こせる女神様はうちらのクラスにはいません。クラスにいる女性は自分の事しか考えてない貪欲人間だけです」
改めて教室で話さなくて良かったと思った。
「それで、何が言いたい?」
「私達が女神様になろうじゃありませんか」
不敵な笑みを浮かべるA君。一方の僕は驚きを隠せなかった。
「ま、まさか……。男が男にチョコを送る。そんな禁忌を犯していいのか?」
「いいんです。この際誰にチョコを貰おうが関係ありません。クラスの連中に私達がチョコを貰ったという事実を見せ付けるのが目的です」
「な、なるほど」
僕は妙に納得してしまった。もしかしたら、これが今後のイベントの布石になるやもしれない。
「という事で、これをどうぞ」
A君はポケットから何かを取り出し、僕の手に握らせた。
手を開いてみると5千円札という大金が輝きを放っていた。
「これは?」
「この作戦の最大の要である軍資金です。これでクラス全員分のチョコを買ってください」
言い忘れていたが、A君の家は両親が医者なのでお金持ちなのだ。
「A君……。君はなんていい奴なんだ」
「おっと、涙は作戦が成功した時用にとっておいてください。さぁ、我々が女神様になるのです!」
「ありがとう! 恩に着るぞ!」
僕はトイレの個室から飛び出し、すぐさま学校近くのスーパーへとやってきた。
窓際の一番後ろの席の僕は教室内を誰よりも熟知している。仲が良い人悪い人。襟が汚れていたり、早弁してる奴らを発見したりと、いつもは見ているだけで何も役に立たない席だとは思っていたのだが、まさか、男の人数を把握するのに適した席だったとはな。今日ほど今の席に感謝したことはない。
チョコ売り場にて1個200円のチョコを15個カゴに入れた。
会計を済ませ、店から出た瞬間に僕の携帯がなった。
『今、教室内に誰もいません』
『今すぐ戻る!』とだけ返信した。
急いで教室へ戻るとA君だけがいた。
「いつ誰が戻ってくるかわかりません。私は廊下で見張っているので早く」
「了解」
僕は男連中の机の中にチョコを忍ばせた。入れるだけなので作業時間はさほど掛からず2分ほどで全てのチョコを入れ終わった。
「終わったぞ」
見張りをしていたA君に報告をした。
「さすが委員長仕事がはやい。では、明日楽しみにしましょ」
「そうだな。これ以上二人でいると怪しまれそうだ」
そうして僕らは明日の為に解散した。
2月14日バレンタインデー当日。
僕は急いで学校へ向かった。というのも、小学生が遠足の前日に緊張して寝れなかったと同じく、ワクワクしていて寝れなかったのだ。
教室へ入ると男達は全員着席しており、机の上に僕が昨日入れておいたチョコが置かれていた。どうやら、バレンタインデーなので全員いつもより早く登校していたみたいだ。
平常心を保ちつつ自分の席へと着席した。すると、クラスに必ずはいるチャラい男が口を開いた。
「委員長の机の中にもチョコ入ってたか?」
「どうだろうな。今確認してみるよ」
入ってるのは当たり前だろ。これは僕が全員分買ってきたんだから。
僕は机の中に手を入れた。
「……!?」
「どうかしたか?」
「いやぁ。ちょっと待ってくれ」
無い! 無い! いくら机の中を弄ってもカチャカチャと爪で鉄を引っかく音しか聞こえない。
「あっ。ごめんな。俺の勘違いか」
謝るな。というか、こういう時だけ空気を読むな。
チャラ男は自分の席へと戻っていった後、A君が俺の方へとやってきて小声で話しかけてきた。
「どうしたんです? 皆の席にチョコが入っていたのに、一人だけ入ってないフリしたら逆に怪しまれますよ?」
「……無かった」
「え?」
「チョコが入ってない」
「そんな馬鹿な。だって昨日入れたでしょ?」
「ああ。確かに15個――」
「ちょっと待ってください。15個と言いました?」
「確かに15個だ。昨日家でレシートを確認したが15個になってる」
「もう一度、クラスの男子を数えてみてください」
そういわれ、廊下のほうから順に数えた。
「13……14……」
次の15人目は僕の目の前の男だった。
「あっ!」
「気づきました? クラスの男子は16人です。自分の数をカウントしてなかったんですよ」
「そんな……そんなまさか」
俺は居ても立っても居られなくなり、教室を飛び出し保健室へと向かった。
保健室へ入るなり先生に「腹痛なのでちょっとベッド借ります」とだけ言いベッドに横たわった。
しばらくすると、携帯にメールが入ったのでポケットから取り出し確認をした。
『次はうまくいきますよ』とA君からの励ましメールだった。
僕は『ありがとう』とだけ返信をし、枕を濡らした。